響庵通信:JAZZとサムシング

大きな好奇心と、わずかな観察力から、楽しいジャズを紹介します

続々々気になる伝記映画

2021-02-12 | 日記

)ミュージカル5大作曲家最後の一人がニューヨークの著名なドクターの家に生まれたリチャード・ロジャースである。
ミュージカル好きの両親が家で歌ったり演奏したりしていたので、耳覚えで6歳からピアノを弾き始め、
10代中ごろにはアマチュアのショーに曲を書いていた。
コロムビア大学時代に途中から現ジュリアード音楽院で2年間正規の音楽理論・作曲法を学び、大学卒業後は
ミュージカルに専任する道を選ぶ。
学生時代にミュージカル『Poor Little Ri
tz Girl (1920)』に1曲参加してブロードウェイデビューした。
ミュージカルから生まれたスタンダード曲数は先輩4氏を抜きトップ。

最初の名コンビ:ロジャースとロレンツ・ハートの伝記映画がある。
『ワーズ・アンド・ミュージック』 (原題:Words And Music)
1948年:米MGM (カラー 120mins) 日本未公開 (日本語字幕DVDあり)
製作:アーサー・フリード  監督:ノーマン・タウログ
作曲:リチャード・ロジャース  作詞:ロレンツ・ハート
主な出演者;トム。・ドレイク (リチャード“ディック”ロジャース役)
                 ミッキー・ルーニー (ロレンツ“ラリー”ハート役)
                  ジャネット・リー (ドロシー:フェイナー・ロジャース=夫人役)
                  ベティ・ギャレット (歌手:ペギー役)
                  ジャネット・ローラン (ハート母親役)
                  アン・サザーン (歌手:ジョイス・ハーモン役)
                  ペリー・コモ (エディ役&本人=finale)
  客演:ジューン・アリソン  リナ・ホーン  ジュディ・ガーランド  メル・トーメ
                               ジーン・ケリー&ベラ・エレン

プロット
リチャード“ディック”ロジャース(トム・ドレイク)は親友ハーブ(マーシャル・トンプソン)の紹介で、
良い曲を探している作詞家ロレンツ“ラリー”ハート(ミッキー・ルーニー)に会う。
奔放なラリーに振り回されながら新曲「マンハッタン」が出来上がったが、売込みは、失敗した。
それでも二人は諦めず特にラリーは積極的に歌詞を書き続ける。
2年間どこの出版社からも断られ親の脛に頼っているディックは惨めになり、
ベビー服のアパレルで生計する決意をラリーに告げ…謝った。
「大勢でお別れパーティーをしよう」…ラリーは快諾してくれた。
盛況の会場に歌手のエディー・アンダース(ペリー・コモ)が現れる。
彼は連れのダンサー:マーゴ・グラント(シド・チャリッシー)、歌手:ペギー・マクニール(ベティ・ギャレット)をみんなに紹介した。
ラリーはペギーに一目ぼれ、いつか自分たちのショーに出演させる約束をする。
二人にとってビッグなチャンスが飛び込んできた。
『ギャリック劇場』のオーケストラボックスでタクトを振るデ
ィック。 ラリーは客席の後方でご満悦。

新聞評:ロジャースは有望な作曲家だ~作者は才能豊かな新人ロレンツ・ハート~
芝居を書いたのは無名の新人ハーバート・フィールズ~エディ・アンダースの歌も見事…と、絶賛。
続いて次のショーも決まる…ラリーはペギーに電話する、「出演してくれ」、
ところがプロデューサーは売れている歌手ジョイス・ハーモン(アン・サザーン)と契約した。
「気にすることないわ  地方を回る仕事が入ったの」と平静に振舞うペギーに、ラリーは壁を察した。
ラリーの人生を左右する出来事だったが、ディックのハートはジョイスに向かっていった。
彼女に胸の内を明かすと、「33歳の女にとって1か月の差でも大きい23歳の貴方と恋は無理」とバッサリ。
友人の妹を誘って映画でも見るか、「兄の友人はみな年寄り」とアッサリ。
1日のうち二人から正反対の理由で、見事に振られる始末。
ディックはついていなかったが、 ラリーの“恋”は深刻。
ペギーから指輪を返され「好きだけどあなたとは結婚できない」 「悪いのは僕だ 心の底では解っていた」
身長5フィート弱小柄なラリーは初めて会ったときから10センチ高い彼女にコンプレックスを持ち続けてきた。
相思片愛(ここだけの造語)のラリーは誰にも告げず姿を消す。
「もう恋はしない」癒しの旅から戻ったラリーとディッ
クの新作ロンドン公演が、成功裡に終わり、
帰国する船の中で早くも次作に取り掛かったディックは、主役にペギーを考えた。
一刻も早く伝えたいラリーは「必ず来てくれ」と連絡…しかし、彼女は桟橋に居ず?、電報を受け取った。
〈行けなくて ごめんなさい 映画の仕事で西海岸に行きます〉    諦めきれないラリーは西海岸へ。
ディックは偶然同じ船に乗り合わせていた友人ベン(リチャード・クイン)と、大人びて見違えた妹ドロシー(ジャネット・リー)に会った。
誕生パーティーのお誘いがあり、急速に親愛を深め、二人は結婚、
新婚旅行は西海岸とし、“鬱”に苦しむラリーを何とかしたいと同行を奨める。
ラリーもビバリーヒルズに超豪邸を借りハリウッド映画を何本か撮った後、ディックの家族と一緒に東部に帰ることにした。
列車の中でも次の作品を熟考していたが、途中、ラリーは「行くところがある」と言って、また行方が判らなくなった。
ラブソングが書けないで彷徨していた時、フッと、自分の言葉が蘇る!  ディックのもとに急ぐ!

人生の失敗をドロシーに吐露すると「一緒に暮らしましょう もう一度ディックと仕事して欲しい」
再起のショーが上演され、賛辞が続く…の真っ最中、
突然“こめかみ”を押さえラリーが倒れる。   ラリーは重症だった。
1920年代最大のヒット『コネチカット・ヤンキー』再演に拘るラリーは、
医者の目を盗み、傘もささず雨中を劇場に、  ショーが始まるのを確かめ、  
病院に、戻ろうと…よろけ、   そのまま──水たまりに。
   
      * 実録のハートは開演5日後に亡くなった ロジャース=ハート最後の作品でしかも公演回数最多『By Jupiter』の終演から半年後のことだった

観どころ聴きどころ
      * ガイ・ボルトンの台本は実録を編集してロマンチックなストーリーになっている
     映画の進行に従ってロジャース=ハートの名曲を追った
    曲名の後の(カッコ)は初出: f…映画 無印…ミュージカル  (下線)はスタンダード曲を示す
Lover ( f Love Me Tonight =邦題:今夜は愛して頂戴ナ 1932)
オープニング・クレジット、オーケストラ演奏と混声合唱団。
Manhattan ( The Garrick Gaieties 1925)  
ラリーが歌詞をつける冒頭シーン。 
ラリー、ディック(吹替ビル・リー)、ハーブ三人で合唱。
    * ロジャース=ハートの処女作ミュージカル『ギャリック・ゲイエティーズ・1925』主題曲「マンハッタン」が初スタンダード曲になった
           自動車の広告ページ余白に乱れ書きしたメモをたどりラリーが歌う you tube は必見
           Manhattan Mickey Roony (2分10秒)でどうぞ
 “ハーブ”本名はハーバート・フィールズ、ニューヨーク生まれの台本家・脚本家。
ディック=ラリー=ハーブ三位一体の『ギャリック・ゲイエティーズ・1925』から7作品
コール・ポーター、シグムンド・ロンバーグ、ジョージ・ガーシュウィン、アービング・バーリン、ビンセント・ユーマンス、ジミー・マクヒューなど
生涯ブロードウェイ・ミュージカルの台本・脚本を書いた。
妹ドロシー・フィールズも作詞家・脚本家で♪The Way You Look Tonight / A Fine Romance / On The Sunny Side  of The Street /
 Don't Blame Me などのスタンダード曲を残している。 
There's A Small Hotell (On Your Toes 1936)
ディックお別れパーティー会場でエディーの連れペギー(ベティ・ギャレット)が赤いドレスで、シックに唄う。
“…願い事がかなう井戸が 小さなホテルにある…”
ベティ・ギャレットはミュージカル初期黄金時代に舞台・映画で活躍した女優・歌手。
1947年、MGMと1年契約した彼女はタウログ監督『ビッグ・シティ(1948:日本未公開)』で映画デビューし、次作(本映画)で2曲披露。
ミュージカル映画ではないがMGMで『私を野球につれてって(1949)』 『水着の女王(1949)』 『踊る大紐育(1949)』に続けて出演。
準主役扱い『私を…』 『踊る…』ではフランク・シナトラの恋人役。 後にコロムビア映画などに数本撮っているが日本未公開。 
Mountain Greeney (The Garrick Gaieties 1926)  [山は緑に]
 “…神様が描いた景色は 緑がいっぱい 恋人たちが いつも一緒…” 
 “山の中が一番 都会よ さようなら…”
自然に憧れるエディが歌い、大勢の若者たちと緑に満ちた山で…ワイワイ楽しむシーン。
ぺりー・コモはビング・クロスビー、フランク・シナトラと並び20世紀を代表するポピュラー・シンガー、
ロジャース=ハマースタインの『南太平洋(1949)♪魅惑の宵』 『王様と私(1951)♪ハロー・ヤング・ラバーズ』、
他に『酒とバラの日々(1962)♪The Days of Wine and Roses』 『追憶(1937)♪The Way We Were』など嬉しい映画のヒット曲もある。
     おすすめ you tube : Perry Como & Ensemble ' Mountain Greenery ' (4分21秒)
   【寄り道】 この26年版の『ギャリック・ゲイエティーズ』から♪マウンテン・グリーナリーが2番目のスタンダード曲になった
♪ Way Out West (Babes in Arms 1937) [抱かれたベイビー] (映画邦題:青春一座 1937)
 主役になれないことを告げるラリーは、彼女の出演しているカフェを訪ねる。
彼女は、西部(ウエスト)とウエストをひっかけた歌詞をコミカルな振付けで唄っていた。
 コメディアンの下地があるのだろうか、可愛い。
 ♪ Where's That Rainbow  ? (Peggy Ann 1936) 
 ラリーの思惑を封じたショーの幕が上がる。
 黄色のドレス、虹をあしらった帽子のジョイス・ハーモン(アン・サザーン)が唄い、
 黄色の蝶ネクタイ、白ずくめのシャツ・舞台服・靴のラモン=ロイス兄弟、男女ダンサー達が…綾なす踊り。
 アン・サザーンは、20歳でプレコード期の映画(アメリカ映画界自主規制以前のハリウッド映画)に)出て、その後にワーナーブラザーズ、
 ユナイテッド・アーチスツ、20世紀フォックス、パラマウント、コロムビア、RKOなどで30本以上撮って、
  1939~59年まで20本ほどMGMにクレジットされている。
 サザーンはミュージカル映画『レディ・ビー・グッド(1941)』 『パナマハッテイ(1942)』に出演しているが日本未公開、
 30歳からはビンセント・ユーマンス、サミー・フェイン、ジョージ・ガーシュウィンらのミ
ュージカルでハリウッドとブロードウェイを往復し、
 1950年代から70年代にテレビシリーズで人気を博した。
 カップルが次々に組まれていくのに相手にされないジョイスが、バースの2番から唄う。
   “…本当に運がない 呪われているみたい…このごろは 悪いことばかり…”
 こんな風に訳されては(日本語字幕:篠原有子)主役を奪われたペギーも浮かばれるだろう。
 双子兄弟、透けるようなドレス
・ピンク帽子の女性ダンサー群、
 ジョイス、スカイグレー上下・紺青ネクタイの男性ダンサー群の二手に分かれタップダンス・バトル。
   おすすめ you tube : Ann Sothern-Where's that Rainbow ? (3'52")
     【寄り道】 ラモン&ロイス兄弟の経歴は不明だが『私を野球につれって』にチームメンバーというクレジットがあるけれどセリフなし
          得意のダンスもケリー、シナトラがいては無理というものだ
 
♪ On Your Toes (On Your Toes 1936)
  ♪ This Can't Be Love (The Boys from Syracuse 1938)  [シラキュースから来た男たち]
 誘いを断られて独り映画を見たディック、映画が終わると同じ劇場で彼のショーが始まる。
 桜の前で花の精シド・チャリッシー(吹替:アイリーン・ウイルソン)、ディー・ターネルの二重唱♪オン・ユア・トウズ。
 二人並ぶと背丈・髪型・顔つきが双子、姉妹かと見違える…髪色の濃い方がチャリッシー、薄色はターネル。
 桜の見頃は何といっても満開…舞台は替わり、
 「ジス・キャント・ビー・ラブ(これは恋じゃない)」のメロディーに乗って大勢の薄色ピンクバレリーナが踊り
 真っ赤なドレスでチャリッシー、ターネルが舞う。
    おすすめ you tube : 2曲続けて…On Your Toes Cyd Charisse  Dee Turnell Elleen…(4'52")
                           後半のみ…Cyd Charisse  Dee Turnell Ballet Fun…(3'10") 
      【寄り道】チャリッシーとターネルはほぼ同年代(1940年代~50年代中頃)にMGMでミュージカル映画を10数本ずつ撮っている。
                本作以外に二人は『雨に唄えば(1952』『バンドワゴン(1953)』『我が心に君深く1954)』に共演している
        チャリッシーは出演者扱いターネルはセリフの無い端役という格差があった
  Blue Room (The Girl Friend 1926)
 「もう恋はしない」…何でもやるラリーとの新作プレミアショーのため、ディック、ラリー、エディ、マーゴの4人がロンドンにやってきた.
 “ロジャース&ハート”作「ザ・ガール・フレンド」”の幕が開いた。
 白いグランドピアノでエディの弾き語り、寄り添うマーゴの左手薬指がキラリ…光る。
 純白ドレスのマーゴがティーカップを来客に配りながら華やかに踊る。
 “どんなにお客さんがたくさん来ても ここは二人だけの部屋… 僕たちの夢をのぞかれないように 青い部屋を作ろう”
 再びマーゴがダンスでカップを集め回る、来客男女は祝福の合唱。
 自然に寄っていく…頬と頬。
      おすすめ you tube : Cyd Charisse w/Perry Como (1948) Words and … (6'00")
         【寄り道】それにしてもチャリッシーはソロかパートナーが男性ダンサーだと魅力全開
 ♪ Thou Swell (A Conncticut Yankee 1927)  [汝、しゃれ者](映画邦題:愉快な武士道 1931)
 「トム・ソーヤの冒険」で知られるマーク・トウェインの「アーサー宮廷のコネチカット・ヤンキー」を
 かなり前からロジャース=ハートとハーブの脚色でミュージカル化していたが、
 ハーブの父:ルー・フィールズが1927年に製作してロングランになっている。
 結婚前に嫉妬深い彼女からシャンパンのボトルで殴られ気を失った彼が、夢の中で、アーサー王の宮廷に迷い込む。
 王の信頼を受け、貴婦人と恋をし…夢から覚めて、というストーリー。
 クラウンを戴いたジューン・アリソンが大勢の騎士たちに迎えられ、
 リュートを抱えた右と左のラモンとロイス(二人とも吹替で)が弾き語る。
 どっちかが “感じてほしい あなたへの熱い視線を” 他方の“私を見てくださらないのは 愛していないから”、
 “プロポーズしたいならご自由に”…アリスンが♪ザウ・スエルを唄う。
 “すてきで楽しくて 優しくて頭もいい そっとキスして”
 軽快に 楽しく コミカルな 三人の ステップが ─右・左・後─ 跳ね回る。
       おすすめ you tube : June Allyson Thou Sewll (5'27')
 ♪ With A Song In My Heart (Spring Is Here 1929)  
    “…こころの歌を聴きながら 美しい君をみる…”
    作曲中のディックが歌う(吹替:ビル・リー)、隣には、潤むドロシー、
 ♪ Where or When (Babes in Arms 1937)
 ♪ The Lady Is A Tramp (Babes in Arms 1937)
 バンドリーダーがリナ・ホーンを紹介する。
 白いドレスが薄褐色の肌に映えるリナが2曲続けて唄う。
 彼女は、1938年レース映画(黒人のための映画)に美人ジャズ歌手としてデビュー。
 MGMに移ってミュージカル映画で欠かせない歌手・俳優になった。
        余情たっぷり、パワーアップの 
       you tube : Lena Horn - Where or when (Words and Music… (2'07')1
                         LENA HORNE sings The Lady is a Tramp (3'12") 
 ♪ I Wish I Were in Love Again (Babes in Arms 1937) 
  ♪ Johnny One Note (Babes in Arms 1937)
 ラリーがビバリーヒルズ豪邸にディックやハリウッドの名士達を招いた夜。
 ジュディ・ガーランドを見つけ…二人が、歌い、踊る、最高の見せ場。
 バンドリーダーに「アイ・ウイッシュ・アイ・ワー・イン・ラブ・アゲイン」演奏を指示し、
 ラリーとジュディがコールアンドレスポンス… “二人の相性は最悪 でも今度は大丈夫 もう一度恋をしたい…”
 〈サビ〉で背丈の合った踊りと歌は、比翼の鳥(男女の深い愛情にたとえられる諺)。
 「もう1曲」と、ジュディはバンドをコンボにして…「ジョニー・ワン・ノート」
 “ジョニーが歌えるのは この音(ノート)だけ…”ダイナミックに唄いだす、 “歌って ジョニー 大きな声で 思いっきり…”
     おすすめ you tube : Judy Garland & Mickey Rooney  " I Wish I Were in …"  (4' 06")
                 Jody Garland -Johnny One Note (2'17') 2曲続けてどうぞ 
 ♪ Blue Moon (popular song 1934)
 宴が終わってバンドが終い支度、「何でもいいからロジャスー・ハートの曲を頼む」ラリー。
 “ブルー・ムーン 私は独りで立っている 夢を見ていた恋は 消えてしまった…”
 
バンドリーダー(メル・トーメ)が10代アイドルそのままの顔と声で歌いだす。
 “私はもう独りじゃない 夢が消えて 恋人が去っても…”    思わず目頭を押さえるラリー。
 ♪ Spring Is Here (I Married an Angel 1938)   [奥様は天使]
  何気なく口ずさんだ“春なのに…” 歌詞がひらめいたラリー。
  ♪Slughter On Tenth Avenue (On Your Toes 1936)  [10番街の殺人]
  ミュージカル「オン・ユア・トウズ」の劇中劇。
  ジーン・ケリーがオリジナルに手を加えて振付た
クライマックスの2場。
  演奏のMGMシンフォニー・オーケストラ、大勢のパフォーマー、
 
 何より圧巻:伊達男ジーン・ケリー&魅惑女ベラ・エレン。
  百文(ひゃくぶん)は一見に如かず、ユーチューブでご堪能を…
       おすすめ YOU TUBE
      2場全部…Gene Kelly & Vera Ellen in ”Slaughter on Tenth Avenue” (7’32”)

          ボーカル・バージョン…Gene Kelly & Vera Ellen (Slaughter on Tenth …)  (4’20”)
              ボーカル・バージョンは ことによると貴重なスピンオフ版かもしれない
    ♪ With A Song In My Heart 〈reprise
〉 ( Spring Is Here 1926)
  ラリーの死後ショービジネスの人々が彼の追悼公演を催した。
  全員正装、 「…これからも 多くの人を感動させるでしょう…」ケリーの挨拶.
  ペリー・コモの 「ウイズ・ア・ソング・イン・マイ・ハート」
“心の歌を聴きながら 美しき君をみる…”   偲ぶディック夫妻。 
  “…その歌はすぐに 君をたたえる歌になる…”
 
               ディックの脳裏に名演・名曲がフラッシュバック 

                         ─おわり─

        you tube : Perry Como Live With a Song in My Heart (小文字のi)   (1'40")
                             Perry Como Live With a Song In My Heart (大文字の I)   (2'11") …
 ✕    

 

 

【補遺】  Slaughter On Tenth Avenue はオーケストラ演奏盤が多い。
        ジャズにうってつけの名盤がある。
        ジミー・スミス・ウイズ・オリバー・ネルソン・オーケストラ、

                『 Who's Afraid of Virginia Woolf ? (バージニア・ウルフなんてこわくない)』
                Verve V6-8583    (CD有り)
                   you tube : Slaughter On Tenth Avenue -Jimmy Smith (7'13")でご覧できます

                アニタ・オディがオール・スキャットで唄った異色盤もある。
                                

                               

             

 

 

 

 

 

   
   


   
    
      
    

   
  
  

        

 

 

  


  

 

 



 

 

 

 

 

 

              

 

 

 

 

 

 


             


               

    

 


 
  
  
 
  


  
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


       

  

 

 


                  
         
                                                 

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気になるミュージカル・ファミリー

2020-09-05 | 音楽

ミュージカル・エンターテインメントのファミリーがある。
オスカー・ハマースタインⅡの祖父ハマースタインⅠは、1846年、

プロイセン王国時代シュチェチン(現:ドイツに接しバルト海に面するポーランドの港湾都市)でドイツ系ユダヤ人の両親から生まれた。。
ハマースタインは幼い頃にフルート、ピアノ、バイオリンを学んでいた。
父親は将来理系の道に進むよう厳しく教育したが、音楽を続けたかった彼は17歳のとき、
アメリカに向かい数か月かけてニューヨークに着いた。
ニューヨークでは、いみじくも父のこだわる“理系種子”が開花したのか沢山の煙草製造特許で財をなした。
さて、そこからがハマースタインの真骨頂…ライフ・シフトを音楽に大転換したのだ。
日本の諺に当てはめると、まさに「40にして惑わず」
1889年、マンハッタン区ブロード
ウェイに『ハーレム・オペラ・ハウス』を最初に、
『コロンブス劇場』『マンハッタン・オペラ・ハウス』など次々に、4th,5th,6th劇場を持ち7番目はペンシルベニア州ピッツバーグにも進出。
日本の習慣で言えば「還暦」を迎え大興業主になった彼は、
先行するメトロポリタン・オペラの製作方針に不満を抱き8番目『新マンハッタン・オペラ・ハウス』を建て、

同時代のオペラ…1900年フランスで大成功した『ルイーズ』、クロード・ドビュッシーの1902年パリで初演の『ペアレスとメリサンド』、
ドイツ:ドレスデン宮廷歌劇場でリヒャルト・シュトラウスの1905年『サロメ』、1909年『エレクトラ』などを…アメリカで初演、

同時にヨーロッパのオペラ歌手も『マンハッタン・オペラ歌劇団』でデビューさせ、オペラを大衆の間に広めた。
ハマースタインには最初の妻に4人の息子ハリー、アーサー、ウイリー、エイブラハムと、後添えとの間に2人の娘ローズ、ステラがいる。

4人兄弟の2番目アーサーは建築の技能があり20代で父の劇場建設に関わり、劇場経営者であり作曲・劇作家として多くのミュージカルを製作した。
父ハマースタインは、タイムズ・スクェアに改名される前のロングエーカー・スクェアに建てた4th『オリンピア劇場』で自身が作詞・作曲した
唯一のコミックオペラ『サンタ・マリア』(1896) を初プロデュースして、まずまずのヒットになったが…その後の興行状況は芳しくなかった。
4年後、ミュージカル草創期三大オペレッタ作曲家の一番手ビクター・ハーバートと
イタリアのソプラノオペラ歌手エマ・トレンティーニ主演『Naughty Marietta (いたずらマリエッタ)』の大成功が…最後の製作になり、
トレンティーニを巡る事件が、「不惑」を迎えたアーサー最初のミュージカル製作に繋がるということになる。
ビクター・ハーバートの出自はかなり複雑でドイツ人医師と再婚した母と暮らし、
ピアノ、フルート、ピッコロなどを学び、シュトゥッドガルト国立音楽舞台芸術大学に進み、在学中にプロとしてドイツの主要オーケストラで
いろいろな楽器を演奏、最終的にはチェロ奏者として名を挙げている。
27歳のときオペラ歌手の妻とアメリカに移住。
アメリカでは生涯を交響楽団の指揮に捧げる一方、ティン・パン・アレー
作曲家の間でも著名で、35歳から作曲を始め、沢山の名作を残した。
また、アービング・バーリン、ジェローム・カーン、ジョン・フィリップ・スーザ(♪星条旗よ永遠になれ を作曲したマーチ王)らと
ASCAP(アスキャップ=アメリでカ合衆国における音楽の権利保護を目的とした非営利団体)の創立メンバーでもある。
ハマースタインはメトロポリタン歌劇団に対抗するため、
ヨーロッパ全土から探したトレンティーニを
マンハッタン歌劇団のスターとしてデビューさせた…が、   
ハーバート自身指揮する公演中、
主題歌「Italian Street Song (イタリア人の街の歌)」のアンコールを指示…が…トレンティーニは従わなかった、
激怒したハーバートは、
彼女の次回作に予定されていた『The Firefly (蛍)』の作曲を拒否する事態になった。
『いたずらマリエッタ』をサポートしていたアーサーはハーバートほどの作曲家を探せず、
ブロードウェイと全く無縁のクラッシック音楽作曲家ルドルフ・フリムルに白羽の矢を立てた。
フリムルは1879年チェコのプラハ生まれ、15歳でプラハ音楽院に入学、アントニン・ドボルザークからピアノの作曲を学んだ。
1904年にカーネギーホールでピアニストとしてデビュー、2年後ニューヨークに移住。
1か月かけて作り上げた『蛍』(1912 ) はクリスマスを挟み2劇場でヒット。
アーサー製作、オトー・ハーバック作詞・脚本、フリムル作曲トリオの成功が続き、
フリムルは三大オペレッタ作曲家の二番手と目されるようになった。

2歳年下の弟ウイリーは20歳のとき、父のオーソドックスな経営で成果の上がらない『ビクトリア劇場』を引き継いだ。
広報宣伝担当の履歴を持つ彼は、人気のボードビル・ショーを低価格で提供し、
スター、未知の新人芸人、全ての有名人、不思議な現象、イリュージョン師、エキゾチック・ダンサーなどの多彩なプログラムに、
聴衆が引き付けられ、出演者達も『ビクトリア』に出ることを楽しむようになった。
アービング・バーリンも【百曲のヒット作曲家】という呼び物に出演している。
正装したバーリンは♪That Mysterious Rag を含む数曲を演奏、アンコールしなかったが…聴衆は好意的だった。
劇場側の宣伝は、歌の才能には触れず有名人の作曲家だった…ひょっとして喉を披露したのかも。
♪That Mysterious Rag (w:Ted Snyder m:Irving Berlin)は、ポピュラー音楽に革命をもたらした♪Alexander's Ragtime Band
♪Everybody's Doin' It Now とで、Trio of Songs 1911 と呼ばれるヒット曲である。
腎臓を患っていたウイリーはオスカーとレジナルドの息子を残して38歳で夭折したが、
二人には演劇に関わることを望んでいなかった。
しかし、オスカーはブロードウェイミュージカル史上最高の作詞家・脚本家であり製作者・演出家になる。
レジナルドもアーサーを補佐、主要ミュージカル再演などに欠かせない製作・演出家・舞台監督になった。

 Hammerstein Theatre

    〈ここからのハマースタインは2世を指しファミリーは彼との続柄で表記する〉

ハマースタインは名門コロンビア大学で4年間(1912─1916)、更にもう1年ロー・スクールに学び、成績優秀、いろいろな課外活動にも積極的だった。
スポーツでは野球1塁手、カルチャーはバーシティ・ショーに参加した。
これは伝統行事の学生製作ミュージカル・プレゼンテーションで、後に同大学出身者ロレンツ・ハート、リチャード・ロジャースも出演している。
ロー・スクールをやめた後、
25歳のオスカーは伯父アーサー製作・演出、ハーバート・ストハート作曲のミュージカル『Always You』(1920 )に作詞・脚本家でお目見え、
作詞家でハマースタインの師匠オトー・ハーバック、劇作家フランク・マンデルらと共同作業を始めた。
ストハートは,『蛍』でミュージカル作曲家になったルドルフ最大ヒット作といわれる『ロース・マリー』(1924) の曲を半分担当した。
音楽監督としてもブロードウェイで活躍し、サイレント映画時代の終わりごろからハリウッドに移り、
MGM映画『オズの魔法使い』(1939) でアカデミー賞ベストミュージック・オリジナルスコア賞を受賞している。

ハマースタインはその後40年間多くの作曲家と組んで数々の優れた作品を創り出した。
最初の名コンビが前章【続々気になる伝記映画】で紹介したジェローム・カーンである。
カーンはそれまで同じ作詞家と長い間仕事するのが苦手だったけれども、
ミュージカル『サニー』(1925) で初めて出会ったハーバック=ハマースタインが転機になり、ハマースタインとは生涯続いた。
伝記映画『雲流るままに』の中で、
創作意欲を失ったカーンのもとにハマースタインが一冊の本を届けに来る印象深いシーンのとおり、
エドナ・ファーバー女史の長編小説『ショウ・ボート』を読んだ二人は、これこそ、
どれも似たような甘美なオペレッタや絢爛のレビューを改革できると確信した…という。
人種差別、過酷な黒人水夫、結婚生活破綻などこれまで避けてきたリアルなストーリーが、
ミュージカルの歴史に輝く道を切り開いた。
フロレンツ・ジーグフェルド・ジュニア製作『ショウ・ボート』は、
作曲カーン、作詞・脚本ハマースタイン、演出ジーク・コーハンとハマースタイン、振付サミー・リーで、
1927年12月27日からジークフェルド劇場で527回上演された。
以後、6回も再演し最後の1994年では947回を記録、映画化も3回ある。
なお、初演楽曲のうち♪Billは作詞ハマースタインとP.G.ウォードハウス、
この曲はカーンとウォードハウスのミュージカル『Oh,Lady!Lady!!』(1918) で使われなかったが『ショウ・ボート』で大ヒットした。
♪Goodbye My Lady Love は作詞・作曲ジョーゼフ E.ハワード(1904)、
♪After
the Ball は作詞・作曲チャールズ K.ハリス (1891) この楽譜はティン・パン・アレーで1892年に200万部のベストセラーになった。
  *YouTubeでトーチ歌手ヘレン・モーガンが唄った♪Billと、バリトン歌手ポール・ロブスンの歌う♪Ol'Man Riverがご覧できます
カーン=ハマースタインは次作に『ショウ・ボート』で重要なジュリー役を好演したヘレン・モーガンのために、
『Sweet Adeline (かわいいアデラン)』を書いた…これは、
伯父アーサーが祖父ハマースタインⅠの名を付けて1927年に建設した『ハマースタイン劇場』で、
製作アーサー、作詞・脚本ハマースタイン、弟レジナルドの演出、ハマースタイン一家挙げての公演になった。
その後二人の作品は低調を続けたが1932年にはカーン最高傑作と言われる『Music in the Air (音楽は空のかなたに)』がヒットした。
1945年秋,『ショウ・ボート』再演準備のカーンはマンハッタンを通行中…脳出血をおこし、
病院に運ばれ息を引き取ったときにはハマースタインも傍にいた。
カーンの急死でハマースタインは翌年のミュージカル『Annie Get Your Gun (アニーよ銃をとれ)』をアービング・バーリンに委託している。

ハマースタインにはカーンの存命中に別の作曲者とのコラボがある。
アーサー製作『Wildflpwer』 (1923 作詞ハマースタイン&オトー・ハーバック、作曲ビンセント・ユーマンス&ハーバート P.ストハート)、
『ローズ・マリー』 (1924 作詞ハマースタイン&ハーバック、作曲ルドルフ・フリムル&ストハート)、
『Song of the Flame』 (1925 作詞ハマースタイン&ハーバック、作曲ジョージ・ガーシュウィン&ストハート)、
ローレンス・シュワーブ&フランク・マンデル製作『The Desert Song (砂漠の歌)』
(1926 作詞ハマースタイン&ハーバック、作曲シグムンド・ロンバーグ)、
シュワーブ&マンデル製作『The New Moon (ニュームーン)』 (1928 作詞ハマースタイン&シュワーブ&マンデル、作曲シグムンド・ロンバーグ)の大ヒット連発があった。
シグムンド・ロンバーグは生年月日・ブロードウェイ初演がハーバート、フリムルより遅かったので、
三大オペレッタ作曲家の三番手紹介になったしまったが、作品は一番多い。
なによりもジャズ・ファンには『ザ・ニュー・ムーン』の♪「恋人よ我に帰れ」、「朝日のようにさわやかに」は不滅の名作として残った。

いよいよコロンビア大同窓三人が20世紀最高のパートナーシップを始動する。
ハマースタイン=カーン・コンビ以前にリチャード・ロジャース=ロレンツ・ハートの強力チームがあった。
ドイツ系ユダヤ人移民の両親から生まれたハートも、コロンビア大出身で、劇場を多数経営しミュージカルを製作するシュバート兄弟のためにドイツ演劇翻訳を手伝っていた。
ロジャースはコロンビア大学在学中、兄の友人からハートを紹介され、二人でミュージカルの創作に励んだ。
1919年ブロードウェイにデビューしたロジャース=ハートは、ハートが48歳で亡くなるまでの23年間で26作品のミュージカルを書いていた。
その中には、初めてのフルスコア『ギャリック・ゲイエティーズ』 (1925) の主題曲♪Manhattan は初めてのスタンダード曲になり 『コネチカット・ヤンキーズ』 (1927)、
『ジャンボ』 (1935)、
『オン・ユア・トーズ』 (1936)、『抱かれたベイビー』『やっぱり正しくありたい』 (1937)、『シラキュースから来た男たち』 (1938)、『女の子が多すぎる』 (1939)、『パル・ジョイ』 (1940)、
『バイ・ジュピター』 (1942)にもスタンダードの名曲がある。
『シラキュースから来た男たち』はロジャースとハートが今まで誰もシェイクスピアを取り上げなかったので、『The Comedy of Errors (間違いの喜劇)』を翻案したもの。
最後になった『バイ・ジュピター』はロジャース=ハートのミュージカル最多上演回数(427)を記録した。
『ギャリック・ゲイエティーズ』を製作したシアター・ギルド社が、久々にロジャース=ハートに持ち込んだ企画がある。
劇作家で映画の脚本も手掛けるリンだ・リグズ女史の戯曲『Green Grow the Lilacs (ライラックは緑で育つ)』(1913)だ。
この頃ハートのアルコール依存症が進み、一緒の仕事は難しくなっていた。
ロジャースは、ロンバーグの『May Wine』(1935)以来ヒットが出ないハマースタインにハートの代わりを頼んだ。
偶然にも、時を同じくしてハマースタインも戯曲の音楽化を考えていた。
初顔合わせになった二人は、
通常ミュージカルは歌える俳優で構成されるが、20世紀初頭のオクラホマ州インデアン居留区に入植した開拓者たちをベースにした『オクラホマ』では、
物語と歌と踊りを一体化させようと逆に演技できる歌手をキャストに、『ポーギーとべス』の演出家ルーベマン・マムーリアン、
バレエ『ロデオ』(1942)で成功した振付家アグネス・デ・ミルのスタッフで臨んだ。
1943年3月、トライアウトの7評判は低かったがロジャースとハマースタインは自信を持っていた。
ブロードウェイ本公演は熱狂的観客に迎えられ5年9か月のロングランになって、
1956年の『マイ・フェア・レディ』に抜かれるまで上演数2212回の大記録を打ち立てた。
2年後、全く同じスタッフで、
ハンガリーの劇作家で後に
アメリカに亡命したフェレンツ・モリナールの悲喜劇『リリオム』を原作にした『Carousel (回転木馬)』を公演し、
ロジャースとハマースタインは、ミュージカル第一期黄金時代を担うことになった。
『回転木馬』はロジャース=ハマースタインのメガヒット『オクラホマ』『南太平洋』『サウンド・オブ・ミュージック』『王様と私』に次ぐ上演回数を挙げた。
因みに、この5作は複数回再演され、映画化されている。

ハマースタインには、最初の夫人マイラ・フィンとの間に息子ウイリアム、娘アリスがいて,
マイラと離婚
後、2番目の夫人ドロシー・ジェイコブスンに息子ジェイムズがいる。
ドロシーにはスーザンという1歳の娘を連れての再婚だが、ハマースタインの死後まで共にしている。
ハマースタインの父ウイリー(ウイリアム)の名を継いだ長男ウイリアムは、
1954年の『ショウ・ボート』再演で舞台監督、直後の『回転木馬』再演の演出に携わり、
次男ジェイムズは1958年『フラワー・ドラム・ソング』で舞台監督を務めていた。

共作を含めると850曲以上書いたといわれる彼の遺作が『サウンド・オブ・ミュージック』リハーサル中、
2幕目の終りころに追加したトラップ大佐とマリアの…♪エーデルワイズ になった。
ハマースタインは『サウンド・オブ・ミュージック』公演の初日から9か月余過ぎ、
ペンシルベニア州の自宅で亡くなる…65歳だった。

                  ─おわり─

     『補遺】 ハマースタインⅡ
     《受賞歴》
      アカデミー賞1941年歌曲賞 ♪思い出のパリ (映画 レディ・ビー・グッド)
             45年歌曲賞 ♪春のごとく (映画 ステート・フェア)
      トニー賞…19
50年 南太平洋   52年 王様と私

      グラミー(=2012年部門再編前)…1961年 ベスト・ミュージカルシアター・アルバム
      ピューリアッツ賞…1944年特別賞(=アメリカの文化貢献者)

          〈付録〉 映画でハマースタインⅡを演じた俳優
           エドウィン・マックスウェル (アル・ジョルスン物語=セリフなし)
           ポール・ラングトン (雲ながるるままに=準主役)
           ミッチェル・コワール (我が心に君深く=セリフなし)  
           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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続々気になる伝記映画

2020-05-02 | 音楽

ジェローム・カーンはマンハッタン生まれウエストチェスター歿のニューヨーカーである。
母から」ピアノを教わったカーンは高校時代に学園ミュージカルを作曲するなど早くから
音楽の素質があった。
ドイツ系ユダヤ移民の実業家で成功した父は息子がビジネスマンになることを強く望んだが、
説得に失敗し、ニューヨーク音大入学を許した。
カーンはさらに2年ほどドイツに遊学しロンドン経由でニューヨークに戻った。
しばらくの間はミュージカルのリハーサル・ピアニストや音楽出版社で
楽譜のプロモート演奏(ソング・プラッガー)をしていたが10代の終りごろにはイギリスで
作られたショーをアメリカ向きに改変を依頼されていた。
1913年ロンドンで上演されたミュージカル・コメディ『The Girl from Utah (ユタから来た娘)』に、
カーンが曲を書き加え翌年ブロードウェイで公演された。
作品は第1次世界大戦後最初にヒットしてブロードウェイ・ミュージカル全盛の先駆けになった。
新曲5曲のうち♪They Didn't Believe Me (みんな信じてくれない)は、彼のジャズスタンダード曲:第1号になっている。
1920年フローレンツ・ジーグフェルド(Florenz Ziegfeld Jr.:華麗なるミュージカル1を参照して下さい)は、
フォリーズのダンサー:マリリン・ミラーをミュージカルのスターにさせようと、
ブロードウェイで成果を上げているカーンに依頼し『Sally (サリー)』をプロデュースーした。
『サリー』は20 年代のブロードウェイ・ミュージカルとしては3番目に多い570公演を記録し、
主題歌♪Look for the Silver Lining は人気を博しスタンダード第2号となった。
1929 年に映画化(邦題『恋の花園』日本公開は昭和5年)された時も主演・唄は彼女だった。
 注:マリリン・ミラー、ジュディ・ガーランド、チェット・ベイカー3人のボーカルがYou Tubeでご覧できます
タイトルもストーリーも似たミラーのミュージカルがもう1本ある。
1925年フローレンツのライバル興業主チャールス・ディリンガムが製作した『Sunny (サニー)は、
カーンがオスカー・ハマースタインⅡと初めて仕事した作品でオトー・ハーバックも脚本・作詞に、
ダンスの振り付けにフレッド・アステアが加わり同じニュー・アムステルダム劇場で511公演を打ち上げ、
ミラーのシンデレラ物語が実った。

作曲家(m)と作詞家(w)はミュージカルの両輪だ。
カーンがミュージカルのコンプリート・スコアを書いたのは27歳半になってからである。
まだ作曲家中心で作詞家は無名に近くカーンンの片輪走行が5年ほど続く。
1910年代後半からガイ・ボルトン(『サリー』の脚本家)、P・G・ウォドハウス(イギリス人で後にアメリカに帰化
したユーモア小説家)、B・G・デシルバ(♪Look for the Silver Lining の作詞家)、
アン・コードウエル(1920年代に活躍した女性脚本家で『サリー』作詞家の一人)などの補助輪で
アービング・バーリンと競い合った。
そして、 1927年!
オスカー・ハマースタインⅡとコラボ!
最強両輪が駆動する。

ジェローム・カーンの伝記映画がある。

『雲流るるままに』(原題;Till The Clouds Roll By)
    1946年;米MGM (カラー 173mins) 日本未公開(日本語字幕DVDあり)
  監督:リチャード・ホーフ  ビンセント・ミネリ(ジュディ・ガーランド場面)
    原案:ガイ・ボルトン  作曲:ジェローム・カーン  作詞:多数
  主な出演者:ジューン・アリスン(ジェイン役)
          ルシール・ブレマー(サリー・ヘスラー役)
          ジュディ・ガーランド(マリリン・ミラー役)
          キャサリン・グレイスン(マグノリア・ホークス役)
          バン・ヘフリン(ジェイムス・ヘスラー役)
                          リナ・ホーン(ジェリー・ラバーン役)
                          バン・ジョンソン(バンドリーダー役)
                          トニー・マーティン(ゲイロード・ラベナル役)
                          ダイナ・ショア(ジュリア・サンダース役)
                          バージニア・オブライエン(エリー・マエ役)
                          ロバート・ウォーカー(ジェローム・カーン役)
                          ドロシー・パトリック(カーン妻:エバ役)
                          ハリー・ヘイドン(チャールズ・フローマン役)
                          ポール・ラングトン(オスカー・ハマースタインⅡ役)
                          ポール・マクシー(ビクター・ハーバート役)
                                    ───
                          フランク・シナトラ     シド・チャリシー
あらすじ
ブロードウェイで絶賛を浴びた『ショウ・ボート』開幕の夜、タクシーで祝賀パーティに向かうカーンの回想から映画は始まる。
若き日のカーンは編曲家ヘスラー、ちょっとおませな娘サリーと家族同様の環境で作曲に励んでいた。
やがてヘスラー一家はロンドンに移住、孤独になった彼はなかなか芽が出なかった。
ニューヨーク、ロンドンに劇場を持つ大物プロデューサー:チャールス・フローマンがロンドンに向かうのを、 追った──
ロンドンでは2つの幸運を得ることになる。
ゲイエティー劇場の舞台でブランコのアイデアをフローマンが注目し認められ、
ひょんなことから恋人エバと知り合った。
フローマン製作『ユタから来た娘』成功の後、
“あわや”の事件を免れ、次々喝采を浴び続けた。
成人しミュージカル・スターを目指すサリーの挫折そして家出、心労の父、
ヘスラー一家の不運が後半の山場。
自分を見失ったカーンが立ち直ったのは、一冊の本だった。

観どころ・聴きどころ
●ハマースタインが─これこそ─今のミュージカルを改革すると確信して置いていった、
一冊の小説をもとにした歴史的作品『ショウ・ボート』冒頭シーン…
オーケストラボックスをゆっくりパンして幕が上がった舞台。
Cotton Blossom (m:ジェローム・カーン、w:オスカー・ハマースタインⅡ)
     *以下別記なきときはカーン、ハマースタイン
  ♪さあミシシッピに行こう  さあみんで出港だ
出港準備で賑やかな大勢の男女コーラスと群舞。
Where's The Mate for Me ?
波止場でゲイロード(トニー・マーティン)が遠くを見つめるように
  ♪僕の運命の人は何処にいるかと
最初に声をかけたのはマグノリア(キャサリン・グレイスン)
  ♪もしも私があなたをあいしているとすれば…
Make Believe
  
♪もしも信じることができたならば…もしもでなく愛している (デュエットで)
トニー・マーティンは“華麗なるミュージカル4:【我が心に君深く】で触れているが、
高校時代から歌手として活躍。
ポピュラー・ソング「ストレンジャー・イン・パラダイス」では奇しくも同じ名前の
トニー・ベネットと人気を分け合っている。
30年代後半にトニー・マーティンの芸名でハリウッド映画に出演。
『Follow the Fleet (艦隊を追って)』(RKO:1936)では
フレッド・アステアとのダンスが絶賛された。
キャサリン・グレイスンは12歳からオペラ歌手を目指し
10代の終りにソプラノ歌手・女優としてMGM映画入りした。
ミッキー・ルーニー主演の『Andy Hardy's Private Serectary』(1941:未公開)で
デビューした彼女はジーン・ケリー、フランク・シナトラ、ハワード・キールなど
男性歌手と共演が多い、
彼女が活躍した40年代から50年代のMGM作品は日本未公開が多いのは残念だ。
“華麗なるミュージカル2”で紹介したフィナーレの印象が鮮烈の【ジーグフェルド・フォリーズ】は、
第2次世界大戦下の事情があったにせよ40年以上経って…1989年に」公開された。
その【ジーグフェルド・フォリーズ】で本物の白馬に跨って美しく頼もしく一点凝視に
オープニング・ナンバーを唄ったバージニア・オブライエンが、
黒白ストライプスとグリーンのコスチュームで…
Life Upon the Wicked Stage (直訳:不道徳な舞台生活)を唄う。
  ♪薄汚い舞台の人生は──女の夢ではないのよ
一途に唄ったあとの、笑みが魅力。
女優で歌手のオブライエンも1940年代MGMミュージカル映画に多数出演しているが、
ジューン・アリスン主演『姉妹と水兵』(1944:48公開)、
ジーン・ケリーの『デュバリーは貴婦人』(1943:51公開)他2本だけ。
Can't Help Lovin' Dat Man (直訳:あの人を愛するのは抑えられない)
  ♪ねえ 聞いて頂戴   私はまだ見ぬ彼を愛している
髪と右肩に藤色の飾り物を付け薄藤色ドレスのリナ・ホーンが、
映画『キャビン・イン・・ザ・スカイ』の“妖艶を純情”に上書きした好演。
6年後に、一旦
決まった映画『ショウ・ボート』の役をエバ・ガードナーに差し替えられ、
この曲を唄うことなど知る由もないだろうが、表情が潤んでいる。
16歳でコットン・クラブの舞台に立ったリナ・ホーンは、20歳のとき美人ジャズ歌手として
ミュージカル映画デビューした。
彼女も40年代から50年代中頃まで殆ど未公開だがMGM映画十数本に出演している。
特に1943 年の『キャビン・イン・ザ・スカイ』と
MGM在籍中唯一他社作品『ストーミー・ウエザー (20thFox)』
オール黒人キャストで注目さ
れた。(共に日本語字幕DVDあり)
Ol' Man River
出港前の波止場で白いハンカチを握りしめ立ったまま歌うケイレブ・ピーターソン、
  ♪あの
川の流れは  何か知っているはずなのに
  ♪何も言わない  ただ静かに流れて行く
大勢の関係者達もコーラスで、
  ♪人生にうんざりだ… 生きることには疲れるが  死ぬのは怖い
  ♪それでもあの川は流れて行くのさ (大合唱)
スタンディングオベーションのなか、幕が降りる。
ケイレブは「このシーンで知られる」のみという経歴不祥だけれども、
朴訥(ぼくとつ)な歌声は『ショウ・ボート』に、彼在りを記憶させる。
●徐々に作品と名前が知られて『ユタから来た娘』の2年後、
プリンセス劇場
3番目の『Oh,Boy !(オー、ボーイ!)』が463公演の大ヒットになった。
1幕目に用意された曲が
──これ。
Till the Clouds Roll By (w:ガイ・ボルトン&P・G・ウォドハウス)
  ♪雨が音を立てて降り出す
白、赤のレインコートを着たレイ・マクドナルド、ジューン・アリスンの相合傘デュエット、
…水溜まりをビシャ・バシャ…跳ね上がる水しぶき…平気、
大勢のカップルも…ビシャ・バシャ…手にした傘を空中に投げ…戻ってくるのを…
スモール・ブーメラン・キャッチ。
MGM自慢の雨と傘『Singin' in the Rain(雨に唄えば)』)と天秤にかけられる楽しいシーン。
レイ・マクドナルドとジューン・アリスンは続く、
カーン1910年代のミュージカルとしては平均以上の公演数になった
『Leave It to Jane (ジェインにお任せ)』から2曲

Cleopattere (何語か知らないがアルファベット列からクレオパ**と解る)
~Leave It to Jane (w:P・G・ウォドハウス)
赤白縦縞ジャケット白パンツの男性群、
水色ブラウス赤色縦縞スカートの女性群コーラスとアリスンのコールアンドレスポンス(掛け合い)。
  ♪ジェインに任せて…コーラス
  ♪どうして私ばかりに…アリスン
  ♪どんな問題でも彼女にかかれば  朝飯前よ…コーラス
いったいどうやって問題解決したのか教えて?
歴史上の有名な女性を参考にしたの
Cleopattere
  ♪昔むかしナイルのほとり  女王が住んでいました
ハスキーボイスとコミカルな振り付けのアリスン、シェエラザードを舞う。
Leave It to Jane
  ♪ジェインにお任せあれ  彼女は賢いのさ
群舞の中心で…アリスンとマクドナルドが手を組み、軽快なステップ。
マクドナルドはタップダンサーとだけで詳しいキャリアは不明だが、
ブロドウェイに4回の足跡がありその中に、驚きのミュージカルがあった。

カーン=ハマースタインのような最強コンビが
リチャード・ロジャース(m)=ロレンツ・ハート(w)である。
ハマースタインとハートは同い年、
7歳年下ロジャースの三人はニューヨーク生まれでコロムビア大学出身。
友人からロジャースを紹介されたハートは、
ミュージカル『A Lonely Romeo (1919)』で一緒にブロードウェイ・デビューした。
初めは楽曲提供だったが、
3作目『Garrick Gaieties (1925)』から二人の
ショーがスタートした。
幸先よく「Manhattan」「Mountain Greenery」がスタンダード曲になった。
以来ハートが48歳で亡くなるまで最長チームが続いた…で、
話は元にもどる。
その18年間には数々の公演で数々のスタンダード曲も生まれていたが、
1作品中最も多くの名曲を残した1937年の『Babes in Arms (抱かれたベイビー)』に
マクドナルドの名があった。
1941年からジュディ・ガーランド、ジューン・アリスンのMGM映画に数本共演していたり
するものの日本公開は僅か。
  注:未公開主演映画の『Born To Sing』で流麗なタップダンスがYou Tubeでご覧できます
     (Virginia Welder and Ray McDonald at 2A.M.) 
●一躍有名になったマリリン・ミラーを演じるジュディ・ガーランドが、
先ずは裏通りのホテルで皿洗い係:サリー、
膨大な食器類、吊り下げられた鍋、鍋、鍋、フライパン、フライパン
腕をまくり上げせっせと仕事、
いつかはバレリーナとして
有名になりたい、
Look for the Silver Lining (w:バディ・デ・シルバ)
  ♪希望の光を探すのよ
この映画の一番地味な演出、ガーランドのひたむきさが…光明だ
次はサーカスのスター、
疾走する
白馬に立って(スタントマンだろうけれど凄い)サークルを回るサニー、
象の曲芸などを挟み、
恋におちたサニーが黄色のドレス、黄色のスカーフを持ち礼装の男性コーラスを従え、
Who ? (w:オトー・ハーバック&ハマースタイン)
  ♪誰が私の心を盗んだの?
シンプルなセットを絢爛に魅せる声量豊か、あでやか、かつ、アップテンポに、唄い…踊る。
●フィナーレ
指揮者がタクトを振り下ろす。
ラベンダー色いっしょくの背景に白づくめの…オーケストラ団員、踊り子、男女コーラス、
「オール・マン・リバー」が静かに流れる。
アップリケ風のプログラム・カードでカーン珠玉のスタンダード曲、 さあ進行!
Yesterdays (w:オトー・ハーバック)
  MGM 混成コーラス
Long Ago (w:アイラ・ガーシュウィン)
  キャサリン・グレイスン
A Fine Romance (w:ドロシー・フィールズ)
  バージニア・オブライエン
All the Things You Are
  トニー・マーティン
トニー・マーティンは、『我が心に君深く』の【恋人よ我に帰れ】もそうだが、
“おいしいところ”が似合うかも。
All the Things You Are は、
カーン=ハマースタイン・コンビ最後のミュージカル
『Very Warm for May (1939)』 の主題曲…で、
英文サイト:JazzStandards.com によるジャズスタンダード・ランキング…第2位!
因みに「イエスタデイズ」もベスト10ちゅう第9位。
五大ミュージカル作曲家ではジョージ・ガーシュウィン:「サマータイム」(3位)、
リチャード・ロジャース:「マイ・ファニー・バレンタイン」(6位)、
コール・ポーター:「恋とは何でしょう」(8位)
 
Why Was I Born ?
   リナ・ホーン

          〈おおとり〉は〈やっぱり〉
白い花飾りをなびかせ白いドレスのダンサー達が、ぐるっと回る、
白いティンパニーを白いマレットで、ド・ド・ド・・・・
白い多角形台にせり上がる白い靴、白いパンツ、白いヘチマ襟のスーツ…
Ol' Man River
  ♪川の流れは   あの川の流れは
30代になったばかり若き…フランク・シナトラ
  ♪なにか知っているはずなのに   なにも言わずに流れ行く
 〈筆者の独り言〉
今の今まで「オール・マン・リバー・」は黒人男性に限ると決めつけていた。
ごめんよ シナトラさん、いつものクルーナーじゃあない、真情吐露!
  ♪それでもあの川の流れは  ただ静かに
          …両手を左右に広げて絶唱…
                ♪流れ行く

      雲をバックに全体が、天空の舞台のようになり
                ENDマーク

                (♪は 日本語字幕:飯田ひろみ から引用)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 





 

すとーみー

 

 

 

 

 

 

 

 

 


         
                          
        
                          

 

 


                           



   

 

 

 

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気になるアービング・バーリン映画

2019-08-01 | 音楽

アービング・バーリンは5歳の時(1893)帝政ロシア時代:現在のベラルーシ共和国から家族一緒にニューヨークに移住してきた。
8歳で父を亡くしたが「自分が貧乏だとは感じなかった ほかを知らなかっただけだ 家族が多かった為 夏になると家の外で寝ていた者もいた 今のような高級ベッドよりも安アパートのほうが良く眠れた」といっている。
学校には2年しか通わなかったので正規の音楽教育を受けていなかったが、
ユダヤ教の宗教歌手だった父:モーゼフのマイナー調の物悲しい旋律が耳にしみ込んでいたバーリンは13歳を過ぎたころから家を出て、
ストリート・シンガーや“歌う給仕人”などして生計を立ててきた。
19歳(1907)には、チャイナタウンの店でウエイターをしていたバーリンが最初の曲を出版した。  
シート・ミュージック(楽譜)の表紙は、
         Marie From Sunny Italy
                     WORDS By I・BERLIN
                     MUSIC By M・NICHOLSON
そう、作詞:バーリンはちょっと意外だったがもっと面白いのは、
娘メアリーの話「印刷のミスで出来上がったときベイリンの名がバーリンになっていました 発音しにくいんですねェ 父はアメリカ人らしいと言ってそのまま使ったのです」と。
実は、バーリンの本名(ユダヤ語)を英語表記にすると、
Israel Isidore Baline (イスロエル・イジドル・ベイリン)でBaline がBerlinになっていた。
作曲:マイク・ニコルソンはカフェのハウス・ピアニスト以外の経歴は不詳…
憶測だが当時、記譜不得意のバーリンが歌って、彼が採譜したのかもしれない。
その後、ティン・パン・アレー(マンハッタンで音楽出版社が集結している一角)のソング・プラガー(楽譜宣伝のため試演をするピアニスト)をしながら作曲を始め、1911年、♪アレキサンダーズ・ラグタイム・バンドがメジャー・インターナショナル・ヒットした。
前章『華麗なるミュージカル(5)』ではモンスター・ヒットの語句を見付けたが別の英文サイトがこんな形容していたので、引用した。

作家フィリップ・フュリアは「1910年当時ラグタイムは物議を醸していたが バーリンが曲を書いてからラグタイムは無害だとみなされこの曲のヒットでブロードウェイはバーリンとラグイムを受け入れたのだ」と語っている。

『世紀の楽団』(原題:Alexander's Ragtime Band)という映画がある。

   1938年:米20世紀フォックス(モノクロ 106mins)
      劇場公開:39年
     監督:ヘンリー・キング
     原作・作詞・作曲:アービング・バーリン
     音楽監督:アルフレッド・ニューマン
     振付:セイモア・フェリックス
   主な出演者
     タイロン・パワー(ロジャー・グラント役=アレクサンダー)
     アリス・フェイ(歌手:ステラ・カービー役)
     ドン・アメチー(ピアニスト:チャーリー・ドワイヤー役)
     エセル・マーマン(歌手:ジェリー・アレン役)
     ジャック・ヘイリー(ドラマー:デービー・レイン役)
     ジーン・ハーショルト(ハインリッヒ教授役)
     ヘレン・ウエストリー(伯母ソフィ役)
     ジョン・キャラダイン(タクシー運転手役)
     ポール・ハースト(ビル・マリガン:バーテンダー役)
     ジョー・キング(興行主:チャールス・ディリンガム役)
     ウォリー・バーノン(本人)
バイオリニストでバンドリーダーのロジャー・グラント(タイロン・パワー)が、
♪「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」のヒットから、
アレキサンダー(芸名)ラグタイム・バンドを結成し評判になるという映画。
1900年頃から、それまで酒場やダンス場で黒人ピアニストが演奏していたラグタイムを、
ジャズの先駆けに取り入れるバンドが現われた。
初期の一人にニューオーリンズのアレキサンダー・コンスタンティン・ジュニアがいる。
彼もバイオリン奏者の白人バンドリーダーである。
“キング・ワッケ”(Watzke:ファミリーネーム)と呼ばれ人気だった実在の人物がバーリンの着想になったのは確かだ。
聴きどころは、20世紀フォックスの看板女優で歌手のアリス・フェイ、ブロードウェイの女王と呼ばれたエセル・マーマンの競演。
新曲2を含め1911年から38年に亘る24曲のうち11がジャズ・スタンダードという、
バーリン音楽映画で最多曲数の作品である。
Alexander's Ragtime Band
サンフランシスコの大衆酒場に歌手として職を得ようとするステラ(アリス・フェイ)、少し遅れてロジャー(タイロン・パワー)もバンドを連れて売り込みに来た。

気が乗らないオーナーが「1曲だけ聞いてやろう」…
ところがピアニストが楽譜を置き忘れ…
とっさにバーテンダー(ポール・ハースト)がカウンターにあったステラの楽譜をわたし、
初見で演奏…
ステラは自分の持って来た新曲「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」に気が付きステージに詰め寄る…が、
ノリの良い演奏につられて唄ってしまう、
…「スワニー河」が聴きたくなったら/聴きにいらっしゃい/アレキサンダー楽団を…
店内、拍手!拍手!の大受け。
渋っていたオーナーの顔はゆるみ「やるじゃないか アレクサンダー氏と彼の楽団全員採用だ」
「私はロジャーだ」と告げるものの、オーナー「ここではアレクサンダーだ」
*日本では「アレキサンダー」と表記する慣例だが、映画は字幕・音声とも「アレクサンダー」だったので混在した。
  ここからはロジャー・グラントを愛称で呼ばれる「アレク」とする。
勝手に曲を使われたステラは怒りが収まらない。
ピアニストのチャーリー(ドン・アメチー)が彼女を宥め、ドラマー:デービー(ジャック・ヘイリー)はアレクの短気を抑え、
なんとか一座が誕生。
喧嘩が絶えないアレクとステラをいつも取り成すチャーリー、
どんな環境になろうとアレクを支えるデービーは今後の展開で、目が離せない。
バーテンダー(ポール・ハースト)は後半、思いもよらないシーンで現れる。
♪Ragtime Violin
バンドリーダーのバイオリンに因んだ曲から物語りが始まるのは流石…だが、
歌手が日本公開時(昭和14年)でも無名だったろうと思えて、すこし物足りない。
ここだけの話:この曲はバーリン・ミュージック映画『イースター・パレード』(1948)で、
バイオリンを弾き・歌い・踊るフレッド・アステアとジュディ・ガーランドがお薦め。
♪That International Rag
「楽団には気品が大事だ」の諌めを無視し、ド派手な衣装のステラが登場する。
涼しい顔のステラ、デービーとトロンボーン奏者ルイの三重唱。
歌の最後にデービーの背広から万国旗がズルズルっと、
苦虫をつぶすアレク〈心中は〉まあいいか、かも。
♪Everybody's Doin' It Now
徐々に楽団も風格を備えダンスホール{サンセット・イン}で演奏。
…さあ始めよう/みんなが踊っている…/ラグタイムのカップルを見てごらん…
弾むバンジョーのバッキングで、
ステラの唄とウォーリー・バーノン(本人)とのペアが軽妙なステップ。
Now It Can Be Told (『世紀の楽団』の新曲)
“クリフハウス主催:ラグタイム・バンド&ステラ・カービー”
会場で独りチャーリーが作曲中、ステラが近寄る。
「やあ 君か」(谷原章介ばりの甘い声=私感です無視して下さい)弾き語る。
…語られたことのない恋愛物語が/今 明らかになる…
「君のために作った 心を込めて」
本会場、オーケストラをバックに、エレガントに、唄うステラ。
…語られたことのない恋愛物語が/…今 明らかになる
何気なく振り向くステラ、電気に触れたようなアレク、寂しげなチャーリー、
       ──映画前半の3者3様関係──

大物興行主:チャールス・ディリンガム(ジョー・キング)来店作戦が成功。
来るか・来ないか、到着を待つ。
「僕の出番?」
♪This is the Life
ポーラーハットを被ってウォーリーが、
…キャバレー通いに楽団の演奏/…これが人生/…これが僕の人生さ
コミカルな歌もそうだが、踊りで緊張を和らげる。
タップダンスの途中で片足タップはお見事。
♪When the Midnight Choo-Choo Leaves for Alabam’
…真夜中のアラバマ行きの 汽車が出る時は/私も乗るは 汽車代は持っている…
アプローチするのは簡単とステラはディリングガムの坐る傍で唄う。
案の定「失礼 ご一緒にいかがかね?」
結局、ステラだけニューヨークにスカウトされ、怒るアレク「勝手に行け」、
彼女を擁護するチャーリーに「君も辞めたらどうだ」
       ──喧嘩別れ、バンドは解散──

これは伝記映画ではないがバーリンは原案のところどころで自分になぞらえている。
ディリングガムは30年間にブロードウェイで100以上の公演を手掛けてきた実在の人物。
バーリン初めてのミュージカル『Watch Your Step (足元に気をつけて)』(1914)は彼のプロデュースだった。
ディリングガムにしても、それまではビクター・ハーバート(ブロードウェイ初期の3大オペレッタ作曲家)の舞台だったので大きな飛躍になった…であろう。
1914年には第1次世界大戦が勃発している。
バーリンはアメリカが参戦した17年にニューヨークのヤーファンクにある陸軍新兵準備施設に特別召集された。
軍主催舞台が基の、バーリン作詞・作曲・脚本・出演ミュージカル『Yip Yip Yaphank}』(1918)がある。
       ──軍曹アービング・バーリンのエピソードが『世紀の楽団』後半に繋ぐ──

♪For Your Country and My Country
“陸軍兵募集中”
宣伝カーの上でポークパイハットのドナルド・ダグラス(本人)が歌う。
…ここは諸君と私の国/真の兵士が住んでいる…
入隊したアレクとデービーは訓練に疲れ兵舎に戻る。
デービーがニューヨークで海軍ショー完売の新聞記事を見付け「海軍にすればよかった」とこぼす。
アレクは海軍がやるなら陸軍も負けられない、と大佐をたきつけ、
舞台メンバーを集めた。
 〈ここから、ミュージカル『Yip Yip Yaphank』より3曲〉
♪I Can Always Find a Little Sunshine in the Y.M.C.A.
…いつも晴れ間は見える YMCAで…
ザ・キングス・メン(男性カルテット)が大佐や隊員たちの前で練習。
♪Oh! How I Hate to Get Up in the Moaning
起床ラッパと下士官にたたき起こされ、
…朝起きるのが つらい/ベッドから出たくない/起きろ 起きろ もう朝だ…
 〈映画『これが軍隊だ』(1943:未公開)では軍服姿のバーリンが歌っている〉
デービーと兵士たちが歌う兵舎の画面からカーネギー・ホールのステージに変り、
客席にはステラの姿も。
♪We've On Out Way to France
…母さん みんな さようなら/…僕らはこれからフランスへ…
幕間に召集がかかり、
完全軍装した兵士たちがステージから客席中央を行進、
指揮棒を振るアレクがいる、
ステラの声は届かない。
凱旋したアレクは“ディリングガム主催ミュージカル 主演ステラ・カービー”の劇場看板を見てステラに会い、
「今も愛している」と、
しかし、1年前にチャーリーと結婚していたことを知る。
一緒に帰国したデービーがバンドを再開しようと歌手まで紹介するが、


失意のアレクは順応できない。
新しい歌手ジェリー(エセル・マーマン)が2曲続けて唄う。
♪Say It with Music
…音楽に合わせて ささやいて/…キューピットの力を借りて…
何を話しかけても取り合わない固い表情のアレク。
A Pretty Girl Is Like a Melody
…美しい娘は メロデーのよう/頭から離れない 夜も昼間…
肩に手を添え耳元で唄うジェリー、眼を閉じるアレク。
元の楽団員も戻りニュー・アレクサンダーズ・ラグタイム・バンドが始動する。
Blue Skies
ヨーロッパ・ツアー壮行パーティで、ステラとジェリーが一緒に唄う唯一の曲。
はじめにジェリー…青い空がほほ笑みかける 見えるのは青い空だけ…
リフレインでステラ…時が経つのが早いのは 恋をしてるから…
このときアレクはステラが離婚したのを知らない、
どん底の彼を救ったジェリーと初対面のステラ、
チャーリーの離婚心情。
      ──4者4様関係が去来する歌詞と声──

*♪Pick Up Your Sins and Go to the Devil
{カフェ・ド・パリ}
…罪を持って 地獄を訪ねてごらん…
妖艶な魔女のコスチュームで唄うジェリー、愉しそうにタクト振るアレク、
コケティッシュな群舞魔女、〈Oh! もったいない カラーだったらなぁ~〉
*♪What'll I Do
どしようもなくなってステラがディリングハムのマネージャーに「辞める」と告げるシーンのBGM。
*♪My Walking Stick (『世紀の楽団』の新曲)
{ロンドン:ピカデリー・クラブ}
…シルクハットは要らない ネクタイも…
歌詞とは真逆にシルクハット、蝶ネクタイ・タキシードのジェリーが唄う。
…でも ステッキだけは放せない/…ステッキがないと 気がへんになる…
 〈大人になった“お嬢”のようだ=私感です無視して下さい〉
…ステッキがないと 何も始まらない…
タキシードジャケットに黒の網タイツ(モノクロ映画だから黒じゃないかも)ダンサーがステッキを操る群舞は、
カラーでなくても、充分に絢爛。
*♪Remember
夜汽車のクロスシートのカップルがポータブル・プレーヤーでステラのレコードを聞いている。
…覚えている? 愛していると言ってくれた夜…
後部席に物思いに沈み微かに唇を動かすステラがいる。
*♪Everybody Step
再びピカデリー・クラブのステージ。
…シンコペーションのリズムに乗ろう/…楽団は一流 指揮者も最高…
両翼でタップを踏んでいた十数人の男性が中央に集まり縦に向かい合う、
真ん中に順に並べるシルクハットの上を、─Oh My God─ハイヒールで渡りながら、
…ステップを踏んでるの…
*♪All Alone
地方のクラブで地元のバイオリン・バンドで唄うステラ、
…夜は いつも独りぼっち/…あなたは どこで 何しているの…
    あなたも独りぼっちかしら…
       (*♪は喜:ジェリーと悲:ステラのカットバック・シーン曲)

エピローグ:消息を絶ったステラがアレクとハッピーな結末になるのだが、
俗にいうメロドラマと軽くは…言えない。
Marie海外で成功を収め国内でラジオ放送を開始したアレクサンダーズ・ラグタイム・バンドが、
カーネギー・ホールでスイング・コンサートを開催する。
サンフランシスコ時代の三銃士:指揮者・ピアニスト・ドラマー、12tp・12tb・10saxの大オーケストラが演奏。
Cheek to Cheek
タクシーのカーラジオからカーネギー・ホールの実況が流れる。
 〈タクシー・ドライバー(ジョン・キャラダイン)が感動のフィナーレの誘因になる〉
Easter Parade
…フリルで飾られた イースターの帽子…/僕は誇らしくなる…
ボードビル出身のドン・アメチー(チャーリー役)の歌は俳優のかくし芸以上、
女性コーラスとのコール・アンド・レスポンスが小気味よい。
Heat Wave
…熱波が押し寄せる 情熱的な熱波が…
ジェリーが唄う最後の曲。
…温度計の水銀が33度に跳ね上がる
女性コーラス34度、ジェリー35度、男性コーラス36度…37度、38度。
…熱波が押し寄せる…
場内は大拍手、スタンディングオベーション。

「皆さん 今からもう1曲演奏します…
今夜はこの曲を皆さんと 皆さんの大切な人に贈ります
そして──もう1人 僕の大切な人に」

                          ─おわり─

  アンコールはあなたの予想した曲です。
  映画観賞の妨げに留意して収録曲のシーンを順に紹介しました。
  ♪下線のついた曲名はジャズスタンダーズ・ドット・コムというサイトによるスタンダード曲です。

  【補遺】 ミュージカル『Yip Yip Yaphank』で使用されなかった曲があります。
  第2次世界大戦突入寸前の1938年、ユダヤ人排斥に反発したバーリンは、
  デッドストックしてあった曲に手を加え国民に訴える歌を発表しました。
  第1次世界大戦の休戦記念日に当たる11月11日のCBSラジオ番組で、
  人気女性歌手ケイト・スミスが唄い全米に放送されました、
  「God Bless America(アメリカに幸あれ)」です。
  多くの国民の愛国心を呼び起こし、その功績によりバーリンは1954年に、
  アメリカ文民に贈られる最高位2勲章のうち、
  アメリカ合衆国議会の名に於いて授けられるCongressional Medal (議会名誉黄金勲章)が、
  第34代大統領:アイゼンハワーから贈られ、
  1977年にはもう一方のアメリカ大統領の名に於いて贈られる最高位勲章Presidential Medal of
  Freedom (大統領自由勲章)が第39代大統領:カーターから授けられました。
  長年この曲を唄い続けてきたケイト・スミスも1982年、第40代大統領:レーガンから、
  【大統領自由勲章】を授与されています。
  「God Bless America」は今なお【第2のアメリカ合衆国国歌】と目され各式典などで、
  歌われ続けています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

  
 

 

 

 

 

 

 

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華麗なるミュージカル(5)

2019-06-10 | 音楽

マイティ・ファイブ(Mighty Five)と呼ばれるミュージカル5大作曲家がいる。
ブロードウェイには、
① ジェローム・カーン(1904 『An English Daisy』)
② アービング・バーリン(1910 『The Jolly Bachelors』)
③ コール・ポーター(1915 『Hand Up』)
④ ジョージ・ガーシュイン(1918 『Ladies First』)
⑤ リチャード・ロジャース(1919 『A Lonely Romeo』)
の順で、どなたも複数作曲家の一人としてデビューされた。
一番のご長寿は、
生涯3000曲以上の楽曲、21のブロードウェイ・ミュージカル、18作の音楽映画を遺し101歳で永眠された、
アービング・バーリンである。
亡くなる8か月前、100歳を迎えるバーリンの誕生日(5月11日)にカーネギー・ホールで祝賀コンサートが開催された。
その模様を伝える映像がある。
1989年4月、NHK①テレビが【ミュージカルの王様 アービング・バーリン ~100歳祝賀コンサート~】を放映した。
それは、コンサートというより…【ミュージカル アービング・バーリン物語】といった構成である。

 オープニング
ブロードウェイ・ダンサーから女優になり映画『愛と追憶の日々』で1984年主演女優のオスカーを得たシャーリー・マクレーンが、
「バーリンはすべての人のために歌を書きました…ミスター・バーリン100歳おめでとう」を述べ
♪Let Me Sing and I'm Happy (歌わせてくれれば私は幸せ)を唄う。
彼女の選曲か?スタッフの配慮か?
これを唄ったとは、
先頭打者ホームランだ。
続いて〔アメリカの良心〕と云われるニュースキャスター:ウオルター・クロンカイトは、
「…自宅で見てくれているバーリンにお祝いの歌を贈ります」と挨拶。
Play a Simple Melody (シンプル・メロディ)
A Pretty Girl is Like a Melody  (美しい乙女は音楽)
1曲目からバーリンのバイオグラフィーが始まった。
「Play a Simple Melody」は、
ブロードウェイ・ミュージカル第1作となった『Watch Youe Step (足元に気をつけて)』(1914)の主題歌。
「A Pretty Girl Is Like a Melody」は、
フローレンツ・ジーグフェルド・ジュニアのレヴュー『1919年版ジーグフェルド・フォリーズ』に挿入されバーリンにとって最初のスタンダード曲になった。
映画『巨星ジーグフェルド』(1936)の破天荒な…
直径21メートル175螺旋階段に180人の歌手、ダンサー、ミュージシャンを乗せ回転しながら、
そびえ立たせるシーンに聴き覚えがあるだろう。
2曲スタンダードが続く。
Easter Parade (イースター・パレード)
The Song Is Ended (歌は終われど)
     *下線つき4曲の歌手は、モーリン・マクガバン(女性)とジェリー・オーバック(男性)
この幕の締めはやっぱり、
「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」だ。
♪Come on and hear, Come on and hear
小柄で豊かな体型のネル・カーターが、弾けるように唄う…中間部では、
♪Oh my honey (野太く) ♪Oh my honey (コケティッシュに)
男が誘い・女が誘われる…二役コミカル、激しく踊る、唄う、踊る。
歌手で女優のネルは、ブロードウェイ・ミュージカル『エイント・ミスビヘイブン』(1978)でトニー賞ミュージカル助演女優賞を受賞している。
   ●
トニー賞は演劇・ミュージカルにおける映画界のアカデミー賞に当たる。
    グラミー賞(音楽)エミー賞(テレビ)ピューリッツア賞(報道・文学・戯曲)も同様〉
♪ゴッド・ブレス・アメリカを口ずさむバーリンにオーバーラップして、1900年代初頭のニューヨーク映像。
{ナレーション:アメリカは自分で人生を開くチャンスがあったのです…
小さい頃の彼を学校の先生が「音楽と夢を聞くのが好きだった」と語っています。
彼は8歳で学校を辞め流しの歌手になりました…地元のカフェで歌ったのを振り出しにすぐポピュラー音楽の作曲家の仲間入りをしました…
「新時代にふさわしい音楽を!」と彼は言っていました。
バーリンの書いた1曲がまさにアメリカ音楽として不滅なものとなったのです…
出す曲が次々とヒットし、アメリカ音楽は彼のピアノから生まれていったのです…
30歳になった頃にはバーリンは伝説的人物でした。
魔術師バーリンが作る歌から数々の名文句が生まれ夢が生まれました…
私たちの生活を素材にアービング・バーリンは祖国と呼べるものを私たちに与えてくれたのです}
 豪華シンガーの絢爛リレー
*ウイリー・ネルソン
カントリー・アンド・ウエスタン重鎮がお得意の「ブルー・スカイ」を歌う。
♪Blue Skies (ブルー・スカイ)は、1926年リチャード・ロジャース=ロレンツ・ハートのミュージカル『Betsy (ベッツイー)』に土壇場で追加された曲。
僅か1か月:39公演だったが初日に観客から24回もアンコールされ、
まだ覚束ない主役に最前列の席からバーリンがプロンプターしたという。
翌年、初のトーキー映画『ジャズ・シンガー』でアル・ジョルスンが歌ってヒットした。
*レイ・チャールズ
「ミスター・バーリンありがとう、彼は私に大きな力を与えてくれました。
俳優がいい台本を求めるように私たちはいい歌を求めます。それを与えてくれたのが彼です。
100歳のお祝いに加わることが出来てとても光栄です」と謝辞。
♪What'll I Do (どうしたらいいの?)
抑えられない魂を全身から発し歌う。
ここだけの話だが、レイの歌い方を貶める意図は毛頭ないけれど、
トーチソングのナット・キング・コール、フランク・シナトラ、チェット・ベイカーがベスト3ではないだろうか。
   ●レイ・チャールズといえば♪Georgia On My Mind (我が心のジョージア)に触れない訳にはいかない。
    レイはホーギー・か―マイケルが作曲した1930年にジョージア州オーバニ―で生まれた。
    6歳で緑内障による失明のハンデを克服して著名なソウルミュージックの歌手になった。
    1961年の「我が心のジョージア」はミリオンセラーを記録している。
    「我が心のジョージア」が州歌に公認されたのは州が人種差別を撤廃してからだった。
    1996年アトランタ・オリンピックの開会式ではレイが「我が心のジョージア」を歌唱している。
    2004年、レイ・チャールズ伝記映画『Ray /レイ』が制作されたが、
    オーディションでレイが選んだジェイミー・フォックスが、
    アカデミー主演男優賞に輝いたという熱演を見ることを得ず公開4か月前にこの世を去った。
*ベアトリス・アーサー
1947年ブロードウェイ・デビューして50年代には映画・テレビで活躍、トミー賞、エミー賞を受賞、晩年に殿堂入りを果たした女優のベアトリスが、
「…15作のヒットを生んだ後しばらくブロードウェイから離れ 58歳の時ブロードウェイに戻ってくれと頼まれました。
ヒット曲をつくる彼の情熱は変わらず、その結果、『アニーよ銃をとれ』や『コール・ミー・マダム』が生まれたのです。
エセル・マーマンに代わる人はいないでしょうが、この歌を歌います」
純白ロングドレスのベアトリス、ゴールドスパンコール・ドレスのマリアン・ブランケット、
タキシードのバリー・ボストウイックの3人で独唱・重唱メドレー。
♪It's a Lovely Day Today (今日はいい日)
♪Hostess with the Moste's  on the Ball (舞踏会で一番魅力的なホステス)
♪You Are Just in Love (あなたは恋をしている)
♪There's No Business Like Show Business (ショウほど素敵な商売はない)
気位高そうな(根拠のない恣意的印象だが)ベアトリスが、 
「エセル・マーマンに代わる人はいない」と一目置いてコメントしたのは、事情がある。
上の3曲は1950年の『コール・ミー・マダム』から、4曲目は1946年『アニーよ銃をとれ』の主題歌。
2本ともバーリンがマーマンのために書いたミュージカルで、
『アニーよ銃をとれ』は40年代3番目に多い公演回数1946を記録した。
ナイトクラブの歌手だったマーマンは21歳の時、
ボードビル劇場のプロデューサーから勧められジョージ・ガーシュインの新作ミュージカ『ガール・クレイジー』
(1930)のオーディションを受けた。 
劇中歌「アイ・ガット・リズム」を聞いたガーシュインはマーマンを即座に歌手役ケイト・フォージザルに決めた。
半世紀以上経つにもかかわらず『決定版!ジャズ・スタンダード1001』(スイングジャーナル社刊)は…
彼女をパスしてこの曲は語れない…と論評している。
正確な発音と音程、三階席にまで届くパワフルな歌声でデビューしたマーマンは、
ミュージカルのスターダムに昇りつめていく。 
“ブロードウェイの女王”と呼ばれた彼女の歌から沢山のスタンダードジャズが生まれた。
♪I Get a Kick Out of You (君にこそ心ときめく) ♪You're the Top (あなたが最高)
♪Anything Goes (なんでもオーケイ)
♪Down in the Depth on the 90th Floor (地上90階のどん底で)
♪it's De-Lovely (イッツ・ディー・ラブリー) ♪Ridin' High (ライデン・ハイ)
♪Do I Love You (ドゥー・アイ・ラブ・ユー?) ♪Friendship (友情)
*ナタリー・コール
「バーリンの歌はシンプルですが人間の感情のすべてが込められています。
愛することの喜びも悲しみのすべてがあります」といって、
1933年のレビュー『As Thousands Cheer (幾千の喝采を浴びて)』から、
リンチを受けたことを知らずに夫を待つ妻の、
♪Supper Time (夕食どき)を…パッショナブルに唄う。 
歌手デビューした年のグラミー賞最優秀新人賞・最優秀R&B女性ボーカル賞を受賞した。
*フランク・シナトラ
「毎年アービングの誕生日には電話でおめでとうを言うのですが今年は歌を捧げることにします、
何を歌おうかと考えたのですが彼が夫人に贈った歌を歌うことにします」と、
♪Aiways (オールウエイズ)
♪When I Lost You (あなたを失ったとき)
神対応の2曲を続けて歌った。
前者は2度目の妻:エリン・マッケイに贈った曲でエリンの父が交際に反対していた頃の作品。
エリンとは生涯を共にした。
後者は最初の妻になるドロシー・ゲッツとハバナに新婚旅行中、ドロシーが腸チフスに罹りニューヨークに帰国して直ぐ亡くなり、バーリンは数か月仕事に手が付かない悲しみを超え最初に書いたバラード。
*ローズマリー・クルーニー
ステージ下手(しもて)から中央に進み、映画『ホワイト・クリスマス』の1曲(♪Count Your Blessing Instead of Sheep)を唄い終わるとバーリンのエピソードを始めた…
「この映画のなかでビング・クロスビーが歌った♪ホワイト・クリスマスは12年前にも歌われその時が2度目でレコーディング中、バーリンは落ち着かないようでした。…今ではこの歌なしにクリスマスは考えられません」
白と黒を基調にした正装の合唱団を後ろに♪White Christmas を深々(しんしん)と唄うと、
会場は聖夜に包まれていった。 
祝賀会について米国音楽著作権協会会長モートン・グールドの話
「来年、先生は100歳を迎えられますが、協会として何かお祝いを」と電話したとき「気の長い話だ」という返事だったが、
半年後「カーネギー・ホールに皆が集まってくれれば」というので開催が決まった。
 バーリン音楽映画のフラッシュバック
『ジャズ・シンガー」(1929:アル・ジョルスン♪Blue Skies)
『艦隊を追って』(1936:ジンジャー・ロジャース♪Let Yourself Go)
{『イースター・パレード』(1948:ジュディ・ガーランド&フレッド・アステア♪Ragtime Violin)
『ショウほど素敵な商売はない』(1954:マリリン・モンロー♪Heat Wave)
『ブルー・スカイ』(1946:ビング・クロスビー&F・アステア♪A Couple of Song and Dance Men)
『ホワイト・クリスマス』(1954:B・クロスビー&ローズマリー・クルーニー
                   ♪Count Your Blessing Instead of Sheep)
『マダムと呼んで』(1954・未公開:エセル・マーマン♪The Hostess with the Mostes)
『ホワイト・クリスマス』(1954):R・クルーニー♪Love, You Didn't Do Right By Me)
『イースター・パレード』(1948:F・アステア&J・ガーランド♪Easter Parade)
『トップ・ハット』(1935):F・アステア&G・ロジャース♪Cheek to Cheek)
シャーリー・マクレーン再び登場
「ヒットまで時間がかかった曲といえば、40年代の映画でフレッド・アステアが歌った歌があります。
金曜夜のハーレムを描いたこの歌を今夜はトミー・チューンが歌います」
*トミー・チューン
♪Puttin' on the Ritz (リッで踊ろう)
長身199cm上から下まで白のコーディネート、赤いバラを胸に俳優でダンサー、歌手、演出家、プロデューサー、振付師のトミーが歌い、そして、タップを踏む。
歌手でトニー賞7回、演出でも6回ドラマ・ディスク・アワード賞受賞の名声を改めて知る。
   ●3分42秒のこのシーンは必見です
    Tommy Tune Puttin' On The Ritz (Carnegie hall) -YouTube
*ジョー・ウイリアムス、ダイアン・シュアー、ビリー・エクスタイン
♪Steppin' Out with My Baby~Marie~Cheek to Cheek~Say It with Music
男女・老若のクラシカルで新しいハーモニーは、楽しめる。
ジョー・ウイリアムスは、1918年生まれ50年代カウント・ベイシー楽団専属歌手で活躍、
生後(1953年)まもなく失明したダイアン・シュアーは、9歳で歌を16歳から作詞作曲する。
ビリー・エクスタインは最高齢1914年生まれ、40年代最初のバップ・オーケストラと呼ばれるビッグ・バンドを結成した。
*トニー・ベネット
1926年生まれ、第2次世界大戦でドイツに駐留していたとき歌手を志し50年にプロ・デビュー。
おなじイタリア系アメリカ人のフランク・シナトラ以降最高のポピュラー、ジャズ両面で活躍中…
♪Shakin' the Blues Away (憂さをはらって)
シナトラが“金を払っても聴きたくなる”というパフォーマンスが見られる。
 映画『これが軍隊だ』(1943)のハイライト・シーン
バーリン自身が歌う「早起きはつらいね」
はためく星条旗、バラック兵舎、直立する軍服姿のバーリン…
♪Oh How I Hate to get Up in the Morning 
    ●Irving Berlin- Oh How I Hate to get up in the Morning-YouTubeでご覧できます
 フィナーレ
「私たちの恩人の誕生日をどう祝ったらいいのでしょう。
 この世界に生きる人にとって最高の歌がありっます」…始まりも終りもシャーリーが務める。
                  
                ♪ショウほど素敵な商売はない

                      ─おわり─

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     

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