山が新緑に萌える頃、栗生川の支流の奥深い山へ、子供たちと職員総出でメジロ捕りに出かけた。川岸の山路を登って目当ての森に着いた。森には、たくさんのメジロが、美しい声で囀りながら群れて、枝々を飛び跳ねていた。屋久島のメジロは、奥深い山で産卵して子育てをする。春先になると、メジロの小鳥は、親鳥と連れ添って低木のある森へと降りてくる。メジロ捕りは、小枝で飛び跳ねている子メジロを、鳥もちを付けた釣竿の先で捕る手法である。さっそく手慣れた職員が、釣竿の先でメジロを捕り始めた。捕られたメジロは、その場で木灰で鳥もちをきれいに拭き取り籠に入れる。初めて挑戦してみたが、なかなか難しく、首も痛くて数羽しか捕れなかった。数時間で
今も噴火警報レベル5の口永良部島 (2015年11月27日午後4時頃 屋久島町栗生海岸より撮影)
小雨の口永良部島(2015年11月28日午前11時頃 屋久島町永田浜海岸より撮影)
海亀産卵地 永田浜海岸より口永良部島を望む(右側島影) 撮影同上
撮影地同上
屋久岳と海に囲まれた吉田集落(永田浜近く) (2015年11月28日午前10時30分頃 吉田展望所より撮影)
一奏漁港 口永良部島より一時の連絡船帰る(2015年11月28日午後1時ごろ撮影)
≪ 当時の小杉谷太忠岳分校≫
小杉谷の人口は、およそ500人で、児童生徒は120人ほどいた。(昭和34年) ( 屋久町閉庁記念誌 屋久町広報誌「杉の芽」要約版より掲載させていただきました。)
小杉谷太忠岳分校跡を訪ねて
昭和29年8月(1954)、当時、下屋久村立栗生小学校に新採教員として勤務していた。同年8月、同校職員数名で、宮之浦岳へ登山することになった。安房から、トロッコ列車に便乗させていただき、小杉谷まで登った。小杉谷の当時、太忠岳分校の宿直室に一泊させていただいた。分校の先生方やPTAの方々の暖かい歓迎をいただき、明くる早朝、宮之浦岳へと出発した。今でも、忘れ難い懐かしい小杉谷が、脳裏に焼き付いている。
いつの日か、再度、小杉谷を訪ねてみたいと思っていた。足腰の少々丈夫な内にと思い立ち、およそ60年ぶり、傘寿を機会に、猛暑の8月、再び訪ねてみることにした。ガイドさんが、相当、気遣いをなさっておられたが、最後の機会であろうと思いながら登った。小杉谷までは、すべて、安房森林軌道のトロッコ道を歩む。途中、幾つかの欄干のない深い谷川の鉄橋をひやひやしながら渡った。最後まで、ガイドさんたちに、叱咤激励されながら登った。景色をゆっくり眺める余裕もなく、やっと念願の小杉谷へ辿り着いた。
≪ 荒川登山口≫
縄文杉見学ルートの登山口で、登山者が多い。当日の縄文杉登山者は、およそ180名。現在、登山口への自家用車の乗り入れは禁止されている。屋久島自然館始発の登山バスだけが唯一の足である。小杉谷への第一歩が始まる 。 ( 2013・8)
≪ 荒川橋 ≫
登山口から、最初に出会う安房森林軌道の鉄橋である。上流に荒川ダムがあり、大きな渓谷に架かる長い鉄橋である。安全確保のため、両脇に欄干が設置されており、安心して渡れる。(2013・8)
≪ 唯一、森林軌道のトンネル。 荒川橋を渡った直後にある。(2013・8) ≫
≪左側の軌道が本線、 登山者の歩行により、枕木がすり減っている。右側の線路は倉庫への引き込み線≫
≪ かつて、トロッコを牽引した動力車 ≫
≪安房森林軌道が登山道≫
軌道の枕木を一歩々、踏みしめながら歩く。途中、たくさんの登山者と出会った。道を譲り合って挨拶する。山で交わす挨拶は、また、新鮮で爽やかなものである。(2013・8)
≪ 線路は続く ≫
往時の森林軌道は、現在、登山者の屎尿タンクの運搬等に利用されている。軌道は、常時、整備されており、登山者にとっては、かけがえのない登山道である。かつて、小杉谷の皆さん方と、いっしょに、トロッコ列車で登った懐かしい線路である。
≪下山中の登山者 途中で、挨拶を交わした県外のご夫婦のようであった。≫
≪ 安房森林軌道の分岐点 左は荒川ダム方面(登山者は進入禁止) 右は小杉谷方面へ≫
≪小杉谷橋 正面は小杉谷≫
小杉谷橋を渡れば、いよいよ念願の小杉谷太忠岳分校、集落の跡地へ、懐かしい思いで最後の橋を渡った。
≪ 小杉谷太忠岳分校校門≫
およそ60年ぶりの再会、校門は、しっかりと残っていた。小杉谷の児童・生徒や人々の生活の足跡が残っていた。校門は、よく保存されており、小杉谷は、永遠に生き続けていることを実感した。かつての記憶は乏しいが、宮之浦岳登山に際し、この校門で先生方から、お見送りをいただいた。当時を懐かしく想い出し暫し佇んだ。(2013・8)
≪ 校門の前は、登山道(安房森林軌道)で、たくさんの登山者が行き来している。(2013・8)≫
≪ 校庭跡地≫
森林が迫ってはいるが、一部、保存されていた。子供たちの運動や遊び、集落の運動会等が弾んだのであろう。(2013・8)
≪ 校舎立地の石垣≫
校門同様、しっかりと、よく保存されていた。校門から眺めると、子供たちの元気な声が聞えるようである。この一帯の宿直室で、楽しく宿泊させていただいた。(2013・8)
≪校門の横に立つ[ヤマメ」の記念碑≫
≪ 校門の前にある登山者の休憩椅子(軌道沿い) 何人かに出会った≫
≪相当古びた看板 今も大切に校門の下に立っている≫
≪ 小杉谷橋の上流≫
≪新しく架け替えられた小杉谷橋≫
≪小杉谷橋の下流)
≪ 小杉谷橋 後方、今は山に帰った小杉谷 ≫
太陽もやや山に傾き、縄文杉見学登山者も、そろそろ下山してきた。懐かしく、楽しい充実した小杉谷の再訪であった。また、訪れてみたいと、感謝しつつ小杉谷を後にした。( 2013・8 鹿児島市 東 薫 )
在りし日の小杉谷
≪太忠岳分校と集落≫
( 屋久町広報誌より掲載させていただきました。)
≪分校の子供たち≫
(屋久島町歴史民俗資料館展示資料より掲載させていただきました。)
≪懐かしきトロッコ列車 小杉谷の人たち≫
( トロッコ列車 昭和40年(1965)撮影 屋久島町歴史民俗資料館
展示資料より掲載させていただきました。 )
≪僕らのトロッコ (昭和30年頃) 小杉谷上流の石塚地区の子供たちは、太忠岳分校まで通学用に利用していた。屋久島町歴史民俗資料館展示資料より展示させていただきました。≫
( トロッコ鉄橋 屋久島町歴史民俗資料館展示資料より掲載させていただきました。)
≪拠点 屋久島営林署 小杉谷事業所 ≫
(屋久町広報誌より掲載させていただきました。)
≪ 屋久杉の搬出風景 ≫
(屋久町広報誌より掲載させていただきました。)
(屋久杉の搬出 屋久島町歴史民俗資料館展示資料より掲載させていただきました。)
≪ 山に帰った太忠岳分校・集落跡 (2013・8)≫
ありがとう 小杉谷 永遠に
≪ 千尋滝 壮大な大岩板と落差40メートルの滝が、見事に屋久島の大自然を生成している。下流は、鯛ノ川、トローキの滝に落ちている。(2013:6)≫
≪ 展望所 県外観光客が多い ≫
≪ 竜神の滝 千尋滝の下流の滝 (2013・6)≫
≪ トローキの滝 (落差30メートル 鯛ノ川の下流) 大雨の時は、滝音が天まで響くと言われる。上の赤い橋は屋久島幹線道、鯛ノ川橋。 モッチョム岳も望める。 展望所までは、歩道が整備されている。 ≫
≪滝は直接、海に落ちている。直接、海に接している滝は、全国的にも珍しい。≫
≪ トローキの滝の注ぐ、真下の海岸(太平洋) ≫
≪物産館「ぽんたん館」 トローキの滝、見学者の駐車場にもよく利用されている≫
≪ 屋久島ポンカン≫
≪旧道 (2013・6)≫
≪旧鯛ノ川橋≫
≪道路と橋は、かつて、およそ、60年前、栗生小学校に赴任した時の旧道である。当時、道路は砂利道で橋は木造であった。赴任中に、現在の鉄筋コンクリート橋に架け替えられたが、また、出会うことができて懐かしく通行させていただいた。現在の屋久島幹線道路は、下流に立派な架橋があり、観光客等で交通量も多い。時の移ろいをしみじみと実感した。 ( 2013・6) ≫
≪屋久島幹線道路架橋 鯛ノ川橋 (安房~尾之間) (2013・6)≫
≪鯛の川上流 (2013・6)≫
≪モッチョム岳 鯛ノ川橋から望む 標高944m いかにも屋久島らしい雄大な岩塊 (2013・6)≫
≪ きれいな一湊海岸 向かいに海水浴場がある。 西郷隆盛は、1862年、2回目の島流しの折、村田新八といっしょに寄港している。(2013・6)≫
≪鯖漁で有名な一湊漁港 屋久島最大の漁港 (2013・6)≫
≪ 釣船 ≫
≪ 釣り客を乗せて出港する釣船≫