響庵通信:JAZZとサムシング

大きな好奇心と、わずかな観察力から、楽しいジャズを紹介します

エルビン・ジョーンズ・お皿い

2013-08-24 | 音楽

 

音楽業界用語でLPレコードを〈お皿〉といっている。
〈皿〉の字の上にカタカナの〈ノ〉を乗せると【血】になる。
ジャズ喫茶にとって、お皿はまさに血のような存在である。
血気さかんな店は、血眼になって、純血探しに、血道をあげる毎日だった。
〈純血〉とはここだけの表現だが、未開封のオリジナル盤のことで、
60年代中ごろまでは、その気になってレコード店を探し回れば入手出来たのである。
都内には輸入レコード専門店が数軒あり、まず店主と信頼関係が必須であった。
新宿三光町にあった『マルミ』は、レコード店というよりレコード屋さんの風情だ。
空輸便が入るとご主人の鈴木繁雄さんから電話がある。
貴重盤は店頭に出さず奥のロッカーに秘匿していてくれる。
「うちはよその店より高いんだ」と言われても、うなずくのに充分。
新宿には西口に『オザワ』、銀座『ヤマハ』『山野楽器』『十字屋』『ハルモニア』など、
その道の担当者とご昵懇(じっこん)になれたら、血脈を守るのみ。
健康でいるなら貧血より〈血の気〉は多い方がいいし、
出来る限り〈血の巡り〉を良くしておきたい。

血をいつまでもサラサラに保つには、常日頃の心がけ…身体も店もおなじ。
かつて、渋谷道玄坂に『B』というジャズ喫茶があった。
お皿を皿回しに乗せるとき、荘厳な儀式に則る神主に見えた。
レコードを両手で捧げ持ち、2礼2拍手こそしないけれど、ターンテーブルの回転軸に合わせ…
ただいまから、かけさせて戴きます…1礼。
細心の注意でお皿を扱えば、血流が悪くなることは、決して無い。
場所は隠すが別の店で肝をつぶす光景に遭遇した。
女性お皿回しさんが、爪を伸ばした指2本でレコードのエッジをつまみ、ジャケットから取り出していた。
「おお、神様 !」
それにしても、皿も皿回しも、後年、スクラッチ・プレイとかいう残酷な仕打ちを受けるなんて…考えられなかった。
「オー・マイ・ゴッド !」
だが、アナログ低デジタル高という時代の流れには、まったく無抵抗な聴く派ジャズ・ファンにとって、
いまさらCDを〈皿〉といってもね~。
ジャケットを見ても30センチ四方のLPと、仮に同じデザインであっても12センチ四方のCDでは、
美術品と印刷物の差がある。

『面白いほどよくわかるジャズの名演250/日本文芸社』のエルビン・ジョーンズの項で、
筆者が挙げたCDは、
『ディア・ジョン C』(インパルス)、『プッティン・イット・トゥゲザー』(ブルーノート)、『エルビン・ジョーンズ・ジャズ・マシーン・ライブ・アット・ピットイン』(ポリドール)の3枚だった。
エルビンのフランチャイズは、アトランティック、インパルス、ブルーノートであるけれど、
後期リーダー・アルバムから面白い作品をおさらいしておきたい。

●『エルビン・ジョーンズ・ライブ・アット・ザ・ライトハウス/Vol.2』(ブルーノート)
ブルーノート・レコード創立メンバーで、CEO、写真家のフランシス・ウルフ氏が亡くなって、急激に路線が変化したLAシリーズの中でも、ファンに支持されてきた1枚。
 

エルビン好みの2管ディブ・リーブマン(ss、ts)、スティーブ・グロスマン(ts)に、
ジーン・パーラー(b)を配したピアノレス・カルテット。
ロケーションは、ロスのハーモーサ・ビーチの『ライトハウス』
録音日が、1972年9月9日だ!
えっ 驚かない?
9月9日は誰の誕生日でしょうか!
というわけで、自然発生か音頭取りがいたのか、トラディショナルのあの歌から始まっている。
♪ ハッピー・バースディ―・ディア・エルビーン
  ハッピー・バースディ―・トゥ・ユー (*^_^*)
収録曲のうち、〈血行〉が良いのは、
#2「スイート・ママ」、#3「アイム・ア・フール・トゥ・ウオント・ユー」、#6「ザ・チルドレンズ・ゴーラウンド」

 ♪「スイート・ママ」はジーン・パーラーの曲。
パーラーは、エルビンの12歳年下、幼年時にクラシック・ピアノを、ハイスクールではトロンボーン、20代中頃からベース奏者になり、71年にエルビン・ジョーンズ・カルテットに参加して注目された。同時に自ら運営したPMレコードでもエルビンとのアルバムを2枚、世に出している。
ベースのイントロからテナーサックスのロングソロになるのだが、
前半はリーブマン、後半をグロスマンにつないでいる…に聴こえる。
…に聴こえるというのは、試聴した輸入盤CDの英文ライナーノーツは曲に関して全く述べられていないためで、
もし、正しいソロオーダーをご存知の方は、コメント欄でご指摘いただければ幸いです。
(フィーチャーされているミュージシャンについてもお願いします)
「グロスマンと私はポスト・コルトレーンの一番手サキソホン奏者として彼のスタイルを探求している」と自負するリーブマンと、グロスマン二人でコルトレーンを彷彿(ほうふつ)させる熱演。
二人でコルトレーンと書くと、半人前同士の仕事みたいになっちゃうが、もし、コルトレーンがこの曲を演奏したら、さぞや…というグンバツな完成度。

♪「アイム・ア・フール・トゥ・ウオント・ユー」(F.シナトラ、J.ウルフ作詞:J.フェロン作曲)
リーブマン(多分)120秒のヴァースからのテナーサックスソロは、
途中で拍手をもらって9分強の感動である。
ただ、ただ、ひたすら、切々と…
今の今まで、この曲はシナトラ、レディ・デイのボーカルと、
インストルメンタルではトランペットによる演奏で決まりだと思っていた。
やっぱりジャズは何が起こるか判らない。
リーブマンの「アイム・ア……」は、
「アイム・ア・ハピネス・トゥ・ウオント・ユー」だ!
因みに、筆者推薦G7名唱・名演盤は、
『レディ・イン・サテン/ビリー・ホリデイ』(CBS)、『ホェア・アー・ユー/フランク・シナトラ』(キャピトル)、『傷心/チェット・ベイカー』(アルファ)
『ヒアーズ・リー・モーガン』(ヴィー・ジェイ)、『ロイヤル・フラッシュ/ドナルド・バード』(ブルーノート)、『アート/アート・ファーマー』(アーゴ)、『マイルスに捧げる枯葉/フレディ・ハバード』(アルファ)である。

♪「ザ・チルドレンズ・メリーゴーラウンド」(ケイコ・ジョーンズ作曲)
パーラーのアルコベース・イントロからすぐにエルビンの行進が始まる。
前後にグロスマンのソプラノサックスを挟み、
コルトレーン・クインテット・マイナス・ワンの28分30秒長尺イリュージョン。
28分30秒の半分は終盤のエルビン・ドラムソロ…う~ん!
われわれには、14分強のシャドードラミングが、耐えられるだろうか?
[トレーンの45分間もの演奏に彼(エルビン)はぴったりついて離れず、完全な拍子と大胆なアクセントを続け「あんなものはほんの小手調べみたいなもんだ」と平然として言っていた](『コルトレーンの生涯/スイングジャーナル社)』より)を、思い出さずにはいられない。

●『エルビン・ジョーンズ・イン・ヨーロッパ』(エンヤ)
エンヤ・レコードは1971年、親日家のドイツ人:ホルスト・ウェーバーと友人のマケアス・ウィンケルマンがミュンヘンで設立したヨーロッパの新レーベルで、ECM(ミュンヘン)、スティーブル・チェイス(デンマーク)とならぶヨーロッパの大動脈である。

エルビンはエンヤからリーダーとして6枚、共演で4枚の〈血判=血盤〉がある。
これは90年代5連作の2枚目で、ご自慢2ホーン:ソニー・フォーチュン(ts、fl)、ラビ・コルトレーン(ts、ss)にウィリー・ピッケンス(p)、チップ・ジャクソン(b)のクインテット。
ドナウ・ジャズ・フェスティバル・ライブ 1991.6.23の録音。
3曲構成だが、いずれもコルトレーン・ライクの遠奏(ここだけの造語:長尺物の意)である。
#1「レイ」、#2「花嫁人形(ドール・オブ・ザ・ブライド)」、#3「アイランド・パーティ」
「レイ」は、エルビンの“初”リーダー盤『エルビン!』(写真:左)に“初”の三兄弟で“初”演されている。
「花嫁人形」は、日本の童謡で『ソウル・トレイン』(写真:右)で初演されて以来11年ぶり。  

  ♪「レイ」は『エルビン!』では「レイ・エル」とクレジットされているけれど、エルビンのミドルネームがレイで、弟の門出に次兄サド・ジョーンズが贈った曲。
ドラムスのイントロから、ソロオーダーは、フランク・フォスターの頼もしいテナーサックス、優しくサドのコルネット、細やかフランク・ウェスはフルートで、ハンクのピアノが穏やかに、最後に〈けれんみ〉ないエルビンがドラムソロで締める。正調ウォーキング・ベースのアート・デイビスのソロはなかったがビンテージなブルースである。

『イン・ヨーロッパ』の「レイ」
倍以上の演奏時間で、リアル・ジャズを思いっきり展開した。
リアル・ジャズというのは、フュージョン、フリーに翻弄されていた70年代にエルビンが提唱していたジャズを指すが、周知のジャズ用語ではない。
クラブ・ジャズに対比する概念ではないけれど、〈いま〉のという意味では、近いと思う。
刺激的なソニー・フォーチュンのフルート、攻撃的なラビ・コルトレーンのソプラノサックス、ウィリー・ピッケンスのピアノが哲学を、ベースのチップ・ジャクソンは呪術を、ソロでリレーして、ドラムソロ:エルビン疾走のエピローグ。
ラビはジョン・コルトレーンとアリス・コルトレーン(p)夫妻の息子で1965年8月6日生まれなので、父が死亡した時はまだ2歳だった。ジョン・コルトレーンが信奉していたインドのシタール奏者:ラビ・シャンカールの名がつけられた。エルビンとの共演では『イン・ヨーロッパ』のほか『ゴーイング・ホーム』(エンヤ)がある。
ピッケンス、ジャクソンについては、資料がなく生年月日不明。二人ともエルビンのツアー・メンバーで複数の共演盤が残っている。なお、ジャクソンは2008年に『マンハッタン・ジャズ・オーケストラ』の一員で来日している。

♪「花嫁人形」は、大正12年(1923)、蕗谷紅児作詞:杉山長谷夫作曲
『ソウル・トレイン』から、
祭りのドラムスに乗ってギター のテーマ、ソロオーダーは、エルビン→マービン・ホーン(g)→アリ・ブラウン(ss)→アンドリュー・ホワイト(ts)でムードは高揚。再びギターソロ→アンディ・マクラウド(b)が踊り→エルビン3分半は、どんどんよくなる***の太鼓で、エンディング。
レコード発売直後、ケイコに別の話題で質問したとき、
「他の人(外人ミュージシャン)が日本の歌曲を演奏しても、ただそれだけのものだけれども、エルビンの花嫁人形は、そうではない」と自分の編曲を自賛していた。
“そうかな~”
今まで聴いた…たとえば、
ユセフ・ラティーフの「リンゴ追分」『ジャズ・ラウンド・ザ・ワールド』(インパルス)、
リー・モーガンの「月の砂漠」『ザ・ランプローラー』(ブルーノート)などは、
悪くないのに…と。
ところが、ところが、ところが、恐れいりました…
『イン・ヨーロッパ』の「花嫁人形」…
最初の7分間で、フェスティバル会場は日本古典芸術の舞台に回った。
イントロのフォーチュン無伴奏フルートソロは、まるで尺八ではないか!
“途中の感動=ビブラートをかけた音色といい、「さくらさくら」の引用フレーズといい、この人の芸域は底知れない”…エルビンのマレットドラムが背景になると…横笛に聴こえてくる。
無伴奏エルビンのマレット打法に代わり、ようやく荘厳な第一テーマになる。
二度目のエルビン・ソロはスティックで小太鼓のよう…
ピアノ、ベースが入って第二テーマ
華麗可憐なピッケンスのロングソロが続き、囃子方(スリーリズム)で第三のテーマに、
シテ(能楽の主人公)格:ラビ・コルトレーンの登場で、この曲最長10分以上のソロプレイ。
“途中の感動=ラビはもっと評価されていい。コルトレーンの十字架を常に背負っていても、無心な精進が伝わってくる。ジャズには二代目襲名があっちゃいけないかな”
クライマックスは、始まった。
ラビは、コルトレーン・インパルス・イヤーのブルースからアバンギャルドを、一子相伝(自分の子ひとりだけに奥義を伝えること)で演奏している。
後半から、気の高ぶりを抑えられなくなって、号泣に近い悲奏(ここだけの造語)で第四テーマを渡す…会場拍手の高潮…と直後の無音…三度目エルビンのスティックで、あとテーマ、絢爛の大団円に至る。

ところで童謡「花嫁人形」の歌詞は5番あり、とても子供に理解される内容ではない。

   金らんどんすの帯しめながら
   花嫁御寮はなぜ泣くのだろう
      文金島田に髪結いながら
      花嫁御寮はなぜ泣くのだろう
   あねさんごっこの花嫁人形は
   赤いかのこの振袖着てる
      泣けばかのこのたもとがきれる
      涙でかのこの赤い紅にじむ
   泣くに泣かれぬ花嫁人形は
   赤いかのこの千代紙衣装

なぜ、全歌詞を連ねたのかというと、『イン・ヨーロッパ』の曲想が似ている。
特に5番の〈なくに泣かれぬ…〉のあたりがラビの終章の心理とシンクロしている。
そして、5回テーマを演奏しているのは、歌詞の5番に合わせているのか?
ケイコ・ジョーンズの編曲・監修は、「組曲:花嫁人形」になり、おみごと。

●『エルビン・ジョーンズ “ライブ・アット・ザ・ビレッジ・バンガード”』(エンヤ) 

『ビレッジ・バンガード』はニューヨーク:グリニッジビレッジにある名門ジャズ・クラブで、数多くのライブ録音盤がある。
“ライブ・アット・ザ・バンガード”ベスト3といえば、
ソニー・ロリンズ、ジョン・コルトレーン、アート・ペッパーだが、いずれもドラマーがエルビンである。
エルビン自身も2枚の“ライブ・アット・ザ・バンガード”を残していて、
これは、最初の録音である。
エルビン・ジョーンズ(ds)、ジョージ・コールマン(ts)、ウィルバー・リトル(b)、マービン・ピーターソン(tp) 1968.3.20録音。

#1「バイ・ジョージ」、#2「ローラ」、#3「ミスター・ジョーンズ」、#4「ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラブ・イズ」
このセッションからエルビン得意のピアノレス・フォーマットが始まって、3年間リトルが女房役を務めている。
コールマンはエルビンの7歳年下で、1963年7月27日フランス:アンティーブ・ジャズ・フェスティバルのライブ録音盤『マイルス・デイビス・イン・ヨーロッパ』(CBS)で一躍脚光を浴びた。
1960年5月にコルトレーンがマイルスから去って2年ほどマイルス・バンドはメンバーが不定だった。
63年3月中頃、新バンドを結成するときコルトレーンが推薦したサックスをジョージ・コールマンにした。
新クインテットは、マイルス(tp)、コールマン(ts)、ハービー・ハンコック(p)、ロン・カーター(b)、トニー・ウィリアムス(ds)。
翌64年リンカーン・センター:フィルハーモニック・ホールの市民権登録運動慈善コンサートの演奏で「この夜のコールマンは最高だった」とマイルスは語っている。
そのライブ録音盤は『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』『フォア&モア』(CBS)2枚に分散されて発表された。
マービン・ピーターソンをフルネームで記すと、ハンニバル・マービン・チャールス・ピーターソンになる。70年代からニューヨークで活躍。ファラオ・サンダース、アーチー・シェップ、ローランド・カーク、ジョージ・アダムスなど革新派(というジャズ用語はない)と共演。リーダー盤も十数枚にのぼるのだが、『ハンニバル』(1975年 MPS)…上を向いた象が鼻でトランペットを支えているジャケット…1枚が突出していて、ほかの〈血痕〉が見当たらない。
    *蛇足の注:血痕=レコード

『ライブ・アット・ザ・ビレッジ・ヴァンガード/マックス・ゴードン著:中江昌彦訳』(スイングジャーナル社)という書がある。
挿入写真にジョーンズ3兄弟の1葉がある。
[ハンク、サド、エルビン。たいしたジャズ兄弟だ。しかし彼らは、決して一緒にはプレイしない。いつもバンガードには、それぞれがリーダーのコンボで演奏している。(中略)この写真は、ある晩、楽屋で顔を合わせた時に撮ったもの。この時ほどの大笑いと大声をきいたことがない]の説明つき。
左端のハンクは上向きにそっぽ顔、少し離れエルビンとサドが肩を抱き、手を握って談笑している…どんな話題だったか?和みのショット。

♪「ミスター・ジョーンズ」(ケイコ・ジョーンズ作曲)
この曲だけマービン参加で、ひょっとしたら飛び入りセッションだったかもしれない。
〈一緒に行きましょうね/一緒に活きましょうね〉と話し合っているようなテーマ。
明るくコミカルなコールマンのソロ、テンションあがるマービン、緻密で豪放なエルビン。
完全燃焼の婦作夫演になった。

エルビンの〈血縁〉はテナーサックス、ソプラノサックス、フルートの持ち替えで複数フロントに立つことが多いのだが、80年代、何度かトランペットが〈輸血〉されると「ミスター・ジョンズ」のようにエルビンにちなんだ診療科に案内されることがある。
   *蛇足の注2:血縁=バンドメンバー
   *蛇足の注3:診療科=曲名
日野皓正(コルネット)が唯一参加している『アース・ジョーンズ』(1982:クイックシルバー・レコード)にはデイブ・リーブマン作曲「アース・ジョーンズ(Earth Jones)」がある。
エルビンの終着エンヤ・レコード・シリーズはニコラス・ペイトン(tp)が仲間に入った。
彼は『ヤングブラッド』(1992)に「エルビーンを見たかい」という曲を提供している。
英文タイトルは「Have You Seen Elveen ?」
お察しのとおり「Have You Met Miss Jones ?」(ジョーンズ嬢に会ったかい?)をもじったのだろう。
英語にもエルビ~ンとお茶目な書き方があって…嬉~い… (*^。^*)  

Have You Met Elveen ?
マイルス・デイビス、アート・ペッパー、ソニー・ロリンズ、ペッパー・アダムス、J.J.ジョンソン、ケニー・バレル、トミー・フラナガン、ポール・チェンバース…70人を越える、あらゆる楽器のバンドリーダーたちが、エルビンに会っている。
コルトレーンを筆頭にテナーサックス奏者が最も熱心だった。
クリフォード・ジョーダン、ユセフ・ラティーフ、ジョー・ヘンダーソン、ウェイン・ショーター、スタン・ゲッツ、スタンリー・タレンタイン、ローランド・カーク、ジョー・ファレル、チコ・フリーマン、ファラオ・サンダース、ベニー・ウォレス、デューイ・レッドマン、マイケル・ブレッカー(共演年代順)。

       いずれも、ジャズ史で聴き落とせない【御皿】である。

                  おわり