響庵通信:JAZZとサムシング

大きな好奇心と、わずかな観察力から、楽しいジャズを紹介します

華麗なるミュージカル(3)

2018-07-09 | 音楽

ボールを投げたりバットを振ったことの無い者でも、
“大谷派二刀流”開祖の戦績は、ただただ、驚愕する。
奪三振やホームランだったことは承知しているにも関わらず、番組表に“大谷”の文字があれば頻繁にチャンネルを追いかけてしまう。
ジャズの聴き方に譬えると、
繰り返し各局が映す同一シーンはテーマ(主旋律)のようで、
各局趣向を凝らす解説等はアドリブ演奏といえる。
4月のある日、テレビA午前の情報ワイドショー番組に〈なんだ!これは〉
 《10:25 圧巻大谷翔平!!躍進の裏に「81マス」秘ペーパー》
因みに同時間帯のライバル局は、
  10:25 “二刀流”大谷快進撃 地元熱狂&報道も過熱
   歴代日本人メジャーとメディア評価を検証…だった。
〈ホワット・イズ・「81マス」?〉、〈ホワット・イズ・秘ペーパー?〉
当日午後のワイドショーにも、また日を改めても、この表題は見当たらない。
ひょっとしてスポーツ紙で取り上げたかもしれないけれど、
その“謎”は…マンダラートというユニークな発想法だった。
マンダラートは語感から察しがつくように、仏教で知られる左右対称の「曼荼羅」模様に似た形状から、開発した日本人デザイナー今泉浩晃氏が「曼荼羅」と「アート」をもじってつけたという。
曼荼羅(Mandara)
はサンスクリット語で、語源は不明ながら「本質を得る」と解釈されている。
通常は円形または方形な図形で、中心の主題を取り巻く諸主題との相互関係で宇宙を象徴的に表現している。

大谷翔平は、9分割された正方形を主題に同じく9分割の諸主題を、
上下左右に配した9×9=81マスに、花巻東高野球部1年生のとき “目標達成シート” として作成していた。
オオタニサーンの…中心主題の…核の…マスは…なんと?
ここはTVの手法をまね、詳細を隠す思わせぶりの“紙”を,
エイっと…剥がしたいところだが、
                【ドラ1 8球団】
ミュージカルの世界にも“二刀流の達人”(ここだけの表現)がいる。
19世紀後半から80年間でヨーロッパを中心に3700万人という移民がアメリカに夢を求めて渡ったと云われている。
ニューヨークのダウンタウンには庶民クラスの移民達が、白人が黒人の真似をするミンストレス・ショー、ボードビルの軽喜劇、ヨーロッパ風オペレッタなど手軽な金額で楽しめる娯楽があった。

当初の稚拙だった歌・踊り・ストーリーを、
豪華な舞台装置・色彩豊かな衣装・脚線美ダンサーなどミュージカルに欠かせない要素を持った作品として、1866年9月、ブロードウエイのニブロス・ガーデン劇場で公演された『黒い悪魔』が、ブロードウエイ・ミュージカル第1号とされている。

19世紀終わり頃から20世紀初頭までミュージカルは作曲家中心に作られていた。
●草創期に最も活躍したビクター・ハーバート(1859.2.1─1924.5.26)は、アイルランド・ダブリン出身で1886年渡米。
1894年、最初のオペレッタ『嘘つき王子』でブロードウエイ・デビュー、
『セレナード(1897)』『占い師(1898)』『赤い水車(1906
)』などのヒットに続き、
最高傑作『お転婆マリエッタ(1910)』を作曲している。
●故郷のプラハ音楽院でドボルザークから作曲を学んだ後、
1906年アメリカに永住したルドルフ・フリムル(1879.12.7─1972.11.12)は、『お転婆マリエッタ』のハーバートが断った『蛍(1912)』を作曲しブロードウエイ・オペレッタを担うことになった。
代表作『ローズマリー(1924)』『放浪の王者(1925)』はそれぞれ2度映画化された。
 〈余談だけれど松竹映画『蒲田行進曲』の原曲は『放浪の王者』主題歌「放浪者の歌」です〉
●ハンガリー生まれのシグムンド・ロンバーグ(1887.7.29─1951.11.9)は、ウイーンで作曲を学びイギリスを経て渡米。
 〈独り言:ハーバートやフリムルは全く知らない人物だったので調べていたけれど、
  ようやっとジャズ・ファンなじみ作曲家の…お成り~だ〉
フリムルより1年ほど遅れ、レビュー『世界は回る(1914)』からスタートしブロードウエイに共作を含め65作品を残している。

1910年代には、
ニューヨークに移住したイギリス人ユーモア小説家:B・G・ウオードハウス(1881.10.15─1975.2.14)、
両親がデンマークからの移民で苦労した後、初めての『三組の双子(1908)}』がブロードウエイでヒットしたオトー・ハーバック(1873.8.18─1963.1.24)、
ボードビリアンの父を持ち大学時代に書いた詩がアル・ジョルスンの『シンバッド(1918)}』で採用されたB・G・デシルバ(1895.1.27─1950.7.11)、
アイラ・ガーシュインオスカー・ハマーシュタインⅡたちにより、作詞家が作曲家と同等に評価されるようになった。

前置きが長くなって申し訳ない、
作曲・作詞二刀流の達人といえば…
ご存知、アービング・バーリンとコール・ポーター。

しかし、どんな世界にもアメイジングな人物はいる。
俳優・歌手・ダンサーであり、作曲家・作詞家・脚本家・演出家・プロデューサーの肩書きを持ちブロードウエイ・ミュージカルの基礎を築いたジョージ・M・コーハンだ。
コーハン(1878.7.3─1942.11.5)は、両親がボードビリアン芸人だったため、学校には行かず家族とアメリカ中を回っていた。
ボードビル界のスターになっても夢はブロードウエイに打って出ることだった。
愛国心の強い激しい役柄を演じて観客の心を掴んだコーハンの伝記映画がある。

【ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ】(原題:Yankee Doodle Dandy)
1942年:米ワーナー・ブラザーズ (モノクロ 126mins)

劇場公開:86年*第2次世界大戦のため大幅に遅れた。
監督:マイケル・カーティス
*『カサブランカ』『夜も昼も』『情熱の狂想曲』『ホワイト・クリスマス』がある。
作詞・作曲:ジョージ・M・コーハン
主な出演者
 ジェームズ・キャグニー(ジョージ・M・コーハン)
 ジョーン・レスリー(ジョージの妻:メアリー・コーハン)
 ウオルター・ヒューストン(ジョージの父:ジェリー・コーハン)
 リチャード・ウォーフ(サム・ハリス)
 アイリーン・マニング(フェイ・テンプルトン)
 ジョージ・トビアス(ディーツ)
 ローズマリー・デ・キャンプ(ジョージの母:ネリー・コーハン)
 ジーン・キャグニー(ジョージの妹:ジョシー・コーハン)

  {あらすじ&みどころ}
            「大統領なんて嫌さ」
                 ジョージ・M・コーハン主演
10年ぶりのミュージカルで大統領役を演じたジョージ・コーハン(ここから単にコーハンとする)は祝電の中に合衆国大統領の招待があり、
叱責も覚悟してホワイトハウスに出頭する。
 「どうかね 私の役は?……新聞は君が私より、よい大統領だと書いている」
フランクリーに話しかけるルーズベルト。
緊張が解け「あのころで?」と、コーハンが語り出すところから映画が始まる。
ボードビリアンの父ジェリー、母ネリー、1歳年下の妹ジョシーと“コーハン4人組”で旅回りを続ける彼は幼いころからスターだった。
成人したコーハンは、後に妻となるメアリーに自作曲を独断で唄わせ興行主と大喧嘩…芸能界から締め出されてしまう。
どこにも出演出来ず自信ある作品も買ってくれない日々が続いた。
芸能社でおたがい売り込みを断られた同士のサムと作った『小さなジョニー・ジョーンズ』(*1)がブロードウエイの出世作になった。
ソプラノ歌手フェイ・テンプルトン(*2)の為の『ブロードウエイから45分』も成功。
街中にある看板の“原作・作詞・作曲・主演”が気に食わないと芸人フォイに絡まれた『ジョージ・ワシントン・ジュニア』は各地で好評を博し、人気は高まるばかりになるが、両親が農場生活を希望し妹も結婚することになって、“4人組”は解散した。
独りコーハンは、ドタバタ喜劇だけと云われるのを見返そうと内容の濃い劇『人気』を上演した。
ところが初日から散々、すぐ公演を打ち切る事態…
追い打ちをかけるように、舞台の出来より気になる事が持ちあがる。
“ルシタニア号、独潜艦に撃沈される!”(*3)の号外。
第1次世界大戦勃発!米国参戦!
愛国心強いコーハンは陸軍に志願するも年齢制限で却下され従軍慰問に情熱を注ぐ。
ラッパのリズムをヒントに作曲した ♪オーバー・ゼア は勝利賛歌になった。
コーハンは次々にショーを成功させるなか、母と妹を亡くし、父も失うと、
長年の“コーハンとハリス(サム)”コンビを解消、引退して妻と二人で農場暮らし。
名前すら知らないという若者たちから ─ 時代の変わり ─ を感じるコーハンに、
サムから新作に出演して欲しいと要請される。
   劇場のネオン看板:
        “「大統領なんて嫌さ」
        ジョージ・M・コーハン”
フランクリン・ルーズベルトに扮したコーハンのラスト(*4)に、喝采の嵐。
   (映画は冒頭の大統領室のシーンに戻る)
長い話を聞き終わった大統領が、
 「芸能人では君が初めてだ」と米国精神に対しての名誉勲章を授けた。
外に出ると “オーバー・ゼア” を歌って行進する兵士たち。

 〈純真な愛国者でアメリカン・スピリットの塊のようなコーハン、
  小柄だけどコーハン本人より強烈な印象を演じたキャグニー、
  二人は血気盛んな気質を持つアイルランド系アメリカ人で、
  ともにボードビル出身者〉

この映画は好奇心を刺激するところが多い。
(*1)作曲・作詞・脚本・主演コーハンが初めてヒットした3作目の『小さなジョニー・ジョーンズ』は、
“ヤンキー・ドゥードゥル号”でイギリスのダービーにでるアメリカ人騎手ジョニー・ジョーンズが、
恋と悪意に振り回される物語である。
3幕16曲中、コーハンが歌って踊る最もポピュラーな2曲がある。
♪ヤンキー・ドゥードゥル・ボーイ(Yankee Doodle Boy)
  おいらヤンキーさ/まだ負けた事がない/本命中の本命…
ハンチングを被ったジョニー(コーハン=キャグニー)が前傾で大股に、
舞台いっぱい左右に歩きながら、演説調で歌い…ダイナミックに踊る。
   ─最下位に終り八百長レースを疑われる─
名誉挽回のためロンドンに残ったジョニーは、アメリカに帰る友人を見送る。
♪ブロードウエイによろしく(Give My Regards to Broadway)
友人は「ロケットが上がったら無実の証明」と言い残す。
岸壁で去りゆく客船の上にロケットを見、
喜ぶジョニーのタップ・ソロ…
申し訳なかった、ボードビル出身は伊達じゃない、
ギャング・スターと軽視してきたキャグニーは、フレッド・アステアやジーン・ケリーのタップ・ダンスと違う
“エアロビクス”の清々しさがあった。
(*2)粗野で傲慢で自惚屋と評されたコーハンの先入観を払拭するシークエンスがある。
女優候補のフェイ・テンプルトンと交渉中、彼女が言った言葉をヒントに作った『ブロードウエイから45分』にまつわる場面。(とだけ紹介しておく)
テンプルトンは3歳で既に父親の幕間に童謡を唄っていたが、
20歳にはコミック・オペラ『エバンジェリン』の再演でブロードウエイ・デビューを果たしている。
『ブロードウエイから45分』は3幕5曲でミュージカルらしくないが、
映画の彼女役アイリーン・マニング(ソプラノ歌手で女優)がその中の2曲を唄っている。
♪メアリーなんて古くさい名前(Mary is a Grand Old Name)
  わたしの母の名はメアリー/心が清く誠実だった/名前がメアリーだったから…
貴婦人すがたのテンプルトンの独唱。
♪さよならメアリー( So Long Mary)
テンプルトンと8人男性コーラスのコール・アンド・レスポンス、
  送っていただいてうれしいわ~さよならメアリー
  さよならメアリー~行かせたくないよ…
寂しさの、でも、コミカルな振付は、楽しめる。
20年越えのブロードウエイ・キャリアがあるテンプルトンを全く知らなかったけれど、
ジャズ・ファンにとって貴重なプレゼントを残してくれている。
1906年初演の『ブロードウエイから45分』出演後、結婚のため引退。
夫に先立たれると、舞台に復帰。
ヨーロッパを舞台にしたジェローム・カーンの『ロバータ(1933)』伯母ミニー役が最後になったが、
なんとまあ、彼女はスタンダード曲♪イエスタデイズ(Yesterdays)を創唱していた。
なお、『ロバータ』には同じく♪煙が目にしみる(Smoke Get in Your Eyes)もあって、
こちらは、ステファン王女役のタマーラ・ドレイシンが唄った。
作曲者カーンはプロットに沿って「イエスタデイズ」「煙が目にしみる」を書いたのではないようで、
テンプルトンはどんな唄い方をしたのだろうか。
   〈ちょっと道草を食べさせてもらう〉
ミュージカル・ロバータは2度映画化されている。
初めの映画『ロバータ』(1935年制作・同年日本公開)では アイリン・ダンが2曲とも唄った。
 *1952年の『Lovely to Look At』は未公開
テンプルトンと場景(場面の様子)が違うと思うが、
アイリンは、伯母を寝付きよくするシーンで、せつせつと唄っている。
スタンダード曲ランキング9位の「イエスタデイズ」だけあって名演盤が山とあるけれど、
インストより曲想に添う女性ボーカルで聴いてみたい。
エラ・フイッツジェラルド、カーメン・マクレエ、ジューン・クリスティ…
お薦めは、『奇妙な果実/ビリー・ホリデイ』
ビリー・ホリデイ全盛期の4セッション・16曲をまとめたコモドア盤。
♪奇妙な果実(Strange Fruit)から始まる1939年4月20日のセッション4曲は、
彼女一代の絶唱である。
2曲目が♪イエスタデイズ
  過ぎ去りし日々/あの懐かしき日々/
  幸せで甘美世間のことを忘れていたころ…
            (ジャズ詩大全3:村尾陸男訳より)
神妙なピアノのイントロ…
ゆっくり、平静に、語りかけるよう、唄いはじめる。
アップテンポになったピアノ、哀歓のサックス間奏のあと…
抑えながらも、たかぶる感情…
最後、祈る、♪Yeaterdays ♪Yesterdays
       もう一枚!
初リーダー・アルバム『ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン』も、
いいな~    〈こんな優柔不断は、有りだよね〉
(*3)『続:気になる伝記映画』の章で触れているルシタニア号事件というのは、
コール・ポーター最初のブロードウエイ・ミュージカル『まずアメリカを見よ』初日とぶつかって、公演が中止に追い込まれるというエピソード。
コーハン意欲作『人気』も、この事件で公演打ち切りになる事態。
どちらも実際には事件と公演の時系列に矛盾があるのだけれど、フィクションにし易いのは余ほど重大だったに違いない。
(*4)10年ぶりに復帰した舞台は、
リチャード・ロジャース作曲:ロレンツ・ハート作詞:サム・ハリス製作の『やっぱり正しくありたい』である。
《独立記念日にセントラル・パークにいたペギーとフィルのカップルは、
社長から「国家予算引き締め政策のせいで」給料を上げて貰えず結婚できないことを嘆いていた。
公園で眠ってしまったフィルは、閣僚や最高裁判事たちを引き連れたルーズベルト大統領の夢を見、
悩みを訴える。
大統領は若い二人を救うと約束。
♪国家予算を立て直そう(We're Going to Balance the Budget)を歌い、踊るコメディ》
ホワイトハウスを背に右手の人差し指を突き上げるコーハンのポスターはルーズベルトの化身そのものに見えるけれど、映画でルーズベルトに扮したコーハンを演じるキャグニーも、ピッタリ。
♪記録を消せ(Off the Record)
シルクハット・タキシード姿、ステッキを肩に担ぎ、前傾姿勢、舞台を左右大股歩き…
議員たちが並ぶ長~いテーブルに飛び乗り・飛び降り、
本音を歌っては、これはオフレコだよ…
3分を超えるコーハン最後のパフォーマンス。
日本語字幕は“さらり”と出るが、どうしてどうして奥が深い。
ジャズでいえばバースにあたる出だしの歌詞は、
…何を言っても新聞にでる…エレノアとデートしていたころだ…
エレノアさんは、フランクリン・ルーズベルトの遠縁で第26代大統領セオドア・ルーズベルトの姪で、
デートしていたころはセオドアが2期目の選挙中のこと。
 ♪当選ときまってなきゃ/大統領選にでたくない/
   書かんでくれ秘密だ(Off the Record)
 〈え、ええー、いいのかなあ、そんな歌を歌って。なにかと本音発言の先生方に必見?〉
19世紀に遡るとルーズベルト家は民主党と共和党に別れたようで、
フランクリンは民主党、セオドアは反対の共和党から立候補して当選している。
しかし、フランクリンとエレノア結婚のように両家は親交が深かったみたい。

オスカー・ハマースタインⅡの要請でタイムズ・スクエアにミュージカル俳優で唯一人
              ★ブロードウエイによろしく★
という碑文入りのコーハン銅像が献じられた。

   補遺:映画ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディは、第15回(1942)アカデミー賞の
       主演男優賞:ジェームズ・キャグニー、録音賞、ミュージカル音楽賞を受賞した
       大谷翔平のマンダラートはYoutubeでご覧できます

                          END