ヒデちゃんのタイ冒険

タイ移住への大冒険から23年。ウドン出身の女性と結婚、二人の娘を授かる。日本語教師をリタイアし、毎日が日曜日のタイ冒険。

自然処理システム

2014-12-12 08:42:21 | 日記


昨日の午後、妻が住宅地内に入ってきたバキュームカーを呼び込んだ。

我が家の自然処理システムが不調で、「汲み取り」をたのんだのだ。

コンクリート製の処理枡1箇所で300バーツ、2箇所たのんだので600バーツの支払いとなった。

タイでは下水処理施設というものが無いので、水洗トイレの下水の処理は次の2方式となる。

1-貯蔵システム

大きいビルや市街地の家屋は、地下にプラスチック製のタンクを埋め込みそこの溜め込む。満タンになれば、バキュームカーがきて汲み取る。バキュームカーはココナツ・ヤシ園などに肥料として投棄したり、荒野に投棄する。

2-自然処理システム

処理枡=径80cmぐらいのコンクリート管を1,8mほどの深さに埋め込み、上面は蓋をするが底は地面のまま。ここにトイレの下水が溜まるのだが、下が地面なので下水は浸透していく。暑い国なので浸透していくうちに分解していき自然に処理ができる。


我が家の処理枡の下の地面が固くなり、浸透しにくくなっていると思われる。

汲み取りをしてもらったので、いま水洗トイレは快調。

さてさて、このまま自然処理システムが働いてくれますかねー。

幻のゲストハウス

2014-12-11 00:28:11 | 日記


ノンカイ病院裏の道路を入り口に、メコン川に面して小さいホテルが新築され営業している。

23年前、ここに古い民家を改造した日系ゲストハウスがあった。

その名は「民宿ゲストハウス」。

2階に2-3の個室、1階にドミトリー部屋という小規模なもの。

敷地の奥はメコン川に面していて、眺めは抜群!!

インドシナ半島を北上してラオス・ベトナムへ抜ける{またその逆コース}日本人バックパッカーなどが主な客筋。

日本人バックパッカーのバイブル「地球を歩く・タイ編」に、紹介されたこともある。



オーナーは岡{仮名}と名乗る日本人で、タイ女性のパートナーの名義で経営していた。

上の写真は、私の結婚式のカメラマンをしてくれた時のもの。結婚式には泊り客の多くも、参席してくれた。

オーナーの性格もあり、このゲストハウスはバックパッカーの「オアシス」だった。

居心地が良くて「長期沈没」する日本人客も多かった。

暇だった私は、毎日のようにここに遊びにきていた。

岡さんはニックネームを付ける名人で、ホンダ・ドリーム号で乗りつける私は「ドリームさん」と呼ばれていた。

ある時、私は読売新聞アジア衛星版を片手に乗りつけ、「貴乃花が宮沢りえと婚約したー」と皆に大声で伝えたが、皆の反応は「ん!NHKの短波放送で聞いたよ」というもので、サプライズは空振りにおわった。

この「オアシス」も1年あまりで営業終了となり、岡さんや多くの沈没組はバンコクへ旅立った。



長期沈没組に、楽器製造職人をドロップアウトして旅行していたGさんもいた。

Gさんとは、現在も交流が続いている。

Gさんはバンコクへ出てから、日系の印刷デザイン工房に勤め、その才能を発揮していた。

そして、なんと、その工房の後とり娘をゲットしたのだ。

「玉の輿」ならぬ「逆玉の輿」ということ。

Gさんは、いまや工房の専務であり、バンコク日本人社会でも重要人物となりつつある。


「民宿ゲストハウス」は跡形もなく無くなり、「幻のゲストハウス」ということになった。


この頃の「お宝写真」を発見したので、紹介しておく。



オーストラリアの資金・技術援助で工事中の、タイ・ラオ友好橋。

橋柱の建設途中で、日付は 1992 5 16 。

今となっては貴重な映像。

撮影は妻。




新婚時代

2014-12-10 08:55:55 | 日記


私たちが結婚したのは、1992年1月8日なので、あと一月で23周年ということになる。

新婚1年ちょっとは、ノンカイ市で「夫婦水入らず」で過ごした。

義父母の配慮で、5歳になっていた連れ子は、義父母が村で預かってくれた。



市街地の西のはずれにある集落で、借家を見つけた。

広い敷地内に4軒の独立家屋があり、所有者は兄弟同士。

私たちが借りたのは、そのうちの2階建てで、自宅として建てられたものなので良い造りだ。

1階は広いワン・ルームで、応接・書斎・居間・食堂となんにでも使える。

2階は大きい部屋が二つ、一つは仏間なので他人には貸さず{進入禁止}、残りの部屋を寝室として使っていたが、二人きりの生活ではこれで十分だった。



妻はかねてから洋裁を習いたいという希望をもっていた。

そこで、「ノンカイ一の腕前」という評判の仕立て屋「ノンカイ・スーツ」に、授業料を支払う「研修生」として弟子入りした。

婦人服作りの「研修生」として3ヶ月修行したあと、そのまま今度は「お針子」としてお給料をもらって勤め始める。

ここの店主夫婦、ベトナム系の人で、弟子たちもそちらの人が多かった。

一番上の写真、私が着ている青色のタイ服は、ここで仕立てたものだ。



妻は、一度も田舎の村からでて暮らしたことが無かった。

都会での生活、そして職場でのあれこれと、いろいろストレスがあったようだ。

それでも、1年後には「仕事は遅いが、縫いが綺麗」と、スカート作りを任されるようになった。

写真は店の「忘年会」。家族も呼ばれたので、私も参加した。

妻は、このように洋裁の修行で忙しかったが、私は暇だった。

まだ日本語教師はしていなかったので、NGOのお手伝いをしたり、日系のゲスト・ハウスで遊んだりして日々を過ごしていた。


七曜八色

2014-12-09 07:58:09 | 日記


タイでは、各曜日に固有の色がある。

それは、こちらの仏教に基づいている。

各曜日にそれぞれの仏{仏像}があり、その仏{仏像}の色からきているのだ。

それなら、七曜七色のはずだが?

水曜日は、昼間の仏{仏像}夜間の仏{仏像}と二体あるから。

それでは、各曜日の色を紹介しよう。

月曜日ー黄色

火曜日ーピンク色

水曜日ー緑色{昼間}、黒色{夜間}

木曜日ーオレンジ色

金曜日ー空色=淡青色

土曜日ー紫色

日曜日ー赤色


国王誕生日の12月5日{金曜日=空色}に、なぜ皆が黄色の服を着たのか?

それはプミポン国王が誕生したのが、月曜日だったから。

タイで黄色の服を着ているということは、その人が「プミポン国王を賛美している」という現れである。

更年期?

2014-12-08 08:30:07 | 日記


12月5日の未明、なにやら居間で家族が騒いでいるのを、うつらうつらしながら聞いていたが起きられず。

朝起きて聞くと、「妹犬が痛そうに泣いて、膨らんだ乳房から乳のようなものが出ていた」という。

「え!妊娠したの?オス犬は近づけなかったはずだが・・・」とわたし。

妻は獣医に電話をして、クリニックを開いているか聞く。

{上の写真は良くなってからの状態で、もっと乳房は膨らみ乳が垂れ流しだったそうだ}



姉犬も診てもらった「かかりつけ獣医」で、共稼ぎの夫婦{夫は公務員」が副業としてクリニックを開業している。

女性獣医{妻}が対応してくれ、診察室のベッドで診察。

熱もあり、獣医の診断は「子宮炎」だろう、という。

注射を2本打って、2日後の再診を言いわたされる。

帰宅して様子をみるが、薬がきいたのか、だいぶん良くなったようだ。



7日夕方、ちょうど帰省したばかりの長女と妻が再診に連れて行く。

この日も、注射を2本打ってもらった。


我が家の2匹の娘犬、9歳になるので人間でいえば58歳になる。

姉犬は造血機能の障害だし、妹犬は子宮炎。

「おばさん犬」から「おばあさん犬」になる途中の、更年期なのかな・・・。