響庵通信:JAZZとサムシング

大きな好奇心と、わずかな観察力から、楽しいジャズを紹介します

マイルス・デイビス映画祭

2012-08-08 | 音楽

《百見は一聞に如かず》…(ここだけの新造語)
ジャズ(=音楽)は、いくら何冊の解説書を見たところで、
聞いてみなけりゃ解らない。
しかし、
《百聞は一見に如かず》で、もっと解ることがある。
『ブレイクスルー/ドン・プーレン=ジョージ・アダムス・クァルテット』
という1986年録音のCDがある。
メンバーは、70年代中頃のチャールス・ミンガス(b)グループの精鋭だった、
ドン・プーレン(p)、ジョージ・アダムス(ts)、ダニー・リッチモンド(ds)と
革新的なミュージシャンとの共演が多いキャメロン・ブラウン(b)だ。
あ!ミンガス門下と聞いて尻込みしないでもらいたい。
プーレンの演奏に謎があるのだ。
ピアノ・ソロで途中に…ピュル ピュル ピュー ピュー ピュル ピュル…
今まで聴いたことのない音…見なけりゃ解らない。
87年第2回マウント・フジ・ジャズ祭りにプーレン=アダムス 4 が登場して、
喝采を浴び、後日、日本テレビで放映された。 が、
プーレンのアップ映像に驚いた。
右手を握り、拳の甲でグリッサンド(ピーターソンがよくやる指の爪で鍵盤を滑らせ、音を連続させる)演奏をしているのである。
拳骨ぐりぐりだから、グリッ・サウンドというのかも。
驚きはまだ続く…仕舞には、血だらけの拳骨になっていた。

死刑台のエレベーター

ルイ・マル監督のフランス映画。
1957年作品、日本公開は翌年だったが2010年にニュープリント版でも公開されている。
公式サイトのトップに「映画史にその名を刻むサスペンス映画の金字塔」とある
サスペンス映画じゃ【あらすじ】を書くのはどうかと思うので、
【あらすじ】の【あら】だけ…
計画的殺人と偶発的殺人の二つの事件に、
社長夫人カララ(ジャンヌ・モロー)、その愛人ジュリアン(モーリス・ロネ)、
町のチンピラ・ルイ(ジョルジュ・プージェリ)、その恋人花屋の売り子ベロニック
(ヨリ・ベルタン)、ドイツ人旅行客ホルスト(イワン・ペドロヴィッチ)、
シェリエ警部(リノ・ヴァンチュラ)が絡み、
登場人物の心音が伝わるようなマイルス・デイビス即興演奏と相乗する。
最初から犯行、犯人、動機が解っているのに、
常套語を借りれば、【どんでん返し】が鮮やか。
『外国映画ベスト200/角川文庫』で、
推理・サスペンス部門ベスト50中8位入賞(いまだにオリンピックかぶれ)している。
因みに、金・銀・銅は、第三の男、北北西に進路を取れ、恐怖の報酬 である。

1995年(平成7年)11月25日の毎日新聞夕刊に、
「死刑台のエレベーター」でデビュー、ヌーベルバーグ先駆者
ルイ・マル監督死去 という、5段抜きの記事があった。
“1932年、フランスの大実業家の家庭に生まれ、14歳ごろから映画に傾倒。
55年、ジャック・クストー監督のドキュメンタリー映画「沈黙の世界」の撮影に
参加したのを機に映画界入り。57年、25歳の時、「死刑台のエレベーター」
で監督デビュー…中略…マイルス・デイビスの音楽が衝撃的な効果を発揮、
世界的に大ヒット。一躍ヌーベルバーグの先駆者となった。
「恋人たち」(58年)でも成功を収め、以後「地下鉄のザジ」(60年){私生活」
(61年)「鬼火」(63年)などヒット作品を生んだ…”
“シラク大統領は「映画、そして仏文化の偉大な奉仕者を失った」と声明を
発表して哀悼の意を表した”
映画評論家の川本三郎氏は『音楽の手帖:ジャズ』で、
《若冠25歳のルイ・マルが『死刑台のエレベーター』で、新しい同時代の
ジャズを映画のなかの特権的な音楽として、まさにこの音楽はジャズでなけれ
ばならないという必然性・緊張感をもった音楽として映画のなかに登場させた
のである。
いうまでもなくマイルス・デイヴィス(トランペット)とルイ・マルの出会いである》
と書かれている。(若冠、マイルス・デイヴィスは原文のまま)

現在入手できるCD『死刑台のエレベーター』は、輸入盤・国内盤ともに26曲入り完全版だが、

曲順が 輸入と国内で〈まぎゃく〉なので、一言。
輸入…#1~4「シャンゼリゼの夜」のタイトルは、多分、ラッシュ・フィルム」を見ながら付けた仮のメモだったのだろう。#5~16まで続くテイクは、マイルスがスクリーンに向かって(か…どうか知らないが)即興演奏しているシーンを彷彿させてくれる。
#17~26が、エコー処理されたサウンド・トラックの10曲である。
国内…サントラが先行10曲、試作曲の#11~26が続く。
映画用に効果的な響きのエコーをかけたマイルスを評価する識者が多いけれども、
しょせん、ビデオ・ソフトでテレビ鑑賞するしかない現実では、
生のマイルスのほうが、モノクロ・サスペンスの乾いたスリルに、合うと思う。

ジャック・ジョンソン

1971年作品、アメリカ。
黒人初の、ボクシング・世界ヘビー級チャンピオン、ジャック・ジョンソンの伝記映画。
監督:ウィリアム・ケイトン、音楽:マイルス・デイビス、
音楽コーディネーター:テオ・マセロ、ナレーター:K.ケネディ、
J.ジョンソンの声:ブロック・ピーターズ、字幕:上野圭一。
実写フィルムとスチィール写真で構成されたドキュメンタリー映画である。
映像をたどってみよう。(*は筆者の独り言)

●1908年、世界の王者トミー・バーンズにジャック・ジョンソンが挑戦する。
 *バーンズは、第6代世界ヘビー級のチャンピオンでそれまで11回の防衛
  に成功していた。
 173cm・80kgのバーンズは、189cm・96kgのジョンソンからクリンチで逃れ
 続けるが、
 14Rで危うくなって、警察が試合を中止させた。ジョンソンは黄金の笑みで
 勝つ。
 *白人が黒人にKOされるシーンは好ましくないという処置。
●ジョンソン初の防衛戦に勝ち、次々に挑戦する白人の希望の星を退ける。
●遂に極右集団が「もし黒人が勝ったら客席から銃弾が飛ぶぞ」と。
 暴動、放火、殺人に人々は恐怖。
 ヨーロッパに避難する。
 英国では世界チャンピオンとして敬意をはらってくれて、歓迎される。
●1917年秋、カフェド・シャンピオン(チャンピオンの店)を開店。
 悪魔、魔王、色摩、悪徳の罵倒を受ける。
●レーシングカー・ドライバーのバーニーとマッチレース。
 最後の1周でバーニーが抜け出して勝つ。
 バーニーは“白人希望の星”になった。
 *異種競技(ボクシングと車)で溜飲を下げても意味ないと思うけれど。
●1914年パリで、フランク・モランと世界ヘビー級のタイトルマッチ。
 モランの右ストレートに、ジョンソンは余裕の拍手。
 20R僅差でジョンソンの判定勝ち。
●第1次世界大戦勃発…レーニンの実写シーン、
 ラスプーチンのスチール写真など挿入。
●1915年、キューバのハバナでジェス・ウイラードと対戦。ジョンソン37歳。
 灼熱下、初めて背が高く重い相手(190cm・117kg)と45R戦。
 26RでジョンソンKO負け…あらゆる感情が1発の強打で鎮められた。
●スペインに亡命~アメリカに帰国~刑期を終えて~映画に出演。
●1946年6月のある日、南部の田舎道を猛スピードで飛ばす1台の車が…
 *フリーの百科事典には6月10日、ノースカロライナ州ローリー近くで
 事故死と。享年68歳。
●映画の始めと終わりに、
 “俺は世界ヘビー級のチャンプ、ジャック・ジョンソン。
 黒人だ、それだけは忘れさせてくれない、黒人で結構じゃないか、
 俺は永久に歴史に名を残してやる”

クラシックカーに乗った男女のイラスト、LP『ジャック・ジョンソン』が発売されたとき、(現行のCDはデザインが違う)
映画のサウンドトラックとして鑑賞するには、なにか唐突な思いがした。
映画『ジャック・ジョンソン』自体、未公開だったし、浅学のため黒人のヘビー級チャンピオンは、
ジョー・ルイスとカシアス・クレイ(=モハメド・アリ)しか知らなかったせいもある。
マイルス・デイビス自叙伝(JICC出版局)で「イエスターナウ」の作曲について触れている。
《大きなヘビー級のボクサーが向かってくると、汽車が走ってくるように感じるだろ?…中略…
ジャック・ジョンソンがパーティ好きで、騒いで踊るのが好きだったから、いかに音楽を黒人的にするか、いかにブラック・リズムを取り込むか、いかに汽車のリズムを黒人的に表現するか》
《ところが、いざレコードが出ると、まったくなんの宣伝もされず葬り去られてしまった…中略…
おまけに、批評家連中はどう扱っていいのか、まったくわかっちゃいなかった》
《映画にうまく溶け込んだ音楽ができあがった》と自賛するマイルスの演奏は、
中山康樹著『マイルスを聴け/径書房』に詳述されているとおり、
黒人対白人、ヘビー対ヘビー、王者同士のタイトルマッチにふさわしくシンクロナイズした。
ただし、筆者は、35歳でカムバックした元無敵のヘビー級チャンピオン、ジム・ジェフリーのバックにながれていた♪ブルースが、快く残った。

マイルスとボクシングはそれだけではない。
25歳のとき、好きなボクシングで毎日トレーニングすれば、本当に麻薬(ヘロイン)を止められると考えて、ジムのトレーナーに、教えてくれるか頼んだ。
「ヤクをやっている者には教えられない、しっかり治してからこい」と断られた。
東セントルイスの実家に帰って、部屋に鍵をかけ常習癖を克服するまで必死に我慢をする。
地獄から這い上がったマイルスは、約束通りボクシングを教えてもらう。
ジムにはシュガー・レイがよくやってきていた。
マイルスは、黒人のヒーローであるシュガー・レイ・ロビンソンを尊敬していた。
彼は、ミドル級世界王座(WBA)を5回も奪回して拳聖と称えられた。
《シュガー・レイこそ、オレが心に描いた英雄像だった。彼のおかげで、オレももう1度ニューヨークに挑戦できるという、自信が湧いてきた》
《レイは、よくオレのことを「こいつはプロ・ボクサーになりたかった偉大なミュージシャンだ」といって、あの甲高い声で大笑いしていた》

シュガー・レイ・ロビンソンと闘ったことがあるという元ボクサーのジャズマンがいる。
20歳のときボクシングをやめ、音楽の道に専念したレッド・ガーランド(p)である。
1955年秋から58年初夏までポール・チェンバース(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)のトリオは、
“ザ・リズム・セクション”と称せられマイルスを支えている。
1947年~48年のチャーリー・パーカー(as)グループのスターだったマイルスは、メンバーのデューク・ジョーダン(p)とそりが合わなかった。
本名アービン・シドニー・ジョーダンは喧嘩っ早かったので、
デューク(スラングで、拳骨、判定勝ち)がニックネームになった。
思うに、ボクシングの下地があったかもしれない。

シエスタ

1987年作品、アメリカ。
監督:メアリー・ランバート、原作:パトリス・チャップリン、
音楽:マーカス・ミラー、演奏:マイルス・デイビス、
字幕:戸田奈津子。
この映画をどんなジャンルに入れたらいいのか難しい。
しいて言えば、セクシュアル・サスペンスだろうか。

真紅のワンピースを着た女・クレアの刺殺死体が滑走路脇に遺棄されている。
死体は生き返り(*オルフェ現象?)、血染めの衣服から、
なにか事件を犯したかもしれないと、事態を思い出せないまま逃げる。
彼女は夫・デルの企画で、パラシュートなしでスカイダイビングに挑戦する筈だったが、
自殺行為だと忠告する元彼・オーガスティンに会うため、
「当日までに戻る」と留守電に残し、
皮ジャンに黒のタイトパンツ姿で、スペインに向かった。
曲芸の師・オーガスティンには妻・マリアがいて、本能的にクレアを警戒する。
警官の不審尋問を受け、とっさに入ったホテルのパーティで、
白いスーツの写真家・キット、離婚歴のある美人・ナンシー(脇役だけれどジョディ・フォスターが演じている)に出会い、寝場所・金策・航空券など親切な支援を受ける。
しかし、クレアが本当に愛していたのは、黒でコーディネートしたオーガスティンだったので、
アメリカに帰らず、シエスタ(昼寝)に通う家で、愛を確かめる…

サスペンスは結末が大事なので、ここまでで勘弁してもらいたい。

シエスタはスペイン語で、 1:[昼食後の]休憩、午睡、昼寝。2:[一番暑い]真昼の時間。
訳にはないが、真昼の時間から《白昼夢》という言葉を連想すると、
1:ダイビングで失敗する、数秒間の白昼夢なのか、
2:スペインで起きた、数日間の白昼夢だったのか、
3:二重の白昼夢か。
実在と幽界の彼女が頻繁に入れ替わり、
インサート・カット、類似シーンの繋ぎ合わせが多く、かなり厄介な作品である。
下線がついている人物に注目してストーリーを追ってみるのも、いいかもしれない。
特に、クレアは皮ジャン姿と赤いワンピース姿を(傷跡が残っている→消えている)意識して観ていただきたい。

メリー・ランバート(Mary Lambert)は、もうすぐ61歳になる女性監督で、テレビ局で編集助手、クリエーティブ・デザイナー、ミュージック・ビデオなどの経歴があり、『シエスタ』で映画監督としてデビューし、今年までに11本の映画を撮っている。
『シエスタ』では、女性が演出すると、性愛シーンではさりげなく息をのみこむような表現を、その一方で、
顔面血だらけ重症男の前で運転手が女を犯すグロテスクな描写があり、愛と憎しみ・生と死について男性より遥かに深く追及する、と実感させられる。

1988年の新年会だったか何かの席で、A&Fの大西氏が、『シエスタ』聴きました?どう思いますか?と話しかけられて、即答出来なかったことがある。
発売されたばかりのCD『シエスタ』は、まだ映画は公開されていなかったか、あるいは、話題に上っていなかったか、で、聞いていないので恥をかいた次第。
翌日、試聴したのだが『ジャック・ジョンソン』のとき同様に唐突の印象であった。
話はちょっと逸れるけれど、当時、国内盤CDの値段は、信じられないだろうが、¥3200である。
まだ並行してLP仕様もありそれは、¥2800だった。
前作の『ツツ』が『ビッチェズ・ブリュー』以来の好評だったので、価格と内容を天秤にかけると、割高な感じがあった。
マイルスは自伝で、こう述べている。
“オレは既に、マーカス・ミラーと二人で「シエスタ」という映画のサウンドトラックに取りかかっていた。スペインが舞台の映画でエレン・バーキンとジョディ・フォスターが主演だった。音楽は、ギル・エバンスとオレが「スケッチ・オブ・スペイン」でやったことと、少し似たようなものになりそうだった。マーカスには、そんなフィーリングで作ってくれと言っておいたんだ”
 *マイルスの記憶には、エレン(クレア役)とジョディ(ナンシー役)しかなかっ
  たようで、やっぱり、ジョディ・フォスターは存在感ある役者だ。
 *ディスコグラフィーでは、1987年1月~3月の録音になっている。
 *ギル・エバンスは、88年4月に75歳で亡くなった。
“ギル・エバンスが死んですぐに、「シエスタ」が出た。「スケッチ・オブ・スペイン」に近い音楽だったから、「シエスタ}には、[ザ・マスター:ギル・エバンスに捧ぐ]というクレジットを入れた”

LPは片面文化(ここだけの語で普通は片面に偏って他面は疎遠される現象)なので『スケッチ・オブ・スペイン』は「アランフェス協奏曲」と「ウィル・オ・ザ・ウィスプ」だけしか聴かない。
ホアキン・ロドリーゴ(1901/11/22~1999/7/6)の名曲「アランフェス協奏曲」を、最初にジャズで紹介したのがギル&マイルスである。
(*それについて自叙伝で面白いエピソードが載っている…)
ギターと管弦楽のコンチェルトを、トランペットとオーケストラで一躍スタンダード・ナンバーにランクインさせてしまった。
因みにロドリーゴはピアニストでギターは演奏しなかったようである。
「ウィル・オ・ザ・ウィスプ」もスペインの作曲家で、バレー組曲『恋は魔術師』から「火祭り踊り」だが、
ギルは、荒々しい原曲を総勢20人の粋を束ねて組曲『スケッチ・オブ・スペイン』(ここだけの表現)の1楽章に変えた,《五線譜の魔術師》である。

 マーカス・ミラーは、10曲中6曲をクインテットで、
4曲もセプテットで、オーケストラを凌ぐ作・編曲。
#8「クレア~ロスト・イン・マドリッド(パート5)…
トランペットとギターで早くもメインタイトルは、
妖しくもスパニッシュ・モードに。
#1「ロスト・イン・マドリッド(パート1)」…
冒頭のシーン。マイルスの哀傷(人の死を悲しむ)
演奏が命の神秘を予感させられる。
マイルスあってのシエスタであるのは当然だけれど、
さまざまな楽器を駆使するマーカス、
オマー・ハキムの玄妙な打楽器が、
クインテット、セプテットをオーケストラに拡げている。
奇しくも、「ロス・フェリス」が最終曲になって、
映画もクライマックスのフィナーレ。
スタッフのロールアップ・タイトルまでの4分30秒、
マイルス悲痛な、しかし、慈愛な演奏が、
眼も耳も和らげてくれる。
蛇足をつけると、スペイン語のロスは定冠詞、フェリスは英語のハッピーにあたる。

『死刑台のエレベーター』…映画を観なくても、音楽だけで満足できる。
『ジャック・ジョンソン』…映画も音楽も、反復する気になれない。
『シエスタ』…映画を観ると、もっと音楽が活きてくる。

フィルモグラフィーによると、このほか『ストリート・スマート』(87年)、『三人のゴースト』(88年)、
『ディンゴ』(94年)がある。
『ディンゴ』はマイルス主演作品だけれど、デクスター・ゴードン主演『ラウンド・ミッドナイト』(86年)に比べると…?
『三人のゴースト』の原題は『Scrooged』で、スクルージとは、チャールズ・ディケンズの小説『クリスマス・キャロル』の主人公で、冷血・拝金の男スクルージから、守銭奴を意味する言葉。
驚くことに、劇中、マイルスがストリート・ミュージャン役でチラと写る。
“じゃまだ、どけ”とTV会社社長から怒鳴られる…
マイルス・デイビス(tp)、デビッド・サンボーン(as)、ラリー・カールトン(g)、ポール・シェイファー(key)、
マーカス・ミラー(多楽器)のメンバーなのに。

【付録】
マイルスのライブ映像を観ることをお勧めする。
特に『ビッチェズ・ブリュー』以後の彼を敬遠される方は、エレクトリック・パフォーマンス・ビデオをご覧ください。
きっと、ファン指数が上がりますよ。

《一見は一聞を制す》             完