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屋久島今昔ものがたり

昭和29年、最初の勤務地が屋久島でした。屋久島の昔と今について紹介します。

秋の屋久島 白谷雲水峡へ(2016 10月下旬)

2016-12-06 17:50:41 | 鹿児島県

 

白谷雲水峡 登山口 宮之浦港 屋久島環境文化センター

白谷雲水峡の連山

 

 

 

水量豊富な渓流

 

 岩場を登る登山者

 

 

遥か眼下に見える宮之浦港


釣竿担いで山へメジロ捕りに

2015-12-10 10:35:21 | 鹿児島県

 山が新緑に萌える頃、栗生川の支流の奥深い山へ、子供たちと職員総出でメジロ捕りに出かけた。川岸の山路を登って目当ての森に着いた。森には、たくさんのメジロが、美しい声で囀りながら群れて、枝々を飛び跳ねていた。屋久島のメジロは、奥深い山で産卵して子育てをする。春先になると、メジロの小鳥は、親鳥と連れ添って低木のある森へと降りてくる。メジロ捕りは、小枝で飛び跳ねている子メジロを、鳥もちを付けた釣竿の先で捕る手法である。さっそく手慣れた職員が、釣竿の先でメジロを捕り始めた。捕られたメジロは、その場で木灰で鳥もちをきれいに拭き取り籠に入れる。初めて挑戦してみたが、なかなか難しく、首も痛くて数羽しか捕れなかった。数時間で

 

 


遥かに見える口永良部島 今は島民の帰島準備 2015年12月25日頃から帰島予定 

2015-12-03 08:36:34 | 鹿児島県

今も噴火警報レベル5の口永良部島 (2015年11月27日午後4時頃 屋久島町栗生海岸より撮影)

小雨の口永良部島(2015年11月28日午前11時頃 屋久島町永田浜海岸より撮影)

海亀産卵地 永田浜海岸より口永良部島を望む(右側島影) 撮影同上

 撮影地同上

 

屋久岳と海に囲まれた吉田集落(永田浜近く) (2015年11月28日午前10時30分頃 吉田展望所より撮影)

一奏漁港 口永良部島より一時の連絡船帰る(2015年11月28日午後1時ごろ撮影)


安房口登山道より種子島を望む(2013・8)

2013-12-27 10:56:06 | 鹿児島県

 


およそ60年ぶり、小杉谷太忠岳分校跡を訪ねて (2013・8)

2013-09-11 10:46:18 | 鹿児島県

  

≪ 当時の小杉谷太忠岳分校≫ 

 小杉谷の人口は、およそ500人で、児童生徒は120人ほどいた。(昭和34年)                                                                                                          ( 屋久町閉庁記念誌 屋久町広報誌「杉の芽」要約版より掲載させていただきました。)

 

 小杉谷太忠岳分校跡を訪ねて

     昭和29年8月(1954)、当時、下屋久村立栗生小学校に新採教員として勤務していた。同年8月、同校職員数名で、宮之浦岳へ登山することになった。安房から、トロッコ列車に便乗させていただき、小杉谷まで登った。小杉谷の当時、太忠岳分校の宿直室に一泊させていただいた。分校の先生方やPTAの方々の暖かい歓迎をいただき、明くる早朝、宮之浦岳へと出発した。今でも、忘れ難い懐かしい小杉谷が、脳裏に焼き付いている。

 いつの日か、再度、小杉谷を訪ねてみたいと思っていた。足腰の少々丈夫な内にと思い立ち、およそ60年ぶり、傘寿を機会に、猛暑の8月、再び訪ねてみることにした。ガイドさんが、相当、気遣いをなさっておられたが、最後の機会であろうと思いながら登った。小杉谷までは、すべて、安房森林軌道のトロッコ道を歩む。途中、幾つかの欄干のない深い谷川の鉄橋をひやひやしながら渡った。最後まで、ガイドさんたちに、叱咤激励されながら登った。景色をゆっくり眺める余裕もなく、やっと念願の小杉谷へ辿り着いた。

 

≪ 荒川登山口≫

  縄文杉見学ルートの登山口で、登山者が多い。当日の縄文杉登山者は、およそ180名。現在、登山口への自家用車の乗り入れは禁止されている。屋久島自然館始発の登山バスだけが唯一の足である。小杉谷への第一歩が始まる 。   ( 2013・8)

 

≪ 荒川橋 ≫

 登山口から、最初に出会う安房森林軌道の鉄橋である。上流に荒川ダムがあり、大きな渓谷に架かる長い鉄橋である。安全確保のため、両脇に欄干が設置されており、安心して渡れる。(2013・8)

≪ 唯一、森林軌道のトンネル。 荒川橋を渡った直後にある。(2013・8) ≫

 ≪左側の軌道が本線、 登山者の歩行により、枕木がすり減っている。右側の線路は倉庫への引き込み線≫

≪ かつて、トロッコを牽引した動力車 ≫

≪安房森林軌道が登山道≫

 軌道の枕木を一歩々、踏みしめながら歩く。途中、たくさんの登山者と出会った。道を譲り合って挨拶する。山で交わす挨拶は、また、新鮮で爽やかなものである。(2013・8)  

≪ 線路は続く ≫

 往時の森林軌道は、現在、登山者の屎尿タンクの運搬等に利用されている。軌道は、常時、整備されており、登山者にとっては、かけがえのない登山道である。かつて、小杉谷の皆さん方と、いっしょに、トロッコ列車で登った懐かしい線路である。

 

≪下山中の登山者 途中で、挨拶を交わした県外のご夫婦のようであった。≫

≪ 安房森林軌道の分岐点 左は荒川ダム方面(登山者は進入禁止) 右は小杉谷方面へ≫

 

≪小杉谷橋 正面は小杉谷≫

 小杉谷橋を渡れば、いよいよ念願の小杉谷太忠岳分校、集落の跡地へ、懐かしい思いで最後の橋を渡った。

 

≪ 小杉谷太忠岳分校校門≫ 

 およそ60年ぶりの再会、校門は、しっかりと残っていた。小杉谷の児童・生徒や人々の生活の足跡が残っていた。校門は、よく保存されており、小杉谷は、永遠に生き続けていることを実感した。かつての記憶は乏しいが、宮之浦岳登山に際し、この校門で先生方から、お見送りをいただいた。当時を懐かしく想い出し暫し佇んだ。(2013・8)

 ≪ 校門の前は、登山道(安房森林軌道)で、たくさんの登山者が行き来している。(2013・8)≫

≪ 校庭跡地≫ 

 森林が迫ってはいるが、一部、保存されていた。子供たちの運動や遊び、集落の運動会等が弾んだのであろう。(2013・8)

 ≪ 校舎立地の石垣≫ 

 校門同様、しっかりと、よく保存されていた。校門から眺めると、子供たちの元気な声が聞えるようである。この一帯の宿直室で、楽しく宿泊させていただいた。(2013・8)

 

         ≪校門の横に立つ[ヤマメ」の記念碑≫

 

   ≪ 校門の前にある登山者の休憩椅子(軌道沿い) 何人かに出会った≫

 

     ≪相当古びた看板 今も大切に校門の下に立っている≫

 

≪ 小杉谷橋の上流≫

≪新しく架け替えられた小杉谷橋≫

≪小杉谷橋の下流)

≪ 小杉谷橋 後方、今は山に帰った小杉谷 ≫

 太陽もやや山に傾き、縄文杉見学登山者も、そろそろ下山してきた。懐かしく、楽しい充実した小杉谷の再訪であった。また、訪れてみたいと、感謝しつつ小杉谷を後にした。( 2013・8  鹿児島市 東  薫 )

 

       

       

      在りし日の小杉谷 

          ≪太忠岳分校と集落≫ 

       ( 屋久町広報誌より掲載させていただきました。) 

≪分校の子供たち≫ 

 

(屋久島町歴史民俗資料館展示資料より掲載させていただきました。)

         

    懐かしきトロッコ列車 小杉谷の人たち

 

 ( トロッコ列車 昭和40年(1965)撮影 屋久島町歴史民俗資料館

 展示資料より掲載させていただきました。 )

 

 

 ≪僕らのトロッコ (昭和30年頃) 小杉谷上流の石塚地区の子供たちは、太忠岳分校まで通学用に利用していた。屋久島町歴史民俗資料館展示資料より展示させていただきました。≫

( トロッコ鉄橋  屋久島町歴史民俗資料館展示資料より掲載させていただきました。)

≪拠点 屋久島営林署 小杉谷事業所 ≫

                         

 (屋久町広報誌より掲載させていただきました。)

         

                                                            ≪ 屋久杉の搬出風景 ≫      

                                                          

                           (屋久町広報誌より掲載させていただきました。)

(屋久杉の搬出 屋久島町歴史民俗資料館展示資料より掲載させていただきました。)

 

 ≪ 山に帰った太忠岳分校・集落跡  (2013・8)≫

         ありがとう  小杉谷  永遠に 

 


千尋滝  (壮大な岩盤と秀麗な滝)

2013-08-23 17:25:54 | 鹿児島県

 

≪ 千尋滝 壮大な大岩板と落差40メートルの滝が、見事に屋久島の大自然を生成している。下流は、鯛ノ川、トローキの滝に落ちている。(2013:6)≫

 

   ≪ 展望所 県外観光客が多い ≫

 

 ≪ 竜神の滝  千尋滝の下流の滝 (2013・6)≫

 

 


トローキの滝(トロ沖の滝) 鯛ノ川下流 (麦生)(2013・6)

2013-08-18 13:49:10 | 鹿児島県

 

 ≪ トローキの滝 (落差30メートル 鯛ノ川の下流)  大雨の時は、滝音が天まで響くと言われる。上の赤い橋は屋久島幹線道、鯛ノ川橋。  モッチョム岳も望める。  展望所までは、歩道が整備されている。 ≫

≪滝は直接、海に落ちている。直接、海に接している滝は、全国的にも珍しい。≫ 

≪ トローキの滝の注ぐ、真下の海岸(太平洋) ≫

 

 

≪物産館「ぽんたん館」 トローキの滝、見学者の駐車場にもよく利用されている≫

 

 

 ≪ 屋久島ポンカン≫

 

 

 

 

 

 

 


今も残るボンネット・バスの通っていた旧道(安房~尾之間 麦生 ) 

2013-08-16 16:53:26 | 鹿児島県

 

≪旧道 (2013・6)≫

 

 

 

≪旧鯛ノ川橋≫

 ≪道路と橋は、かつて、およそ、60年前、栗生小学校に赴任した時の旧道である。当時、道路は砂利道で橋は木造であった。赴任中に、現在の鉄筋コンクリート橋に架け替えられたが、また、出会うことができて懐かしく通行させていただいた。現在の屋久島幹線道路は、下流に立派な架橋があり、観光客等で交通量も多い。時の移ろいをしみじみと実感した。   ( 2013・6) ≫

 

 

≪屋久島幹線道路架橋  鯛ノ川橋 (安房~尾之間) (2013・6)≫

≪鯛の川上流  (2013・6)≫

≪モッチョム岳 鯛ノ川橋から望む 標高944m いかにも屋久島らしい雄大な岩塊  (2013・6)≫


立派に整備された屋久島幹線道路 ≪安房~宮之浦間 最も長い直線道路(2013・6)≫

2013-08-12 06:34:09 | 鹿児島県


鯖漁の盛んな一湊漁港

2013-08-02 09:32:09 | 鹿児島県

≪ きれいな一湊海岸 向かいに海水浴場がある。 西郷隆盛は、1862年、2回目の島流しの折、村田新八といっしょに寄港している。(2013・6)≫

 

 ≪鯖漁で有名な一湊漁港  屋久島最大の漁港 (2013・6)≫

 ≪ 釣船 ≫

 

≪ 釣り客を乗せて出港する釣船≫