響庵通信:JAZZとサムシング

大きな好奇心と、わずかな観察力から、楽しいジャズを紹介します

華麗なるミュージカル(4)

2018-11-02 | 音楽

名数(めいすう)の中で“ずばぬけて多い”のは【三】である。
三役、南無三、舌先三寸、非核三原則…
因みに【三】の会意は、上の一本が天、下の二本が地を示して天地人の道を表すようで、漢字圏の民族には特別の“数”かもしれない。

レビューと並んでブロードウェイ・ミュージカルの先駆けになった、
アメリカン・オペレッタ三大作曲家の一人、シグムンド・ロンバーグの伝記映画がある。
 *:前章[華麗なるミュージカル(3)]で触れた、
   ビクター・ハーバート、ルドルフ・フリムル、シグムンド・ロンバーグの三人。
【我が心に君深く】(原題:Deep in My Heart)
1954年:米MGM (カラー 132mins)
劇場公開:55年
監督:スタンリー・ドーネン
制作:ロジャー・イーデンス
原作:エリオット・アーノルド
音楽監督:アドルフ・ドイッチェ
主な出演者
 ホセ・フェラー(シグムンド・ロンバーグ)
 マール・オベロン(ドロシー・ドネリ―)
 ヘレン・トローベル(アンナ・ミュラー)
 ドー・アブドン(リリアン・ロンバーグ)
 ウォルター・ピジョン(J.J.シューバート)
 ポール・ヘンドリード(フローレンツ・ジーグフェルド)
 タマラ・トゥマーノバ(ギャビー・デズリー)
 ポール・スチュワート(バート・タウンゼント)
客演
 ローズマリー・クルーニー
 ジーン・ケリー&フレッド・ケリー
 ジェーン・パウエル&ビィク・ダモン
 アン・ミラー
 ウイリアム・オルビス
 シド・チャリシー&ジェームズ・ミッチェル
 ハワード・マギー
 トニー・マーティン&ジョーン・ウエルダン
監督スタンリー・ドーネンは、7歳からダンスを習い、17歳のときジーン・ケリーが主役したミュージカル『パル・ジョイ(1940)』のコーラスボーイとバックダンサーでブロードウェイにデビューした。
翌年、ケリーが振付した『Best Foot Forward』にもコーラスとダンスで参加、
二人は親交が深まり、1942年ケリーがハリウッドに進出すると、
ドーネンも『錨を上げて(1945)』『私を野球につれてって(1949)』でケリーの助手をつとめ、多くの映画で振付を担当することになる。
そして『踊る大紐育(1949)』、ミュージカル・音楽映画部門ランキング第2位『雨に唄えば(1952)』、
さらに『いつも上天気(1955)』でケリーと共同でメガホンをとり、
独り立ち後、『我が心に君深く』と同じ年には先行してランキング第10位『掠奪された七人の花嫁』を監督、
ビンセント・ミネリとともにMGMミュージカル映画の黄金期を築いた。
 *ランキングは『外国映画ベスト200/角川文庫』による。

音楽監督のアドルフ・ドイッチェは、ロンドン出身のピアニスト。
14歳のときアメリカに移住、17歳には地元のサイレント映画館でBGM奏者になり、
1920年代から30年代にブロードウェイで作曲・オーケストラ用編曲の経験を積み、
30年代終わり頃からハリウッドでハードボイルド、西部劇、戦争映画、コメディなど多くの作品に作曲・指揮・編曲家として活躍している。
特にMGMミュージカル映画には欠かせない存在で、
『私を野球につれてって』『アニーよ銃をとれ(1950)』『ショウ・ボート(1951)』『バンド・ワゴン(1953)』
『魅惑の巴里(1957)』などなど。
スタンリー・ドーネンとは『掠奪された七人の花嫁』『我が心に君深く』のほかに、
オードリー・ヘプバーン、フレッド・アステア主演『パリの恋人(1957)』…ただしMGMではないが…ある。
この映画はミステリー仕立てではないけれど、脚色したレナード・スピーゲルガスの絶妙な伏線が光る。
挿入曲順に追ってみよう。
作曲はすべてシグムンド・ロンバーグ、作詞はオスカー・ハマースタインⅡ他。
① You Will Remember Vienna
ニューヨーク2番街のカフェ『ウイーン』女主人アンナ・ミュラー(ヘレン・トローベル)が、
ふと訪れた音楽事務所社長にシグムンド・ロンバーグ(ホセ・フェラー)
の新曲を紹介する。
 ♪人はウイーンを思い出すでしょう…とアンナが、望郷の念を込めてバラードを唄う。
「ダサいな、いまどきウイーン風は受けない、ノリノリの曲なら羊の脚だって、踊り出す」
酷評に腹を立てたロミー(ここからロンバーグをロミーとする)は…
② Leg of Mutton
社長の言い分を逆手にとって、クイックステップのダンス音楽を作曲、即興で詞も付ける。
 ♪…君が僕のハニーなら/ムニャムニャして/羊の脚もダンスする
アンナが唄い、ロミーと二人でコミカルなステップ。
アンナ役のヘレン・トローベルは、アメリカのソプラノ歌手。
メトロポリタン歌劇場のワーグナ―歌手として欠かせない存在だったが、ナイトクラブやキャバレーで唄ったことから総支配人ともめ…去り、
以後テレビ・映画・ミュージカルで活躍した。
オペラに疎い筆者はドラマチック・ソプラノよりも、
しみじみ唄った「枯葉」の彼女を傾聴している。 (youtubeでお聴きできます)
「羊の脚」がヒットして名が知られると、
音楽事務所を通さず直接交渉するためリハーサル中の興行主J.J.シューバートに会いに行く。
同席のドロシー・ドネリ―(マール・オベロン)の口添えで、新曲がレビューに採用されることになった。
③ 朝日のようにさわやかに (1st
sequence)
ド派手な肉体女優ギャビー役のタマラ・トゥマ-ノバ(吹き替え:ベティ・ワンド)が、
アップテンポで唄い刺激的に踊る演出に曲されて(“編”の転換ミス)、
大きな期待で客席にいたロミーは居たたまれなく…退出してしまう。
 *:実際の「朝日のようにさわかに」は『ニュー・ムーン(1928)』の挿入曲。
   『ニュー・ムーン』はトライアウト(試験興行)が不入りだったので、
   数か月後に「朝日のようにさわやかに」「恋人よ、我に帰れ」を追加し、
   再演したところ1年3か月のロングラン公演に成功した。
④ 朝日のようにさわやかに (2nd sequence)
祝賀パーティの席で浮かない顔のロミーは、
「あのシーンに一つ足りないものがある」といって自らピアノで淡く…イントロを弾きだした。
 ♪朝日のように柔らかに、愛の光はそっと…
アンナが余情を深めるように唄う。
「これが僕の考える芸術だ」
改めて5年契約を求めるシューバートを拒む…が、
ドロシーの助言を受け入れ書類にサインする。
ウォルター・ピジョン演じる興行主J.J.シューバートは、
全米に86もの劇場を経営し600以上のショーを興行してブロードウェイ・ミュージカル発展に貢献したシューバート三兄弟(長兄リー、次兄サム)の末弟。
1914年、リー&J.J.シューバート兄弟制作の(サムは26歳のとき鉄道事故で他界)、
『世界は回る(The Whirl of the World)』で、ロミーはショー・ビジネスの世界に進出する。
⑤ Mr.and Mrs. (男と女)
『ミッドナイト・ガール』初日にテナー歌手が風邪でダウン。
代役で引っ張り出されたロミーが、ローズマリー・クルーニーと黄色のペアルック・デュエット。
ストーリーは実際と異なる設定が多く、
『ミッドナイト・ガール(1914)』は処女作をヒットさせたシューバート兄弟制作2作目だけれども、
「Mr.and Mrs.」はかなり後の『ザ・ブラッシング・ブライド(1922)』で挿入された曲である。
サイラス・ウッドの詞はスクリーンの向こう側まで詠んでいる。
♪Mr.(ロミー)and Mrs.(ロジー)/信じられないよ隣に君がいるなんて(ロミー)/
 司祭様が“誓いますか”(ロジー)/僕は大声で“誓います”(ロミー)/…
結婚指輪を捧げる振付もあるラブリーな歌と踊り。
映画製作時ホセ・フェラーとロジー(ローズマリー・クルーニー)は結婚したてで、リアルな睦まじさ。
⑥ I Love to Go Swimmin' with Wimmen (女の子と泳ぎに行きたいな)
幼年時ザ・ファイブ・ケリーズ(姉・兄・ジーン・妹・フレッド)で地元のボードビルに出演していたジーン・ケリーと、6歳年下の弟フレッドが、オブライエン兄弟役で登場する。
双子かと見誤る背丈、容貌のシンメトリーなステップが見られる映画は、ほかに無い。
 (youtube でご覧できます)
⑦ The Road to Paradise (楽園への道)
⑧ Will You Remember (忘れないで)
シューバート兄弟のプロデュースでヒットを続けたロミーだったが、当初から公演したい作品があった。
フローレンツ・ジーグフェルドを利用して、
タウンゼント(シューバート側の責任者)が長年OKしなかった念願の『5月の頃(May Time)』を実現させる。
2曲続けて、満開の桜の園、愛し合う青年と娘が主題歌を歌う。
青年役のビック・ダモンは甘いマスクと美声で1950年代のスター歌手。
俳優としても『艦隊は踊る(1955)』『キスメット(1955)』(MGM)など映画・TVに出演している。
娘に扮したジェーン・パウエルもティーンエージャーで歌手になり、
15歳で映画『ソング・オブ・ジ・オープン・ロード』(U.A.)に本人役を演じ、
1940年代から50年代には多くのMGMミュージカル映画で活躍した。
『艦隊は踊る(Hit the Deck)』にはこの二人のほか、
ウォルター・ピジョンと次のシーンにでるアン・ミラー、
最後の客演トニー・マーティンも出演している。
『5月の頃』はブロードウェイ2劇場同時公演を含む492回の大ヒットになった。
慢心したロミーは自ら制作に乗り出したが、
自信をもって発表した『ザ・マジック・メロディ』は失敗…プロデューサーの存在が重要と悟る。
作詞者,編曲者と3人で静かな別荘に閉じ篭ってシューバートが用意した台本の作曲に専念。
ひょんなことからリリアン・ハリス(ド‐・アブドン)を恋したロミーは仕事を放りだし猛アタック。
ようやっと招待に成功した気難しいリリアンの母と彼女の前で、
進捗を確かめに来たタウンゼントから未完成の『ジャザ・ドゥ』を強制的に試演させられる羽目になる。
⑨ Jazzadadadoo (ジャザダダドゥ)
女癖悪いドゥードゥー伯爵が悔い改めて結婚することになり独身会を開く筋書き。
純粋一本気を演じるホセ・フェラーの、独りミュージカル。
伯爵~婚約者~執事~女歌手~宮殿の衛兵~王様~王女ファテマ、
七変化・7分超えのハチャメチャな歌と踊りは──仰天のみどころ。
 ♪Girls Goodbye / Fat Fat Fatima / Jazz-Dada-Doo
完成を促すタウンゼントによってリリアンとの仲が疎遠になった1年後、
何かにつけロミーを支えてきたドロシーは執筆中の『学生王子』に曲をつけて貰いたいと頼むも、
傷心の彼はそれどころではなかった。
                (月日が経って…)
     実らない恋では終わらないきっかけになる『画家とモデル』のステージ
⑩ It(それ)
映画で一番ゴージャスなミュージカル・シーン。
カラフルなコスチューム男女たちが陽気に踊りまわる、楽器を持って踊る者もいる、
妖精の挑発で踊りが更に激しくなる。
 ♪ひと言で言いあらわした/…/彼女はそれを“それ”と呼んだ/…
真紅のドレス、アン・ミラーのコケティッシュな唄とダンスは、
いつもながらの見せ場…後半2分強の軽妙なタップは圧倒される。
幼いころからボードビルなどでダンサーだったアン・ミラーは高校卒業後、
RKOからスカウトされ映画界入り、他の会社を経て、
『イースター・パレード(1948)』のフレッド・アステア相手役でMGMに転じ、
『踊る大ニューヨーク』『キス・ミー・ケイト(1953)』『艦隊は踊る』などでも活躍した。
恒例のミュラー主催パーティでリリアンと再会したロミー、
{まだ望みがある}とドロシー依頼の作曲に気合が入る。
21歳でブロードウェイ・ステージに立っていたドロシーは、
30代半ばから脚本家、劇作家、プロデューサーとして活躍していた。
脚色・作詞で初めてロミーと組んだ『花咲く頃(Blossm Time)』はクラシック音楽を使った最初のブロードウェイ・ミュージカルとして大ヒット。
⑪ セレナーデ
『学生王子(The Student Prince)』はドイツ戯曲『懐かしのハイデルベルク』に基づいてドロシーが作詞・脚色したもの。
1924年から26年にかけてブロードウェイ4劇場608回という20年代ミュージカル最高を記録している。 *:因みにその次は516回の『花咲く頃』
大勢の学友コーラスを従え、カール・フランツ王子に扮したウィリアム・オルビスが、
バルコニーに立つ下宿屋の娘カティーに愛を打ち明けるシーン。
 ♪夜空に月は輝く/こづえに咲く白い花のように/…
26歳のオルビスは役柄年齢に相応しい青春賛歌だ!
  *:ウイリアム・オルビスを検索すると、
    同名の息子ウイリアム・オルビスにヒットしてしまう。
    ニューヨーク・メトロポリタン歌劇テノール歌手:父ウイリアム・・オルビスより、
    作曲者:息子のほうが有名?
    蛇足:90年代にNHKで放映された『ドクター・クイン大西部の女医物語』の音楽は、息子の曲。
タクトを下ろし、楽団員もいなくなり、振りかえったロミーの前に、
「来ちゃったわ」リリアンがいた。 
⑫ One Alone  (ひとりぼっち)
1920年代最高のオペレッタと評される『砂漠の歌(The Desert Song)』挿入曲。
『砂漠の歌』はロミーがオスカー・ハマースタインⅡと初めて組んだ作品で⑩ It も使われている。
北アフリカ、イスラム教寺院をセットにした2幕目、
白いシースルーのドレスで唄う神秘なシド・チャリシー(吹き替え:キャロル・リチャード)、
 ♪ あの人が望めば私はささげたい…/もしもあの人が私だけのものなら
そ~っと青のタイトな服を着たジェームズ・ミッチェルが抱きしめる。
アラビアン・リズムに乗って白と青の卍踊り──
まるで氷上を滑るよう、大胆でアクロバティック、ここまで激しい彼女は初めてだ。
少女時代にバレエを習っていたチャリシーは、20代で映画界にデビューすると、
ミュージカルの看板2大ダンサーのフレッド・アステア、ジーン・ケリーの相手に抜擢されて10数本のMGMに出演している。
⑬ Your Land and My Land
次はドロシーが書いた『私のメリーランド』
北軍将校姿のハワード・キールが、南軍将兵の前で高らかに歌う。
 ♪北から来た男が南の男と握手…/それぞれの国がいつかは一つの国に…/
どちらの先頭にも星と横じまが翻る…/Your Land and My Land…
北と南の軍旗を中心にコバルトブルーとスカイブルーの軍人が交じり合って行進する。
オスカー・ハマースタインⅡに認められミュージカル『オクラホマ』で成功したハワード・キールは長身とバリトンで1950年代を代表するミュージカルスター。
MGM映画『アニーよ銃をとれ』『ショウ・ボート』『キス・ミー・ケイト』『掠奪された七人の花嫁』など多数に出演、
80歳を過ぎてもミュージカルにかかわった。
『私のメリーランド』初日、ドロシーは病床に臥しリリアンとアンナが付き添っている。
ロミーは好評を告げて次のアイデアを語り出すが、容態を自覚しているドロシーは、
「アンナ 唄って」
⑭ Auf Wiederschn (さようなら)
 ♪愛は永遠に生きる/別れを口にせずに…
  ずっとあなたを守りながら/アウフ・ビーダーゼーン…
アンナ、鎮魂の歌声。
「アウフ・ビーダーゼーン」はロミーがデビューした『世界は回る』の翌年、
ウイーンのオペラを原作にした『青き楽園(The Blue Paradise)』の挿入歌で作詞:ハーバート・レイノルズ。
ヒロインが涙をこらえて唄うロマンティックでセンチメンタルな曲。
⑮ 恋人よ、我に帰れ
ドロシーを亡くし悲しみを払うようにロミーはハマースタインⅡと、『ニュー・ムーン』を完成する。
 *:ハマースタイン(ミッチェル・コワール)が登場するシーンが2回ほどあるも、
   セリフなしのチョイ役。
 ♪ザ・スカイ・ワズ・ブルー(空は青々と)/アンド・ハイ・アバーブ(高く澄み渡り)/
      ザ・ムーン・ワズ・ニュー・アンド・ソー・ワズ・ラブ
              (月はみずみずしく 愛もまた同じだった)/…
トニー・マーティンが、スタンダードの名曲「恋人よ、我に帰れ」を朗々と歌い上げる。
ふだん男女を問わずアップ・テンポで聞かされているので、
このバラードは、とても貴重だ。  (youtubeでご覧できます)
彼は1930年代後半から50年代半ばまでに数十曲のヒットを記録したポピュラー歌手。
23歳のときトニー・マーティンの芸名でRKO,20世紀フォックスを経て、MGMミュージカル映画に多く出演している。
余談だが、2番目の妻シド・チャリシーと1948年に再婚し彼女が亡くなるまで一緒だった。
 ♪ザ・スカイ・イズ・ブルー(空は青く)/ザ・ナイト・イズ・コールド(夜は冷たい)/
   ザ・ムーン・イズ・ニュー・バット・ラブ・イズ・オールド
               (月はみずみずしいが 愛はたそがれた)/
過去(ワズ)を偲び現在(イズ)の想いを歌う彼に、
彼女(ジョン・ウエルダン)が駆け寄り…合唱する。
 ♪ここで君を待つ間/僕は歌い続ける/恋人よ もどってくれと

シグムンド・ロンバーグとオスカー・ハマースタインⅡのコンビは全部で5作品あって、
大ヒットの『沙漠の歌(1926)』『ニュー・ムーン(1928)』以外に、
『五月の酒(1936)』はまずまずだったが『イースト・ウインド(1931)』『サニー・リバー(1941)』は不発だった。

失望したロミーをリリアンは、
「単なる作曲家ではなく国を代表する芸術家になるべきだ」とカーネギ―・ホールでコンサートを勧めた。
尻込みするロミーを発奮させようとアンナが唄った…
 ♪夢を持つ者たちよ/動き出せば、それはかなう…/
 ⑯ Stouthearted Men (勇敢な男たち)
これも『ニュー・ムーン』で、
自由独立国を建設するため身分を隠した貴族が歌った曲。
画面はスライドしてロミー指揮するカーネギー・ホール…
 ♪勇気ある男たちが/
            一人一人手をくんだなら/
オーケストラをバックにアンナ、面目躍如のワーグナー歌手。
⑰ When I Grow Too Old to Dream (夢見る頃を過ぎても)
観客の拍手を受け、アンナを称えたあと、ロミーは妻に捧げる新曲を歌う。
 ♪夢見る頃を過ぎてしまっても/覚えていてほしいことがある/…
  君の愛は僕のこころの中で生きている…
           フォー・マイ・ワイフ、オブ・マイ・ワイフ、トゥー・マイ・ワイフ

                     ─END─