鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2008 喜入旧麓

2008-07-31 | 麓-鹿児島・指宿

現在の喜入麓から車で5分ほど八幡川に沿って走ったところに旧麓(もとふもと)がある。

地名から分かるように現在の麓に移るまで領内の政治の中心がここにあった。

背後の給黎城(山城)が肝属氏の居城とされてきた。四代領主兼屋のとき現在の麓に居館が移された。

旧麓の入口にある田の神

 

地区内に入ると馬場が真っ直ぐ延びている

 

 

旧麓で確認した唯一の武家門。

子供の頃、旧麓に何度か遊びに行って用水路に掛る橋を渡ってこのお宅に遊びに行った記憶がある。

石柱の上に屋根が架けられている

 

旧麓には石柱の門が実に多い。

ほとんどの家の門に写真のような古い石柱が残されている。古い石柱の数々を見てみよう。

 

 

 

 

 

手前は旧麓公民館。公民館の入口に立派な石柱。奥の方に今年の干支のねずみの像が飾られていた

 

馬場の脇の用水路を流れる水は途中で堰き止められ、左側の用水路へ

(続く)


2008 喜入麓

2008-07-29 | 麓-鹿児島・指宿

喜入麓は肝属家の御仮屋跡と肝属家の家臣の屋敷の面影が残る。

 

喜入小学校前の馬場

大河ドラマで篤姫に想いを寄せた肝属尚五郎は、喜入領主・肝属兼善の三男として生まれた

22歳のときに吉利領主・小松清猷の養子として家督を継ぎ、小松帯刀と改名する

喜入麓入口に建つ武家門。石垣は3段と低い

 

喜入小学校。肝属家の御仮屋跡

 

喜入小学校前の案内板

 

喜入小学校前の武家門。石垣が低い。左右に武家門が並んでいたと思われる

 

馬場を左折する。左は石塀

 

 

門をくぐりながら子供達は塾に通っているのでしょう

 

再び馬場に戻る。馬場の山側は石垣が少し高いが、反対側の石垣は低い。なぜだろう

 

馬場の左右に武家門が並ぶ

 

 

下の門は新しく修繕したものと思われる。こういう修繕の仕方もあるのですね

 

馬場を進む。見事な石垣が続く

 

5段積みの石垣の上に生垣、そして武家門。薩摩藩の麓を代表する景観

 

 

8棟めの武家門。知覧麓に次ぐ規模かも知れない

 

喜入小学校方面を眺める。右に石柱の門が見える

 

手前は石垣。その上に竹垣、犬槙の生垣が配されている。庭の木は手入れが良くない様だが木自体は大きい

(訪問記)

喜入麓は喜入小学校の御仮屋跡の前の馬場に沿って左右に肝属家家臣の武家門が並ぶ。

しかし既に屋敷が取り壊され駐車場になっている場所も幾つかある。

かつては知覧麓のような趣があったかも知れない。このあと、旧麓(もとふもと)を訪れる。

(続く)


2008 霧島わんぱく留学・中岳登山

2008-07-27 | 霧島地域

7月20日から23日まで霧島わんぱく短期留学に子供たちが参加した。

初日は親子の中岳登山。高千穂河原駐車場に集合し、登山組は中岳を目指す

 

森を抜けると階段が続く

 

正面が中岳。長い階段の後にきつい岩場が待っている。両手を使い岩場を一つ一つ登っていく

 

中岳頂上に着く

 

比較的登りやすいコースだが久しぶりの登山できつかった。

今度は家族で立山や尾瀬にまた行きたいなと思う

 

正面に高千穂峰をのぞむ。全員で記念写真を撮り、お昼を食べて下山した。

その後、親は各自解散、子供たちは高千穂河原キャンプへ

 

霧島わんぱく短期留学は霧島市・永水小学校が主催。

留学期間中は永水地区の子供さんの居る家庭が里親となって子供を預ってくれる。

永水小学校の子供達と交流したり、川魚つかみ、虫とり体験などして子供たちは貴重な3日間を過した。

里親さんには本当にお世話になりました。

 

お別れ式の様子。校長先生の挨拶。短期留学には県内外から十数名の参加があった。


2008 今和泉麓 02

2008-07-26 | 麓-鹿児島・指宿

今和泉麓は浜に沿って南北に細長く町割が形成された

地区内の道路が舗装整備された。

1年たって舗装の色が大分落ち着いてきたようだ 

 

石垣と石柱が残る旧家

 

 

散策コース

 

この道を観光客がそぞろ歩くなど地区内のだれが想像できたでしょうか。

平日のこの日3組の団体が歩いていた

 

石柱が残っていた

 

南北に延びる道から脇の路地に入ってみた

 

ここが麓地区であったことを思わせる石造りの門と石柱が残っている

幼少時代はこの付近は浜町と思っていた

 

笠石付の石柱の門が残っている

 

光泉寺。本堂が建替えられている。

幼少時代、本堂で夏祭りの子供向け映画が上映され、見に行ったことがある

 

JR指宿枕崎線、今和泉駅。

 

今和泉駅から線路を挟んで反対の山側へ散策コースができている。

指宿方面から黄色い「菜の花」号が到着する。正面の石倉は住宅として使われているようだ。

夏は涼しそう。散策コースは線路に沿って進み陸橋を超えて線路の反対側へ出る

 

今和泉島津家の墓地。篤姫の父 忠剛や兄の2メートルもあろうかと思うくらい立派な墓もある

 

豊玉姫神社

 

今和泉島津家隠居屋敷跡。線路の向こう側からも高い生垣を確認できる。

 

 

散策コースは踏み切りを渡って戻る。正面の道沿いに隠居屋敷跡、豊玉姫神社がある

 

正面は今和泉駅のホーム

 

駅近くに、二代目領主時代、孝女であった袈裟子という娘を称える碑があった

(訪問後記)

今和泉は半農・半漁の小さな集落で今も昔もほとんど風景が変わっていない。

今回は新しい発見の連続であった。幼少時代に豊玉姫神社で遊んだことを思い出した。

改装された駅舎はできれば篤姫ゆかりの地らしく、落ち着いた色の武家屋敷風にしてほしかった。


2008 今和泉麓

2008-07-26 | 麓-鹿児島・指宿

篤姫が幼少を過ごした指宿市・今和泉麓を再び訪れた。幼少の3年間、私も今和泉で過ごした。

 

今和泉麓の入口。すぐ先に錦江湾が見える

 

最初に今和泉小学校前の浜辺へ

 

於一と呼ばれた幼少時代、岩本村の浜辺から桜島を眺めたことでしょう

 

 

今和泉島津家別邸の石垣。広大な敷地であったことが分かる

 

 

今和泉小学校。正門が武家門風に改装されている

 

 

小学校近くに「篤姫」の看板が立つ

 

町割りの残る地区を歩く。

生垣がきれいに刈り込まれている

 

 

 

 

浜の近くまで屋敷があったことが分かる

(続く)


2008 志布志麓 02

2008-07-21 | 麓-曽於・志布志

志布志麓の続き

志布志小学校。御仮屋跡。志布志小学校前の通りは犬之馬場

 

嫁女石(よめじょいし)。変わった名前の石がある

 

志布志小学校前の屋敷跡。近頃まで武家門が建っていたと推察される。

屋敷跡の活用方法を考えて欲しい

 

志布志小学校脇の若宮神社入口。背後は内城

 

志布志麓の三庭園として新たに国の指定文化財(名勝)となった福山氏庭園(非公開)

木々に隠れて武家門が見える

 

左は若宮神社。犬之馬場から小渕馬場方面を見る

 

右が若宮神社。犬之馬場方面を見る

 

他の麓と同じく、道が途中で曲がっている

 

 

小渕馬場に沿って続く苔生す石垣と武家門

 

 

小渕馬場。阿多氏庭園

 

 

14棟目の武家門を確認

 

前川を挟んで対岸の宝満寺跡へ。麓散策の公共駐車場として利用できる。麓中心からは少し離れている

 

家をもたない 秋がふかうなった -山頭火- 

放浪の俳人・種田山頭火が昭和5年の秋に志布志を訪れた。

「行乞記・あの山越えて」に当時の志布志の様子が生き生きと描かれているそうだ。

(訪問後記)

志布志麓には武家門だけでも20近くあると紹介されている。今回確認できなかった武家門がまだ数棟あると思われる。

出水市麓町に次ぐ規模と言えましょう。空地や荒地があった。麓三庭園を中心に麓の景観保全・修景をどう進めていくか。

これから議論する段階と思われる。今日は天気に恵まれなかったので次の機会は晴れてくれることを期待したい。


2008 志布志麓

2008-07-19 | 麓-曽於・志布志

7月17日に志布志を訪れました。台風の影響で雨模様です

沢目記馬場の平山氏庭園

志布志麓の三庭園として国の文化財指定を受けている

志布志は千年商都と呼ばれる貿易が盛んな歴史ある町で武家屋敷が多く残ることでも知られている。志布志麓は中世の山城である志布志城(内城、松尾城、高城、新城)の谷あいや麓に5つの馬場(沢目記馬場・西谷馬場・犬之馬場・蔵之馬場・小渕馬場)が作られ、これらの馬場に沿って武家屋敷群が形成された。

沢目記馬場の内城入口に建つ武家門

 

内城への登り口。武家門が見える

 

沢目記馬場。右は国の記念物(名勝)として新たに登録された鳥濱氏庭園。

背後は松尾城跡

 

天水氏庭園。志布志麓の三庭園として国の文化財指定(名勝)

 

天水氏邸のさらに奥にある武家門

 

西谷馬場の近くで確認した武家門

 

西谷馬場にある松尾城跡への入口

 

西谷馬場。背後は松尾城

 

西谷馬場。この付近が最も麓らしい景観を残している。背後は高城跡

 

 

 

 

西谷馬場のさらに奥を目指す。背後は松尾城跡

 

山城の谷あいに武家屋敷が点在して続くのが志布志麓の特徴

 

御前の水。島津の殿様に献上したと言われる古くからの湧水

(続く)


2008 吉松麓

2008-07-16 | 麓-姶良地区

栗野の市街地から国道268号を北に進み吉松に向かった

 

吉松の市街地に入る手前の国道沿いに武家門を見つけた

 

隣にも石垣が続く

 

 

吉松の市街地から少し北東に入った山裾に“麓”の地名が残っている。

田圃の向こうの麓地区を訪れた

 

 

地区内に武家門は見当たらないが、石柱の門がいくつかある

 

 

 

 

 

麓の石敢当

 

石垣が残る屋敷跡

 

吉松麓の遠景

(訪問後記)

吉松麓は石垣や所々に残る生垣、石敢当などに麓の面影が残る。全体としては麓らしい景観が失われつつあるようだ。栗野ICから鹿児島に戻る。


2008 栗野麓

2008-07-13 | 麓-姶良地区

9日、湧水町を訪れた

丸池湧水。JR肥薩線栗野駅の裏手にある。日本名水百選

 

湧水町は霧島山麓に位置し旧栗野町と旧吉松町が合併してできた町。新しい町の名前は絶えず冷水が湧き出でる丸池(旧栗野町内)と竹中池(旧吉松町内)に由来するものだそうだ。

丸池の脇にホタルが飛び交ってくれそうな小道がある。丸池から湧き出る水が脇を流れている。

 

小道の先に丸池菖蒲苑がある。残念ながら菖蒲はなし

 

田の向こうに武家門があった。

 

武家門の屋根を支える柱は石柱。

 

左右の袖壁と柱が石材で一体に作られているようだ。石柱の上に冠木を渡し束を立て屋根を支える構造になっている。

石柱はいつの時代のものか。明治・大正か。石柱で屋根を支える武家門は初めて見た

 

 

 

栗野麓はこんもりした森の松尾城の麓、現在の栗野小学校(地頭仮屋跡)から心光寺一帯に形成されたとみられている

(訪問記)こんどはゆっくり散策したい


2008 出水麓・向江町

2008-07-12 | 麓-出水地区

出水市向江町は出水麓を形成するもう一つの武家集落です

出水麓は高台の高屋敷(麓町)と平良川を挟んで下にある向江の武家地と町人地からなっていた。

 

向江町の風景。低い玉石垣と生垣が続く。大きな犬槇の木が目立つ

 

玉石垣と生垣が続く。犬槇がそびえている

 

白壁の倉と武家門が残る

 

 

低い玉石垣、長く続く生垣、手入れされた犬槇の木、緑に溶け込む武家門。

 

とても絵になる風景です

 

全体に石垣や垣根が低いためか、高屋敷の麓町よりも風景が柔らかい

 

 

 

こちらの犬槇もよく手入れされている

 

(訪問後記)

向江は下級郷士の集住武家地。上級郷士の高屋敷がいかめしい印象があるのに対し、向江の武家地は、全体的に石垣や生垣が低く作られて、いかめしい印象はない。このあと紫尾峠と入来峠を超えて鹿児島市に戻った。