鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2009 恒吉麓(初訪問)

2009-02-20 | 麓-曽於・志布志

1月15日に恒吉麓を訪れました。仕事で曽於市岩川を訪れた帰り。

恒吉麓の入口。郵便局近く

鹿児島市内から高速で末吉財部ICまで行けば岩川まではすぐ。帰りは仕事の疲れもあって鹿屋を経由して垂水フェリーに乗る場合が多い。今回は岩川から大隅湖と高峠を経由して垂水フェリーに向かうことにしたが、百引、大隅湖方面に向かう途中に恒吉麓があることが分かった。太陽が傾く遅い時間だったがそう機会もなかろうと思い寄ってみた。

 

恒吉太鼓橋。曽於市指定文化財

 

太鼓橋の先に武家門が残っていた

 

恒吉麓内の風景。太陽がかなり西に傾いてきた

峠の凍結の心配があったのですぐに百引、高隈湖、高峠を越えて垂水フェリーで戻った。

凍結の心配は杞憂に終わる。

(訪問記)

恒吉麓は最初の写真をもう少し先にいった地区まで広がるようだ。先までいくと石垣等の麓らしい風景が残っているかも知れない。

今回は手前でUターンし帰路を急ぎました。


2009 大姶良麓

2009-02-19 | 麓-垂水・鹿屋

鹿屋市内の高校に立ち寄る用事があったので大姶良麓を訪れてみました。

大姶良麓の入口

 

大姶良麓に入ると道路沿いに竹垣が続いている

 

道沿いに少し進むと石垣が続く場所がある。この付近が大姶良麓の中心のようだ

 

さらに先に進む。ここでも道沿いに竹垣、石垣、生垣が続く

 

生垣の向こうに梅が咲いていた

大姶良麓を引き返す。

田んぼの向こうに武家門構えの家

 

 

 

大姶良麓から県道に戻る。県道沿いに建つ武家門があった

(訪問記)

大姶良麓は大姶良城の麓に形成された。大姶良の中心(大姶良小付近)や県道からも外れているためか、数ある麓のなかでもひっそりと存在する麓であるといえる。

(後記)

大姶良麓の地頭仮屋跡について鹿屋市教育委員会に尋ねてみた。旧役場や小学校敷地である例が多いのだが大姶良ではそれらの建物は麓からずいぶん離れている。調べていただいたが所在地は不明であった。鹿屋市教育委員会に感謝。この場を借りてお礼申し上げます。


2009 与論島へ

2009-02-14 | 種子屋久・奄美諸島

仕事で石垣島を訪れた2週間後、与論島を仕事で訪れた。仕事で離島へ続けざまに訪れるのは珍しい。

鹿児島空港。与論へ向けて飛び立つ準備中のボンバル機

 

与論島は奄美諸島の南端。沖縄返還前は日本最南端の島と呼ばれ多くの若者が押し寄せた。2度のバブルを経験。島の課題としてバブルの経験を抜け出せない人も少なくないようだ。

JAC日本エアコミューターのボンバル機、鹿児島発11:35に乗り込むと1時間20分で与論空港に到着した。与論空港に降りる直前のボンバル機から見下ろす与論の海は、東洋の真珠と言われたように息を呑む美しさです。前日あたりから強い風が吹いていたと言う与論空港へ到着。

 

与論の中心、茶花へ移動。迎えにきて下さったFさんに感謝。

 

茶花漁港。仕事の合間に漁港へ

 

桟橋の右側は漁港。左側は茶花海岸側。エメラルドグリーンの海が広がる。きれいな色だなあ

 

漁港とは思えない海の色だ

 

茶花海岸。白い砂浜が広がる

 

夜は機内で偶然再会した商工会の会長や商工会のみなさんとご一緒する。

与論献奉はお盆に載せた杯に親役から地元黒糖焼酎の有泉を並々と注いでもらう。写真の有泉はPBの名前「サビチラの海」のラベルが貼られている。サビチラとはチョウチョウ魚(与論島の形がチョウチョウ魚に似ている)の地元方言。

一通り口上を述べて、杯につがれた有泉をゆっくりと飲み干す

(与論献奉のやり方)

杯の中の有泉を飲み干したあと、杯を縦にして手のひらに有泉のしずくを落とし、手のひらを頭に撫で付けます。飲み干したことを親役に伝えるパフォーマンスです。杯は参加者全員に回される。その都度、口上を忘れてはいけない。都合、杯が4度回ってきました。こうやって親交を深めます。親役は飲み手の技量を見極めなければならず、量を加減して無理な飲ませ方は決してしないということです。

手元に水を注いだグラスを置き、途中途中でグラスの中の水を飲む。これをお腹で割る(水を割る)といいます。

翌日午前中仕事のあと、与論空港から1時間遅れのボンバル機で鹿児島へ帰りました。空港まで見送って頂いたFさん、Yさんに感謝。

参考:与論島・与論町(1)与論献奉コバルトブルー豊年祭 (2007.9訪問)


2009 沖縄・竹富島 04

2009-02-11 | 沖縄

竹富の中心から少し離れた中筋集落は観光牛車が通らず、ほとんど観光化されていない。

古い集落風景が最も残る地区といえよう。

 

中筋集落内の風景

 

道には珊瑚や貝のかけらが撒かれているのがよく分かる

 

幹の太い立派なフクギに囲まれている古い民家があった

 

竹富島の集落は、赤がわらの屋根、魔よけのシーサー、石灰岩の石垣、ひんぷん、福木の並木、サンゴ砂の道、草花の植え込みなどで構成されています。この付近は、竹富島の伝統的なたたずまいを、今も色濃くのこしている地域の一つです-案内板より- 

 

 

箒の跡が残る。すがすがしい道です

 

フーヤと称される主屋は田の字四部屋を基本とする寄せ棟造り

 

主屋の西側に炊事棟であるトーラを配する。いわゆる分棟型が竹富島の伝統的な民家形式

 

こちらの民家には中庭にバナナの木が植えられている

 

そろそろ港に戻る時間なので、東集落の方へ戻る

 

萱葺きの家屋がもう一棟あった。こちらは納屋のようだ

 

東集落。こちらも相当古い造りの民家のようだ

 

シーサーにお別れして竹富島を後にした

後記)

竹富島は1960年代頃までは約40%が茅葺屋根。その後の島のみなさんの取り組みによって美しく統一された赤瓦の屋根の数々が整えられたそうだ。町並み保存の取り組みは大変だが竹富島の素晴らしい風景がこれからもずっと残ってほしい。港から海上を矢のように走る定期船に乗り、石垣港へそして石垣空港へ向かった。

竹富島を学べるサイト

竹富島ゆがふ館(http://www.taketomijima.jp/

全国竹富島文化協会(http://www.napcoti.com/


2009 沖縄・竹富島 03

2009-02-10 | 沖縄

竹富島のつづき。

竹富島には見どころとなる浜がある。案内マップに従って自転車でそれらを見て回る。

西桟橋。西側にあるため夕日の絶景ポイント。かつてはここからサバニに乗って向かいに見える西表島へ農作業に出掛けたそうだ

 

集落の外を走る外周道路。西桟橋から隣のコンドイビーチへ

 

コンドイビーチ

コンドイビーチから隣のカイジ海岸へ

 

星砂の浜です

 

ハスノハギリの葉の下でうたた寝をしたい。ちょっと風が冷たいか

 

土産店の屋根の上からニャー

 

カイジ浜にいる猫たち。寝そべって動こうとしない

 

カイジ浜から中筋集落へ向かう途中の風景。柵の向こうは牛の放牧場のようだが、牛は見当たらず

 

途中で牛を見かけた。水牛には見えないので肉牛だろうか

この後、中筋集落内を散策した。

(続く)


2009 沖縄・竹富島 02

2009-02-09 | 沖縄

竹富島のつづき

竹富島は東集落、西集落、中筋集落がお互いに寄り添う形で集落を形成している。西集落にあるなごみの塔に登ってみた

 

なごみの塔からの西集落の眺め。

なごみの塔は上り下りの傾斜がきつく、てっぺんも狭いので登るには少々怖いくらい

 

御嶽と言われる聖なる場所。島内には多くの場所に御嶽がある

 

デイゴの大木。春には赤い花を咲かせてくれる

 

レンタサイクル店でもらった案内マップを見てもどこをどう走っているのか方向が途中で分からなくなってしまう。

不思議な感覚だ。初めての土地でも土地勘に自信があるほうなのだがここではだめ。

目印になりうるものが集落に見当たらなかったからだろう。

 

 

竹富島の代表的な民家の数々。

修復後の民家と思われる。修復に使う古材や赤瓦は隣の石垣島で解体された民家から再利用されるそうだ

 

珊瑚を積み上げた立派なヒンプン(魔除けの塀)を備えている。どの民家も入口が南向き

 

こちらの民家は石垣が綺麗に積み上げられている

 

萱葺きの民家も残っていた

 

再び観光牛車が横切る

 

お昼時。水牛も休憩する

 

集落内の道はまるで砂浜を歩いているようだ。自転車は進みにくい

 

集落には民宿が多い。入口や中庭をいっぱいの花で飾っているところが多い。

島の経済は主に観光で成り立っている。年間40万人を超える人がここ竹富島を訪れる。数は年々増えている。

(備考)

年間40万人以上の観光客が訪れる竹富島には目立たないようにインフラがきちんと整備されている。

道路上に見えるマンホールの蓋はその一部。集落の外には下水道浄化施設が整備されている。(続く)


2009 沖縄・竹富島 01

2009-02-09 | 沖縄

竹富島は国の重要伝統的建造物群保存地区として知られている。

石垣空港発15:40までの滞在時間を利用して竹富島を訪れた。

石垣港離島ターミナル。立派な施設。

ここから竹富島・西表島・小浜島・波照間島・黒島・鳩間島の各離島へ定期船・チャーター船が出港する

 

竹富島行き桟橋。竹富島まで片道580円。約10分。30分毎に出港する

土曜日でもあり竹富島行きは満員。日本語に混じって中国語が飛び交う。乗客の8割位は台湾からの観光客か。

中国語でおしゃべりをする小学生らしき子供を二人連れた家族に親近感をとても覚えた。

 

海上を疾走する石垣港行きの定期船。

隅田川の遊覧船みたいにのんびりと島に渡ると思いきや、港を出たとたんに速度を上げ、矢のように竹富島へ走りだす。

10分で到着するのはそういう理由ね・・・

外洋は波のうねりが強く、船底がドーンと谷間に着水すると船内でキャーという声。

船が前後に真っ二つに折れるのではと少し不安になった(そんなことはないのだが)

 

もうすぐ到着。竹富島は起伏がなく真っ平な島

 

竹富島離島桟橋に到着。立派な施設。

マイクロバスに近づくとレンタサイクル利用者は集落まで乗せてくれるという。もちろん乗せてもらう。

昨日の石垣島が最高23℃とはいえ、竹富島は風が強く、上着一枚欲しいくらい

 

竹富集落の中心を通る道路。角に竹富郵便局。手前に進むと竹富小学校。

集落の外側を走る環状道路を除けば、集落内で唯一の舗装道路かもしれない

 

レンタサイクル(300円/時間)を借りて集落内をぶらぶら散策する。

集落内の道は白砂が敷かれ、左右の石垣は珊瑚が積まれている。

 

白砂の道。珊瑚の石垣。石垣の上にのぞく赤瓦の屋根の数々。竹富島には沖縄の古い風景が残っている。

時間がゆっくりと過ぎる島だ。せめて一泊してのんびり過ごしてみたい。

 

石垣の上に咲くブーゲンビリアの花がよいアクセントになっている

 

 

道は清掃がゆき届いているようだ

 

観光牛車が通り過ぎた。

観光牛車に乗ってのんびり揺られながら景色を楽しむのもよさそうだ。奥に見えるのはなごみの塔。

後からきた観光牛車が通り過ぎるのを手前で待っていたら、手前の道に曲がるのでちょっとどいてくれという。

道幅が狭いので牛車が角を曲がるときに自転車が邪魔になる

 

いい調子でガイドが説明してくれる。サンシンを弾いてくれるガイドもいる

(続く)


2009 石垣島・赤瓦民家

2009-02-07 | 沖縄

石垣島のつづき

赤瓦の民家が字(あざ)石垣地区に多く残っている。

石垣交差点付近に残る赤瓦の民家。途中、通り雨があった

 

赤瓦民家が二棟並ぶ。ヒンプン(魔除けの塀)は赤瓦か煉瓦を積んで頂部に赤瓦を載せる。再び日が射してきた

 

字(あざ)石垣にて。ヒンプンはブロック塀だが、屋根の赤瓦は古そうです。

竹富島で聞いたが、古い素焼きの赤瓦は雨漏りするのでそれが一番の問題らしい。

 

字(あざ)石垣にて。赤瓦の古い民家が四棟並ぶ。中央に防風林のフクギも見える

 

字石垣にて。宮鳥御嶽。

石垣市の中心は石垣・登野城・大川・新川の四つの字(四箇)から構成され、字石垣は四箇の発祥の地とされている

 

赤い花はブーゲンビリア?

 

一口にヒンプンといっても形が様々

 

この民家も古そうだ

 

この地では珍しく石柱の門構えがあった

 

防風用のフクギの残る通りがある。昔はもっと屋敷の周りにフクギをめぐらしていたのかもしれない

(訪問記)

石垣島の石垣市街地には赤い琉球瓦を屋根に載せた古い民家が数多く残り、独特の景観が残っている。

今のところ、それを観光資源や町並み作りに活かそうという動きはなさそうだ。純粋に生活の一部として残っている感じがした。

私から見ると貴重な地域資源なのだが。翌日、隣りの竹富島へ船で渡ってみた。

参考:石垣島の風景(1) (2) (訪問日2008.3.25~26)


2009 石垣島・士族屋敷

2009-02-07 | 沖縄

石垣島のつづき

桃林寺の近くで石垣、門、赤瓦屋根の見事な屋敷を見つけた。

 

珊瑚の古い石垣が続き、赤瓦葺きの門を2棟備えている。

一帯に士族屋敷が並んでいたと言われる。その名残りかもしれない。宮良殿内も近くにある

 

門の内側にヒンプン(魔除けの塀)が見える。

薩摩藩の武家屋敷には敵の侵入を一旦防ぐ壁として目隠し壁が設けられる。共通性を感じる

 

もう一つの赤瓦の門

 

 

 

宮良殿内。国指定重要文化財。

琉球王朝時代の八重山地頭職の邸宅で首里の士族屋敷をまねた建築とされる

 

 

先の戦争被害が比較的少なかったため石垣市街には赤瓦の古い民家が多く現存する。

赤瓦を白い漆喰で固めている

 

台風や強風に耐えるため屋根は傾斜の緩やかな寄棟造り。軒先が低い位置まで延びている

 

軒を支える柱が見える

 

石垣市街地は赤瓦の古い民家が多く残っている。古い民家は年々解体され新築に代わっている。

解体後の古材や素焼きの赤瓦は隣りの竹富島などの民家の修復材に用いられている。

(続く)


2009 沖縄・石垣島

2009-02-07 | 沖縄

1月30日に仕事で沖縄の石垣島を訪れた。2度目の訪問。

鹿児島10:15発、那覇空港で石垣行き12:00に乗り継ぐ。那覇空港にて

 

那覇空港から約1時間15分のフライト、13:15に石垣空港に到着

2月から石垣島で千葉ロッテ春季キャンプが始まる。この日の石垣島の気温は最高23℃。

半袖でも大丈夫という現地からの電話にびっくりしたが到着して納得しました。

観光化に伴い石垣市の中心はビルが多い。しかし先の戦争被害が比較的少なく島内に史跡や赤瓦の民家が多く残っている。

 

桃林寺。琉球に進攻した薩摩藩の進言により1614年建立。八重山最初の寺院。山門は琉球赤瓦を戴く

 

 

桃林寺の境内にある本堂と鐘付堂

 

権現堂側の門。薬医門形式

 

権現堂。国の重要文化財にして沖縄最古の木造建築物

 

 

桃林寺全景

(続く)