響庵通信:JAZZとサムシング

大きな好奇心と、わずかな観察力から、楽しいジャズを紹介します

華麗なるミュージカル(3)

2018-07-09 | 音楽

ボールを投げたりバットを振ったことの無い者でも、
“大谷派二刀流”開祖の戦績は、ただただ、驚愕する。
奪三振やホームランだったことは承知しているにも関わらず、番組表に“大谷”の文字があれば頻繁にチャンネルを追いかけてしまう。
ジャズの聴き方に譬えると、
繰り返し各局が映す同一シーンはテーマ(主旋律)のようで、
各局趣向を凝らす解説等はアドリブ演奏といえる。
4月のある日、テレビA午前の情報ワイドショー番組に〈なんだ!これは〉
 《10:25 圧巻大谷翔平!!躍進の裏に「81マス」秘ペーパー》
因みに同時間帯のライバル局は、
  10:25 “二刀流”大谷快進撃 地元熱狂&報道も過熱
   歴代日本人メジャーとメディア評価を検証…だった。
〈ホワット・イズ・「81マス」?〉、〈ホワット・イズ・秘ペーパー?〉
当日午後のワイドショーにも、また日を改めても、この表題は見当たらない。
ひょっとしてスポーツ紙で取り上げたかもしれないけれど、
その“謎”は…マンダラートというユニークな発想法だった。
マンダラートは語感から察しがつくように、仏教で知られる左右対称の「曼荼羅」模様に似た形状から、開発した日本人デザイナー今泉浩晃氏が「曼荼羅」と「アート」をもじってつけたという。
曼荼羅(Mandara)
はサンスクリット語で、語源は不明ながら「本質を得る」と解釈されている。
通常は円形または方形な図形で、中心の主題を取り巻く諸主題との相互関係で宇宙を象徴的に表現している。

大谷翔平は、9分割された正方形を主題に同じく9分割の諸主題を、
上下左右に配した9×9=81マスに、花巻東高野球部1年生のとき “目標達成シート” として作成していた。
オオタニサーンの…中心主題の…核の…マスは…なんと?
ここはTVの手法をまね、詳細を隠す思わせぶりの“紙”を,
エイっと…剥がしたいところだが、
                【ドラ1 8球団】
ミュージカルの世界にも“二刀流の達人”(ここだけの表現)がいる。
19世紀後半から80年間でヨーロッパを中心に3700万人という移民がアメリカに夢を求めて渡ったと云われている。
ニューヨークのダウンタウンには庶民クラスの移民達が、白人が黒人の真似をするミンストレス・ショー、ボードビルの軽喜劇、ヨーロッパ風オペレッタなど手軽な金額で楽しめる娯楽があった。

当初の稚拙だった歌・踊り・ストーリーを、
豪華な舞台装置・色彩豊かな衣装・脚線美ダンサーなどミュージカルに欠かせない要素を持った作品として、1866年9月、ブロードウエイのニブロス・ガーデン劇場で公演された『黒い悪魔』が、ブロードウエイ・ミュージカル第1号とされている。

19世紀終わり頃から20世紀初頭までミュージカルは作曲家中心に作られていた。
●草創期に最も活躍したビクター・ハーバート(1859.2.1─1924.5.26)は、アイルランド・ダブリン出身で1886年渡米。
1894年、最初のオペレッタ『嘘つき王子』でブロードウエイ・デビュー、
『セレナード(1897)』『占い師(1898)』『赤い水車(1906
)』などのヒットに続き、
最高傑作『お転婆マリエッタ(1910)』を作曲している。
●故郷のプラハ音楽院でドボルザークから作曲を学んだ後、
1906年アメリカに永住したルドルフ・フリムル(1879.12.7─1972.11.12)は、『お転婆マリエッタ』のハーバートが断った『蛍(1912)』を作曲しブロードウエイ・オペレッタを担うことになった。
代表作『ローズマリー(1924)』『放浪の王者(1925)』はそれぞれ2度映画化された。
 〈余談だけれど松竹映画『蒲田行進曲』の原曲は『放浪の王者』主題歌「放浪者の歌」です〉
●ハンガリー生まれのシグムンド・ロンバーグ(1887.7.29─1951.11.9)は、ウイーンで作曲を学びイギリスを経て渡米。
 〈独り言:ハーバートやフリムルは全く知らない人物だったので調べていたけれど、
  ようやっとジャズ・ファンなじみ作曲家の…お成り~だ〉
フリムルより1年ほど遅れ、レビュー『世界は回る(1914)』からスタートしブロードウエイに共作を含め65作品を残している。

1910年代には、
ニューヨークに移住したイギリス人ユーモア小説家:B・G・ウオードハウス(1881.10.15─1975.2.14)、
両親がデンマークからの移民で苦労した後、初めての『三組の双子(1908)}』がブロードウエイでヒットしたオトー・ハーバック(1873.8.18─1963.1.24)、
ボードビリアンの父を持ち大学時代に書いた詩がアル・ジョルスンの『シンバッド(1918)}』で採用されたB・G・デシルバ(1895.1.27─1950.7.11)、
アイラ・ガーシュインオスカー・ハマーシュタインⅡたちにより、作詞家が作曲家と同等に評価されるようになった。

前置きが長くなって申し訳ない、
作曲・作詞二刀流の達人といえば…
ご存知、アービング・バーリンとコール・ポーター。

しかし、どんな世界にもアメイジングな人物はいる。
俳優・歌手・ダンサーであり、作曲家・作詞家・脚本家・演出家・プロデューサーの肩書きを持ちブロードウエイ・ミュージカルの基礎を築いたジョージ・M・コーハンだ。
コーハン(1878.7.3─1942.11.5)は、両親がボードビリアン芸人だったため、学校には行かず家族とアメリカ中を回っていた。
ボードビル界のスターになっても夢はブロードウエイに打って出ることだった。
愛国心の強い激しい役柄を演じて観客の心を掴んだコーハンの伝記映画がある。

【ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ】(原題:Yankee Doodle Dandy)
1942年:米ワーナー・ブラザーズ (モノクロ 126mins)

劇場公開:86年*第2次世界大戦のため大幅に遅れた。
監督:マイケル・カーティス
*『カサブランカ』『夜も昼も』『情熱の狂想曲』『ホワイト・クリスマス』がある。
作詞・作曲:ジョージ・M・コーハン
主な出演者
 ジェームズ・キャグニー(ジョージ・M・コーハン)
 ジョーン・レスリー(ジョージの妻:メアリー・コーハン)
 ウオルター・ヒューストン(ジョージの父:ジェリー・コーハン)
 リチャード・ウォーフ(サム・ハリス)
 アイリーン・マニング(フェイ・テンプルトン)
 ジョージ・トビアス(ディーツ)
 ローズマリー・デ・キャンプ(ジョージの母:ネリー・コーハン)
 ジーン・キャグニー(ジョージの妹:ジョシー・コーハン)

  {あらすじ&みどころ}
            「大統領なんて嫌さ」
                 ジョージ・M・コーハン主演
10年ぶりのミュージカルで大統領役を演じたジョージ・コーハン(ここから単にコーハンとする)は祝電の中に合衆国大統領の招待があり、
叱責も覚悟してホワイトハウスに出頭する。
 「どうかね 私の役は?……新聞は君が私より、よい大統領だと書いている」
フランクリーに話しかけるルーズベルト。
緊張が解け「あのころで?」と、コーハンが語り出すところから映画が始まる。
ボードビリアンの父ジェリー、母ネリー、1歳年下の妹ジョシーと“コーハン4人組”で旅回りを続ける彼は幼いころからスターだった。
成人したコーハンは、後に妻となるメアリーに自作曲を独断で唄わせ興行主と大喧嘩…芸能界から締め出されてしまう。
どこにも出演出来ず自信ある作品も買ってくれない日々が続いた。
芸能社でおたがい売り込みを断られた同士のサムと作った『小さなジョニー・ジョーンズ』(*1)がブロードウエイの出世作になった。
ソプラノ歌手フェイ・テンプルトン(*2)の為の『ブロードウエイから45分』も成功。
街中にある看板の“原作・作詞・作曲・主演”が気に食わないと芸人フォイに絡まれた『ジョージ・ワシントン・ジュニア』は各地で好評を博し、人気は高まるばかりになるが、両親が農場生活を希望し妹も結婚することになって、“4人組”は解散した。
独りコーハンは、ドタバタ喜劇だけと云われるのを見返そうと内容の濃い劇『人気』を上演した。
ところが初日から散々、すぐ公演を打ち切る事態…
追い打ちをかけるように、舞台の出来より気になる事が持ちあがる。
“ルシタニア号、独潜艦に撃沈される!”(*3)の号外。
第1次世界大戦勃発!米国参戦!
愛国心強いコーハンは陸軍に志願するも年齢制限で却下され従軍慰問に情熱を注ぐ。
ラッパのリズムをヒントに作曲した ♪オーバー・ゼア は勝利賛歌になった。
コーハンは次々にショーを成功させるなか、母と妹を亡くし、父も失うと、
長年の“コーハンとハリス(サム)”コンビを解消、引退して妻と二人で農場暮らし。
名前すら知らないという若者たちから ─ 時代の変わり ─ を感じるコーハンに、
サムから新作に出演して欲しいと要請される。
   劇場のネオン看板:
        “「大統領なんて嫌さ」
        ジョージ・M・コーハン”
フランクリン・ルーズベルトに扮したコーハンのラスト(*4)に、喝采の嵐。
   (映画は冒頭の大統領室のシーンに戻る)
長い話を聞き終わった大統領が、
 「芸能人では君が初めてだ」と米国精神に対しての名誉勲章を授けた。
外に出ると “オーバー・ゼア” を歌って行進する兵士たち。

 〈純真な愛国者でアメリカン・スピリットの塊のようなコーハン、
  小柄だけどコーハン本人より強烈な印象を演じたキャグニー、
  二人は血気盛んな気質を持つアイルランド系アメリカ人で、
  ともにボードビル出身者〉

この映画は好奇心を刺激するところが多い。
(*1)作曲・作詞・脚本・主演コーハンが初めてヒットした3作目の『小さなジョニー・ジョーンズ』は、
“ヤンキー・ドゥードゥル号”でイギリスのダービーにでるアメリカ人騎手ジョニー・ジョーンズが、
恋と悪意に振り回される物語である。
3幕16曲中、コーハンが歌って踊る最もポピュラーな2曲がある。
♪ヤンキー・ドゥードゥル・ボーイ(Yankee Doodle Boy)
  おいらヤンキーさ/まだ負けた事がない/本命中の本命…
ハンチングを被ったジョニー(コーハン=キャグニー)が前傾で大股に、
舞台いっぱい左右に歩きながら、演説調で歌い…ダイナミックに踊る。
   ─最下位に終り八百長レースを疑われる─
名誉挽回のためロンドンに残ったジョニーは、アメリカに帰る友人を見送る。
♪ブロードウエイによろしく(Give My Regards to Broadway)
友人は「ロケットが上がったら無実の証明」と言い残す。
岸壁で去りゆく客船の上にロケットを見、
喜ぶジョニーのタップ・ソロ…
申し訳なかった、ボードビル出身は伊達じゃない、
ギャング・スターと軽視してきたキャグニーは、フレッド・アステアやジーン・ケリーのタップ・ダンスと違う
“エアロビクス”の清々しさがあった。
(*2)粗野で傲慢で自惚屋と評されたコーハンの先入観を払拭するシークエンスがある。
女優候補のフェイ・テンプルトンと交渉中、彼女が言った言葉をヒントに作った『ブロードウエイから45分』にまつわる場面。(とだけ紹介しておく)
テンプルトンは3歳で既に父親の幕間に童謡を唄っていたが、
20歳にはコミック・オペラ『エバンジェリン』の再演でブロードウエイ・デビューを果たしている。
『ブロードウエイから45分』は3幕5曲でミュージカルらしくないが、
映画の彼女役アイリーン・マニング(ソプラノ歌手で女優)がその中の2曲を唄っている。
♪メアリーなんて古くさい名前(Mary is a Grand Old Name)
  わたしの母の名はメアリー/心が清く誠実だった/名前がメアリーだったから…
貴婦人すがたのテンプルトンの独唱。
♪さよならメアリー( So Long Mary)
テンプルトンと8人男性コーラスのコール・アンド・レスポンス、
  送っていただいてうれしいわ~さよならメアリー
  さよならメアリー~行かせたくないよ…
寂しさの、でも、コミカルな振付は、楽しめる。
20年越えのブロードウエイ・キャリアがあるテンプルトンを全く知らなかったけれど、
ジャズ・ファンにとって貴重なプレゼントを残してくれている。
1906年初演の『ブロードウエイから45分』出演後、結婚のため引退。
夫に先立たれると、舞台に復帰。
ヨーロッパを舞台にしたジェローム・カーンの『ロバータ(1933)』伯母ミニー役が最後になったが、
なんとまあ、彼女はスタンダード曲♪イエスタデイズ(Yesterdays)を創唱していた。
なお、『ロバータ』には同じく♪煙が目にしみる(Smoke Get in Your Eyes)もあって、
こちらは、ステファン王女役のタマーラ・ドレイシンが唄った。
作曲者カーンはプロットに沿って「イエスタデイズ」「煙が目にしみる」を書いたのではないようで、
テンプルトンはどんな唄い方をしたのだろうか。
   〈ちょっと道草を食べさせてもらう〉
ミュージカル・ロバータは2度映画化されている。
初めの映画『ロバータ』(1935年制作・同年日本公開)では アイリン・ダンが2曲とも唄った。
 *1952年の『Lovely to Look At』は未公開
テンプルトンと場景(場面の様子)が違うと思うが、
アイリンは、伯母を寝付きよくするシーンで、せつせつと唄っている。
スタンダード曲ランキング9位の「イエスタデイズ」だけあって名演盤が山とあるけれど、
インストより曲想に添う女性ボーカルで聴いてみたい。
エラ・フイッツジェラルド、カーメン・マクレエ、ジューン・クリスティ…
お薦めは、『奇妙な果実/ビリー・ホリデイ』
ビリー・ホリデイ全盛期の4セッション・16曲をまとめたコモドア盤。
♪奇妙な果実(Strange Fruit)から始まる1939年4月20日のセッション4曲は、
彼女一代の絶唱である。
2曲目が♪イエスタデイズ
  過ぎ去りし日々/あの懐かしき日々/
  幸せで甘美世間のことを忘れていたころ…
            (ジャズ詩大全3:村尾陸男訳より)
神妙なピアノのイントロ…
ゆっくり、平静に、語りかけるよう、唄いはじめる。
アップテンポになったピアノ、哀歓のサックス間奏のあと…
抑えながらも、たかぶる感情…
最後、祈る、♪Yeaterdays ♪Yesterdays
       もう一枚!
初リーダー・アルバム『ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン』も、
いいな~    〈こんな優柔不断は、有りだよね〉
(*3)『続:気になる伝記映画』の章で触れているルシタニア号事件というのは、
コール・ポーター最初のブロードウエイ・ミュージカル『まずアメリカを見よ』初日とぶつかって、公演が中止に追い込まれるというエピソード。
コーハン意欲作『人気』も、この事件で公演打ち切りになる事態。
どちらも実際には事件と公演の時系列に矛盾があるのだけれど、フィクションにし易いのは余ほど重大だったに違いない。
(*4)10年ぶりに復帰した舞台は、
リチャード・ロジャース作曲:ロレンツ・ハート作詞:サム・ハリス製作の『やっぱり正しくありたい』である。
《独立記念日にセントラル・パークにいたペギーとフィルのカップルは、
社長から「国家予算引き締め政策のせいで」給料を上げて貰えず結婚できないことを嘆いていた。
公園で眠ってしまったフィルは、閣僚や最高裁判事たちを引き連れたルーズベルト大統領の夢を見、
悩みを訴える。
大統領は若い二人を救うと約束。
♪国家予算を立て直そう(We're Going to Balance the Budget)を歌い、踊るコメディ》
ホワイトハウスを背に右手の人差し指を突き上げるコーハンのポスターはルーズベルトの化身そのものに見えるけれど、映画でルーズベルトに扮したコーハンを演じるキャグニーも、ピッタリ。
♪記録を消せ(Off the Record)
シルクハット・タキシード姿、ステッキを肩に担ぎ、前傾姿勢、舞台を左右大股歩き…
議員たちが並ぶ長~いテーブルに飛び乗り・飛び降り、
本音を歌っては、これはオフレコだよ…
3分を超えるコーハン最後のパフォーマンス。
日本語字幕は“さらり”と出るが、どうしてどうして奥が深い。
ジャズでいえばバースにあたる出だしの歌詞は、
…何を言っても新聞にでる…エレノアとデートしていたころだ…
エレノアさんは、フランクリン・ルーズベルトの遠縁で第26代大統領セオドア・ルーズベルトの姪で、
デートしていたころはセオドアが2期目の選挙中のこと。
 ♪当選ときまってなきゃ/大統領選にでたくない/
   書かんでくれ秘密だ(Off the Record)
 〈え、ええー、いいのかなあ、そんな歌を歌って。なにかと本音発言の先生方に必見?〉
19世紀に遡るとルーズベルト家は民主党と共和党に別れたようで、
フランクリンは民主党、セオドアは反対の共和党から立候補して当選している。
しかし、フランクリンとエレノア結婚のように両家は親交が深かったみたい。

オスカー・ハマースタインⅡの要請でタイムズ・スクエアにミュージカル俳優で唯一人
              ★ブロードウエイによろしく★
という碑文入りのコーハン銅像が献じられた。

   補遺:映画ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディは、第15回(1942)アカデミー賞の
       主演男優賞:ジェームズ・キャグニー、録音賞、ミュージカル音楽賞を受賞した
       大谷翔平のマンダラートはYoutubeでご覧できます

                          END

 

   

 

 

    

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華麗なるミュージカル(2)

2018-02-11 | 音楽

人気テレビ番組『Youは何しに…』は空港で来日する外国人を、
   「何処から来たの?」
   「何故日本へ?」とインタビューする。
「日本のアニメに興味があって…日本語を勉強して…日本に行ってみたかった…」というヤングからミドル達が少なくないのに、驚く。
“セーラームーン”や“忍者”などのコスプレに熱心な若者(といえないYou)も多い。
シニアの筆者にはアニメはおろか、
“変身ヒーロー”や“恐竜”の知識に疎く頭を下げるしかない。
戦後の漫画映画はディズニーの天下だった。
ミッキー・マウスを生んだディズニー世界初総天然色長編漫画映画『白雪姫』が、
1950年(昭和25年)に日本で公開され、
7300万円余の興行収入を上げその年の大ヒットになった。
何年か経って『白雪姫』は日米開戦四年前(1937)に製作されていたことが解り、
こんなところにもアメリカが先進していたとは!
 〈これじゃあ負けるのも仕方ないか?〉と妙な敗北感を持った〉
更に何年か経ちジャズのスタンダード曲:
♪Someday My Prince Will Comeが映画挿入曲だと知って、
アメリカ映画、特にミュージカルに溺れていたこの頃が、
ジャズ喫茶人生を通す“ひとこま”だったのかもしれない。

映画『巨星ジーグフェルド』は黒白版である。
最大の見せ場、直径21メートル、重さ100トン、175段の螺旋階段を回転させ聳え立たす“豪華”な舞台装置が,もしカラーだったら“絢爛”極まりなかったのに !!!
フローレンツ・ジーフフェルド役だったウイリアム・パウエルは、
再び『ジーグフェルド・フォリーズ』で、天国に逝った彼を演じている。

【ジーグフェルド・フォリーズ】(原題:Ziegfeld Follies)
1946年:米(カラー 110mins)
  劇場公開:89年
  監督:ビンセント・ミネリ
主な出演者
  ウイリアム・パウエル
  ジュディ・ガーランド
  フレッド・アステア
  ファニー・ブライス
  レナ・ホーン
  シド・チャリシー
  ジーン・ケリー

ゆっくり天国に近づくと三つのモニュメントを潜る。
シェークスピアの門、バーナム・サーカスのテント、そしてジーグフェルド劇場入口。
  *バーナムは「世界最大のショウ」を設立したアメリカの興行師
広々した書斎でワインレッドのガウンを着たフローレンツは、
『巨星ジーグフェルド』のキャラクター人形を見、楽しかりし日々を回想する。
「古き良き時代だった。私が天に召されたらフォリーズもなくなった?
私のフォリーズは私にしか出来ない、あと一つ作るとしたら?どんなショウにする?」…
「オープニングを飾る主演は?旧友のフレッド・アステアが、ふさわしい」

シルクハット・タキシード・ステッキ・ファッションのアステアが歌う、
♪Here's to The Girls
 銀とピンクの花飾りの帽子の美女群の(“の”が続くのは溜息間隔)輪から、
 トウダンスのシド・チャリシーが躍りでる、
 麗美が織りなすショウ、
 本物の白馬に跨りルシル・ブレマー艶美の唄。
ストーリーは無くMGMゆかりのスター達が、
レビュー、オペラ、軽歌劇、軽喜劇、寸劇などを競う贅沢な構成。
音楽プログラムを追ってみよう…

●『椿姫』を歌う
 ジェームズ・メルトン(男性)、マリオン・ベル(女性)が歌う、踊る「乾杯の歌」
 舞踏会シークエンスがフォリーズ調。
●この僕の心は
 アステア最初の出番
 真骨頂の12分→の3分の2は、お馴染み“口説き落とし”(いつもより巧妙)
 ♪This Heart of Mineを歌いながら、ルシル・ブレマーと踊るシーンは…(いつもより熱い)
●愛
 MGM映画に度々出演している美人ジャズ歌手、
 バンプ役を演じさせたら──この人、
 レナ・ホーンがトロピカル酒場で唄う♪Love
●ライムハウス・ブルース
 黒の帽子・服すがたの中国人に扮したアステア、
 古いチャイナタウンの歓楽街を不気味にうろつく。
 黄色いドレスを着た女性が骨董店で陳列の“扇”をジット見、諦めて去る。
 アステア迷わずそれを盗む。
 撃たれた彼は半死状態、必死に、“扇”に手を…
  〈ここからアステア・ファンタスチック・ワールド〉
 “扇”ひらひら…天国に誘う、
 黒ずくめコスチユームが真紅に替わり黄色女も赤くなり、
 7分続くこのシーンのほぼ半分を占めたのは、斬新なデュオの踊り。
   〈アステアは様々な小物を使って楽しませてくれてきたが、
    “扇子”は初めて見た〉
 両手に表・裏が紅白になるちょっと大きめの扇子を自在に変化させ、
 まるで日舞のような所作!
 振付師が日本贔屓かな~?ジャナクッテモ嬉しい。
 さて、現場に還った、アステア如何に!
●インタビュー
 大女優が記者に取材されるコミック・オペラ
 16歳のとき映画『オズの魔法使い(1939)』ドロシーを演じ、
 アカデミー特別賞を得たジュディ・ガーランドが、
 コケティッシュでダイナミックな踊りと唄──
 男性コーラス群とのコラボレーションは、格が違う。
●凡人と凡人(原題:The Babbitt and The Bromide)
   〈babbitt(俗物)&bromide(凡人)とへりくだったタイトル?
    いや、いや“粋”な、ふ・く・せ・ん〉
  ミュージカル二大スターの、ただ一度だけ共演した“お宝映像”だった。
  公園のベンチで新聞を読んでいるジーン・ケリー、
  隣に座ったフレッド・アステアはどうやら御同業者。
  ジェントルマン:アステアと伊達男:ケリーのシンクナイズド・ステップ。
  ガーシュウイン兄弟の曲に乗って出会いから10年後・20年後の人生を語り踊る、
  7分15秒!  〈YouTube でご覧になリます〉
  まさに“名人”&“名人”パフォーマンスこそ、本編最大の見どころだろう。
  天国在住のフローレンツもサプライズの一幕は、想定外に違いない。
●美
  フィナーレはキャサリン・グレイソン。
  ミュージカル・ソプラノ歌手で女優。
  MGM映画『錨を上げて(1945)』ではケリーと共演している。
  アーサー・フリード詞・ハロルド・アーレン曲♪Word and Music
  グレイソンの唄と踊り──
    美はどこにでもある/誰もが愛でることができる/
    すてきな世界に広がっていく…
  泡の海で踊るシド・チャリシー、舞う美女&美女、
    目の前に誰かが現われ/突然真実だと知る…
  Ziegfeld Follies の輝く文字を背に、グレイソンが立つ!

      “フォリーズ動く絵画『ビーナスの誕生』だ”

                END

    [追記]
      1974年映画『ザッツ・エンターテインメント』には、
      約半分縮小された「凡人と凡人」が挿入されています。
      共同ディレクターのケリーが、
      「フレッド・アステアと踊る時は力が入ります、
      このジーグフェルド・フォリーズが唯一の共演、
      また一緒にやりたいものです」と語っています。     

 

 

    

 



  
 

 

 


 

 

 

 

 



  
  


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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華麗なるミュージカル(1)

2017-05-18 | 音楽

《ほ・し・が・り・ま・せ・ん…かつまでは》
戦時標語の呪縛から解放された。
欲しいもの、、、、といっても衣食住ないものだらけ。
たけのこ生活が続く中、
ラジオ放送が唯一の楽しみだった。
【たけのこ生活】
筍の皮を一枚一枚剥ぐように衣服・家財道具などを少しずつ処分して暮らすこと。
実情は、闇米と物々交換。
伝手を探すのに苦労したり、途中で没収されたり常套句どおりの生活だった。
【闇米(やみごめ)】
食糧管理法違反の米。
太平洋戦争中、米や味噌・醤油・砂糖から綿布・縫い糸に至るまで生活必需品が統制され配給購入券がないと買えなかった。
特に米は戦後も引き続き「米穀通帳」に従う配給制だったが、サツマイモや澱粉の塊に代替されるなど著しく不足していた。
しかし、昭和20年代後半から自由流通米が公然化しても食管法は続き、闇米は幽霊語のように存在した。
半世紀経って、食の米離れ・減反政策・TPP問題が起こるなんって…
       ~日本中の国民で〈誰が〉予知できただろう~

この年(1946年=昭和21年)の初めから最長寿番組『NHKのど自慢』、年末には日本放送界最初のクイズ番組『話の泉』の放送が開始された。
時代物(長い時代を経過して古くなったもの)のラジオから、
「モナ・リザ(ナット・キング・コール)」「マイ・ショール(ザビエル・クガート)」「煙が目にしみる(アーティ・ショウ)」などの軽音楽…
戦時中の空白を埋め戻すように聴いた。
また、早くもアメリカ映画が輸入されている。
ヒット映画の中に、
♪アズ・タイム・ゴーズ・バイの『カサブランカ』(6月)、
グレン・ミラー・オーケストラ出演『銀嶺セレナーデ』(7月)、
アカデミー賞7部門を占め主演男優賞ビング・クロスビーが歌った『我が道を往く』(10月)
がある。
ご存知のようにジャズのスタンダード曲は、
1920年代から40年代に作曲されたレビュー、ミュージカル、映画主題曲などに由来するものが多い。
ちょうど日本がジャズ鎖国になってしまった時代に成熟していたわけだが
戦後次々に公開されたミュージック映画によって、特別なジャンルになった。

【華麗なるミュージカル~ブロードウエイの100年~】という国際共同制作の映像が2006年NHK-BSで放映された。
アメリカが生んだ独特の芸術ブロードウエイ・ミュージカルを、2週に分けトータル6時間かけた長編ドキュメンタリーである。

第1回テーマ〔ショービジネスの幕開け〕を要約すると、
初期の歌って踊れるワンマンショーを、絢爛なレビュー~豪華なショーに仕立て上げた二人の人物がいた。
一人はミュージカル界最初の大物プロデユーサー:
フローレンツ・ジーグフェルド(Florenz Ziegfeld Jr.)である。
1893年26歳のフローレンツはシカゴ万博の出し物のアイデアを探しにブロードウエイにやって来た。
ブロードウエイを南に下がると彼が求めていたものが沢山あった。
ロウアー・イースト・サイドに住む働き者の移民たちを楽しませる、ミンストレル・ショー、ボードビル、オペレッタなどのお金がかからない娯楽である。
彼は、すばらしい肉体をした男ユージン・サンドーを雇った。
裸同然の肉体の魅力を披露するサンドーに、女性たちはメロメロ。
フローレンツは、性的な魅力は売り物になると確信した。
1907年に発表した《ジーグフェルド・フォリーズ》と呼ばれるレビューは、ブロードウエイで最も偉大なショーと言われるようになる。
ジーグフェルド・フォリーズの幕が上がると、誰もが見たことのないような豪華なセット、カラフルで煌びやか、そしてコーラスガールが現れる。
珍しい出し物、寸劇、1枚の絵のような場面、舞台に登場するゴージャスな美女たち、肌も露わな衣装…
ショーはアメリカそのもの。
  演出家トミー・ジョーンズ談:
 「彼のショーの特徴は美しさです、一番の関心はいかにして女性を美しく見せるかだった」
「フォリーズに入れるには品格と優雅がなければならない。髪の長さは関係ない、金髪でも黒髪でも何色でもいい、表情豊かな瞳をもち横顔が整っているのも大切だ。
そしてプロポーションは完璧であること」(執務室で銀行家然としたフローレンツの実写と声)
1904年4月9日、新聞社の名前に因んでつけられたタイムズ・スクエアが、劇場街の中心地となった。
半年後、地下鉄の駅が作られると、街中から人が押し寄せ多くの観衆がブロードウエイ・ミュージカルを見に集まった。

もう一人は、毒舌家で愛国心の強いアイルランド系アメリカ人ジョージ・M・コーハン(George Michael Cohan)である。
歌って踊る実写フィルム挿入…
♪Give My Regards to Broadway (ブロードウエイによろしく)
    (筆者注:歌声はジェームズ・キャグニーのようだ)
1878年ボードビル芸人ジェリーとメリー・コーハン夫妻に息子ジョージが誕生した。
ジョージ(以下、コーハンと記す)は家族でアメリカ中をめぐり舞台に立った。
ボードビル界のスターになっても満足せず、脚本家・作詞作曲家・演出家・俳優として1904年『リトル・ジョニー・ジョーンズ』(Little Johnny Jones)』でブロードウエイにうって出た。
コーハンは愛国心の強い激しい役柄を演じ観客の心を掴んだ。
その役柄は、粗野で傲慢、自惚れ屋…どこからみても常軌を逸した人物だった。
 評論家ブレンダ・ギルは、
 「彼は最高の役者でありショーマンでありコメディアンだった、数々の名曲を残している」とコメント
コーハンは名曲を残しただけでなく、ブロードウエイ・ミュージカルに自らのエネルギーをそそぎ独自のスタイルを生み出した。
脚本家・作詞作曲家・俳優として約30年の間に40本以上のショーを作りブロードウエイ・ミュージカルの基礎を作った。
アメリカのミュージカル俳優で唯一人ニューヨークに銅像があるのはコーハンだけである。

フローレンツとコーハンの伝記映画がある。

 【巨星ジーグフェルド】(原題:The Great Ziegfeld)
 1936年:米MGM (モノクロ 185mins )
     劇場公開:36年
  監督:ロバート・Z・レナード
  音楽監督:アーサー・ラング
 主な出演者
  ウイリアム・パウエル(フローレンツ・ジーグフェルド役)
  マーナ・ロイ(2番目の妻:ビリー・バーク役)
  ルイゼ・ライナー(最初の妻:アンナ・ヘルド役)
  フランク・モーガン(ライバル:ビリングス役)
  ファニー・ブライス(本人)
  バージニア・ブルース(オードリー・デーン役)

伝記といっても虚構がどれくらいあるか判らないが、
ここではプロットに従わず美味しいところを…

◆ファーストシーンは、やはりシカゴ万博カイロ通りで向かい合う見世物小屋。
フローレンツ(妻アンナが彼をフローと呼んでいるので以後、“フロー”とする〉の世界一怪力男ショーは、商売敵ビリングスのエジプト娘腰振りダンスに客を取られっぱなし、
げんかつぎに怪力男サンドウが、触って鼻を上げるると幸運を招く象を、撫でる。
           ★?□?▼
           上がった!  その瞬間!
      サンドウめがけ鼻ホースが水を噴射!
「何しやがる」怒って顔や体を拭き、
「筋肉ダンスなら腕だけでもエジプト娘に勝てるさ」
二の腕の筋肉をリズミカルにピクピクさせてみせる。
「すてき!貴方の筋肉に感動したわ」肉食系マダムが声をかける。
「よろしければ触ってみませんか?」とフローが誘う。
マダムは筋肉に触れただけで…失神!
「これはいけるぞ、新聞が記事にしたら女性客が殺到するぞ」
《見せるショーではなく、感じるショーだ》
フローはヘラクレス:サンドウ・ショーで各地を巡業し成功する。

◆フローは女性陣を花形にした『ジーグフェルド・フォリーズ』をプロデュースする。
「僕は絹のカーテンの前に美女を並べる、絢爛豪華な衣装を着せて─
米国の女性を賛美するんだ」
従来のレビューは時代遅れで20年も前の装置、と言い放った破天荒な舞台がこちら、
[180人の歌手・ダンサー・ミュージシャン達を175段螺旋階段に乗せ回転させながら聳え(そびえ)さす“ウエディング・ケーキ”]
《ミュージカルはMGMに限る》筆者も見たことないセットだから超満員の観客は度肝を抜かれたに違いない。
アービング・バーリンのスタンダード曲
♪A Pretty Girl in Like a Melody (美女はメロディのよう)を熱唱するデニス・モーガン(吹き替え:アラン・ジョーンズ)、カメラが引くとバックのカーテンが巻き上がってウエディング・ケーキが回り出す。
名曲メドレーに迎えられ渦形に趣向を凝らし現れる美女群…モノクロながら華麗!
♪ユモレスク(ドボルザーク)~蝶々夫人:ある晴れた日(プッチーニ)~愛の夢(リスト)~美しく青きドナウ(シュトラウス)~道化師:衣装をつけろ(レオンカバッチョ)
~ラプソディ・イン・ブルー(ガーシュウイン)は円柱側に男性コーラス、なか4人並びの女性ダンサー、外径際ミュージシャンで階段幅いっぱいのクライマックス。
5段の巨大ケーキ頂上にバージニア・ブルース演じるクイーンが待っている。

*このシーンはYouTubeで見られます。
A Pretty Girl in Like a Melody からThe Great Ziegfeld を選んでください。
*ジーグフェルド・フォリーズは1907年から31年までの間に年1回続けられ22本公演された。
第1回公演の脚本家ハリー・B・スミスが新聞のコラムを担当していた「今日のフォリーズ(=バカな出来事)の題から名づけられたという。

◆本人自身が出演している見逃せないアーティストがいる。
[レイ・ボルジャー(Ray Bolger):レストラン・シアター・レビューの場]
左・右・上・下、崖状に並ぶ美女を漁るように往来しながら、
♪She's a Follies Girl
            /ジーグフェルド・フォリーズのスターだ
歌い終わって、ソロ・パフォーマンスのタップ・ダンスが…
《タップはアステアに限る》筆者が気絶する衝撃の2分25秒。
ボードビリアンのボルジャーはこの『巨星ジーグフェルド』で映画デビューし、
3年後『オズの魔法使い』で案山子男を演じている…コミカルでアクロバッチクなタップを想像していただけるのでは…
[ハリエット・ホクター(Harriet Hoctor):ハリエット・ホクター・バレエの場]
幼い娘パトリシアにサーカスセットをプレゼントしたフローがフィギュアを並べる…
団長、猛獣使い、ピエロ etc.
パトリシア「これは?」
フロー「誰だったかなあ、ハリエットだ、いい役を与えよう」
一転してオモチャの世界から画面はショーの舞台へ。
団長~ブランコ曲芸師~ピエロ etc.のエントリー。
♪A Circus Must Be Different in a Ziegfeld Show 
                         /ジーグフェルドにサーカスは似合わない
フォリーズ・ガールのラインダンスを割って、
4分30秒を超えるハリエットのトーシューズ・ダンス。

*このシーンもYouTube で見られます。
Hariett Hoctor Ballet から Ziegfeld.avi を選んでください。
*1937年の映画『踊らん哉(原題:Shall We Dance)』にも出演しています。
フィナーレの“踊らん哉ショー”で、
ジョージ・ガーシュインのスタンダード曲
♪They Can't Take Away from Me(誰も奪えぬこの想い)をバックに、
前半フレッド・アステアのパートナーが、バレリーナ・ハリエット。
トー立ちでイナバウアーというか?大きく背を反らせながら踊るのは、驚異!
後半はアステアの名女房役ジンジャー・ロジャースとのデュエットです。
[ファニー・ブライス(Fanny Brice):リハーサルの場]
ジーグフェルドに使われたら一流歌手の仲間に入れる…と、
ブライスが、華やかな衣装で登場する。
「何だ、その衣装は?」フローが舞台に飛び上がり、
「裾を取れ 帽子も襟巻も取れ 必要ない、ナイチンゲールみたいな衣装で悲しい歌を歌えるか」…むしり取った。
「パリのホームレスを演じるんだ」
フォリーズでホームレスを?
スカウトされる前はバーレスクのスターだった彼女、
みすぼらしい衣装を着せられて思わず涙…
ステージ下手(=しもて、舞台の左側)淡い街頭に添い胸元をおさえ悲しく歌う。
♪May Man (私のあの人)
      つらい日々の末にやっと待ったあの人/ It's My Man /
             そばにいると哀しみを忘れさせてくれるわ/
リハを見守る共演者の眼にも、にじみの痕…
「観客の前で涙を流せば大当たりだ!いけるぞ大物になる」

*「My Man」(=Mon Homme)
原曲はモーリス・イバン作曲のシャンソン、「枯葉」と並んでジャズスタンダードになっている。
英詞が付いて最初に唄われたのが『ジーグフェルド・フォリーズ1921年版』である。
15年目を迎えたジーグフェルド・フォリーズ1921年版はシリーズの中でも最も豪華な作品の一つ。ショーのハイライトはファニー・ブライスの♪My Man だった。
ジャズボーカルではアビー・リンカーン、カーメン・マクレエ、ペギー・リー、エラ・フィッツジェラルド、ヘレン・メリルなどが歌っている。
ビリー・ホリデイがお薦め…
 

 

 *ブライスの伝記映画もある。
バーブラ・ストレイサンド主演のコロムビア映画『ファニー・ガール(1968年)』の中で、フローにアピールするエピソードが面白く、ドキュメンタリー映像にも彼女の違った一面があり次回にでも紹介したい。

フローは天性の《言葉と行動のマジック》でスカウトした女性をスターにしている。
好敵手ビリングスが契約寸前のフランス女優アンナ・ヘルドを横取りしブロードウエイ舞台で成功させ、最初の妻に…
フォリーズ・ガールのオードリー・デーンを抜擢、スターに仕上げたが飲酒癖の彼女との間を疑われ、アンナと離婚…
ホテルの舞踏会で一目惚れの女優ビリー・バークを2度目の妻に、娘もできる。
興行の禍福が続き、ある日理髪店で見知らぬ4人の男達から悪評を受けて腹が立ち、ブロードウエイで4公演を成功させると啖呵を切り…大当りさせる。
しかし、この成功後はヒット作無く、1929年のウオール街大暴落で全財産を失う。
心労が重なり病に伏す…
ライバルだが実は無二の親友ビリングスにみとられ生涯を閉じる。

*実際の4公演は1927年2月から28年12月にかけ、
『リオ・リタ』『ショーボート』『三銃士』『ウー・ピー』
『ショーボート』はブロードウエイ・ミュージカルのエポックメーキングになった。
*フローレンツを演じたウイリアム・パウエルは1945年の映画『ジーグフェルド・フォリーズ』で再び同役だった。
*アンナ役のルイゼ・ライナーは36年アカデミー主演女優賞に輝やき、
翌37年『大地(MGM)』でもオスカーを手にし最初の2年連続受賞者となった。

            ここだけの話だけど、
    ルイゼは沖縄出身のH.Mさん似で、かわいい(*^_^*)

              ─つづく─

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 



                             

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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続:気になる伝記映画

2016-04-03 | 音楽

マイティ・ファイブ(mighty five)と称せられるソングライターがいる。
 リチャード・ロジャース(詞:ロレンツ・ハート、オスカー・ハマースタインⅡ)
 ジョージ・ガーシュイン(詞:アイラ・ガーシュイン)
 コール・ポーター(作詞作曲)
 アービング・バーリン(作詞作曲)
 ジェローム・カーン(詞:オスカー・ハマースタインⅡ、オットー・ハーバック etc.)
5大作曲家のなかで、正編・続編(?)ともみられる稀な伝記映画がある。
別の制作会社・年度・スタッフ&キャストが撮った、コール・ポーターだ。

 【夜も昼も】 (原題:Night and Day)  
    1946年:米ワーナー・ブラザース (カラー 128mins)        
    劇場公開:51年

    監督:マイケル・カーティス
       音楽:コール・ポーター
       音楽監督:レオ・F・フォーズスタイン

        主な出演者
    ケーリー・グラント(コール・ポーター役)
    アレキシス・スミス(ポーター夫人リンダ役)
        モンティ・ウーリー(本人:教授役)
    ジニー・シムズ(キャロル役)
    ジェーン・ワイマン(グレイシー役)
    カルロス・ラミレス(本人:歌手)
    メアリー・マーティン(本人:歌手)
解説:
[アメリカの音楽家コール・ポータの半生をつづった伝記的映画。
作曲家を夢見ていた青年が、戦争に巻き込まれながらも音楽を捨てず、
やがてミュージカル作曲家として大成する。物語は、音楽家としての歩みと、彼の妻とのロマンスを絡めて描く] (allcinama)
映画データーベースallcinamaを引用したのは、伝記映画が記録や事実に基ずくものではなく、創作や脚色を交えるので、伝記的と的を射た叙述に共感したので…
映画を彩るエピソードを拾ってみよう。

●エール、エリート、エール
1915年、エール大学キャンパスでフットボール応援歌コンテスト。
マスコットのブルドッグ・ダンを先頭に、
胸に白字でYをデザインしたコバルトブルーのセーターに白パンツ、
ポーター率いるグリークラブが登場。
“ブルドッグはほえるんだ/ワオ、ワオ/エール大学の為に…”
エール大学在学中にポーターが作曲したファイトソング♪ブルドッグ、ブルドッグ
〈このシーン前後を詳しく見る…法学部
教授モンティ・ウーリーはフットボールの応援に夢中。
「ハーバードとかいう大学の学生に聴かせたい」と熱弁〉
 
Yは、エール大学正式名イエール(Yale)のイニシアル。
アイビーリーグのハーバード大とエール大は伝統的ライバル関係で、
The Gameと呼ばれているアメフトは世界三大学生競技として人気がある。
参考:世界三大学生競技は、
  ハーバード大対エール大のフットボール

  ケンブリッジ大対オックスフォード大のボートレース
  早大対慶大の野球

エール大学出身者クラブでショーの資金を募るウーリー&ポーター。
リスクが少ない不動産や債券しか出資をしないと渋る資産家に、ウーリーが、
「…これは芸術だ、彼はエールの学生です」
「なら話は別だ」

エール(応援)で始まった映画~エリート(学閥)、締めはエール(大学)。
同窓生たちは、「最後の演
奏にならないか心配だ」
翌日難しい手術のポーターを激励するコンサートを大学の講堂で開催。
2本の杖を突きステージにあがるポーター、拍手、拍手。

●ナイト・アンド・ディ・ファンタジー
ゴージャスな部屋、アンティーク柱時計、外は雨。
“内なる声が僕に語りかける~君…そう君なのだ”
♪As a voice within me keeps repeating …
               you you you
第1次世界大戦、曲想を練っていたポーター中尉が襲撃を受け脚を怪我する。
奇しくも野戦病院で看護師になっていたリンダと再会した。
前途に自信を失うポーターを作曲で立ち直らせようと、ピアノを用意する。
「ナイト・アンド・ディ」作曲のシーンだが、脚色が見事だ。
バースをそのまま【画】にしている。
♪Like the beat beat beat of the Tom Tom/
 映像:野営休憩中にモンゴル出の兵士がトムトムを叩き歌っている。
♪Like the tidk tick tick of the Stately clock/
映像:大きな柱時計がチクタクチクタク、10時にボーンボーン…
♪Like the drip drip drip of the raindrop/
映像:窓ガラスを打つ雨粒。

●煙が身にしみる
ポーター最初のブローウェイ・ミュージカルは、
『まずアメリカを見よ(See America First)』だ。 
初日、幕が上がる、
♪ユー・ドゥ・サムシング・トゥー・ミー
“君といると幸せな気分になる~” 男女大勢の出演者が合唱。
ピンクのドレス:グレイシーが男性ダンサーとアクロバチックにタップを踊る。
と、突然!
数人の男が劇場に走って入り客に耳打ち、
観客が一人・二人と立ち、三人・四人退場する。
「何があったんだ」
街頭では大勢の通行人が号外を取り合っている。
             〔ルシタニア号 撃沈される〕
公演は中止。
「珍しい話だ、オープニングと最終日が同じだなんて」
ポータが無人の客席を振り返って慨嘆。
祝賀会の予定だったレストランに向かう途中、
リンダが高級シガレットケースをプレゼント。
「字が彫ってあるから返品できないわ」
ケースの裏に銘、
   《「まずアメリカを見よ」 その記念に リンダ》
*ルシタニア号事件:
 第1次世界大戦中、イギリス豪華客船ルシタニア号が航行中、
 1915年5月7日ドイツの潜水艦によってアイルランド沖で無警告撃沈され、
 1198人が犠牲になりそのうち128名はアメリカ人で有名人も含まれていた。
 まだ参戦していなかったアメリカで世論が開戦に傾くきっかけになった。
*映画『夜も昼も』のプロットで、事件のせいで初日と千秋楽が同じ日に描かれているけれど、
 ミュージカル『まずアメリカを見よ』の初演は、1916年
 だが2週間で打ち切られているので、成功作ではなかったのは事実。

 2個目は、
リンダがフランスの興行主に有利な条件でプレゼンテーション。
旧知の歌手が唄ってくれたが、客の反応はイマイチ。
「君の詞は難しくて洗練され過ぎてる…アメリカでなら、きっと」断られる。
リンダの出資がバレ、感謝はするがお節介「自分の力でやるよ」とコール。
「力になれないなら、(恋は)終わったみたいね」
別れ際に「受けとって」と新しいシガレットケース。
「字はいらなかったわね」…刻まれたのは
   《愛をこめて リンダ》
*ここで唄われた曲が…微妙,
ポーター最初のブロードウェイ・ヒット『5千万人のフランス人』から
♪アイム・アンラッキー・アト・ギャンブリング(ついてないギャンブル)」

3個目にまつわるシーンもある。
いずれもリンダの心情を無言で語る必須のアクセサリーになった。

ブロードウェイの寵児となりハリウッドに進出したポーターの名曲が続く。
19曲目の♪マイ・ハート・ビロングス・トゥ・ダディは、
『私に任せて(Leave It to Me)』の稽古シーンで、
コーラスガールの中から抜擢したメアリー・マーチンが唄っている。
*メアリー・マーチン:ミュージカルの女王。
実際に1938年のミュージカル『リーブ・イット・トゥ・ミー』で鮮烈デビューした。
ロジャース&ハマースタイン2世の『南太平洋』『サウンド・オブ・ミュージック』ほかに主演している。
なおミュージカル・スター:ジーン・ケリーのブロードウェイ初舞台も『リーブ・イット・トゥ・ミー』だった。

20曲目の♪ビギン・ザ・ビギンも5分を超える絢爛シーン。
農夫姿のカルロスが歌う甘い旋律、
氷上を滑るように踊るゾーリッチ(男性)とムラトバ(女性)。

*カルロス・ラミレス:コロンビア出身テノール歌手。
『姉妹と水兵』『世紀の女王』『錨を上げて』などのミュージカル映画に出演。

乗馬中、事故にあって重傷を負う~療養中も作曲を続ける~
難しい手術を受ける前日のエール大学講堂のフィナーレ!
           リンダは!!!、
                   ◇◇◇

【五線譜のラブレター】 (原題:De-Lovely)
      2004年:米MGM(カラー 125mins)
      劇場公開:2004年

     監督:アーウィン・ウィンクラー
  音楽:コール・ポーター

  主な出演者
  ケビン・クライン(コール・ポーター役)
  アシュレイ・ジャッド(妻リンダ役)
  ジョナサン・プレイス(演出家ガブリエル役)
  ケビン・マクナリー(ジェラルド・マーフィ役)
  サンドラ・ネルソン(サラ・マーフィ役)
  アラン・コーデュナー(モンティ・ウーリー役)
  ピーター・ポリカープ(ルイス・B・メイヤー役)
  キース・アレン(アービング・バーリン役)

解説:
[数々の名作ミュージカルや映画音楽を手掛けた偉大な作曲家コール・ポーターと彼の妻リンダとの不滅の愛を描いたミュージカル・ラブ・ストーリー…] (allcinema)
またallcinemaを引き合いにしたが、
これは続編というより『夜も昼も』で触れていない、両性愛のポーターとそれを認めて結婚したリンダを描いた別伝メロドラマ(音楽と物語という意味の)である。
ちかごろ関心たかまる《LGBT》を理解できる作品であるかもしれない。
年老いたポーターと演出家が回想を軸にして過去と現実が交差する複雑な展開、脚本の妙か日本字幕の巧みさか気の利いたセリフ、監督の悪戯心を解く面白さ…
ポーター・フィルモグラフィーで断トツ最多28曲で構成され、
セリフの中で「歌は下手」と云いながらポーター役:クラインが独唱・合唱15曲も歌い、
ダイアナ・クラールなど本名で出演の歌手が大勢登場する。
最後に信じられない歌声…

●アービング・バーリンとの交友
ベニスにいるポーターをバーリン夫妻が訪れる。
リンダがスランプの夫のために呼び寄せたのだ。
鍵盤を拾い歌詞をつけているポーター、
「迷惑かな」バーリンが声をかける、
「アメリカきっての作曲家が来訪とは、嬉しいな」
「初めて生で聞けたよ、完成したら聴きたい」
スタンダード・ランキングNo.8 
♪What is This Called Love  誕生。
バースからポーターの弾き語り、ワン・
コーラス のあとツー・コーラス目からレマーが歌う、最初の観どころ。
*レマー(男性):本人出演だがロンドン生まれの歌手以上は不明。

ポーターのもとにバーリンから電報がきて、ニューヨークに来るよう推薦。
「自信がない」というポーター、「あなたならできる」リンダ。
ミュージカル『パリ』は、ポーター最初のブロードウェイ・ヒット作になった。
♪Let's Do It (Let's Fall In Love)
時代を戻したモノクロ効果を挟みアラニス・モリセットが唄う。
公演初日、スタンディングオベーション。
「何とか出来たな」ポーター、リンダ「あなたへ」シガレットケースを…裏に、
           “『パリ』恋をしましょう”
*アラニス・モリセット(女性):フランス系カナダ人歌手・俳優。1996年グラミー賞3部門受賞。
〈トラディショナルやニューオリンズを除いてジャズのスタンダード曲で最も古いのは、1911年バーリンの♪アレキサンダーズ・ラグタイム・バンドで、
『パリ』の♪レッツ・ドゥ・イット(1923年)より遥か前、しかもその間にスタンダード入りを10曲も書いている。ポーターにとってバーリンは巨匠だった〉

●♪「ナイト・アンド・ディ」の本籍
リハーサル中の主役が「高音から低音まで音域が広すぎて歌えない」と渋る。
演出席のポーターが飛び出そうとする…隣のモンティ・ウーリーが、こう云った。
「彼は役者だ 歌手じゃない、曲が難しい、アステアに歌わせろ
気を静めたポーターは「恋する気分で一緒に歌おう」と、
ワンフレーズずつ指導する。
『五線譜の~』ウーリー(アラン・コーデュナー)は、ほとんど脇役だが、
ここのセリフは要チェック(*^_^*)
 
♪Night and Dayは、1932年ブロードウェイ・ミュージカル『陽気な離婚(原題:The Gay Divorce)』で
ガイ・ホールデン役のフレッド・アステアの創唱。
34年映画化でもアステアが歌っている。
       
         
【コンチネンタル】(原題:The Gay Divorcee)                                               

     1934年:米RKO(モノクロ 107mins)
        劇場公開:35年

       監督:マーク・サンドリッジ
       主な出演者:
       フレッド・アステア
       ジンジャー・ロジャース

原題がミュージカルの『Gay Divorce(離婚)』から『Gay Divorcee(離婚女性)』に変わる。
離婚しようとしているミミ(ジンジャー・ロジャース)を一目惚れしたガイ(フレッド・アステア)が騒動に巻き込まれ、愛をつかむドタバタ喜劇。
ミュージカル・ナンバーからは♪ナイト・アンド・ディが使われているだけだが、
アステアがバースからエモーショナルに歌って、スタンダード曲中の名曲になった。

●ライオンと道化師
敷地内を数人の記者を従え黒のフレーム眼鏡男が、ポーターに、上から目線で云う。
「おかしな歌はおかしく、小細工はいらん できるか?ン!」
ム!とするが♪Be aClown(ピエロになろう)を歌い、眼鏡男を踊らせる。
男を殴り往復ビンタを張ったり、海賊船長に仕立てるなどコミカルなショー。
*♪Be a Clownは48年の映画『踊る海賊』の主題歌
〈なんてこった!大胆な演出〉
ピーター・ポリカープ演じる眼鏡男は、MGM映画会社創立者の一人で、ハリウッドの最高権威者のルイス・バート・メイヤーだ。
メイヤー氏没後とはいえ、
同じライオンが吼えるマークMGMの『五線譜のラブレター』でこんな【画】!!

●ゲスト女性シンガー
♪Begin the Beguine
シェリル・クロウがブルージーに唄う…伴奏のファゴット、トランペットが優しく悲しい。
♪Just One of Those Things
ダイアナ・クラールの唄が弱音化されるのは残念…ピアノ、ギターがモダン・ジャズだ。
♪Love for Sale
ビビアン・グリーンがゲイのパーティーを耽美に…歌詞と背景が妖しく。
“~恋のスリルを求めるなら~”
♪Ev'ry Time We Say Goodbye
まさに曲名どおりのシーン…純真ナタリー・コールが唄う。

●双・イン・ラブ
ケーリー・グラント、ケビン・クラインのあいだにもう一人ポーターを演じた俳優がいた。
53年のMGM映画『キス・ミー・ケイト』のロン・ランデリ、だがファーストシーンだけの出番。
シェークスピアの『じゃじゃ馬ならし』を翻案した『キス・ミー・ケイト』はポーターのミュージカルで最高のヒットだった。
フィナーレは主題歌「ソーイン・ラブ」
余命を限られたリンダにポーターが主題歌♪So in loveを弾き語る。
“不思議な気持ち でも僕の真実~”
「この曲は僕には歌えん」、リンダ「最後まで私の為に歌って」
二人のシーンと劇場をカットバックしながらポーターがフルコーラス歌う。
〈ジュリアード音楽院卒、1981年トニー賞受賞の実力をクラインが聴かせる〉
リンダが行けなかったニュー・センチュリー劇場公演、
絶賛の中、彼女の代理人からいつもの祝い品を受け取る。
三つの菱形枠にKISS ME KATEの文字がデザインされたシガレットケースだった。
場面は変わり病床。
「私の命はそう長くない」やつれたリンダ。
「パリ時代からの同志だよ、よく生きた」
 ポーターからの言葉とプレゼントが、アメイジング!
〈ここは映画をご覧になる方の楽しみに内緒にしておく〉
10分40秒の余韻に♪エブリタイム・ウイ・セイ・グッバイ…ナタリー・コールが重なる。

ファーストシーンと同じ薄暗がりの部屋、
ポーターが最終曲「イン・ザ・スティル・オブ・ザ・ナイト」を弾き語る。
“夜の静けさの中で~”
真珠の首飾り黒いドレスのリンダがそっと傍に、
“私があなたを愛するように~” スイートにデュエット。
       ─暗転─
エンド・ロールにサプライズ。
        

        コール・ポーター本人の歌♪ユーア・ザ・トップ。
        “~君は最高 君はコロシアム 君は最高~”

               ─終─

 




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     

 

 

 

 

 

 

 


 

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気になる伝記映画

2015-09-01 | 音楽

俗に1001(センイチ)と呼ばれるスタンダード・ナンバーの海賊版楽譜集があった。
50年代・60年代、ジャズを演奏する方にとって必携の〈隠れバイブル〉になっていた。
1001は数(ナンバー)かと…(*^_^*)…じゃなくって、いちいち数え切れない多いことを意味しているようだ。

ずばり、『決定版!ジャズ・スタンダード1001』というスイングジャーナル社(1990年刊)から出版されたムック本がある。
こちらはスタンダード曲の名盤ガイドである。
生真面目というか文字通り、1001曲紹介している。
あいにく日本の音楽に「スタンダード」のカテゴリーが無いものだから、
いろいろな解説がなされている。
一番短くスタンダードを定義しているのが、
【スタンダード(standard)生れては消えていくポピュラー・ソングの中で、長いあいだ愛好され、繰り返し歌われ演奏されている曲をいう】(新音楽辞典:音楽之友社)である。
『決定版!ジャズ…』巻頭に、「もともとニューヨークの音楽出版街ティン・パン・アレイで季節にかかわらずスタンダードな売れ行きを示す曲のことをさす」という件(くだり)がある。
ティン・パン・アレイって何だろう?
1890年代後半、ニューヨーク市マンハッタンの一角にブロードウェー・ミュージカルの楽譜を出版する会社が集まっていて、
それぞれ行うパフォーマンスが、まるで鍋釜を叩いているような賑わいだったので、
その区域をTin Pan Alley(錫鍋=スズなべ小路)と呼んでいた…という。

ジョージ・ガーシュインの伝記映画に「ティン・パン・アレイ」が出てくる。

【アメリカ交響楽】(原題:Rhapsody in Blue)
1945年:米ワーナー・ブラザース(モノクロ 139mins)

  劇場公開:47
  監督:アービング・ラッパー
  原作:ソニア・レビーン
  脚本:ハワード・コッホ
  音楽:ジョージ・ガーシュイン
  音楽監督:レオ・F・フォーブスタン


 
主な出演者
 ロバート・アルダ(ジョージ・ガーシュイン役)
  *ピアノはレイ・ターナーが代演
 ハーバート・ラッドレー(兄アイラ・ガーシュイン役)
 ジョーン・レスリー(女性シンガー:ジュリー・アダムス役)
 アレックス・スミス(魅惑の女性画家:クリスティン・ギルバート役)
 チャールズ・コバーン
 (ガーシュインを支援する音楽出版社社長:マックス・ドレフェス役)
 アルバート・バッサーマン(フランク教授役)
 モーリス・カーノフスキー(父ガーシュイン役)
 アル・ジョルスン(人気歌手:本人)
 オスカー・レバント(親友ピアニスト:本人)
 ポール・ホワイトマン(ポピュラー楽団指揮者:本人)
 ジョージ・ホワイト(劇場支配人:本人)
 ヘイゼル・スコット(歌手・ピアニスト:本人)
 アン・ブラウン(オペラ『ポーギーとベス』初演時の「ベス」:本人)
 トム・パトリコラ(コミックダンサー・歌手:本人

〈気になるエピソード:1〉 ある出会い
ジョージは、ティン・パン・アレイのレミック楽譜出版社に歌曲宣伝ピアノ弾きとして働いている。
ずらり並んだブースは鍋釜の騒ぎ、
ピアノ弾き、女性コーラス・トリオ、ピアノとアコ―ディオン・デュオ…
ジョージは男タップ・ダンサーの伴奏。
もっとノリがいい曲をリクエストされ、「ほとんどの曲は弾いたが…」とジョージ、
客は帰ろうとする。
「待って、これはどうだ」自作の曲を演奏、「気に入ったよ、これ貰うよ」
まだ出版されていないので社長に了解を求めるが、
「君はレミック社の曲を弾いてればいい、出版はしない」と、ケンもホロホロ。
帰る客と入れ替わりに来た女性の歌声が素晴らしいので、
「僕の曲をやってみよう」と一枚の楽譜をわたす。
熱心に唄い方を教えていると、音を聞きつけた社長が、
「やめろと言ったはずだ、これ以上許さんぞ」
「僕もウンザリだ」×「そうか、だったら君はクビだ」

◆女性は歌手志望のジュリー・アダムス、
 後にジョージが彼女のために書いた「ス・ワンダフル」などでスターになり、
 いつしか彼を想うようになる。
◆曲は20歳のとき作曲した「スワニー」

〈気になるエピソード:2) アル・ジョルスン「スワニー」を歌う&歌う
ジョージは手書きの譜面を持って、
ハームス音楽出版社のマックス・ドレフェス氏を訪れる。
社長は♪スワニーをハミングし、
「流行とは違うが、いいテンポだ」と興味を示し、
「先ずは弾いてみてくれ」
メロディー途中で劇場の楽屋に電話。
「これは何だ、弾いているのは誰だ」…黒塗りメーキャップ中のアル・ジョルスン
「ガーシュイン」…マックス
「初めて聞く名だ…悪くないぞ…譜面を送ってくれ、ヒットさせてみせる」
                     *
冬の園(ウインター・ガーデン)劇場でミュージカル『シンバッド』に出演のジョルスン。
ステージ下手(しもて=観客席からみて右側)のソデで、
マックスとジョージが緊張な面持ち。
「評価がくだる時だ」…マックス
大勢のダンサー、華麗なシーン。
ジョルスン♪スワニーをバースから歌いコーラスへ、
巧みな指笛をはさみ、リフレーン。
         拍手─拍手─拍手
ソデに戻ったジョルスン「あんな曲をもっと書いてくれ」

アルの伝記映画もある。
【ジョルスン物語】(原題:The Jolson Story)
1946年:米コロムビア(カラー 128mins)

  劇場公開:50年
  監督:アルフレッド・E・グリーン
  音楽:ジョージ・ガーシュイン

 主な出演者
 ラリー・パークス(アル・ジョルスン役)
 イブリン・キース(ジュリー・ベンソン役:ジョルスンの妻)
 ウイリアム・デマレスト(スティーブ・マーチン役:旅芸人)
 ビル・グッドウィン(トム・ブラウン役:劇場支配人)
 ルドウイッグ・ドナス(カントル・ヨルセン役:ジョルスンの父)

美しい歌声を持つ少年エイサ・ヨルセンは、 
ボードビリアンのスティーブ・マーチンと各地を旅芸する。
人気も成長も上がってきたあるとき[声変わり]で喉がつまり、
とっさに指笛[小鳥のさえずり]で後を続けた。
歌えなくなって落ち込むエイサに「あの指笛は見事だった、1~2年でもっといい声になる」、
スティーブはアル・ジョルスンと改名させ天才芸の指笛を売り物にする。
声に自信を取り戻したアルはステージで歌いたくて訴えるが、
取り合ってくれない。
そんなとき、競馬で大儲けしたミンストレル芸人の一人が泥酔状態で、
舞台に穴が空きそうになる。
アルは、一計を案じ顔に墨を塗りステージで一曲歌う。
スティーブにはバレたが、
客席にいたオスカー・ハマースタイン(エドウィン・マクスウェル)は芸人の新曲と勘違いし、ブロードウエー出演契約を申し出る。
芸人は、何のことやらサッパリ?
ハマースタインと一緒にいた興行主は、耳元に消しそこなったドーランに気づき、アルと直接交渉する「君は来週からうちの舞台に出てほしい」
ただ、興行主が採用するのはアル独りと知ったステイーブは「またとないチャンスだ」と身を引きアルを送り出す。
*古いミンストレル・ショーが衰退してもニューヨークや大都市では、大勢のダンサーを擁したブラック・フェイスのパフォーマーが人気になっていた。
アルは黒塗り8人メンバーからカルテット、デュオと一座の中心に抜擢されるにつれて、
いつも同じ歌を繰り返すことに不満を持つ。
アップテンポでリズム感ある曲を歌いたいと申し出る。
「ミンストレルには50年の歴史がある、伝統こそ誇りだ」と問題にされない。
ニューオーリンズ公演のとき、自由時間にジャズを聴き惚れ、出番に遅れてしまう。
興行主は「君は永遠に不満のようだな…辞めたほうがいい」
半年後、思いがけないオファーが来た。
あの泥酔芸人トム・バロンが、ブロードウエーのウインター・がーデン(冬の園)劇場代表になっていて、
「お前のお蔭だよ、初日が3週間後なんだ、よかったら出演しないか」
主演ギャビー・デスリーズ『ベラ・ビオレッタ』初日、舞台は時間が押し、あわや、
アルの歌がカットされそうになる。
進行担当の制止を振り切り、ジョークで満場の耳目を丸抱え、
「マイ・マミー」をブラック・フェイスで歌った…
観客、総スタンディングオベーション。
ギャビー・デスリーズとアル・ジョルスンの2枚看板は、
記録的な大ヒットになった。
ブロードウエーで数々の成功を収めたアルは、ボードビルの師匠だったスティーブをマネージャーに招きトムと三人四脚で20世紀を代表するエンターテイナーになった。
アルはかねてからの理想である[観客の顔を見、客席に入って歌う]ために花道を企画。
トム「そんな物作ったら100席は減る」
アル「だが2倍のロングランだ」

数十人の男女ダンサーをバックに、♪スワニー
花道の中央で華麗な指笛。
    L★I☆S★T☆E★N  
  …スワニー・ハウ・アイ・ラブ・ユー、ハウ・アイ・ラブ・ユー、
    マイ・デァ・オールド・スワニー…
★ラリー・パークが歌う曲は総べて☆ジョルスンが歌っているのだ★

【Show by Show スタンリー・グリーン著:青井陽治訳】(ヤマハ出版)
というブロードウエー・ミュージカルのエンサイクロペディアみたいな本がある。
『シンバッド/SINBAD』
作曲:シグムンド・ロンバーグ他、作詞:ハロルド・アタリッジ他
ニューヨーク公演:ウインター・ガーデン劇場
出演:アル・ジョルスン他
1918年2月14日開幕 388回
解説を抜粋・要約すると─
[…アル・ジョルスンのエンタテインメントは、どれも豪華なショーで大勢の出演者がいたが、内容的にはワンマン・ショーだった…
いつものように黒塗りのジョルスンは何度も芝居をストップさせて、
「アバロン」やジョージ・ガーシュインの最初のヒット曲となった「スワニー」などお得意のミュージカル・ナンバーを披露した]

【想い出のジョージ・ガーシュイン】というドキュメンタリー・ビデオがある。
ガーシュインの生涯を、写真・映像などでつづり、1989年にBBC・TVが制作した。
妹で歌手のフランシス、作曲・指揮者:レナード・バーンスタイン、伝記作家:エドワード・ヤブウォニスキ、リンダ・ロシュタット(女性歌手)、シモーヌ・シモン(女優)、ケイ・スウィフト(ガーシュインと最も親しかった女流作曲家)などの回想も挿入されている。
“当時「ヒンダスタン」という曲が大流行してたので、我々もワンステップの曲を作ろうということになった”と、
アービング・シーザーが興味あるエピソードを語り出した。
*「二人でお茶を」の作詞者シーザーがまだ無名の若者だった頃─
“「スワニー」が生まれた、ものの10分でね、〈Ten Minutes !Ten Minutes !と強調〉
私が歌詞を書いてくそばから彼がメロディーをつけて行った
 
*下線のあたりは♪スワニーのバースをハミング

下線で思い出した─
【アメリカ交響楽】(原題:Rhapsody in Blue)を紹介したさい、
劇場公開:47年と、47に印をつけたわけは、
まだ終戦1年7か月後の…昭和22年に…ビックリ。
[
この年、三月二十五日から東京・有楽町のロードショウ劇場スバル座で、ロバート・アルトマン、アレクシス・スミスが主演したジョージ・ガーシュインの伝記映画「アメリカ交響楽」(1945年)が全階指定席で上映された。ポール・ホワイトマン楽団が演奏する「ラプソディー・イン・ブルー」、アル・ジョルスンがうたう「スワニー」など、がーシュインの名曲に彩られた映画だった](映画音楽ヒット主題曲の変遷/浅井英雄著:誠文堂新光社)より。

〈気になるエピソード:3〉 ラプソディー・イン・ブルー
*シーンの背景となる音楽界のあらまし
ブロードウエーの劇場主:ジョージ・ホワイトが、
制作年別にプロデュースしたレビュー『ジョージ・ホワイトのスキャンダルズ』(1919年から21年間で13作)に、20年から24年までの5年間、ジョージ・がーシュインが作曲を担当している。
演奏はポール・ホワイトマン・オーケストラ。

24年版『ジョージ・ホワイトのスキャンダルズ』の1幕「Blue Monday」(暗い月曜日)は「まともじゃない」と評論家から酷評を受けた。
「いい出来だと思うよ、だが、観客は理解できない」というフランク教授は慰めてくれた。
ホワイトマンは「観客にブルースをわからせればいい」
ジョージ「暗い月曜日を?」
*このジョージは劇場支配人のジョージ・ホワイトのほう、ジョージ・ガーシュインと紛らわしく、ホワイトマンとホワイトも間違えやすい
ホワイトマン「いや違う、コンサート用のジャズの新曲だ」
内心落ち込んでいたジョージ(ガーシュイン)の眼が輝く。
「交響曲か…やろう…ブルーなテーマのジャズのリズム」
               *
雪が舞う寒い夜、エオリアン・ホールの前でジョージとレバントが落ち着かなく立っている。
客を乗せたタクシーが次々に着く。
レバント「ダムラシュだ…、ラフマニノフだ…ヤシャだ…あれはカーンだ」
クラシック界の巨匠の名をジョージに告げる。
*下線を引いた人名は、ウォルター・ダムラシュ、ヤシャ・ハイフェッツ、オットー・カーン
「もう聞きたくない」…ジョージ。
唇を震わせて楽屋に戻ってきたホワイトマン「外の気温は?」
レバント「0度だ」
「観客はマイナス10度だ」…ホワイトマン。
〈ホール内の雰囲気は外気より冷たい〉
「君次第だな…行こう」ホワイトマンがジョージを促す。
               ♪
ジョージ、ピアノの椅子に…
客席の父、母、アイラ、真剣な面差し…
ホワイトマン、タクトを振りおろす♪♪♪

ドキュメンタリー・ビデオに、
“「スキャンダルズ」用に書いた「ブルー・マンデイ」は、オペラの形式をとりながら数々の斬新な技法を用いた新感覚の作品であり、結果は全くの不評だったが、指揮者のホワイトマンは賛辞を寄せ、改めてジャズを用いた曲を依頼する。
時代の声はジャズ。
従来の大衆音楽に多様性な色彩を与え、クラシック界でもストラビンスキー、サティ、ミヨーらがジャズの洗礼を受けている。
ジョージは2台のピアノのためジャズ風ラプソディーを書き上げる。
ホワイトマン楽団のファーディ・グロフェがオーケストラ用に編曲し、1924年2月12日、ニューヨークのエオリアン・ホールで歴史的な演奏会が開かれた。
飽きるほど延々とプログラムは進行し、演目の終わりにジョージがピアノについた。
冒頭のクラリネット・ソロに会場は静まり返る”のナレーションがある。

       1984年:ロサンゼルス・オリンピック開会式のシーン…
            84台のグランドピアノによる演奏に
            度肝を抜かされたのを、思い出す。

                   ─終─

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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