鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2011 桜島フェリー・春

2011-05-28 | 鹿児島市内

G.W.第二弾。

桜島フェリーに乗る。GWなのでかなり待つかなと思ったが意外に早く乗船できた。

 

 

乗船後、フェリーが鹿児島港を離れる。

 

乗船したフェリーは今年建造したばかり。

 

下を見ると子供たちが港に向けて手を振っている。

 

中谷造船は広島県江田島市能美町。能美島は村上水軍の活動拠点の一つだったところ。

 

息子がさっそく備え付けの双眼鏡をみつけた。雨で視界は悪かっただろうが。

    

乗船時間は15分。名物うどんを食べる余裕もない。すぐに車に戻る。

道の駅桜島と道の駅たるみずに寄って空港ホテルのランチバイキングへ。人が多く1時間半待たされた。

錦江湾をぐるっとドライブして帰る。


2011 指宿・知林ヶ島へ

2011-05-22 | 薩摩地方

今年のG.W.は近場で過ごすことにした。

指宿いわさきホテルで行われた中国雑技団のショーをみにいく。

道の駅いぶすきにて。G.W.期間中は県外ナンバー特に関西ナンバーが目立つ。キャンピングカーもよく見かけた。

 

指宿の国民休暇村。走って海岸に降りる。

 

 

指宿の浜ではウィンドサーフィン大会が行なわれていた。

 

ラッキーなことに知林ヶ島まで渡れるようだ。時間帯によって知林ヶ島との間に砂州ができる。

何十年も渡ったことがない。記憶によると最後に渡ったのは丹波小学校の4年の遠足のとき。 

 

 

みんなで砂州を歩いて知林ヶ島まで渡ることになった。

 

子供たちは平たい軽石を拾っては海に投げる。5段飛びくらいだったら自分もできる。

 

 

指宿いわさきホテルへ。お昼からの中国国家雑技団ショーをみる。ここを訪れたのも久しぶりです。

子供の頃ここにあった有名なジャングル風呂によく親に連れてってもらった。


1997 遠野訪問記 04

2011-05-21 | 東北・北海道

14年前に夫婦で遠野市を訪れた時の写真です。

 

遠野物語の舞台の中心、山口集落に向かう途中で見かけた茅葺民家。

 

遠野物語の話者、佐々木喜善の生家。

生家の建物は屋根がトタンに変った以外は喜善の生前当時の佇まいと変りありません。

ここが遠野物語の舞台なんだなあと思わず感慨にふけりました。

 

山口集落の水車小屋。

 

山口集落のダンノハナ。この地がダンノハナであることを示す標柱が畑に立っている。

 

山口集落から琴畑集落に移動。

琴畑はマヨヒガ(迷い家)伝説が有名な集落。

山中でマヨヒガに出会った人は家の中に入ってなんでも好きなものを持ち帰ってよい。

持ち帰った人は家が栄えることが約束されている。

 

遠野物語63話:欲のない妻に対し川上より赤い椀が流れてくる。木地屋たちが作り上げたユートピア伝説といわれる。

伝承園の「御蚕神堂(おしら堂)」に入ると天井いっぱいに千体のオシラサマが飾られていた。

思ってもみない光景に息を呑む。

遠野を後にして小岩井農場へ向かったが遠野の民宿(茅葺民家)に一泊してもよかったかなと後で後悔する。

撮影:1997年夏、遠野はもう一度訪れてみたい場所。


1997 遠野訪問記 03

2011-05-21 | 東北・北海道

1997年初夏に夫婦で遠野を訪れた時のもの。

遠野物語の主な舞台となった山口集落に向かう途中で見かけた遠野盆地内の風景です。

 

南部曲り家。

 

廃屋。屋根には草が生えていた。ネガの変色度合いが大きかったのでモノクロに変換。

 

これは琴畑集落に向かう途中の風景だったかも知れない。

 

撮影時期:1997年初夏


1997 遠野訪問記 02

2011-05-19 | 東北・北海道

遠野第2弾。

河童伝説で有名な猿ヶ石川。

遠野物語の「サムトの婆」の舞台で有名な登戸(寒戸)を訪れたときのもの。

サムトの婆は遠野の歴史家・菊池照雄氏の本によると実在の女性であるという。

遠野物語で猟師(佐々木嘉兵衛)の鉄砲に倒れた山女も実在の女性であるという。

こうしたリアリティある逸話が遠野物語を魅力あらしめている。

 

写真の橋は松崎橋。橋の名前から当時登戸橋を見付けることができなかったのかも知れない。

 

青々とした田んぼの向こうに浮かぶ南部曲り家。遠野らしいと感じたとても好きな風景。

 

もう一つの曲り家。これも私がイメージする遠野らしい風景。今も現存していればいいが。

 

撮影:1997年初夏

ネガフィルムを写真屋さんに持ち込んだところ、変色してましたと言われる。なにせ14年前のフィルム。

保管状態がよくなかったのかも。


1997 遠野へ・夏

2011-05-18 | 東北・北海道

1997年に夫婦で東北旅行した際に岩手県遠野市を訪れたときのもの。

柳田国男の遠野物語がとても好きで遠野物語の舞台を訪れるのを楽しみにしていた。

遠野市の駅案内にレンタカーありますかと尋ねると、残念ながら遠野市内にはないんですよと言われる。

やむなく盛岡市内でレンタカーを借りて遠野市へ向かった。

 

遠野市の入口にある千葉家。

田んぼの真ん中に要塞のように建っている姿を当初想像していた。

盛岡市から遠野へ向かう国道脇に突然出現した意外さにおどろいた。

 

当時流行っていた(と思う)パノラマサイズ。

 

下の写真は曲り家で有名な綾織町の砂子沢(いさござわ)集落。

柳田国男ははじめて遠野盆地に入るとき、斜面の上に曲り屋が密集して立ち並ぶ様(奇観)に大変驚いたという。

曲り家が建ち並ぶ様を想像していた。砂子沢集落だとようやく理解するまで同じ道を行ったり来たりした。

写真に茅葺の屋根がかろうじて二棟見える。そのうち一棟は曲り家のように見えるのだが。

 

砂子沢集落のパノラマ写真。

撮影年:1997年

 

遠野の貴重な写真は上の2枚しか見つからなかったが幸いにもネガが残っている。

写真屋さんにプリントをお願いして後日アップしてみたい。

 


2011 頴娃麓・春

2011-05-15 | 麓-南九州市

4月上旬に頴娃麓を訪れる。2度目の訪問。 天気はあいにくの雨。

頴娃麓の地頭仮屋跡。現在の郡地区公民館。

 

頴娃麓は郡地区公民館側の下麓地区と国道をはさむ頴娃小学校側の上麓地区に分かれている。

頴娃麓の特徴は当時の町割りがいまもそのまま残ること。

下麓地区にて

 

下麓地区には当時の町割りが縦横に残っている。

 

 

屋敷跡に石垣と石柱門が残っている

 

同じく下麓地区。古い石垣と生垣が続く

 

 

今回初めて歩いた麓内の小路。ここにも石垣が残っている。

 

 

撮影日:平成23年4月8日

下麓地区は武家門を見ることができなかったが上麓地区を歩くと見つけることができるかも知れない。


1997 津軽・茅葺民家

2011-05-12 | 城下町・茅葺民家

写真は今から14年前、1997年に東北の津軽地方を夫婦で旅したときの写真。

プリント写真は日焼けして色が少し褪せている。

東北地方は茅葺民家が多く残っているだろうと漠然とした認識はあったが訪れてみると懐かしい風景がたくさん。

生活の中にこれほど茅葺民家が自然に溶け込んでいる風景を見たのは初めて。

鹿児島は台風が毎年来るせいか県内にほとんど見られない。茅葺民家のある集落風景は一種のあこがれであった。

たまたま「つがる富士見荘」(青森県鶴田町/残念ながら現在は閉館らしい)を予約して多くの茅葺民家に出会えた。

もう一度訪れてみたい場所の一つ。

 

津軽地方の茅葺民家(鶴田町)

 

津軽地方の茅葺民家(鶴田町)

 

下の写真は竜飛崎をめざす途中。十三湖の手前あたりか。

前方左右に茅葺民家が見え、おもわず車を停めて写真を撮った。

 

この先だったと思うが素朴な茅葺民家が三棟連続して並ぶ地区があった。今は残ってないかもしれない。

写真に収めなかったのが実に残念。

白川郷とか大内宿とか有名な場所よりもこういった生活に密着しひっそりたたずむ茅葺民家が好き。

鹿児島に残る麓の風景にも通じる。


1997 尾瀬・初夏 02

2011-05-09 | 登山・ハイキング

14年前に夫婦で尾瀬を訪れたときの第2弾です。

 

尾瀬ヶ原の木道と池塘。正面は至仏山

 

至仏山はなだらかで女性的な山。2度登る。山頂から眺める尾瀬ヶ原の景色は最高

 

正面は荒々しい男性的な燧ヶ岳。池塘に燧ヶ岳が映る。

 

燧ヶ岳は一度だけ登った。尾瀬沼湖畔の長蔵小屋に一泊し燧ヶ岳山頂から田代に抜ける長いコース。

途中に悪路もありきついコースだった。

撮影時期:1997年初夏

プリント写真をスキャナ(1200pdi)で取り込む


1997 尾瀬・初夏 01

2011-05-09 | 登山・ハイキング

♪ 夏がくれば思い出す 遙かな尾瀬 遠い空 ♪

写真は1996年初夏、今から15年前に夫婦で尾瀬ヶ原を訪れたときのもの。

尾瀬が好きで4~5回訪れた。

尾瀬ヶ原。木道を歩いて湿原内を散策。正面は至仏山

 

夫婦で木道を歩く。とても気持ちがいい。

 

ワタスゲが揺れる。気に入っている写真の一枚。

 

撮影時期:1996年初夏

ミノルタαプリント写真、スキャナ(1200dpi)読み取り