鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2008 頴娃麓 02

2009-01-04 | 麓-南九州市

頴娃麓の屋敷地跡。石垣と石柱の門だけが残っている

 

 

古い石垣が続く。当時の地割りがよく残っている

 

 

先ほどの石柱の門が残る屋敷地を望む

 

下方限(国道の西側)から上方限(国道の東側)へ向かう

現在の頴娃小学校前の通り

 

高い石垣のある屋敷があった

 

正面は郡の交差点付近。国道226号線は交差点を左右に走る

(訪問記)

頴娃麓に武家門は見当たらなかったが当時の地割りが残っている。頴娃麓は麓の遺構を伝える貴重な例であろうと思います。

参考⇒頴娃町・頴娃麓界隈(2007.10訪問)

参考⇒頴娃町・石垣集落の風景(1)(2)(3) (2007.11訪問)


2008 頴娃麓

2009-01-04 | 麓-南九州市

昨年の12月29日、頴娃麓を訪れました。

玉石垣が残ります。北薩ではよく見られるが南薩ではめずらしい

 

頴娃麓には当時の古い地割りが石垣と共に残っている

 

 

郡地区公民館・頴娃歴史民俗資料館。頴娃郷地頭仮屋跡

 

 

 

仮屋前の馬場につながる小路。当時の麓の地割りがよくわかる

 

石垣で囲まれた屋敷地。現在は耕作地になっている

 

 

 

突き当たりのお寺跡に2体の仁王像が残っていた

 

 

引き返す。右側もよく見ると石垣が積まれている

 

頴娃町は日本一のお茶の生産地といわれ、お茶畑が広がる

近くの石垣港は琉球貿易や大阪往来の拠点となり、石垣地区は古くから商業町として発達した。

(続く)


2008 湯之尾麓

2009-01-03 | 麓-大口・伊佐

旧菱刈町(現、伊佐市)には中郷として本城郷、小郷として馬越郷、湯之尾郷が設けられ、それぞれの地頭仮屋は現在の本城小学校、菱刈小学校、湯之尾小学校に置かれた。

菱刈町郷土史(平成19年改訂)によると「湯之尾麓は湯之尾神社及び仮屋を中心に、川内川右岸の低地に形成された。湯之尾神社前の馬場は道路整備で拡幅されているが、その景観をよく留めている。馬場周辺(現、川北麓中集落)は「麓馬場組」と呼ばれた。」

湯之尾神社

 

湯之尾神社前の馬場。馬場周辺には麓らしい風景は見られず

 

湯之尾小学校の麓に武家門構えの屋敷がある。菱刈町郷土史の写真に麓の郷士門として登場する

 

 

 

川内川右岸の湯之尾温泉街。近くの菱刈金山から湯を引いている。区画整理されている

 

横綱白鵬関一行が宿泊した旅館山水

 

川内川河川敷。温泉後のいい散歩コース

(訪問記)

川内川の氾濫を受けて整地されたためか川内川右岸の馬場付近に麓らしい風景は残っていなかった


2009 謹賀新年

2009-01-03 | 鹿児島市内

2009年 新年明けましておめでとうございます

今年の初詣は家族で照国神社に出掛け、城山展望台に登りました

 

外城の風景の記録を始めて1年半。宮崎県や大隅、北薩など訪れていない地区は多い

今年も県内各地を訪れる機会に恵まれると期待しています。産業遺産も記録してみたい

本年もどうぞよろしくお願いします。