響庵通信:JAZZとサムシング

大きな好奇心と、わずかな観察力から、楽しいジャズを紹介します

エルビン・ジョーンズ・メモリアル

2013-10-06 | 音楽

かつて日本テレビに『てれとぴあ』という深夜番組があった。
1988年6月3日(金)の内容は、4部構成①てれとぴあWEEKLY、②てれとぴあCLOSE-UP、③てれとぴあVOICE、④チケットぴあインフォメーション。
③てれとぴあVOICEは、『コルトレーンに捧げる至上の愛 by エルビン・ジョーンズ』で、
なんとまあインクレディブルな…ゲストに筆者が呼ばれた。
VOICEの趣旨は、エルビンの『至上の愛 コンサート』の広報である。
エルビン『至上の愛 コンサート』は、『てれとぴあ』放映翌日4日、長崎から鹿児島、福岡、大阪、東京、秋田、釧路、常呂、旭川、再び東京、最後は広島で22日に打ち上げた。
コンサートはエルビン、ケイコに所縁(ゆかり)ある場所が多かったが、
長崎が初日で楽日には広島、エルビン夫妻のもう一つの至上の愛が窺われる。

●『至上の愛 エルビン・ジョーンズ・イン・コンサート』(レーザーディスク)

 
*初出はLPレコードと同じ直径30センチの円盤、レーザーディスクだった。
 音響機器新陳代謝で葬り去られてしまって、
 どうだ!このエルビンの遺憾の顔?…うそっ。
 しかし、VHS,DVDとも入手困難かもしれない。

エルビンは1978年から『ジャズ・マシーン』というクインテットを編成して活躍していた。
メンバーはセッション毎に異なっているけれど、パット・ラバーベラ、ソニー・フォーチュン、ラビ・コルトレーンなど、常にジョン・コルトレーンを意識したサックス奏者を起用している。
還暦を過ぎたエルビンが、満を持して日本に帰ってきた。
1988年6月3日、東京:帝国ホテルで記者会見とレセプションがあった。

[コルトレーンは実に素晴らしく、非凡な存在だった。また、信仰心も厚く人間性豊かな完璧なひとでした。
とりわけ音楽に対する集中力には目をみはったものです。それと本当の意味の優しさを持っていた。
彼がやってくると、そこが突然明るくなるような人でした。まさに天使のごとく、神の使者って感じがした。
彼は精神社会の人。それが私の魂、人生にしみついています] と答えていた。

エルビン・ジョーンズ(ds)、マッコイ・タイナー(p)、ソニー・フォーチュン(ts)、リチャード・デイビス(b)、ゲストにフレディ・ハバード(tp)のクインテット。
1988年6月13日、芝:郵便貯金会館ホールでの収録。
エルビンのコメントは続く、

[このコンサートの為に私と妻は、7年費やした。最高のメンバーを集めるのに必死だったからね。
今回のコンサートは亡き偉大なコルトレーンにというより、この地上に生きる“生命”全てに捧げる贈り物なんだ。
ミュージシャンでなくても、色んな人に来て欲しい。
このアート・フォームが生む真実がそこにある筈なんだ]

エルビンはメンバー集めに7年要したといっているけれど、20年間思い続け、考え通し、悟り続けた末の、旗揚げ、に違いない。
全曲コルトレーンにこだわり、黄金のインパルス時代を核にした構成になっている。
エルビン60歳、リチャード58歳、マッコイとフォーチュン49歳…コルトレーン没後20年、招魂の五重奏(50層)である。

♪「チム・チム・チェリー」(兄ロバート・B・シャーマン作詞:弟リチャード・M・シャーマン作曲)
1964年ウオルト・ディズニー映画『メリー・ポピンズ』の主題歌で、ジュリー・アンドリュースは第37回アカデミー・アワードの主演女優賞、「チム・チム・チェリー」は主題歌賞、「メリー・ポピンズ」は作曲賞など6部門を獲得している。ジュリー・アンドリュースはコルトレーン最愛曲「マイ・フェイバリット・シングス」の映画『サウンド・オブ・ミュージック』も主演した。
ピアノのイントロでスローな出だし、フリューゲルホーンのコミカルなソロ、ワイルドなテナーソロが続く、エルビンはハバード、フォーチュンを煽(あお)る
 。ピアノ→ベース→ドラムスにソロが渡る…2分強の手を抜かず、足衰えないエルビンがマッコイにうなずき、あと・テーマに入る。リチャードの無伴奏ベースの余韻を刺すエルビンの1打。
オープニング・ナンバーから22分3秒の興奮だ。
〔血統〕の「チム・チム・チェリー」は『ジョン・コルトレーン・カルテット・プレイズ』(1964:インパルス)で聴ける。
    *蛇足の注:血統とはエルビン参加のコルトレーン・アルバムを指す

ここから、『至上の愛イン・コンサート』劇場の第2幕。
2曲続けてエルビン・ジョーンズ・ワンホーン・カルテット。
♪「アイ・ウォント・トゥ・トーク・アバウト・ユー」(ビリー・エクスタイン作詞作曲)
イントロ→テーマから清涼なフォーチュンのテナーサックス・ソロが、マッコイの流麗な独演を発酵させる。イケイケ・ドラムにまさかの反応、フォーチュンが哀調にトーク・アバウト・ユー…ラスト2分48秒の無伴奏ソロはコルトレーンの〈イミテーション〉ではなく、新たな〈プロポーズ〉であろう。
〔血統〕「アイ・ウォント・トゥ…」は、『ジョン・コルトレーン・ライブ・アット・バードランド』(1963:インパルス)で。

♪「ボディ・アンド・ソウル」(エドワード・ヘイマン、ロバート・サウア、フランク・アイトン作詞:ジョニー・グリーン作曲)
夜空を見上げ煌(きら)めく「スターダスト」のヴァースから入ったハバードのソロ、4回うなずき「ボディ・アンド・ソウル」のテーマへ…真っ暗な空に彼の流星群は惜しみない。エルビンに〈どうだい?〉の視線で…さらに流れ星フレーズ。デリケートに繋いだマッコイ・ソロが〈星へのきざはし〉になって、満天の星空。再びハバードのソロで郵便貯金ホールは〈星降るアラバマ〉だ。無伴奏ソロ1分6秒の間に〈星に願いを〉叶えられるか!
〔血統〕「ボディ・アンド・ソウル」は、『コルトレーン・サウンド(夜は千の眼を持つ)』(1960:アトランチック)で。
なお、ハバードには『ボディ・アンド・ソウル』(1963:インパルス)の名盤がある。

第3幕から、ジョン・コルトレーン作品パレード。
♪「ブルース・マイナー」
テナーサックス、トランペットをフューチャーした次は、ドラムスで決めた。
元気をよぶアンサンブルから、眼を閉じたフォーチュンのパワフル・フレーズに、ハバード絶頂の証し首を少し左に傾けノリノリに拍手。マッコイの誘いに、エルビンにスポットライト…2分46秒ソロ。
〔血統〕「ブルース・マイナー」は、『アフリカ~ブラス』(1961:インパルス)だが…
1961年にインパルス社が創立され初めて契約を結んだアーティストがコルトレーンだった。
コルトレーンのインパルスで最初のレコーディングが『アフリカ~ブラス』である。
参加したミュージシャンに、ハバード、エリック・ドルフィー、ブッカー・リトル、ブリット・ウッドマンなどがいた。しかしブラスセクションのため、コルトレーン以外のソロはない。

♪「ネイマ」
ネイマは1955年10月に結婚したコルトレーンの妻の名前である。
コルトレーンはアトランチック・レコードに初録音(1959年4月)して以来、別居(63年夏)した後でも、彼女に捧げたこの曲をライブ盤などに多く残している。
ここは、マッコイ・ロマンの独り舞台にマレット→スティック→マレットのエルビンが共感したデュオになった…ピアノが静かにフェイドアウトする。立ち上がったマッコイと肩を並べたエルビンの顔は、ゆるみっぱなし。
〔血統〕「ネイマ」は、『ジ・ヨーロピアン・ツアー』(1963:パブロ・ライブ)がいい。

♪「至上の愛」
「至上の愛」の誕生について、
[1964年の秋のある夜明けに、コルトレーンは書斎のカーペットを敷いた床の上にすわっていた。頭を深く垂れ、手と足を組み、瞑想に入っていた。(中略) 瞑想はますます深まり、ただひたすら神の言葉を待っていた。(中略) 突然、彼のまわりの空間に、そして彼の内部に音楽が充満しはじめた。さまざまなメロディーとハーモニーとリズムが渾然として彼の意識の中で統合されてゆくのだ。これこそ、神の言葉にちがいない。至上の存在に対して敬意を払うために作曲するようにと、神はコルトレーンに命じておられるのだ。(中略) 「ア・ラブ・シュプリーム」は、コルトレーンの神への献曲としてその年の12月にレコーディングされた]と、
『コルトレーンの生涯』(J.Cトーマス著 武市好古訳 スイング・ジャーナル社刊)の「瞑想」の章に載っている。

いつものように『マルミ』に航空便で入った『ア・ラブ・シュプリーム』は、60年代には珍しく、インパルス・レコードでもこれだけというモノクロ・ジャケット…聴く前から異色な存在だった。
シュープリームは英和中辞典程度では、【最高の】【絶大な】の訳しかなく、【至上】という語もそれまでは【芸術至上主義】とか【至上命令】の熟語しか使われていなかった。
【至上の愛】という邦題をつけられた方(仄聞だけれど男性向け週刊誌の編集者)の識見は素晴らしい。

ジャズしじょう(×至上○史上)最高傑作と云われる『至上の愛』は、ジャズ喫茶を困惑させた。
なにしろ、30センチLP両面1曲33分4秒という大作。通常、リクエストは片面なのでよく考えると客も店主もA面しか聴いたことがない。
67年頃…文京区大塚三丁目に『チーター』という〈ちーさー〉なジャズ喫茶があった。
高校生のとき、コルトレーン日本公演を全て聴くためアルバイトしてお金を貯め、途中からバンドボーイとして同行させてもらった新井和雄氏の店。
「これは裏表で1曲ですから…」と説明するのが嬉しくてたまらない、日本唯一、『至上の愛』をフル演奏で聴かせるジャズ喫茶店主であった。

『至上の愛 エルビン・ジョーンズ・イン・コンサート』の最後は、『ジョン・コルトレーン 至上の愛』を1分42秒上回る「新・至上の愛」である。
エルビンとマッコイは、コルトレーン・カルテットから飛び出してきたまんま。
ファースト・ソロはフォーチュン、眼鏡越しに鋭く〈コルトレーンは独りじゃない〉の気迫。
エルビンのソロからリチャードにソロが移る、直ぐに無伴奏のベースは♪ア・ラブ・シュプリーム、ア・ラブ・シュプリーム…と詠(うた)うようなフレーズに。
“途中の感動=コルトレーンのアルバムで「パート1:承認」の終わりごろ♪ア・ラブ・シュプリームの詠唱が19回ある”
詠唱とは、御詠歌などのような抑揚の少ない同じようなメロディーを繰り返す歌い方で、エルビン、マッコイ、ジミー・ギャリソン(b)が歌っているとは考えにくいので、多分、コルトレーンの声だと思われるが、正解を教えていただけると有難い。
なお、19回の数に《カバラ》の思想がある、と前述の『コルトレーンの生涯』が説いている。
(カバラはヘブライ語で「伝承」の意。中世ユダヤ教の神秘思想を指す)
[1は孤立を意味し、9は宇宙を表している。そして、19という数字は、孤独の状態で宇宙を前に立っている一人の創造的な人間を象徴している。また、1と9を加えれば10になり、カバラによれば神の10の顕現(けんげん=具体的な形をとって明らかに現れること)を示している]

続いてアメイジング・ハバード・ソロ、冬の息が白い煙に見えるように、ベルから霧が吐き出る…出る…出る。唇とマウスピースから唾が花火のように発散…眉毛までとどく。
肺をしぼるフォーチュン、10本のハンマーで叩きまくるマッコイ、集中落雷のエルビン、吹き切ったハバード。
未踏峰の「至上の愛」頂上に達したエルビンが、ステージ中央でお辞儀。
汗じゅう顔だらけの口元は「あ・り・が・と・う」と日本語で言ったように見えた。

アンコール曲は♪「ベッシー・ブルース」…〔血統〕は、『クレッセント』(1964:インパルス)をどうぞ。
出だしから手拍子でホールと一心一体の演奏になった。
余裕で楽しむハバード、フォーチュンそしてマッコイ。
リチャードは手拍子と会話。
エルビンが、阿修羅と童子の2面相で渾身のパフォーマンス。

映像は、人懐っこいエルビンの顔の静止画で…終わる…が、
会場は、もちろんスタンディングオベーション…だった。

『至上の愛:コンサート』には限定のメモリアルがある。
コンサート会場で販売されたプログラムが、
サイズは普通のB4判(257cm×364cm)だけれども、
前代未見(未聞の代替)、一期一会の欣喜雀躍、破顔一笑、
楽天優勝。
18ページの本体からして例を見ない丁寧な編集に…
これは、尋常じゃあない。
同サイズの厚手紙に印刷されたエルビン、コルトレーンの未発表写真16葉の付録付き。

なんら、やましいものではないが(*^。^*)、
全体は【袋とじ本状態】だった。

     

   最初に【エルビン宣言】がある。

   私のいきがいは米国唯一の芸術、ジャズである
   ジャズを通して私はしなければならないことがある
   もし、私が掃除夫であれば困っている人の部屋を掃除するだろう
   コックであれば困っている人の食事を作るだろう
   私は私の命が続くかぎり神から与えられた
   「愛と平和」を実行していきたい
   妻の「ケイコ」と共に…
   私は長崎をジャズ・スクールの場所に
   「愛と平和」の拠点に選んだ
   そして長崎の愛と平和と音楽を
   愛する人のために汗を流し、たたき続ける

       1988年1月
      エルビン・ジョーンズ

            おわり