先日の技術教育研究会で、太田先生がお話された中で、ベネトンの広告で日本の青年を取り上げたことについて興味があったので、調べました。
問題の記事は、朝日新聞1998年10月3日夕刊に掲載されていました。ベネトンの広告ディレクターであるトスカーニさんの話に基づいて論じられています。私はこれまでベネトンの広告を注意深く見たことがなかったし、印象に残っていなかったのですが、改めて見せられるとインパクトがあります。過去の人種差別や戦争などをテーマにした写真と比べて、日本の若者が被写体になるのは違和感があります。しかし、それにはトスカーニさんの深い考えがあるのですね。
太田先生は、当時と比較して現在は日本の若者も貧困や差別にさらされているけれども、世界を拒否している(現実感と目的観の喪失、社会や政治の拒否)状況は変わっていないのではないかと話されました。
毎日の通勤電車においてよく目にするのは、スーツを着た若い人や中高生が、音楽を聴いたり、ゲームをしたり、ケータイをいじったり、週間マンガ雑誌を読んでいることです。こういう状況を見ると日本の若者は、確かに社会のことにあまり関心がないように見えます。自分が若いときも今の若者と大して変わりませんでした。
色々な原因が考えられますが、学校でできることを考えて、取り組まなければならないかも知れません。
問題の記事は、朝日新聞1998年10月3日夕刊に掲載されていました。ベネトンの広告ディレクターであるトスカーニさんの話に基づいて論じられています。私はこれまでベネトンの広告を注意深く見たことがなかったし、印象に残っていなかったのですが、改めて見せられるとインパクトがあります。過去の人種差別や戦争などをテーマにした写真と比べて、日本の若者が被写体になるのは違和感があります。しかし、それにはトスカーニさんの深い考えがあるのですね。
太田先生は、当時と比較して現在は日本の若者も貧困や差別にさらされているけれども、世界を拒否している(現実感と目的観の喪失、社会や政治の拒否)状況は変わっていないのではないかと話されました。
毎日の通勤電車においてよく目にするのは、スーツを着た若い人や中高生が、音楽を聴いたり、ゲームをしたり、ケータイをいじったり、週間マンガ雑誌を読んでいることです。こういう状況を見ると日本の若者は、確かに社会のことにあまり関心がないように見えます。自分が若いときも今の若者と大して変わりませんでした。
色々な原因が考えられますが、学校でできることを考えて、取り組まなければならないかも知れません。