ヒデちゃんのタイ冒険

タイ移住への大冒険から23年。ウドン出身の女性と結婚、二人の娘を授かる。日本語教師をリタイアし、毎日が日曜日のタイ冒険。

次女のリクエスト

2015-04-30 15:06:44 | 日記






次女のリクエストで、カレーを作りました。

残してあった、SBカレーの半量を使用。

腰を痛めている私は「口だけ」で指導、妻が作りました。

次女の好みで、肉{豚ヘレ}とジャガイモたっぷりのカレーになりました。


美味しかった・・・。






仲人夫婦

2015-04-26 07:48:24 | 日記
23年前の私と妻の結婚の時、仲を取り持ってくれた夫婦がいる。

夫はノンカイ教育委員会勤務、妻は土地改良省{農業省}勤務で、公務員の共稼ぎ。

4年前の義理の長男の結婚式の時も司会をしてくれ、二代にわたって世話をうけたことになる。

ただ私は、この夫婦について「愛憎こもごもの感情」を持ち続けている。

詳しくは公表できないが、要するに「親切心」だけで仲人をしてくれたわけではないということ。夫婦ともども「利に聡い」、「なかなかの狸」だ。

このような夫婦なので、生活は順調のようだった。

自宅前にアパートを建て、長女夫婦をバンコクから呼び戻し管理人にさせる。

長男は体育専門校を出て、「タコウ=蹴鞠競技」の国の代表選手で活躍中。

長女夫婦に子が出来、初孫を抱いてニコニコ顔だったという。

今年に入ってから、仲人夫婦の夫のほうが入院したという話が伝わってきた。

病院通いをしている時なので、病棟を訪ねるが、退院したばかりで面会できず。

数日後、病院の待合ホールでばったり会う。

「腸閉塞」で大腸を30cmくらい切除したと、傷口を見せてくれる。

横10cm、縦15cmぐらいの逆L字型の傷だった。

いつもの元気な口調。

たいしたことは無いのかな・・・、と思っていた。

その後、妻が仲人の妻と会う機会があり、情報を入手してきた。

「大腸がん」で、「ステージ4」。

一年計画で「投薬治療」というから「抗がん剤」だろう。

「ステージ4」の5年後生存率は、18パーセントだという。

たしか、56歳だったかな。

ヘビー・スモーカーだったが、それが影響しているかもしれない。


治癒を祈るだけだ。








セカンド・オピニオン

2015-04-19 08:55:13 | 日記
3月25日に、MRI画像解読によって「腰椎椎間板ヘルニア」という病名が確定した。

とりあえずは、保存療法で様子を見ることになる。

だれかに相談したい気持ちになり、医療情報入手の達人・ウドン在住のMさんに電話をいれる。

ウドンタニー病院勤務のM医師の情報をいただいた。

その時、Mさんはこんな「一言」を・・・。

「日本の医師で相談できる人がいれば・・・・」

その時は、{そんなコネはないなぁー}と思った。

4月8日になって、古い知人のことを思い出した。

40年前、ある社会的な活動を一緒にしたNさんという小児科医で、現在は中規模総合病院の院長をしている人だ。

この病院の創設にあたっては、当時私の属していた組織も貢献しており、「古いご縁」を頼りに、セカンド・オピニオン依頼のメールを送った。

4月15日に返信があった。

整形外科の医師にメール記載の症状と添付のMRI画像をを診てもらったところ、次のような意見だという。

1- 症状と画像から、そんなに重症とは考えられない。

2- タイの医師の治療方針で、いいのではないか。


これで、タイの治療方針に確信がもてた。

Nさんには、「感謝・感激!」だ。

ありがたいことだ。








ミニ・バンダが開花

2015-04-18 06:39:30 | 日記






乾期{暑期}も後半に入り、ランの開花シーズンも終了に近づく。

白・青紫系のミニ・バンダが、開花した。





あと、自生種のチャンカーが花茎を出している。

なんとか開花してほしいものだが、どうなるかな・・・。


期待をこめて、前に開花した写真を次にアップしておく。






隣人の死

2015-04-16 17:40:04 | 日記
二週間ちょっとの期間に、隣人が二人亡くなった。

最初は、お向かいのミヤ・ファラン{白人のタイ嫁}。

腎臓が悪くて入退院を繰り返していたが、3月末に多臓器不全で亡くなった。

3月16日の義姉の孫誕生見舞いの時、1フロアー上の病室にお見舞いしたはかりだった。

53歳と8日の死。なぐさめは一人息子{初婚のオーストリア人とのハーフの子}が、成人して配偶者もいること。

残された70歳ぐらいのデンマーク人の夫{再婚}は、寂しそうにしている。


二人目は一軒おいた北隣の、ベトナム系のおばあさん。79歳。

数年前、膝痛でクリニックを受診。複数回の注射を受ける。

多分、「神経ブロック」だと思われる。

これが悪くて、足の神経がマヒ、立てなくなる。

ノンカイ病院で手術を受けるが、回復せず。

それからは、自宅で「なかば寝たきり」の生活。

時々、車椅子で住宅地内で散歩するのを見かけていた。

それが、タイ正月の4月14日に亡くなった。

朝食を食べてから、眠るようにして亡くなったので老衰死ともいえる。

「寝たきり」になれば、数年の寿命というが、そのとうりだなぁ。