鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2009 SL人吉号

2009-10-31 | 鉄道・くるま・飛行機

人吉駅で「いさぶろう・しんぺい号」から「SL人吉」に乗りかえる。

人吉駅1番ホーム。14:39発「SL人吉」がバックでホームに入ってくる。

 

みんなSLの前で記念撮影する。

 

整備士や機関士は出発前の点検・準備に忙しい。

 

予約は3号車。展望ラウンジが1号車と3号車に付く。汽笛を合図にゆっくりと動き出す。

近所の幼稚園だろうか園児達がSLを見にきていた。みんな手を振っている。こちらも手を振り返す。

 

しばらくして子供と3号車展望ラウンジに行ってみた

 

 

最初の渡駅を過ぎてしばらくすると、球磨川に架かる第2球磨川橋梁を渡る。

展望ラウンジから撮影。明治41年竣工、アメリカンブリッヂ社製。

 

次の一勝地駅に停車。

 

 

 

子供達は機関士さんと一緒に記念写真をとってもらった。機関士さんは言葉控えめな方だ。

 

旅の間に飲むビールは美味しい。2号車のカウンターで販売している。

嫁と1本ずつ飲んだ。嫁はお酒が好きである。

一勝地駅のホームでは地元の米焼酎「一勝地」を販売していた。

杯付きの小さい方を購入して飲んでみたが、生はきつい。ロックでちょうどいい位だろう。

(続く)


2009 いさぶろう・しんぺい号 02

2009-10-30 | 鉄道・くるま・飛行機

肥薩線で一番長い矢岳第1トンネル(全長2096m)を経て肥薩線最高所の矢岳駅に到着。

煤で汚れた顔や手を洗う水盤がホームに残っている。

 

 

駅に花が活けてあったりする。

 

 

矢岳駅から下る途中にループ線がある。一時停車。

 

 

 

ループ線を回って大畑駅に到着

 

 

 

平地をしばらく走ったら人吉駅に到着。向こうに見えるのはSL人吉号の車庫。

(続く)


2009 いさぶろう・しんぺい号

2009-10-29 | 鉄道・くるま・飛行機

JR肥薩線の吉松駅から「いさぶろう・しんぺい号」に乗り換える。

隣県の人吉駅まで壮大な峠越えをする。吉松~人吉間は天下の難所と呼ばれる山地。

鉄道技術の粋を集めて難工事の末に完成させた。当時の逓信大臣は山縣伊三郎、鉄道院総裁は後藤新平。

両方の名前を取って「いさぶろう・しんぺい号」と名付けられた。

出発時刻は11:42。

 

車内は木がふんだんに使われ、車内灯も実にクラシカル。デッキもある。

 

 

肥薩線の車窓に霧島連山の他、秋らしい黄金色の稲穂の景色がひろがる

 

長女が備え付けの旅ノートに旅の感想を書き始めた。旅はこれから。

 

最初の停車駅、真幸(まさき)に到着。

 

ホームにある幸せの鐘をみんなで鳴らす。

 

真幸駅はスイッチバックの駅である。観光列車らしくアナウンスがある。

 

真幸駅のホームからバックして再び前進し坂を登る。

 

次第に高度を上げているのが分かる。

 

DSに飽きた下の長男がデッキにやってきた。

 

日本三大車窓の霧島連山。一時停止し車窓を楽しんだ。

 

(続く)


2009 特急はやとの風

2009-10-25 | 鉄道・くるま・飛行機

子供達の秋休みを利用して、観光列車「特急 はやとの風」に乗った。

鹿児島中央駅3番線ホームに9:27発「はやとの風」が入ってきた。

出発まで時間がある。車掌さんが駅帽を頭に被せてくれた。子供達は交互に被りっこして車掌を気取る。

9時27分出発。はやとの風は室内に木がふんだんに使われている。

室内の灯りもクラシカルだ。

 

最初の停車駅、鹿児島駅を出て桜島を撮ろうとしたらいきなりトンネルに入った。

ハプニングも旅の楽しみ。下の子はDSに熱中。車窓なんてどうでもいいようだ。 

はやとの風は錦江湾に沿って右手に桜島を眺めつつ次の停車駅、隼人へ向かう。

途中桜島が噴火した。

 

隼人駅からはJR肥薩線に乗り継ぐ。

はやとの風は隼人駅から次第に標高を上げ暫くして嘉例川駅に到着する。

 

子供達も列車からホームに降りて、ここでも車掌さんの帽子を被せてもらい記念撮影する。

 

 

 

次の霧島温泉駅にて停車

霧島温泉駅は西田敏行の「人生の楽園」に「はやとの風」とともに取り上げられていた。

ホームの向こうにそばの花畑が広がっている。

 

大隅横川駅に到着する。大隅横川駅の古い木造駅舎の事務室をガラス越しに見る。

多くの駅員が働いていたんだなと想像してみる。当時を想像してみるのが大切だと思う

 

 

列車は栗野駅を経て終点、吉松駅へ。

 

 

観光列車「いさぶろう・しんぺい」号に乗り換えるまで付近を散策する。

子供達は展示中のSLで遊ぶ

(続く)


2009 東京・上野公園 02

2009-10-22 | 東京

上野公園内に東照宮がある。

寛永4年(1627年)藤堂高虎の造営による。上野東照宮と称する。

祭神は徳川家康公、徳川吉宗公、徳川慶喜公。

 

寛永寺五重塔。寛永8年(1631年)建立。

 

上野東照宮。参道をあるくと両脇に大名寄進の石灯籠が並ぶ

 

国際色豊かな絵馬

 

 

 

上野動物園まで歩く。

 

上野こども遊園は乗り物代が安く動物をみた帰り子供たちが喜んで乗っていた。

 

 

池田家の表門。戦後に国立博物館の脇に移築した

 

大名家の門ともなるとさすがに立派。大名家の中でも格式が高かったらしい

上野公園には江戸や明治の香りのする建物・史跡が多く残っている。


2009 東京・上野公園散歩

2009-10-20 | 東京

上野公園を散歩しました。

上野の西郷さん。JR上野駅を出ると公園のすぐ左手にある。愛犬ツンと。

 

敬天愛人の碑。西郷さんが好んだ言葉。天を敬い人を愛する。

 

上野の山は彰義隊の戦場となった。戦死した彰義隊隊士を祀る墓

 

 

上野戦争で焼失を免れた寛永寺清水観音堂。寛永8年(1631年)建立。

上野公園はほぼ全域が寛永寺の旧境内だという。

 

不忍池に降りてみた。

 

弁天堂。休日でもないのに出店が並んでいる。いつも出ているのかな

 

はすの葉の向こうに高層マンション。東京らしい景色。

 

一応お参りした。

 

不忍池

 

不忍池から公園に引き返す。 近くにこんな公園があるといいなあ

 

(続く)


2009 佐土原藩

2009-10-18 | 麓-綾・宮崎

翌朝の綾は曇。

 

宿の朝はコーヒーを置いてなかった。宮崎市のマックに立ち寄ってから佐土原に向かう。

佐土原は旧佐土原藩2万7千石の城下町。佐土原町の中心は国道10号線を北上したJR佐土原駅付近にある。

目指す佐土原城はここから大分離れた場所にあるようだ。期待を膨らませつつ佐土原城跡に着いた。

佐土原城跡(二の丸跡)に建てられた鶴松館

 

佐土原城は伊東氏の中心城で伊東義祐が居住した。

木崎原の戦いや高城、耳川の戦いで島津氏に敗れ、島津義久の末弟家久が佐土原城に入城する。秀吉の九州進攻により義久は降伏するが佐土原は家久に安堵される。家久の子豊久が関が原の戦いで義弘の殿軍を努め戦死する。 佐土原城は関が原の戦いの後一時家康の支配下に置かれたが、慶長8年(1603年)家康から封を受けた島津以久が垂水から入城し佐土原藩島津家の初代となる。

明治2年に佐土原藩島津家の居城が広瀬に移されると佐土原城は廃城となった。

館内を係の方が案内して下さった。藩主が対面する大広間や佐土原藩島津家ゆかりの展示品を見て廻る。佐土原人形の展示コーナーには垂水人形や帖佐人形も一緒に展示してあった(館内撮影はNG)。

最後に佐土原の武家屋敷はどのあたりに在りますかと係の方に尋ねたら、広瀬に城を移すときに佐土原の武家屋敷は全部取り壊してしまったと残念そうに語って下さった。残っていれば飫肥に負けないくらいの城下町だったのにと実に残念そう。藩主が移ると家来もついて行かざるを得ないのでしょう。

鶴松館を後にして近くをまわってみることにした。

現在の佐土原小学校が藩校「学習館」跡。門は復元

 

佐土原に残る商人町の町並み

 

商家「旧坂本家」。宮崎市指定文化財

 

 

(訪問記) 佐土原藩2万7千石の城下町として期待した佐土原訪問であったが、居城が広瀬(現在のJR佐土原駅付近)に移るという歴史は知らなかった。広瀬城も明治4年の廃藩置県により幻の城に終わる。 佐土原城下の家中屋敷は全て跡形もなく取り壊され、見た範囲では石垣等も見当たらず。城下町を偲べるものとしては町人町や古い神社仏閣が残る。広瀬の方に石垣等が残るかは行ってみないと分からない。


2009 綾麓 散策 02

2009-10-17 | 麓-綾・宮崎

ここは私が綾の麓を最初に訪れた際、最も印象に残った場所。隠れ里の風情がある。

 

同じような風景は曽於市の財部麓にもある。木々に隠れるようにして武家門が佇む。

木々は成長しているが昔の麓はこんな風景だったんだろう。

 

 

綾の麓地区でも稲刈りの真っ最中。2台のレンタサイクルで道沿いに進んでみた

 

 

ふいに武家門が現れた。左右に小さな袖屋根が付く

 

 

何神社だろう。忘れてしまった。

 

右から耕運機がやってきた。左には見覚えのある赤い消防設備と門が見える。

 

潜り戸らしきものもある。格式の高そうな門だ。石垣に囲まれた敷地も広い。

標柱には単に武家門とある。町指定文化財

 

 

 

もと来た道を引き返して帰ることにした。夕日が一段と傾く

 

 

 

 

 

レンタサイクルによる綾の麓地区巡りは楽しい。綾町の新しい観光スポットになれるのではないか。

小さな案内標識があるだけでぐっと良くなると思う。(続く)


2009 綾麓 散策

2009-10-16 | 麓-綾・宮崎

綾町にある綾手づくりほんものセンターでレンタサイクルを借りて子供と麓地区を回ってみた。

 

綾手づくりほんものセンターから麓地区まではレンタサイクルで2、3分のところにある。

 

 

綾麓の武家門。ここの武家門は入口からずっと奥にある。

 

麓地区を走る広い道路に出たところを横断する。

 

 

横断すると石垣と生垣の続く筋に出る。

 

最初の武家門前の道から続くこの筋がメインの道だったと思われる

 

石垣脇の用水路は冷たくて綺麗な水が流れていた。

 

夕方なので夕日が生垣や武家門にきれいな陰影を作っている。

 

近くに漆喰壁の倉も残る。ここの門は簡素な構えをしている

 

 

 

(続く)