鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2007 伊集院麓

2007-10-14 | 麓-串木野・日置

妙円寺参りは関ヶ原の合戦で敵中突破して鹿児島に戻った島津義弘をしのんで行われる行事です。

伊集院麓は現在の伊集院小学校一帯にあたる

 

 

一帯には図書館、商工会、税務署、検察庁、裁判所が集中する

少し離れた路地に当時の面影が残っている

 

 

 

麓東へ移動しました

 

 



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十万石の伊集院家 (伊集院忠棟)
2015-04-22 20:34:02
豊臣秀吉から八万石を拝領され、十万石の勢力を誇り、それに脅威を抱いた島津家から皆殺しにされてしまった伊集院家。
1549年5月、日本史上、最初に火縄銃を合戦に使用した伊集院忠朗。
同年の1549年9月29日、日本で初めてキリスト教の布教が行われた伊集院城。
歴史的に革新的な日本の発祥の地でもある伊集院。

火縄銃は伊集院忠朗が合戦に使用した26年後の1575年、織田信長が伊集院忠朗を手本にし、長篠の戦いで火縄銃を合戦に使用。
伊集院城は九州を制覇した島津義久や、天下分け目、関ヶ原合戦で敵中突破した鬼島津こと島津義弘らの居城。
伊集院城城跡の一宇治城にはフランシスコ・ザビエル像が建ち、JR伊集院駅前には島津義弘の銅像が建立されいる。
伊集院城でキリスト教が布教された300年以上後に建てられた長崎の国宝の大浦天主堂。
国宝の大浦天主堂は現存されている教会としては日本最古であるが、実は、その300年以上前に、伊集院城でキリスト教が行われていた。
伊集院城は、国宝、大浦天主堂よりも遥かに古く、貴重であり、価値が高い。

伊集院城から日本の歴史が動いた!と言ってもいい。

その割には国宝にも重要文化財にも指定されておらず、過小評価である。
伊集院町も十万石(当時、東京都の二倍くらいの領土)であったのが、随分と縮小している。
伊集院家の分家に日置家があるが、立場が逆転している。
戦国時代では、九州は九州を制覇した島津州であり、鹿児島県ではなくて伊集院県、薩摩市、日置町であった。

時代は激変、
日本文学史上、最大の権威があった歌人【紀貫之】(百人一首、土佐日記、古今和歌集の著者)の血筋の伊集院時清が伊集院城を築城している。
伊集院城は世界遺産の銀閣寺より、200年以上も古い1190年に築城された。
伊集院町は極めて古く、何と、795年に既に誕生している。

伊集院城を再築城し、伊集院のその偉大な歴史と伝統を、もっともっと評価しなければならないU+203C
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