重富小学校の先に武家門構えの屋敷を見つけた
背後の山が借景を作っている
重富小学校の近くにたつ平松城の歴史の説明板
重富小学校の東側の風景
重富麓には竹垣も残っている
旧道にたつ重富麓のバス停
重富麓は平松城から広がる麓の屋敷地を囲む生垣が素晴らしい
重富小学校の先に武家門構えの屋敷を見つけた
背後の山が借景を作っている
重富小学校の近くにたつ平松城の歴史の説明板
重富小学校の東側の風景
重富麓には竹垣も残っている
旧道にたつ重富麓のバス停
重富麓は平松城から広がる麓の屋敷地を囲む生垣が素晴らしい
刈り込まれた 生垣がきれいですね。
重富は仕事をしていたときもあり、なつかしいです。
鹿児島(昔風には三州(薩隅日)
の住居美の三要素は 生垣と石垣、それに住居と門
もともと、そんなに お金があるわけない南九州では
自然を、利用した美しさが、本当じゃないかと思います。
自分の推測なんですが、生垣がところによってないのは
明治大正期の道路の拡張により門塀等に工事の手が入り
再生に面倒な生垣の復活が不完全たからではと。
わが家も書付によると大正初めに かなり工事をしてるみたいで、たぶん 今 在る門等は そのころのものかな。家の藁葺きが、瓦葺きになったようで。
ただ。横路地なので 門だけ工事して生垣は残ってます。たぶん
そのころは地方が豊かな時期だったのかなと思うこのごろです。
明治大正期の風景写真があったら是非見てみたいのですが、図書館で郷土関係の本を見てみても、残念ながら武家集落の風景写真はほとんど出てきません。