響庵通信:JAZZとサムシング

大きな好奇心と、わずかな観察力から、楽しいジャズを紹介します

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続々気になる伝記映画

2020-05-02 | 音楽

ジェローム・カーンはマンハッタン生まれウエストチェスター歿のニューヨーカーである。
母から」ピアノを教わったカーンは高校時代に学園ミュージカルを作曲するなど早くから
音楽の素質があった。
ドイツ系ユダヤ移民の実業家で成功した父は息子がビジネスマンになることを強く望んだが、
説得に失敗し、ニューヨーク音大入学を許した。
カーンはさらに2年ほどドイツに遊学しロンドン経由でニューヨークに戻った。
しばらくの間はミュージカルのリハーサル・ピアニストや音楽出版社で
楽譜のプロモート演奏(ソング・プラッガー)をしていたが10代の終りごろにはイギリスで
作られたショーをアメリカ向きに改変を依頼されていた。
1913年ロンドンで上演されたミュージカル・コメディ『The Girl from Utah (ユタから来た娘)』に、
カーンが曲を書き加え翌年ブロードウェイで公演された。
作品は第1次世界大戦後最初にヒットしてブロードウェイ・ミュージカル全盛の先駆けになった。
新曲5曲のうち♪They Didn't Believe Me (みんな信じてくれない)は、彼のジャズスタンダード曲:第1号になっている。
1920年フローレンツ・ジーグフェルド(Florenz Ziegfeld Jr.:華麗なるミュージカル1を参照して下さい)は、
フォリーズのダンサー:マリリン・ミラーをミュージカルのスターにさせようと、
ブロードウェイで成果を上げているカーンに依頼し『Sally (サリー)』をプロデュースーした。
『サリー』は20 年代のブロードウェイ・ミュージカルとしては3番目に多い570公演を記録し、
主題歌♪Look for the Silver Lining は人気を博しスタンダード第2号となった。
1929 年に映画化(邦題『恋の花園』日本公開は昭和5年)された時も主演・唄は彼女だった。
 注:マリリン・ミラー、ジュディ・ガーランド、チェット・ベイカー3人のボーカルがYou Tubeでご覧できます
タイトルもストーリーも似たミラーのミュージカルがもう1本ある。
1925年フローレンツのライバル興業主チャールス・ディリンガムが製作した『Sunny (サニー)は、
カーンがオスカー・ハマースタインⅡと初めて仕事した作品でオトー・ハーバックも脚本・作詞に、
ダンスの振り付けにフレッド・アステアが加わり同じニュー・アムステルダム劇場で511公演を打ち上げ、
ミラーのシンデレラ物語が実った。

作曲家(m)と作詞家(w)はミュージカルの両輪だ。
カーンがミュージカルのコンプリート・スコアを書いたのは27歳半になってからである。
まだ作曲家中心で作詞家は無名に近くカーンンの片輪走行が5年ほど続く。
1910年代後半からガイ・ボルトン(『サリー』の脚本家)、P・G・ウォドハウス(イギリス人で後にアメリカに帰化
したユーモア小説家)、B・G・デシルバ(♪Look for the Silver Lining の作詞家)、
アン・コードウエル(1920年代に活躍した女性脚本家で『サリー』作詞家の一人)などの補助輪で
アービング・バーリンと競い合った。
そして、 1927年!
オスカー・ハマースタインⅡとコラボ!
最強両輪が駆動する。

ジェローム・カーンの伝記映画がある。

『雲流るるままに』(原題;Till The Clouds Roll By)
    1946年;米MGM (カラー 173mins) 日本未公開(日本語字幕DVDあり)
  監督:リチャード・ホーフ  ビンセント・ミネリ(ジュディ・ガーランド場面)
    原案:ガイ・ボルトン  作曲:ジェローム・カーン  作詞:多数
  主な出演者:ジューン・アリスン(ジェイン役)
          ルシール・ブレマー(サリー・ヘスラー役)
          ジュディ・ガーランド(マリリン・ミラー役)
          キャサリン・グレイスン(マグノリア・ホークス役)
          バン・ヘフリン(ジェイムス・ヘスラー役)
                          リナ・ホーン(ジェリー・ラバーン役)
                          バン・ジョンソン(バンドリーダー役)
                          トニー・マーティン(ゲイロード・ラベナル役)
                          ダイナ・ショア(ジュリア・サンダース役)
                          バージニア・オブライエン(エリー・マエ役)
                          ロバート・ウォーカー(ジェローム・カーン役)
                          ドロシー・パトリック(カーン妻:エバ役)
                          ハリー・ヘイドン(チャールズ・フローマン役)
                          ポール・ラングトン(オスカー・ハマースタインⅡ役)
                          ポール・マクシー(ビクター・ハーバート役)
                                    ───
                          フランク・シナトラ     シド・チャリシー
あらすじ
ブロードウェイで絶賛を浴びた『ショウ・ボート』開幕の夜、タクシーで祝賀パーティに向かうカーンの回想から映画は始まる。
若き日のカーンは編曲家ヘスラー、ちょっとおませな娘サリーと家族同様の環境で作曲に励んでいた。
やがてヘスラー一家はロンドンに移住、孤独になった彼はなかなか芽が出なかった。
ニューヨーク、ロンドンに劇場を持つ大物プロデューサー:チャールス・フローマンがロンドンに向かうのを、 追った──
ロンドンでは2つの幸運を得ることになる。
ゲイエティー劇場の舞台でブランコのアイデアをフローマンが注目し認められ、
ひょんなことから恋人エバと知り合った。
フローマン製作『ユタから来た娘』成功の後、
“あわや”の事件を免れ、次々喝采を浴び続けた。
成人しミュージカル・スターを目指すサリーの挫折そして家出、心労の父、
ヘスラー一家の不運が後半の山場。
自分を見失ったカーンが立ち直ったのは、一冊の本だった。

観どころ・聴きどころ
●ハマースタインが─これこそ─今のミュージカルを改革すると確信して置いていった、
一冊の小説をもとにした歴史的作品『ショウ・ボート』冒頭シーン…
オーケストラボックスをゆっくりパンして幕が上がった舞台。
Cotton Blossom (m:ジェローム・カーン、w:オスカー・ハマースタインⅡ)
     *以下別記なきときはカーン、ハマースタイン
  ♪さあミシシッピに行こう  さあみんで出港だ
出港準備で賑やかな大勢の男女コーラスと群舞。
Where's The Mate for Me ?
波止場でゲイロード(トニー・マーティン)が遠くを見つめるように
  ♪僕の運命の人は何処にいるかと
最初に声をかけたのはマグノリア(キャサリン・グレイスン)
  ♪もしも私があなたをあいしているとすれば…
Make Believe
  
♪もしも信じることができたならば…もしもでなく愛している (デュエットで)
トニー・マーティンは“華麗なるミュージカル4:【我が心に君深く】で触れているが、
高校時代から歌手として活躍。
ポピュラー・ソング「ストレンジャー・イン・パラダイス」では奇しくも同じ名前の
トニー・ベネットと人気を分け合っている。
30年代後半にトニー・マーティンの芸名でハリウッド映画に出演。
『Follow the Fleet (艦隊を追って)』(RKO:1936)では
フレッド・アステアとのダンスが絶賛された。
キャサリン・グレイスンは12歳からオペラ歌手を目指し
10代の終りにソプラノ歌手・女優としてMGM映画入りした。
ミッキー・ルーニー主演の『Andy Hardy's Private Serectary』(1941:未公開)で
デビューした彼女はジーン・ケリー、フランク・シナトラ、ハワード・キールなど
男性歌手と共演が多い、
彼女が活躍した40年代から50年代のMGM作品は日本未公開が多いのは残念だ。
“華麗なるミュージカル2”で紹介したフィナーレの印象が鮮烈の【ジーグフェルド・フォリーズ】は、
第2次世界大戦下の事情があったにせよ40年以上経って…1989年に」公開された。
その【ジーグフェルド・フォリーズ】で本物の白馬に跨って美しく頼もしく一点凝視に
オープニング・ナンバーを唄ったバージニア・オブライエンが、
黒白ストライプスとグリーンのコスチュームで…
Life Upon the Wicked Stage (直訳:不道徳な舞台生活)を唄う。
  ♪薄汚い舞台の人生は──女の夢ではないのよ
一途に唄ったあとの、笑みが魅力。
女優で歌手のオブライエンも1940年代MGMミュージカル映画に多数出演しているが、
ジューン・アリスン主演『姉妹と水兵』(1944:48公開)、
ジーン・ケリーの『デュバリーは貴婦人』(1943:51公開)他2本だけ。
Can't Help Lovin' Dat Man (直訳:あの人を愛するのは抑えられない)
  ♪ねえ 聞いて頂戴   私はまだ見ぬ彼を愛している
髪と右肩に藤色の飾り物を付け薄藤色ドレスのリナ・ホーンが、
映画『キャビン・イン・・ザ・スカイ』の“妖艶を純情”に上書きした好演。
6年後に、一旦
決まった映画『ショウ・ボート』の役をエバ・ガードナーに差し替えられ、
この曲を唄うことなど知る由もないだろうが、表情が潤んでいる。
16歳でコットン・クラブの舞台に立ったリナ・ホーンは、20歳のとき美人ジャズ歌手として
ミュージカル映画デビューした。
彼女も40年代から50年代中頃まで殆ど未公開だがMGM映画十数本に出演している。
特に1943 年の『キャビン・イン・ザ・スカイ』と
MGM在籍中唯一他社作品『ストーミー・ウエザー (20thFox)』
オール黒人キャストで注目さ
れた。(共に日本語字幕DVDあり)
Ol' Man River
出港前の波止場で白いハンカチを握りしめ立ったまま歌うケイレブ・ピーターソン、
  ♪あの
川の流れは  何か知っているはずなのに
  ♪何も言わない  ただ静かに流れて行く
大勢の関係者達もコーラスで、
  ♪人生にうんざりだ… 生きることには疲れるが  死ぬのは怖い
  ♪それでもあの川は流れて行くのさ (大合唱)
スタンディングオベーションのなか、幕が降りる。
ケイレブは「このシーンで知られる」のみという経歴不祥だけれども、
朴訥(ぼくとつ)な歌声は『ショウ・ボート』に、彼在りを記憶させる。
●徐々に作品と名前が知られて『ユタから来た娘』の2年後、
プリンセス劇場
3番目の『Oh,Boy !(オー、ボーイ!)』が463公演の大ヒットになった。
1幕目に用意された曲が
──これ。
Till the Clouds Roll By (w:ガイ・ボルトン&P・G・ウォドハウス)
  ♪雨が音を立てて降り出す
白、赤のレインコートを着たレイ・マクドナルド、ジューン・アリスンの相合傘デュエット、
…水溜まりをビシャ・バシャ…跳ね上がる水しぶき…平気、
大勢のカップルも…ビシャ・バシャ…手にした傘を空中に投げ…戻ってくるのを…
スモール・ブーメラン・キャッチ。
MGM自慢の雨と傘『Singin' in the Rain(雨に唄えば)』)と天秤にかけられる楽しいシーン。
レイ・マクドナルドとジューン・アリスンは続く、
カーン1910年代のミュージカルとしては平均以上の公演数になった
『Leave It to Jane (ジェインにお任せ)』から2曲

Cleopattere (何語か知らないがアルファベット列からクレオパ**と解る)
~Leave It to Jane (w:P・G・ウォドハウス)
赤白縦縞ジャケット白パンツの男性群、
水色ブラウス赤色縦縞スカートの女性群コーラスとアリスンのコールアンドレスポンス(掛け合い)。
  ♪ジェインに任せて…コーラス
  ♪どうして私ばかりに…アリスン
  ♪どんな問題でも彼女にかかれば  朝飯前よ…コーラス
いったいどうやって問題解決したのか教えて?
歴史上の有名な女性を参考にしたの
Cleopattere
  ♪昔むかしナイルのほとり  女王が住んでいました
ハスキーボイスとコミカルな振り付けのアリスン、シェエラザードを舞う。
Leave It to Jane
  ♪ジェインにお任せあれ  彼女は賢いのさ
群舞の中心で…アリスンとマクドナルドが手を組み、軽快なステップ。
マクドナルドはタップダンサーとだけで詳しいキャリアは不明だが、
ブロドウェイに4回の足跡がありその中に、驚きのミュージカルがあった。

カーン=ハマースタインのような最強コンビが
リチャード・ロジャース(m)=ロレンツ・ハート(w)である。
ハマースタインとハートは同い年、
7歳年下ロジャースの三人はニューヨーク生まれでコロムビア大学出身。
友人からロジャースを紹介されたハートは、
ミュージカル『A Lonely Romeo (1919)』で一緒にブロードウェイ・デビューした。
初めは楽曲提供だったが、
3作目『Garrick Gaieties (1925)』から二人の
ショーがスタートした。
幸先よく「Manhattan」「Mountain Greenery」がスタンダード曲になった。
以来ハートが48歳で亡くなるまで最長チームが続いた…で、
話は元にもどる。
その18年間には数々の公演で数々のスタンダード曲も生まれていたが、
1作品中最も多くの名曲を残した1937年の『Babes in Arms (抱かれたベイビー)』に
マクドナルドの名があった。
1941年からジュディ・ガーランド、ジューン・アリスンのMGM映画に数本共演していたり
するものの日本公開は僅か。
  注:未公開主演映画の『Born To Sing』で流麗なタップダンスがYou Tubeでご覧できます
     (Virginia Welder and Ray McDonald at 2A.M.) 
●一躍有名になったマリリン・ミラーを演じるジュディ・ガーランドが、
先ずは裏通りのホテルで皿洗い係:サリー、
膨大な食器類、吊り下げられた鍋、鍋、鍋、フライパン、フライパン
腕をまくり上げせっせと仕事、
いつかはバレリーナとして
有名になりたい、
Look for the Silver Lining (w:バディ・デ・シルバ)
  ♪希望の光を探すのよ
この映画の一番地味な演出、ガーランドのひたむきさが…光明だ
次はサーカスのスター、
疾走する
白馬に立って(スタントマンだろうけれど凄い)サークルを回るサニー、
象の曲芸などを挟み、
恋におちたサニーが黄色のドレス、黄色のスカーフを持ち礼装の男性コーラスを従え、
Who ? (w:オトー・ハーバック&ハマースタイン)
  ♪誰が私の心を盗んだの?
シンプルなセットを絢爛に魅せる声量豊か、あでやか、かつ、アップテンポに、唄い…踊る。
●フィナーレ
指揮者がタクトを振り下ろす。
ラベンダー色いっしょくの背景に白づくめの…オーケストラ団員、踊り子、男女コーラス、
「オール・マン・リバー」が静かに流れる。
アップリケ風のプログラム・カードでカーン珠玉のスタンダード曲、 さあ進行!
Yesterdays (w:オトー・ハーバック)
  MGM 混成コーラス
Long Ago (w:アイラ・ガーシュウィン)
  キャサリン・グレイスン
A Fine Romance (w:ドロシー・フィールズ)
  バージニア・オブライエン
All the Things You Are
  トニー・マーティン
トニー・マーティンは、『我が心に君深く』の【恋人よ我に帰れ】もそうだが、
“おいしいところ”が似合うかも。
All the Things You Are は、
カーン=ハマースタイン・コンビ最後のミュージカル
『Very Warm for May (1939)』 の主題曲…で、
英文サイト:JazzStandards.com によるジャズスタンダード・ランキング…第2位!
因みに「イエスタデイズ」もベスト10ちゅう第9位。
五大ミュージカル作曲家ではジョージ・ガーシュウィン:「サマータイム」(3位)、
リチャード・ロジャース:「マイ・ファニー・バレンタイン」(6位)、
コール・ポーター:「恋とは何でしょう」(8位)
 
Why Was I Born ?
   リナ・ホーン

          〈おおとり〉は〈やっぱり〉
白い花飾りをなびかせ白いドレスのダンサー達が、ぐるっと回る、
白いティンパニーを白いマレットで、ド・ド・ド・・・・
白い多角形台にせり上がる白い靴、白いパンツ、白いヘチマ襟のスーツ…
Ol' Man River
  ♪川の流れは   あの川の流れは
30代になったばかり若き…フランク・シナトラ
  ♪なにか知っているはずなのに   なにも言わずに流れ行く
 〈筆者の独り言〉
今の今まで「オール・マン・リバー・」は黒人男性に限ると決めつけていた。
ごめんよ シナトラさん、いつものクルーナーじゃあない、真情吐露!
  ♪それでもあの川の流れは  ただ静かに
          …両手を左右に広げて絶唱…
                ♪流れ行く

      雲をバックに全体が、天空の舞台のようになり
                ENDマーク

                (♪は 日本語字幕:飯田ひろみ から引用)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 





 

すとーみー

 

 

 

 

 

 

 

 

 


         
                          
        
                          

 

 


                           



   

 

 

 

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気になるアービング・バーリン映画

2019-08-01 | 音楽

アービング・バーリンは5歳の時(1893)帝政ロシア時代:現在のベラルーシ共和国から家族一緒にニューヨークに移住してきた。
8歳で父を亡くしたが「自分が貧乏だとは感じなかった ほかを知らなかっただけだ 家族が多かった為 夏になると家の外で寝ていた者もいた 今のような高級ベッドよりも安アパートのほうが良く眠れた」といっている。
学校には2年しか通わなかったので正規の音楽教育を受けていなかったが、
ユダヤ教の宗教歌手だった父:モーゼフのマイナー調の物悲しい旋律が耳にしみ込んでいたバーリンは13歳を過ぎたころから家を出て、
ストリート・シンガーや“歌う給仕人”などして生計を立ててきた。
19歳(1907)には、チャイナタウンの店でウエイターをしていたバーリンが最初の曲を出版した。  
シート・ミュージック(楽譜)の表紙は、
         Marie From Sunny Italy
                     WORDS By I・BERLIN
                     MUSIC By M・NICHOLSON
そう、作詞:バーリンはちょっと意外だったがもっと面白いのは、
娘メアリーの話「印刷のミスで出来上がったときベイリンの名がバーリンになっていました 発音しにくいんですねェ 父はアメリカ人らしいと言ってそのまま使ったのです」と。
実は、バーリンの本名(ユダヤ語)を英語表記にすると、
Israel Isidore Baline (イスロエル・イジドル・ベイリン)でBaline がBerlinになっていた。
作曲:マイク・ニコルソンはカフェのハウス・ピアニスト以外の経歴は不詳…
憶測だが当時、記譜不得意のバーリンが歌って、彼が採譜したのかもしれない。
その後、ティン・パン・アレー(マンハッタンで音楽出版社が集結している一角)のソング・プラガー(楽譜宣伝のため試演をするピアニスト)をしながら作曲を始め、1911年、♪アレキサンダーズ・ラグタイム・バンドがメジャー・インターナショナル・ヒットした。
前章『華麗なるミュージカル(5)』ではモンスター・ヒットの語句を見付けたが別の英文サイトがこんな形容していたので、引用した。

作家フィリップ・フュリアは「1910年当時ラグタイムは物議を醸していたが バーリンが曲を書いてからラグタイムは無害だとみなされこの曲のヒットでブロードウェイはバーリンとラグイムを受け入れたのだ」と語っている。

『世紀の楽団』(原題:Alexander's Ragtime Band)という映画がある。

   1938年:米20世紀フォックス(モノクロ 106mins)
      劇場公開:39年
     監督:ヘンリー・キング
     原作・作詞・作曲:アービング・バーリン
     音楽監督:アルフレッド・ニューマン
     振付:セイモア・フェリックス
   主な出演者
     タイロン・パワー(ロジャー・グラント役=アレクサンダー)
     アリス・フェイ(歌手:ステラ・カービー役)
     ドン・アメチー(ピアニスト:チャーリー・ドワイヤー役)
     エセル・マーマン(歌手:ジェリー・アレン役)
     ジャック・ヘイリー(ドラマー:デービー・レイン役)
     ジーン・ハーショルト(ハインリッヒ教授役)
     ヘレン・ウエストリー(伯母ソフィ役)
     ジョン・キャラダイン(タクシー運転手役)
     ポール・ハースト(ビル・マリガン:バーテンダー役)
     ジョー・キング(興行主:チャールス・ディリンガム役)
     ウォリー・バーノン(本人)
バイオリニストでバンドリーダーのロジャー・グラント(タイロン・パワー)が、
♪「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」のヒットから、
アレキサンダー(芸名)ラグタイム・バンドを結成し評判になるという映画。
1900年頃から、それまで酒場やダンス場で黒人ピアニストが演奏していたラグタイムを、
ジャズの先駆けに取り入れるバンドが現われた。
初期の一人にニューオーリンズのアレキサンダー・コンスタンティン・ジュニアがいる。
彼もバイオリン奏者の白人バンドリーダーである。
“キング・ワッケ”(Watzke:ファミリーネーム)と呼ばれ人気だった実在の人物がバーリンの着想になったのは確かだ。
聴きどころは、20世紀フォックスの看板女優で歌手のアリス・フェイ、ブロードウェイの女王と呼ばれたエセル・マーマンの競演。
新曲2を含め1911年から38年に亘る24曲のうち11がジャズ・スタンダードという、
バーリン音楽映画で最多曲数の作品である。
Alexander's Ragtime Band
サンフランシスコの大衆酒場に歌手として職を得ようとするステラ(アリス・フェイ)、少し遅れてロジャー(タイロン・パワー)もバンドを連れて売り込みに来た。

気が乗らないオーナーが「1曲だけ聞いてやろう」…
ところがピアニストが楽譜を置き忘れ…
とっさにバーテンダー(ポール・ハースト)がカウンターにあったステラの楽譜をわたし、
初見で演奏…
ステラは自分の持って来た新曲「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」に気が付きステージに詰め寄る…が、
ノリの良い演奏につられて唄ってしまう、
…「スワニー河」が聴きたくなったら/聴きにいらっしゃい/アレキサンダー楽団を…
店内、拍手!拍手!の大受け。
渋っていたオーナーの顔はゆるみ「やるじゃないか アレクサンダー氏と彼の楽団全員採用だ」
「私はロジャーだ」と告げるものの、オーナー「ここではアレクサンダーだ」
*日本では「アレキサンダー」と表記する慣例だが、映画は字幕・音声とも「アレクサンダー」だったので混在した。
  ここからはロジャー・グラントを愛称で呼ばれる「アレク」とする。
勝手に曲を使われたステラは怒りが収まらない。
ピアニストのチャーリー(ドン・アメチー)が彼女を宥め、ドラマー:デービー(ジャック・ヘイリー)はアレクの短気を抑え、
なんとか一座が誕生。
喧嘩が絶えないアレクとステラをいつも取り成すチャーリー、
どんな環境になろうとアレクを支えるデービーは今後の展開で、目が離せない。
バーテンダー(ポール・ハースト)は後半、思いもよらないシーンで現れる。
♪Ragtime Violin
バンドリーダーのバイオリンに因んだ曲から物語りが始まるのは流石…だが、
歌手が日本公開時(昭和14年)でも無名だったろうと思えて、すこし物足りない。
ここだけの話:この曲はバーリン・ミュージック映画『イースター・パレード』(1948)で、
バイオリンを弾き・歌い・踊るフレッド・アステアとジュディ・ガーランドがお薦め。
♪That International Rag
「楽団には気品が大事だ」の諌めを無視し、ド派手な衣装のステラが登場する。
涼しい顔のステラ、デービーとトロンボーン奏者ルイの三重唱。
歌の最後にデービーの背広から万国旗がズルズルっと、
苦虫をつぶすアレク〈心中は〉まあいいか、かも。
♪Everybody's Doin' It Now
徐々に楽団も風格を備えダンスホール{サンセット・イン}で演奏。
…さあ始めよう/みんなが踊っている…/ラグタイムのカップルを見てごらん…
弾むバンジョーのバッキングで、
ステラの唄とウォーリー・バーノン(本人)とのペアが軽妙なステップ。
Now It Can Be Told (『世紀の楽団』の新曲)
“クリフハウス主催:ラグタイム・バンド&ステラ・カービー”
会場で独りチャーリーが作曲中、ステラが近寄る。
「やあ 君か」(谷原章介ばりの甘い声=私感です無視して下さい)弾き語る。
…語られたことのない恋愛物語が/今 明らかになる…
「君のために作った 心を込めて」
本会場、オーケストラをバックに、エレガントに、唄うステラ。
…語られたことのない恋愛物語が/…今 明らかになる
何気なく振り向くステラ、電気に触れたようなアレク、寂しげなチャーリー、
       ──映画前半の3者3様関係──

大物興行主:チャールス・ディリンガム(ジョー・キング)来店作戦が成功。
来るか・来ないか、到着を待つ。
「僕の出番?」
♪This is the Life
ポーラーハットを被ってウォーリーが、
…キャバレー通いに楽団の演奏/…これが人生/…これが僕の人生さ
コミカルな歌もそうだが、踊りで緊張を和らげる。
タップダンスの途中で片足タップはお見事。
♪When the Midnight Choo-Choo Leaves for Alabam’
…真夜中のアラバマ行きの 汽車が出る時は/私も乗るは 汽車代は持っている…
アプローチするのは簡単とステラはディリングガムの坐る傍で唄う。
案の定「失礼 ご一緒にいかがかね?」
結局、ステラだけニューヨークにスカウトされ、怒るアレク「勝手に行け」、
彼女を擁護するチャーリーに「君も辞めたらどうだ」
       ──喧嘩別れ、バンドは解散──

これは伝記映画ではないがバーリンは原案のところどころで自分になぞらえている。
ディリングガムは30年間にブロードウェイで100以上の公演を手掛けてきた実在の人物。
バーリン初めてのミュージカル『Watch Your Step (足元に気をつけて)』(1914)は彼のプロデュースだった。
ディリングガムにしても、それまではビクター・ハーバート(ブロードウェイ初期の3大オペレッタ作曲家)の舞台だったので大きな飛躍になった…であろう。
1914年には第1次世界大戦が勃発している。
バーリンはアメリカが参戦した17年にニューヨークのヤーファンクにある陸軍新兵準備施設に特別召集された。
軍主催舞台が基の、バーリン作詞・作曲・脚本・出演ミュージカル『Yip Yip Yaphank}』(1918)がある。
       ──軍曹アービング・バーリンのエピソードが『世紀の楽団』後半に繋ぐ──

♪For Your Country and My Country
“陸軍兵募集中”
宣伝カーの上でポークパイハットのドナルド・ダグラス(本人)が歌う。
…ここは諸君と私の国/真の兵士が住んでいる…
入隊したアレクとデービーは訓練に疲れ兵舎に戻る。
デービーがニューヨークで海軍ショー完売の新聞記事を見付け「海軍にすればよかった」とこぼす。
アレクは海軍がやるなら陸軍も負けられない、と大佐をたきつけ、
舞台メンバーを集めた。
 〈ここから、ミュージカル『Yip Yip Yaphank』より3曲〉
♪I Can Always Find a Little Sunshine in the Y.M.C.A.
…いつも晴れ間は見える YMCAで…
ザ・キングス・メン(男性カルテット)が大佐や隊員たちの前で練習。
♪Oh! How I Hate to Get Up in the Moaning
起床ラッパと下士官にたたき起こされ、
…朝起きるのが つらい/ベッドから出たくない/起きろ 起きろ もう朝だ…
 〈映画『これが軍隊だ』(1943:未公開)では軍服姿のバーリンが歌っている〉
デービーと兵士たちが歌う兵舎の画面からカーネギー・ホールのステージに変り、
客席にはステラの姿も。
♪We've On Out Way to France
…母さん みんな さようなら/…僕らはこれからフランスへ…
幕間に召集がかかり、
完全軍装した兵士たちがステージから客席中央を行進、
指揮棒を振るアレクがいる、
ステラの声は届かない。
凱旋したアレクは“ディリングガム主催ミュージカル 主演ステラ・カービー”の劇場看板を見てステラに会い、
「今も愛している」と、
しかし、1年前にチャーリーと結婚していたことを知る。
一緒に帰国したデービーがバンドを再開しようと歌手まで紹介するが、


失意のアレクは順応できない。
新しい歌手ジェリー(エセル・マーマン)が2曲続けて唄う。
♪Say It with Music
…音楽に合わせて ささやいて/…キューピットの力を借りて…
何を話しかけても取り合わない固い表情のアレク。
A Pretty Girl Is Like a Melody
…美しい娘は メロデーのよう/頭から離れない 夜も昼間…
肩に手を添え耳元で唄うジェリー、眼を閉じるアレク。
元の楽団員も戻りニュー・アレクサンダーズ・ラグタイム・バンドが始動する。
Blue Skies
ヨーロッパ・ツアー壮行パーティで、ステラとジェリーが一緒に唄う唯一の曲。
はじめにジェリー…青い空がほほ笑みかける 見えるのは青い空だけ…
リフレインでステラ…時が経つのが早いのは 恋をしてるから…
このときアレクはステラが離婚したのを知らない、
どん底の彼を救ったジェリーと初対面のステラ、
チャーリーの離婚心情。
      ──4者4様関係が去来する歌詞と声──

*♪Pick Up Your Sins and Go to the Devil
{カフェ・ド・パリ}
…罪を持って 地獄を訪ねてごらん…
妖艶な魔女のコスチュームで唄うジェリー、愉しそうにタクト振るアレク、
コケティッシュな群舞魔女、〈Oh! もったいない カラーだったらなぁ~〉
*♪What'll I Do
どしようもなくなってステラがディリングハムのマネージャーに「辞める」と告げるシーンのBGM。
*♪My Walking Stick (『世紀の楽団』の新曲)
{ロンドン:ピカデリー・クラブ}
…シルクハットは要らない ネクタイも…
歌詞とは真逆にシルクハット、蝶ネクタイ・タキシードのジェリーが唄う。
…でも ステッキだけは放せない/…ステッキがないと 気がへんになる…
 〈大人になった“お嬢”のようだ=私感です無視して下さい〉
…ステッキがないと 何も始まらない…
タキシードジャケットに黒の網タイツ(モノクロ映画だから黒じゃないかも)ダンサーがステッキを操る群舞は、
カラーでなくても、充分に絢爛。
*♪Remember
夜汽車のクロスシートのカップルがポータブル・プレーヤーでステラのレコードを聞いている。
…覚えている? 愛していると言ってくれた夜…
後部席に物思いに沈み微かに唇を動かすステラがいる。
*♪Everybody Step
再びピカデリー・クラブのステージ。
…シンコペーションのリズムに乗ろう/…楽団は一流 指揮者も最高…
両翼でタップを踏んでいた十数人の男性が中央に集まり縦に向かい合う、
真ん中に順に並べるシルクハットの上を、─Oh My God─ハイヒールで渡りながら、
…ステップを踏んでるの…
*♪All Alone
地方のクラブで地元のバイオリン・バンドで唄うステラ、
…夜は いつも独りぼっち/…あなたは どこで 何しているの…
    あなたも独りぼっちかしら…
       (*♪は喜:ジェリーと悲:ステラのカットバック・シーン曲)

エピローグ:消息を絶ったステラがアレクとハッピーな結末になるのだが、
俗にいうメロドラマと軽くは…言えない。
Marie海外で成功を収め国内でラジオ放送を開始したアレクサンダーズ・ラグタイム・バンドが、
カーネギー・ホールでスイング・コンサートを開催する。
サンフランシスコ時代の三銃士:指揮者・ピアニスト・ドラマー、12tp・12tb・10saxの大オーケストラが演奏。
Cheek to Cheek
タクシーのカーラジオからカーネギー・ホールの実況が流れる。
 〈タクシー・ドライバー(ジョン・キャラダイン)が感動のフィナーレの誘因になる〉
Easter Parade
…フリルで飾られた イースターの帽子…/僕は誇らしくなる…
ボードビル出身のドン・アメチー(チャーリー役)の歌は俳優のかくし芸以上、
女性コーラスとのコール・アンド・レスポンスが小気味よい。
Heat Wave
…熱波が押し寄せる 情熱的な熱波が…
ジェリーが唄う最後の曲。
…温度計の水銀が33度に跳ね上がる
女性コーラス34度、ジェリー35度、男性コーラス36度…37度、38度。
…熱波が押し寄せる…
場内は大拍手、スタンディングオベーション。

「皆さん 今からもう1曲演奏します…
今夜はこの曲を皆さんと 皆さんの大切な人に贈ります
そして──もう1人 僕の大切な人に」

                          ─おわり─

  アンコールはあなたの予想した曲です。
  映画観賞の妨げに留意して収録曲のシーンを順に紹介しました。
  ♪下線のついた曲名はジャズスタンダーズ・ドット・コムというサイトによるスタンダード曲です。

  【補遺】 ミュージカル『Yip Yip Yaphank』で使用されなかった曲があります。
  第2次世界大戦突入寸前の1938年、ユダヤ人排斥に反発したバーリンは、
  デッドストックしてあった曲に手を加え国民に訴える歌を発表しました。
  第1次世界大戦の休戦記念日に当たる11月11日のCBSラジオ番組で、
  人気女性歌手ケイト・スミスが唄い全米に放送されました、
  「God Bless America(アメリカに幸あれ)」です。
  多くの国民の愛国心を呼び起こし、その功績によりバーリンは1954年に、
  アメリカ文民に贈られる最高位2勲章のうち、
  アメリカ合衆国議会の名に於いて授けられるCongressional Medal (議会名誉黄金勲章)が、
  第34代大統領:アイゼンハワーから贈られ、
  1977年にはもう一方のアメリカ大統領の名に於いて贈られる最高位勲章Presidential Medal of
  Freedom (大統領自由勲章)が第39代大統領:カーターから授けられました。
  長年この曲を唄い続けてきたケイト・スミスも1982年、第40代大統領:レーガンから、
  【大統領自由勲章】を授与されています。
  「God Bless America」は今なお【第2のアメリカ合衆国国歌】と目され各式典などで、
  歌われ続けています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

  
 

 

 

 

 

 

 

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華麗なるミュージカル(5)

2019-06-10 | 音楽

マイティ・ファイブ(Mighty Five)と呼ばれるミュージカル5大作曲家がいる。
ブロードウェイには、
① ジェローム・カーン(1904 『An English Daisy』)
② アービング・バーリン(1910 『The Jolly Bachelors』)
③ コール・ポーター(1915 『Hand Up』)
④ ジョージ・ガーシュイン(1918 『Ladies First』)
⑤ リチャード・ロジャース(1919 『A Lonely Romeo』)
の順で、どなたも複数作曲家の一人としてデビューされた。
一番のご長寿は、
生涯3000曲以上の楽曲、21のブロードウェイ・ミュージカル、18作の音楽映画を遺し101歳で永眠された、
アービング・バーリンである。
亡くなる8か月前、100歳を迎えるバーリンの誕生日(5月11日)にカーネギー・ホールで祝賀コンサートが開催された。
その模様を伝える映像がある。
1989年4月、NHK①テレビが【ミュージカルの王様 アービング・バーリン ~100歳祝賀コンサート~】を放映した。
それは、コンサートというより…【ミュージカル アービング・バーリン物語】といった構成である。

 オープニング
ブロードウェイ・ダンサーから女優になり映画『愛と追憶の日々』で1984年主演女優のオスカーを得たシャーリー・マクレーンが、
「バーリンはすべての人のために歌を書きました…ミスター・バーリン100歳おめでとう」を述べ
♪Let Me Sing and I'm Happy (歌わせてくれれば私は幸せ)を唄う。
彼女の選曲か?スタッフの配慮か?
これを唄ったとは、
先頭打者ホームランだ。
続いて〔アメリカの良心〕と云われるニュースキャスター:ウオルター・クロンカイトは、
「…自宅で見てくれているバーリンにお祝いの歌を贈ります」と挨拶。
Play a Simple Melody (シンプル・メロディ)
A Pretty Girl is Like a Melody  (美しい乙女は音楽)
1曲目からバーリンのバイオグラフィーが始まった。
「Play a Simple Melody」は、
ブロードウェイ・ミュージカル第1作となった『Watch Youe Step (足元に気をつけて)』(1914)の主題歌。
「A Pretty Girl Is Like a Melody」は、
フローレンツ・ジーグフェルド・ジュニアのレヴュー『1919年版ジーグフェルド・フォリーズ』に挿入されバーリンにとって最初のスタンダード曲になった。
映画『巨星ジーグフェルド』(1936)の破天荒な…
直径21メートル175螺旋階段に180人の歌手、ダンサー、ミュージシャンを乗せ回転しながら、
そびえ立たせるシーンに聴き覚えがあるだろう。
2曲スタンダードが続く。
Easter Parade (イースター・パレード)
The Song Is Ended (歌は終われど)
     *下線つき4曲の歌手は、モーリン・マクガバン(女性)とジェリー・オーバック(男性)
この幕の締めはやっぱり、
「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」だ。
♪Come on and hear, Come on and hear
小柄で豊かな体型のネル・カーターが、弾けるように唄う…中間部では、
♪Oh my honey (野太く) ♪Oh my honey (コケティッシュに)
男が誘い・女が誘われる…二役コミカル、激しく踊る、唄う、踊る。
歌手で女優のネルは、ブロードウェイ・ミュージカル『エイント・ミスビヘイブン』(1978)でトニー賞ミュージカル助演女優賞を受賞している。
   ●
トニー賞は演劇・ミュージカルにおける映画界のアカデミー賞に当たる。
    グラミー賞(音楽)エミー賞(テレビ)ピューリッツア賞(報道・文学・戯曲)も同様〉
♪ゴッド・ブレス・アメリカを口ずさむバーリンにオーバーラップして、1900年代初頭のニューヨーク映像。
{ナレーション:アメリカは自分で人生を開くチャンスがあったのです…
小さい頃の彼を学校の先生が「音楽と夢を聞くのが好きだった」と語っています。
彼は8歳で学校を辞め流しの歌手になりました…地元のカフェで歌ったのを振り出しにすぐポピュラー音楽の作曲家の仲間入りをしました…
「新時代にふさわしい音楽を!」と彼は言っていました。
バーリンの書いた1曲がまさにアメリカ音楽として不滅なものとなったのです…
出す曲が次々とヒットし、アメリカ音楽は彼のピアノから生まれていったのです…
30歳になった頃にはバーリンは伝説的人物でした。
魔術師バーリンが作る歌から数々の名文句が生まれ夢が生まれました…
私たちの生活を素材にアービング・バーリンは祖国と呼べるものを私たちに与えてくれたのです}
 豪華シンガーの絢爛リレー
*ウイリー・ネルソン
カントリー・アンド・ウエスタン重鎮がお得意の「ブルー・スカイ」を歌う。
♪Blue Skies (ブルー・スカイ)は、1926年リチャード・ロジャース=ロレンツ・ハートのミュージカル『Betsy (ベッツイー)』に土壇場で追加された曲。
僅か1か月:39公演だったが初日に観客から24回もアンコールされ、
まだ覚束ない主役に最前列の席からバーリンがプロンプターしたという。
翌年、初のトーキー映画『ジャズ・シンガー』でアル・ジョルスンが歌ってヒットした。
*レイ・チャールズ
「ミスター・バーリンありがとう、彼は私に大きな力を与えてくれました。
俳優がいい台本を求めるように私たちはいい歌を求めます。それを与えてくれたのが彼です。
100歳のお祝いに加わることが出来てとても光栄です」と謝辞。
♪What'll I Do (どうしたらいいの?)
抑えられない魂を全身から発し歌う。
ここだけの話だが、レイの歌い方を貶める意図は毛頭ないけれど、
トーチソングのナット・キング・コール、フランク・シナトラ、チェット・ベイカーがベスト3ではないだろうか。
   ●レイ・チャールズといえば♪Georgia On My Mind (我が心のジョージア)に触れない訳にはいかない。
    レイはホーギー・か―マイケルが作曲した1930年にジョージア州オーバニ―で生まれた。
    6歳で緑内障による失明のハンデを克服して著名なソウルミュージックの歌手になった。
    1961年の「我が心のジョージア」はミリオンセラーを記録している。
    「我が心のジョージア」が州歌に公認されたのは州が人種差別を撤廃してからだった。
    1996年アトランタ・オリンピックの開会式ではレイが「我が心のジョージア」を歌唱している。
    2004年、レイ・チャールズ伝記映画『Ray /レイ』が制作されたが、
    オーディションでレイが選んだジェイミー・フォックスが、
    アカデミー主演男優賞に輝いたという熱演を見ることを得ず公開4か月前にこの世を去った。
*ベアトリス・アーサー
1947年ブロードウェイ・デビューして50年代には映画・テレビで活躍、トミー賞、エミー賞を受賞、晩年に殿堂入りを果たした女優のベアトリスが、
「…15作のヒットを生んだ後しばらくブロードウェイから離れ 58歳の時ブロードウェイに戻ってくれと頼まれました。
ヒット曲をつくる彼の情熱は変わらず、その結果、『アニーよ銃をとれ』や『コール・ミー・マダム』が生まれたのです。
エセル・マーマンに代わる人はいないでしょうが、この歌を歌います」
純白ロングドレスのベアトリス、ゴールドスパンコール・ドレスのマリアン・ブランケット、
タキシードのバリー・ボストウイックの3人で独唱・重唱メドレー。
♪It's a Lovely Day Today (今日はいい日)
♪Hostess with the Moste's  on the Ball (舞踏会で一番魅力的なホステス)
♪You Are Just in Love (あなたは恋をしている)
♪There's No Business Like Show Business (ショウほど素敵な商売はない)
気位高そうな(根拠のない恣意的印象だが)ベアトリスが、 
「エセル・マーマンに代わる人はいない」と一目置いてコメントしたのは、事情がある。
上の3曲は1950年の『コール・ミー・マダム』から、4曲目は1946年『アニーよ銃をとれ』の主題歌。
2本ともバーリンがマーマンのために書いたミュージカルで、
『アニーよ銃をとれ』は40年代3番目に多い公演回数1946を記録した。
ナイトクラブの歌手だったマーマンは21歳の時、
ボードビル劇場のプロデューサーから勧められジョージ・ガーシュインの新作ミュージカ『ガール・クレイジー』
(1930)のオーディションを受けた。 
劇中歌「アイ・ガット・リズム」を聞いたガーシュインはマーマンを即座に歌手役ケイト・フォージザルに決めた。
半世紀以上経つにもかかわらず『決定版!ジャズ・スタンダード1001』(スイングジャーナル社刊)は…
彼女をパスしてこの曲は語れない…と論評している。
正確な発音と音程、三階席にまで届くパワフルな歌声でデビューしたマーマンは、
ミュージカルのスターダムに昇りつめていく。 
“ブロードウェイの女王”と呼ばれた彼女の歌から沢山のスタンダードジャズが生まれた。
♪I Get a Kick Out of You (君にこそ心ときめく) ♪You're the Top (あなたが最高)
♪Anything Goes (なんでもオーケイ)
♪Down in the Depth on the 90th Floor (地上90階のどん底で)
♪it's De-Lovely (イッツ・ディー・ラブリー) ♪Ridin' High (ライデン・ハイ)
♪Do I Love You (ドゥー・アイ・ラブ・ユー?) ♪Friendship (友情)
*ナタリー・コール
「バーリンの歌はシンプルですが人間の感情のすべてが込められています。
愛することの喜びも悲しみのすべてがあります」といって、
1933年のレビュー『As Thousands Cheer (幾千の喝采を浴びて)』から、
リンチを受けたことを知らずに夫を待つ妻の、
♪Supper Time (夕食どき)を…パッショナブルに唄う。 
歌手デビューした年のグラミー賞最優秀新人賞・最優秀R&B女性ボーカル賞を受賞した。
*フランク・シナトラ
「毎年アービングの誕生日には電話でおめでとうを言うのですが今年は歌を捧げることにします、
何を歌おうかと考えたのですが彼が夫人に贈った歌を歌うことにします」と、
♪Aiways (オールウエイズ)
♪When I Lost You (あなたを失ったとき)
神対応の2曲を続けて歌った。
前者は2度目の妻:エリン・マッケイに贈った曲でエリンの父が交際に反対していた頃の作品。
エリンとは生涯を共にした。
後者は最初の妻になるドロシー・ゲッツとハバナに新婚旅行中、ドロシーが腸チフスに罹りニューヨークに帰国して直ぐ亡くなり、バーリンは数か月仕事に手が付かない悲しみを超え最初に書いたバラード。
*ローズマリー・クルーニー
ステージ下手(しもて)から中央に進み、映画『ホワイト・クリスマス』の1曲(♪Count Your Blessing Instead of Sheep)を唄い終わるとバーリンのエピソードを始めた…
「この映画のなかでビング・クロスビーが歌った♪ホワイト・クリスマスは12年前にも歌われその時が2度目でレコーディング中、バーリンは落ち着かないようでした。…今ではこの歌なしにクリスマスは考えられません」
白と黒を基調にした正装の合唱団を後ろに♪White Christmas を深々(しんしん)と唄うと、
会場は聖夜に包まれていった。 
祝賀会について米国音楽著作権協会会長モートン・グールドの話
「来年、先生は100歳を迎えられますが、協会として何かお祝いを」と電話したとき「気の長い話だ」という返事だったが、
半年後「カーネギー・ホールに皆が集まってくれれば」というので開催が決まった。
 バーリン音楽映画のフラッシュバック
『ジャズ・シンガー」(1929:アル・ジョルスン♪Blue Skies)
『艦隊を追って』(1936:ジンジャー・ロジャース♪Let Yourself Go)
{『イースター・パレード』(1948:ジュディ・ガーランド&フレッド・アステア♪Ragtime Violin)
『ショウほど素敵な商売はない』(1954:マリリン・モンロー♪Heat Wave)
『ブルー・スカイ』(1946:ビング・クロスビー&F・アステア♪A Couple of Song and Dance Men)
『ホワイト・クリスマス』(1954:B・クロスビー&ローズマリー・クルーニー
                   ♪Count Your Blessing Instead of Sheep)
『マダムと呼んで』(1954・未公開:エセル・マーマン♪The Hostess with the Mostes)
『ホワイト・クリスマス』(1954):R・クルーニー♪Love, You Didn't Do Right By Me)
『イースター・パレード』(1948:F・アステア&J・ガーランド♪Easter Parade)
『トップ・ハット』(1935):F・アステア&G・ロジャース♪Cheek to Cheek)
シャーリー・マクレーン再び登場
「ヒットまで時間がかかった曲といえば、40年代の映画でフレッド・アステアが歌った歌があります。
金曜夜のハーレムを描いたこの歌を今夜はトミー・チューンが歌います」
*トミー・チューン
♪Puttin' on the Ritz (リッで踊ろう)
長身199cm上から下まで白のコーディネート、赤いバラを胸に俳優でダンサー、歌手、演出家、プロデューサー、振付師のトミーが歌い、そして、タップを踏む。
歌手でトニー賞7回、演出でも6回ドラマ・ディスク・アワード賞受賞の名声を改めて知る。
   ●3分42秒のこのシーンは必見です
    Tommy Tune Puttin' On The Ritz (Carnegie hall) -YouTube
*ジョー・ウイリアムス、ダイアン・シュアー、ビリー・エクスタイン
♪Steppin' Out with My Baby~Marie~Cheek to Cheek~Say It with Music
男女・老若のクラシカルで新しいハーモニーは、楽しめる。
ジョー・ウイリアムスは、1918年生まれ50年代カウント・ベイシー楽団専属歌手で活躍、
生後(1953年)まもなく失明したダイアン・シュアーは、9歳で歌を16歳から作詞作曲する。
ビリー・エクスタインは最高齢1914年生まれ、40年代最初のバップ・オーケストラと呼ばれるビッグ・バンドを結成した。
*トニー・ベネット
1926年生まれ、第2次世界大戦でドイツに駐留していたとき歌手を志し50年にプロ・デビュー。
おなじイタリア系アメリカ人のフランク・シナトラ以降最高のポピュラー、ジャズ両面で活躍中…
♪Shakin' the Blues Away (憂さをはらって)
シナトラが“金を払っても聴きたくなる”というパフォーマンスが見られる。
 映画『これが軍隊だ』(1943)のハイライト・シーン
バーリン自身が歌う「早起きはつらいね」
はためく星条旗、バラック兵舎、直立する軍服姿のバーリン…
♪Oh How I Hate to get Up in the Morning 
    ●Irving Berlin- Oh How I Hate to get up in the Morning-YouTubeでご覧できます
 フィナーレ
「私たちの恩人の誕生日をどう祝ったらいいのでしょう。
 この世界に生きる人にとって最高の歌がありっます」…始まりも終りもシャーリーが務める。
                  
                ♪ショウほど素敵な商売はない

                      ─おわり─

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     

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華麗なるミュージカル(4)

2018-11-02 | 音楽

名数(めいすう)の中で“ずばぬけて多い”のは【三】である。
三役、南無三、舌先三寸、非核三原則…
因みに【三】の会意は、上の一本が天、下の二本が地を示して天地人の道を表すようで、漢字圏の民族には特別の“数”かもしれない。

レビューと並んでブロードウェイ・ミュージカルの先駆けになった、
アメリカン・オペレッタ三大作曲家の一人、シグムンド・ロンバーグの伝記映画がある。
 *:前章[華麗なるミュージカル(3)]で触れた、
   ビクター・ハーバート、ルドルフ・フリムル、シグムンド・ロンバーグの三人。
【我が心に君深く】(原題:Deep in My Heart)
1954年:米MGM (カラー 132mins)
劇場公開:55年
監督:スタンリー・ドーネン
制作:ロジャー・イーデンス
原作:エリオット・アーノルド
音楽監督:アドルフ・ドイッチェ
主な出演者
 ホセ・フェラー(シグムンド・ロンバーグ)
 マール・オベロン(ドロシー・ドネリ―)
 ヘレン・トローベル(アンナ・ミュラー)
 ドー・アブドン(リリアン・ロンバーグ)
 ウォルター・ピジョン(J.J.シューバート)
 ポール・ヘンドリード(フローレンツ・ジーグフェルド)
 タマラ・トゥマノバ(ギャビー・デズリー)
 ポール・スチュワート(バート・タウンゼント)
客演
 ローズマリー・クルーニー
 ジーン・ケリー&フレッド・ケリー
 ジェーン・パウエル&ビィク・ダモン
 アン・ミラー
 ウイリアム・オルビス
 シド・チャリシー&ジェームズ・ミッチェル
 ハワード・マギー
 トニー・マーティン&ジョーン・ウエルダン
監督スタンリー・ドーネンは、7歳からダンスを習い、17歳のときジーン・ケリーが主役したミュージカル『パル・ジョイ(1940)』のコーラスボーイとバックダンサーでブロードウェイにデビューした。
翌年、ケリーが振付した『Best Foot Forward』にもコーラスとダンスで参加、
二人は親交が深まり、1942年ケリーがハリウッドに進出すると、
ドーネンも『錨を上げて(1945)』『私を野球につれてって(1949)』でケリーの助手をつとめ、多くの映画で振付を担当することになる。
そして『踊る大紐育(1949)』、ミュージカル・音楽映画部門ランキング第2位『雨に唄えば(1952)』、
さらに『いつも上天気(1955)』でケリーと共同でメガホンをとり、
独り立ち後、『我が心に君深く』と同じ年には先行してランキング第10位『掠奪された七人の花嫁』を監督、
ビンセント・ミネリとともにMGMミュージカル映画の黄金期を築いた。
 *ランキングは『外国映画ベスト200/角川文庫』による。

音楽監督のアドルフ・ドイッチェは、ロンドン出身のピアニスト。
14歳のときアメリカに移住、17歳には地元のサイレント映画館でBGM奏者になり、
1920年代から30年代にブロードウェイで作曲・オーケストラ用編曲の経験を積み、
30年代終わり頃からハリウッドでハードボイルド、西部劇、戦争映画、コメディなど多くの作品に作曲・指揮・編曲家として活躍している。
特にMGMミュージカル映画には欠かせない存在で、
『私を野球につれてって』『アニーよ銃をとれ(1950)』『ショウ・ボート(1951)』『バンド・ワゴン(1953)』
『魅惑の巴里(1957)』などなど。
スタンリー・ドーネンとは『掠奪された七人の花嫁』『我が心に君深く』のほかに、
オードリー・ヘプバーン、フレッド・アステア主演『パリの恋人(1957)』…ただしMGMではないが…ある。
この映画はミステリー仕立てではないけれど、脚色したレナード・スピーゲルガスの絶妙な伏線が光る。
挿入曲順に追ってみよう。
作曲はすべてシグムンド・ロンバーグ、作詞はオスカー・ハマースタインⅡ他。
① You Will Remember Vienna
ニューヨーク2番街のカフェ『ウイーン』女主人アンナ・ミュラー(ヘレン・トローベル)が、
ふと訪れた音楽事務所社長にシグムンド・ロンバーグ(ホセ・フェラー)
の新曲を紹介する。
 ♪人はウイーンを思い出すでしょう…とアンナが、望郷の念を込めてバラードを唄う。
「ダサいな、いまどきウイーン風は受けない、ノリノリの曲なら羊の脚だって、踊り出す」
酷評に腹を立てたロミー(ここからロンバーグをロミーとする)は…
② Leg of Mutton
社長の言い分を逆手にとって、クイックステップのダンス音楽を作曲、即興で詞も付ける。
 ♪…君が僕のハニーなら/ムニャムニャして/羊の脚もダンスする
アンナが唄い、ロミーと二人でコミカルなステップ。
アンナ役のヘレン・トローベルは、アメリカのソプラノ歌手。
メトロポリタン歌劇場のワーグナ―歌手として欠かせない存在だったが、ナイトクラブやキャバレーで唄ったことから総支配人ともめ…去り、
以後テレビ・映画・ミュージカルで活躍した。
オペラに疎い筆者はドラマチック・ソプラノよりも、
しみじみ唄った「枯葉」の彼女を傾聴している。 (youtubeでお聴きできます)
「羊の脚」がヒットして名が知られると、
音楽事務所を通さず直接交渉するためリハーサル中の興行主J.J.シューバートに会いに行く。
同席のドロシー・ドネリ―(マール・オベロン)の口添えで、新曲がレビューに採用されることになった。
③ 朝日のようにさわやかに (1st
sequence)
ド派手な肉体女優ギャビー役のタマラ・トゥマトバ(吹き替え:ベティ・ワンド)が、
アップテンポで唄い刺激的に踊る演出に曲されて(“編”の転換ミス)、
大きな期待で客席にいたロミーは居たたまれなく…退出してしまう。
 *:実際の「朝日のようにさわかに」は『ニュー・ムーン(1928)』の挿入曲。
   『ニュー・ムーン』はトライアウト(試験興行)が不入りだったので、
   数か月後に「朝日のようにさわやかに」「恋人よ、我に帰れ」を追加し、
   再演したところ1年3か月のロングラン公演に成功した。
④ 朝日のようにさわやかに (2nd sequence)
祝賀パーティの席で浮かない顔のロミーは、
「あのシーンに一つ足りないものがある」といって自らピアノで淡く…イントロを弾きだした。
 ♪朝日のように柔らかに、愛の光はそっと…
アンナが余情を深めるように唄う。
「これが僕の考える芸術だ」
改めて5年契約を求めるシューバートを拒む…が、
ドロシーの助言を受け入れ書類にサインする。
ウォルター・ピジョン演じる興行主J.J.シューバートは、
全米に86もの劇場を経営し600以上のショーを興行してブロードウェイ・ミュージカル発展に貢献したシューバート三兄弟(長兄リー、次兄サム)の末弟。
1914年、リー&J.J.シューバート兄弟制作の(サムは26歳のとき鉄道事故で他界)、
『世界は回る(The Whirl of the World)』で、ロミーはショー・ビジネスの世界に進出する。
⑤ Mr.and Mrs. (男と女)
『ミッドナイト・ガール』初日にテナー歌手が風邪でダウン。
代役で引っ張り出されたロミーが、ローズマリー・クルーニーと黄色のペアルック・デュエット。
ストーリーは実際と異なる設定が多く、
『ミッドナイト・ガール(1914)』は処女作をヒットさせたシューバート兄弟制作2作目だけれども、
「Mr.and Mrs.」はかなり後の『ザ・ブラッシング・ブライド(1922)』で挿入された曲である。
サイラス・ウッドの詞はスクリーンの向こう側まで詠んでいる。
♪Mr.(ロミー)and Mrs.(ロジー)/信じられないよ隣に君がいるなんて(ロミー)/
 司祭様が“誓いますか”(ロジー)/僕は大声で“誓います”(ロミー)/…
結婚指輪を捧げる振付もあるラブリーな歌と踊り。
映画製作時ホセ・フェラーとロジー(ローズマリー・クルーニー)は結婚したてで、リアルな睦まじさ。
⑥ I Love to Go Swimmin' with Wimmen (女の子と泳ぎに行きたいな)
幼年時ザ・ファイブ・ケリーズ(姉・兄・ジーン・妹・フレッド)で地元のボードビルに出演していたジーン・ケリーと、6歳年下の弟フレッドが、オブライエン兄弟役で登場する。
双子かと見誤る背丈、容貌のシンメトリーなステップが見られる映画は、ほかに無い。
 (youtube でご覧できます)
⑦ The Road to Paradise (楽園への道)
⑧ Will You Remember (忘れないで)
シューバート兄弟のプロデュースでヒットを続けたロミーだったが、当初から公演したい作品があった。
フローレンツ・ジーグフェルドを利用して、
タウンゼント(シューバート側の責任者)が長年OKしなかった念願の『5月の頃(May Time)』を実現させる。
2曲続けて、満開の桜の園、愛し合う青年と娘が主題歌を歌う。
青年役のビック・ダモンは甘いマスクと美声で1950年代のスター歌手。
俳優としても『艦隊は踊る(1955)』『キスメット(1955)』(MGM)など映画・TVに出演している。
娘に扮したジェーン・パウエルもティーンエージャーで歌手になり、
15歳で映画『ソング・オブ・ジ・オープン・ロード』(U.A.)に本人役を演じ、
1940年代から50年代には多くのMGMミュージカル映画で活躍した。
『艦隊は踊る(Hit the Deck)』にはこの二人のほか、
ウォルター・ピジョンと次のシーンにでるアン・ミラー、
最後の客演トニー・マーティンも出演している。
『5月の頃』はブロードウェイ2劇場同時公演を含む492回の大ヒットになった。
慢心したロミーは自ら制作に乗り出したが、
自信をもって発表した『ザ・マジック・メロディ』は失敗…プロデューサーの存在が重要と悟る。
作詞者,編曲者と3人で静かな別荘に閉じ篭ってシューバートが用意した台本の作曲に専念。
ひょんなことからリリアン・ハリス(ド‐・アブドン)を恋したロミーは仕事を放りだし猛アタック。
ようやっと招待に成功した気難しいリリアンの母と彼女の前で、
進捗を確かめに来たタウンゼントから未完成の『ジャザ・ドゥ』を強制的に試演させられる羽目になる。
⑨ Jazzadadadoo (ジャザダダドゥ)
女癖悪いドゥードゥー伯爵が悔い改めて結婚することになり独身会を開く筋書き。
純粋一本気を演じるホセ・フェラーの、独りミュージカル。
伯爵~婚約者~執事~女歌手~宮殿の衛兵~王様~王女ファテマ、
七変化・7分超えのハチャメチャな歌と踊りは──仰天のみどころ。
 ♪Girls Goodbye / Fat Fat Fatima / Jazz-Dada-Doo
完成を促すタウンゼントによってリリアンとの仲が疎遠になった1年後、
何かにつけロミーを支えてきたドロシーは執筆中の『学生王子』に曲をつけて貰いたいと頼むも、
傷心の彼はそれどころではなかった。
                (月日が経って…)
     実らない恋では終わらないきっかけになる『画家とモデル』のステージ
⑩ It(それ)
映画で一番ゴージャスなミュージカル・シーン。
カラフルなコスチューム男女たちが陽気に踊りまわる、楽器を持って踊る者もいる、
妖精の挑発で踊りが更に激しくなる。
 ♪ひと言で言いあらわした/…/彼女はそれを“それ”と呼んだ/…
真紅のドレス、アン・ミラーのコケティッシュな唄とダンスは、
いつもながらの見せ場…後半2分強の軽妙なタップは圧倒される。
幼いころからボードビルなどでダンサーだったアン・ミラーは高校卒業後、
RKOからスカウトされ映画界入り、他の会社を経て、
『イースター・パレード(1948)』のフレッド・アステア相手役でMGMに転じ、
『踊る大ニューヨーク』『キス・ミー・ケイト(1953)』『艦隊は踊る』などでも活躍した。
恒例のミュラー主催パーティでリリアンと再会したロミー、
{まだ望みがある}とドロシー依頼の作曲に気合が入る。
21歳でブロードウェイ・ステージに立っていたドロシーは、
30代半ばから脚本家、劇作家、プロデューサーとして活躍していた。
脚色・作詞で初めてロミーと組んだ『花咲く頃(Blossm Time)』はクラシック音楽を使った最初のブロードウェイ・ミュージカルとして大ヒット。
⑪ セレナーデ
『学生王子(The Student Prince)』はドイツ戯曲『懐かしのハイデルベルク』に基づいてドロシーが作詞・脚色したもの。
1924年から26年にかけてブロードウェイ4劇場608回という20年代ミュージカル最高を記録している。 *:因みにその次は516回の『花咲く頃』
大勢の学友コーラスを従え、カール・フランツ王子に扮したウィリアム・オルビスが、
バルコニーに立つ下宿屋の娘カティーに愛を打ち明けるシーン。
 ♪夜空に月は輝く/こづえに咲く白い花のように/…
26歳のオルビスは役柄年齢に相応しい青春賛歌だ!
  *:ウイリアム・オルビスを検索すると、
    同名の息子ウイリアム・オルビスにヒットしてしまう。
    ニューヨーク・メトロポリタン歌劇テノール歌手:父ウイリアム・・オルビスより、
    作曲者:息子のほうが有名?
    蛇足:90年代にNHKで放映された『ドクター・クイン大西部の女医物語』の音楽は、息子の曲。
タクトを下ろし、楽団員もいなくなり、振りかえったロミーの前に、
「来ちゃったわ」リリアンがいた。 
⑫ One Alone  (ひとりぼっち)
1920年代最高のオペレッタと評される『砂漠の歌(The Desert Song)』挿入曲。
『砂漠の歌』はロミーがオスカー・ハマースタインⅡと初めて組んだ作品で⑩ It も使われている。
北アフリカ、イスラム教寺院をセットにした2幕目、
白いシースルーのドレスで唄う神秘なシド・チャリシー(吹き替え:キャロル・リチャード)、
 ♪ あの人が望めば私はささげたい…/もしもあの人が私だけのものなら
そ~っと青のタイトな服を着たジェームズ・ミッチェルが抱きしめる。
アラビアン・リズムに乗って白と青の卍踊り──
まるで氷上を滑るよう、大胆でアクロバティック、ここまで激しい彼女は初めてだ。
少女時代にバレエを習っていたチャリシーは、20代で映画界にデビューすると、
ミュージカルの看板2大ダンサーのフレッド・アステア、ジーン・ケリーの相手に抜擢されて10数本のMGMに出演している。
⑬ Your Land and My Land
次はドロシーが書いた『私のメリーランド』
北軍将校姿のハワード・キールが、南軍将兵の前で高らかに歌う。
 ♪北から来た男が南の男と握手…/それぞれの国がいつかは一つの国に…/
どちらの先頭にも星と横じまが翻る…/Your Land and My Land…
北と南の軍旗を中心にコバルトブルーとスカイブルーの軍人が交じり合って行進する。
オスカー・ハマースタインⅡに認められミュージカル『オクラホマ』で成功したハワード・キールは長身とバリトンで1950年代を代表するミュージカルスター。
MGM映画『アニーよ銃をとれ』『ショウ・ボート』『キス・ミー・ケイト』『掠奪された七人の花嫁』など多数に出演、
80歳を過ぎてもミュージカルにかかわった。
『私のメリーランド』初日、ドロシーは病床に臥しリリアンとアンナが付き添っている。
ロミーは好評を告げて次のアイデアを語り出すが、容態を自覚しているドロシーは、
「アンナ 唄って」
⑭ Auf Wiederschn (さようなら)
 ♪愛は永遠に生きる/別れを口にせずに…
  ずっとあなたを守りながら/アウフ・ビーダーゼーン…
アンナ、鎮魂の歌声。
「アウフ・ビーダーゼーン」はロミーがデビューした『世界は回る』の翌年、
ウイーンのオペラを原作にした『青き楽園(The Blue Paradise)』の挿入歌で作詞:ハーバート・レイノルズ。
ヒロインが涙をこらえて唄うロマンティックでセンチメンタルな曲。
⑮ 恋人よ、我に帰れ
ドロシーを亡くし悲しみを払うようにロミーはハマースタインⅡと、『ニュー・ムーン』を完成する。
 *:ハマースタイン(ミッチェル・コワール)が登場するシーンが2回ほどあるも、
   セリフなしのチョイ役。
 ♪ザ・スカイ・ワズ・ブルー(空は青々と)/アンド・ハイ・アバーブ(高く澄み渡り)/
      ザ・ムーン・ワズ・ニュー・アンド・ソー・ワズ・ラブ
              (月はみずみずしく 愛もまた同じだった)/…
トニー・マーティンが、スタンダードの名曲「恋人よ、我に帰れ」を朗々と歌い上げる。
ふだん男女を問わずアップ・テンポで聞かされているので、
このバラードは、とても貴重だ。  (youtubeでご覧できます)
彼は1930年代後半から50年代半ばまでに数十曲のヒットを記録したポピュラー歌手。
23歳のときトニー・マーティンの芸名でRKO,20世紀フォックスを経て、MGMミュージカル映画に多く出演している。
余談だが、2番目の妻シド・チャリシーと1948年に再婚し彼女が亡くなるまで一緒だった。
 ♪ザ・スカイ・イズ・ブルー(空は青く)/ザ・ナイト・イズ・コールド(夜は冷たい)/
   ザ・ムーン・イズ・ニュー・バット・ラブ・イズ・オールド
               (月はみずみずしいが 愛はたそがれた)/
過去(ワズ)を偲び現在(イズ)の想いを歌う彼に、
彼女(ジョン・ウエルダン)が駆け寄り…合唱する。
 ♪ここで君を待つ間/僕は歌い続ける/恋人よ もどってくれと

シグムンド・ロンバーグとオスカー・ハマースタインⅡのコンビは全部で5作品あって、
大ヒットの『沙漠の歌(1926)』『ニュー・ムーン(1928)』以外に、
『五月の酒(1936)』はまずまずだったが『イースト・ウインド(1931)』『サニー・リバー(1941)』は不発だった。

失望したロミーをリリアンは、
「単なる作曲家ではなく国を代表する芸術家になるべきだ」とカーネギ―・ホールでコンサートを勧めた。
尻込みするロミーを発奮させようとアンナが唄った…
 ♪夢を持つ者たちよ/動き出せば、それはかなう…/
 ⑯ Stouthearted Men (勇敢な男たち)
これも『ニュー・ムーン』で、
自由独立国を建設するため身分を隠した貴族が歌った曲。
画面はスライドしてロミー指揮するカーネギー・ホール…
 ♪勇気ある男たちが/
            一人一人手をくんだなら/
オーケストラをバックにアンナ、面目躍如のワーグナー歌手。
⑰ When I Grow Too Old to Dream (夢見る頃を過ぎても)
観客の拍手を受け、アンナを称えたあと、ロミーは妻に捧げる新曲を歌う。
 ♪夢見る頃を過ぎてしまっても/覚えていてほしいことがある/…
  君の愛は僕のこころの中で生きている…
           フォー・マイ・ワイフ、オブ・マイ・ワイフ、トゥー・マイ・ワイフ

                     ─END─

 

  


 

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華麗なるミュージカル(3)

2018-07-09 | 音楽

ボールを投げたりバットを振ったことの無い者でも、
“大谷派二刀流”開祖の戦績は、ただただ、驚愕する。
奪三振やホームランだったことは承知しているにも関わらず、番組表に“大谷”の文字があれば頻繁にチャンネルを追いかけてしまう。
ジャズの聴き方に譬えると、
繰り返し各局が映す同一シーンはテーマ(主旋律)のようで、
各局趣向を凝らす解説等はアドリブ演奏といえる。
4月のある日、テレビA午前の情報ワイドショー番組に〈なんだ!これは〉
 《10:25 圧巻大谷翔平!!躍進の裏に「81マス」秘ペーパー》
因みに同時間帯のライバル局は、
  10:25 “二刀流”大谷快進撃 地元熱狂&報道も過熱
   歴代日本人メジャーとメディア評価を検証…だった。
〈ホワット・イズ・「81マス」?〉、〈ホワット・イズ・秘ペーパー?〉
当日午後のワイドショーにも、また日を改めても、この表題は見当たらない。
ひょっとしてスポーツ紙で取り上げたかもしれないけれど、
その“謎”は…マンダラートというユニークな発想法だった。
マンダラートは語感から察しがつくように、仏教で知られる左右対称の「曼荼羅」模様に似た形状から、開発した日本人デザイナー今泉浩晃氏が「曼荼羅」と「アート」をもじってつけたという。
曼荼羅(Mandara)
はサンスクリット語で、語源は不明ながら「本質を得る」と解釈されている。
通常は円形または方形な図形で、中心の主題を取り巻く諸主題との相互関係で宇宙を象徴的に表現している。

大谷翔平は、9分割された正方形を主題に同じく9分割の諸主題を、
上下左右に配した9×9=81マスに、花巻東高野球部1年生のとき “目標達成シート” として作成していた。
オオタニサーンの…中心主題の…核の…マスは…なんと?
ここはTVの手法をまね、詳細を隠す思わせぶりの“紙”を,
エイっと…剥がしたいところだが、
                【ドラ1 8球団】
ミュージカルの世界にも“二刀流の達人”(ここだけの表現)がいる。
19世紀後半から80年間でヨーロッパを中心に3700万人という移民がアメリカに夢を求めて渡ったと云われている。
ニューヨークのダウンタウンには庶民クラスの移民達が、白人が黒人の真似をするミンストレス・ショー、ボードビルの軽喜劇、ヨーロッパ風オペレッタなど手軽な金額で楽しめる娯楽があった。

当初の稚拙だった歌・踊り・ストーリーを、
豪華な舞台装置・色彩豊かな衣装・脚線美ダンサーなどミュージカルに欠かせない要素を持った作品として、1866年9月、ブロードウエイのニブロス・ガーデン劇場で公演された『黒い悪魔』が、ブロードウエイ・ミュージカル第1号とされている。

19世紀終わり頃から20世紀初頭までミュージカルは作曲家中心に作られていた。
●草創期に最も活躍したビクター・ハーバート(1859.2.1─1924.5.26)は、アイルランド・ダブリン出身で1886年渡米。
1894年、最初のオペレッタ『嘘つき王子』でブロードウエイ・デビュー、
『セレナード(1897)』『占い師(1898)』『赤い水車(1906
)』などのヒットに続き、
最高傑作『お転婆マリエッタ(1910)』を作曲している。
●故郷のプラハ音楽院でドボルザークから作曲を学んだ後、
1906年アメリカに永住したルドルフ・フリムル(1879.12.7─1972.11.12)は、『お転婆マリエッタ』のハーバートが断った『蛍(1912)』を作曲しブロードウエイ・オペレッタを担うことになった。
代表作『ローズマリー(1924)』『放浪の王者(1925)』はそれぞれ2度映画化された。
 〈余談だけれど松竹映画『蒲田行進曲』の原曲は『放浪の王者』主題歌「放浪者の歌」です〉
●ハンガリー生まれのシグムンド・ロンバーグ(1887.7.29─1951.11.9)は、ウイーンで作曲を学びイギリスを経て渡米。
 〈独り言:ハーバートやフリムルは全く知らない人物だったので調べていたけれど、
  ようやっとジャズ・ファンなじみ作曲家の…お成り~だ〉
フリムルより1年ほど遅れ、レビュー『世界は回る(1914)』からスタートしブロードウエイに共作を含め65作品を残している。

1910年代には、
ニューヨークに移住したイギリス人ユーモア小説家:B・G・ウオードハウス(1881.10.15─1975.2.14)、
両親がデンマークからの移民で苦労した後、初めての『三組の双子(1908)}』がブロードウエイでヒットしたオトー・ハーバック(1873.8.18─1963.1.24)、
ボードビリアンの父を持ち大学時代に書いた詩がアル・ジョルスンの『シンバッド(1918)}』で採用されたB・G・デシルバ(1895.1.27─1950.7.11)、
アイラ・ガーシュインオスカー・ハマーシュタインⅡたちにより、作詞家が作曲家と同等に評価されるようになった。

前置きが長くなって申し訳ない、
作曲・作詞二刀流の達人といえば…
ご存知、アービング・バーリンとコール・ポーター。

しかし、どんな世界にもアメイジングな人物はいる。
俳優・歌手・ダンサーであり、作曲家・作詞家・脚本家・演出家・プロデューサーの肩書きを持ちブロードウエイ・ミュージカルの基礎を築いたジョージ・M・コーハンだ。
コーハン(1878.7.3─1942.11.5)は、両親がボードビリアン芸人だったため、学校には行かず家族とアメリカ中を回っていた。
ボードビル界のスターになっても夢はブロードウエイに打って出ることだった。
愛国心の強い激しい役柄を演じて観客の心を掴んだコーハンの伝記映画がある。

【ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ】(原題:Yankee Doodle Dandy)
1942年:米ワーナー・ブラザーズ (モノクロ 126mins)

劇場公開:86年*第2次世界大戦のため大幅に遅れた。
監督:マイケル・カーティス
*『カサブランカ』『夜も昼も』『情熱の狂想曲』『ホワイト・クリスマス』がある。
作詞・作曲:ジョージ・M・コーハン
主な出演者
 ジェームズ・キャグニー(ジョージ・M・コーハン)
 ジョーン・レスリー(ジョージの妻:メアリー・コーハン)
 ウオルター・ヒューストン(ジョージの父:ジェリー・コーハン)
 リチャード・ウォーフ(サム・ハリス)
 アイリーン・マニング(フェイ・テンプルトン)
 ジョージ・トビアス(ディーツ)
 ローズマリー・デ・キャンプ(ジョージの母:ネリー・コーハン)
 ジーン・キャグニー(ジョージの妹:ジョシー・コーハン)

  {あらすじ&みどころ}
            「大統領なんて嫌さ」
                 ジョージ・M・コーハン主演
10年ぶりのミュージカルで大統領役を演じたジョージ・コーハン(ここから単にコーハンとする)は祝電の中に合衆国大統領の招待があり、
叱責も覚悟してホワイトハウスに出頭する。
 「どうかね 私の役は?……新聞は君が私より、よい大統領だと書いている」
フランクリーに話しかけるルーズベルト。
緊張が解け「あのころで?」と、コーハンが語り出すところから映画が始まる。
ボードビリアンの父ジェリー、母ネリー、1歳年下の妹ジョシーと“コーハン4人組”で旅回りを続ける彼は幼いころからスターだった。
成人したコーハンは、後に妻となるメアリーに自作曲を独断で唄わせ興行主と大喧嘩…芸能界から締め出されてしまう。
どこにも出演出来ず自信ある作品も買ってくれない日々が続いた。
芸能社でおたがい売り込みを断られた同士のサムと作った『小さなジョニー・ジョーンズ』(*1)がブロードウエイの出世作になった。
ソプラノ歌手フェイ・テンプルトン(*2)の為の『ブロードウエイから45分』も成功。
街中にある看板の“原作・作詞・作曲・主演”が気に食わないと芸人フォイに絡まれた『ジョージ・ワシントン・ジュニア』は各地で好評を博し、人気は高まるばかりになるが、両親が農場生活を希望し妹も結婚することになって、“4人組”は解散した。
独りコーハンは、ドタバタ喜劇だけと云われるのを見返そうと内容の濃い劇『人気』を上演した。
ところが初日から散々、すぐ公演を打ち切る事態…
追い打ちをかけるように、舞台の出来より気になる事が持ちあがる。
“ルシタニア号、独潜艦に撃沈される!”(*3)の号外。
第1次世界大戦勃発!米国参戦!
愛国心強いコーハンは陸軍に志願するも年齢制限で却下され従軍慰問に情熱を注ぐ。
ラッパのリズムをヒントに作曲した ♪オーバー・ゼア は勝利賛歌になった。
コーハンは次々にショーを成功させるなか、母と妹を亡くし、父も失うと、
長年の“コーハンとハリス(サム)”コンビを解消、引退して妻と二人で農場暮らし。
名前すら知らないという若者たちから ─ 時代の変わり ─ を感じるコーハンに、
サムから新作に出演して欲しいと要請される。
   劇場のネオン看板:
        “「大統領なんて嫌さ」
        ジョージ・M・コーハン”
フランクリン・ルーズベルトに扮したコーハンのラスト(*4)に、喝采の嵐。
   (映画は冒頭の大統領室のシーンに戻る)
長い話を聞き終わった大統領が、
 「芸能人では君が初めてだ」と米国精神に対しての名誉勲章を授けた。
外に出ると “オーバー・ゼア” を歌って行進する兵士たち。

 〈純真な愛国者でアメリカン・スピリットの塊のようなコーハン、
  小柄だけどコーハン本人より強烈な印象を演じたキャグニー、
  二人は血気盛んな気質を持つアイルランド系アメリカ人で、
  ともにボードビル出身者〉

この映画は好奇心を刺激するところが多い。
(*1)作曲・作詞・脚本・主演コーハンが初めてヒットした3作目の『小さなジョニー・ジョーンズ』は、
“ヤンキー・ドゥードゥル号”でイギリスのダービーにでるアメリカ人騎手ジョニー・ジョーンズが、
恋と悪意に振り回される物語である。
3幕16曲中、コーハンが歌って踊る最もポピュラーな2曲がある。
♪ヤンキー・ドゥードゥル・ボーイ(Yankee Doodle Boy)
  おいらヤンキーさ/まだ負けた事がない/本命中の本命…
ハンチングを被ったジョニー(コーハン=キャグニー)が前傾で大股に、
舞台いっぱい左右に歩きながら、演説調で歌い…ダイナミックに踊る。
   ─最下位に終り八百長レースを疑われる─
名誉挽回のためロンドンに残ったジョニーは、アメリカに帰る友人を見送る。
♪ブロードウエイによろしく(Give My Regards to Broadway)
友人は「ロケットが上がったら無実の証明」と言い残す。
岸壁で去りゆく客船の上にロケットを見、
喜ぶジョニーのタップ・ソロ…
申し訳なかった、ボードビル出身は伊達じゃない、
ギャング・スターと軽視してきたキャグニーは、フレッド・アステアやジーン・ケリーのタップ・ダンスと違う
“エアロビクス”の清々しさがあった。
(*2)粗野で傲慢で自惚屋と評されたコーハンの先入観を払拭するシークエンスがある。
女優候補のフェイ・テンプルトンと交渉中、彼女が言った言葉をヒントに作った『ブロードウエイから45分』にまつわる場面。(とだけ紹介しておく)
テンプルトンは3歳で既に父親の幕間に童謡を唄っていたが、
20歳にはコミック・オペラ『エバンジェリン』の再演でブロードウエイ・デビューを果たしている。
『ブロードウエイから45分』は3幕5曲でミュージカルらしくないが、
映画の彼女役アイリーン・マニング(ソプラノ歌手で女優)がその中の2曲を唄っている。
♪メアリーなんて古くさい名前(Mary is a Grand Old Name)
  わたしの母の名はメアリー/心が清く誠実だった/名前がメアリーだったから…
貴婦人すがたのテンプルトンの独唱。
♪さよならメアリー( So Long Mary)
テンプルトンと8人男性コーラスのコール・アンド・レスポンス、
  送っていただいてうれしいわ~さよならメアリー
  さよならメアリー~行かせたくないよ…
寂しさの、でも、コミカルな振付は、楽しめる。
20年越えのブロードウエイ・キャリアがあるテンプルトンを全く知らなかったけれど、
ジャズ・ファンにとって貴重なプレゼントを残してくれている。
1906年初演の『ブロードウエイから45分』出演後、結婚のため引退。
夫に先立たれると、舞台に復帰。
ヨーロッパを舞台にしたジェローム・カーンの『ロバータ(1933)』伯母ミニー役が最後になったが、
なんとまあ、彼女はスタンダード曲♪イエスタデイズ(Yesterdays)を創唱していた。
なお、『ロバータ』には同じく♪煙が目にしみる(Smoke Get in Your Eyes)もあって、
こちらは、ステファン王女役のタマーラ・ドレイシンが唄った。
作曲者カーンはプロットに沿って「イエスタデイズ」「煙が目にしみる」を書いたのではないようで、
テンプルトンはどんな唄い方をしたのだろうか。
   〈ちょっと道草を食べさせてもらう〉
ミュージカル・ロバータは2度映画化されている。
初めの映画『ロバータ』(1935年制作・同年日本公開)では アイリン・ダンが2曲とも唄った。
 *1952年の『Lovely to Look At』は未公開
テンプルトンと場景(場面の様子)が違うと思うが、
アイリンは、伯母を寝付きよくするシーンで、せつせつと唄っている。
スタンダード曲ランキング9位の「イエスタデイズ」だけあって名演盤が山とあるけれど、
インストより曲想に添う女性ボーカルで聴いてみたい。
エラ・フイッツジェラルド、カーメン・マクレエ、ジューン・クリスティ…
お薦めは、『奇妙な果実/ビリー・ホリデイ』
ビリー・ホリデイ全盛期の4セッション・16曲をまとめたコモドア盤。
♪奇妙な果実(Strange Fruit)から始まる1939年4月20日のセッション4曲は、
彼女一代の絶唱である。
2曲目が♪イエスタデイズ
  過ぎ去りし日々/あの懐かしき日々/
  幸せで甘美世間のことを忘れていたころ…
            (ジャズ詩大全3:村尾陸男訳より)
神妙なピアノのイントロ…
ゆっくり、平静に、語りかけるよう、唄いはじめる。
アップテンポになったピアノ、哀歓のサックス間奏のあと…
抑えながらも、たかぶる感情…
最後、祈る、♪Yeaterdays ♪Yesterdays
       もう一枚!
初リーダー・アルバム『ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン』も、
いいな~    〈こんな優柔不断は、有りだよね〉
(*3)『続:気になる伝記映画』の章で触れているルシタニア号事件というのは、
コール・ポーター最初のブロードウエイ・ミュージカル『まずアメリカを見よ』初日とぶつかって、公演が中止に追い込まれるというエピソード。
コーハン意欲作『人気』も、この事件で公演打ち切りになる事態。
どちらも実際には事件と公演の時系列に矛盾があるのだけれど、フィクションにし易いのは余ほど重大だったに違いない。
(*4)10年ぶりに復帰した舞台は、
リチャード・ロジャース作曲:ロレンツ・ハート作詞:サム・ハリス製作の『やっぱり正しくありたい』である。
《独立記念日にセントラル・パークにいたペギーとフィルのカップルは、
社長から「国家予算引き締め政策のせいで」給料を上げて貰えず結婚できないことを嘆いていた。
公園で眠ってしまったフィルは、閣僚や最高裁判事たちを引き連れたルーズベルト大統領の夢を見、
悩みを訴える。
大統領は若い二人を救うと約束。
♪国家予算を立て直そう(We're Going to Balance the Budget)を歌い、踊るコメディ》
ホワイトハウスを背に右手の人差し指を突き上げるコーハンのポスターはルーズベルトの化身そのものに見えるけれど、映画でルーズベルトに扮したコーハンを演じるキャグニーも、ピッタリ。
♪記録を消せ(Off the Record)
シルクハット・タキシード姿、ステッキを肩に担ぎ、前傾姿勢、舞台を左右大股歩き…
議員たちが並ぶ長~いテーブルに飛び乗り・飛び降り、
本音を歌っては、これはオフレコだよ…
3分を超えるコーハン最後のパフォーマンス。
日本語字幕は“さらり”と出るが、どうしてどうして奥が深い。
ジャズでいえばバースにあたる出だしの歌詞は、
…何を言っても新聞にでる…エレノアとデートしていたころだ…
エレノアさんは、フランクリン・ルーズベルトの遠縁で第26代大統領セオドア・ルーズベルトの姪で、
デートしていたころはセオドアが2期目の選挙中のこと。
 ♪当選ときまってなきゃ/大統領選にでたくない/
   書かんでくれ秘密だ(Off the Record)
 〈え、ええー、いいのかなあ、そんな歌を歌って。なにかと本音発言の先生方に必見?〉
19世紀に遡るとルーズベルト家は民主党と共和党に別れたようで、
フランクリンは民主党、セオドアは反対の共和党から立候補して当選している。
しかし、フランクリンとエレノア結婚のように両家は親交が深かったみたい。

オスカー・ハマースタインⅡの要請でタイムズ・スクエアにミュージカル俳優で唯一人
              ★ブロードウエイによろしく★
という碑文入りのコーハン銅像が献じられた。

   補遺:映画ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディは、第15回(1942)アカデミー賞の
       主演男優賞:ジェームズ・キャグニー、録音賞、ミュージカル音楽賞を受賞した
       大谷翔平のマンダラートはYoutubeでご覧できます

                          END

 

   

 

 

    

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