重富島津家は越前島津家ともいい、島津御一門家の筆頭格。
重富小学校(平松城址)
越前島津家は島津家初代忠久が承久の乱の勲功賞として越前国守護職に補せられた際、その次男忠綱が守護代に任命されたことに始まるという。島津家分家のなかでも古い歴史をもっている。
姶良町重富の平松城は島津義弘によって築かれたがその後、越前島津家の再興によって同家領主の館となった。平松城一帯に麓と呼ばれる家臣団の屋敷地が整備された。
重富小学校(平松城跡)の前に麓が広がる
館の馬場に沿って野積みの石垣とイヌマキの生垣がつづく
水平線をつくるイヌマキが見事。奥に重富小学校の正面玄関がある
館の馬場に面する武家門
主屋根の瓦の意匠が興味深い
武家門の脇にはポンカンがたわわに実っている
小学校正門前。ここでも広大な敷地を石垣と生垣、樹木が囲んでいる
重富小学校の周囲に石垣が野積みされている
上の写真の馬場から館の馬場を見る。重富麓の特徴がわかる
重富麓はどこの屋敷も生垣が綺麗に刈り込まれている
正月の準備だろうか、どこの生垣もきれいに刈り込まれている
(続く)
推測すると 重富郷では一、二の家なんじゃないかと。
自然石垣の上に ブロック塀が見えます。
これも推測ですが 元は 生垣があって 管理ができなくなられて 昭和40年代に積まれたのかなと。
門前の雑草、倒壊防止の鉄線
所有者の苦労というか、
失われつつある 今です。所有者の健闘を祈るばかりで。
先立つものはなんとやらで。
明けましておめでとうございます。
大隅在住さんのコメント、勉強になります。
私の叔母の実家は旧喜入町の元麓ですが、現在は実家に住む人がおらず、子供に家を継がせようにもなかなか実現が難しく苦労があるようです。
残された屋敷をだれが(所有者になるのでしょうが)どう費用を工面して維持管理していくか。課題は多いと思います。いつか麓サミットを開いて皆さんで議論したいですね。
今年も各地の麓の風景を記録していきたいと思いますので、よろしくお願いします。