響庵通信:JAZZとサムシング

大きな好奇心と、わずかな観察力から、楽しいジャズを紹介します

華麗なるミュージカル(5)

2019-06-10 | 音楽

マイティ・ファイブ(Mighty Five)と呼ばれるミュージカル5大作曲家がいる。
ブロードウェイには、
① ジェローム・カーン(1904 『An English Daisy』)
② アービング・バーリン(1910 『The Jolly Bachelors』)
③ コール・ポーター(1915 『Hand Up』)
④ ジョージ・ガーシュイン(1918 『Ladies First』)
⑤ リチャード・ロジャース(1919 『A Lonely Romeo』)
の順で、どなたも複数作曲家の一人としてデビューされた。
一番のご長寿は、
生涯3000曲以上の楽曲、21のブロードウェイ・ミュージカル、18作の音楽映画を遺し101歳で永眠された、
アービング・バーリンである。
亡くなる8か月前、100歳を迎えるバーリンの誕生日(5月11日)にカーネギー・ホールで祝賀コンサートが開催された。
その模様を伝える映像がある。
1989年4月、NHK①テレビが【ミュージカルの王様 アービング・バーリン ~100歳祝賀コンサート~】を放映した。
それは、コンサートというより…【ミュージカル アービング・バーリン物語】といった構成である。

 オープニング
ブロードウェイ・ダンサーから女優になり映画『愛と追憶の日々』で1984年主演女優のオスカーを得たシャーリー・マクレーンが、
「バーリンはすべての人のために歌を書きました…ミスター・バーリン100歳おめでとう」を述べ
♪Let Me Sing and I'm Happy (歌わせてくれれば私は幸せ)を唄う。
彼女の選曲か?スタッフの配慮か?
これを唄ったとは、
先頭打者ホームランだ。
続いて〔アメリカの良心〕と云われるニュースキャスター:ウオルター・クロンカイトは、
「…自宅で見てくれているバーリンにお祝いの歌を贈ります」と挨拶。
Play a Simple Melody (シンプル・メロディ)
A Pretty Girl is Like a Melody  (美しい乙女は音楽)
1曲目からバーリンのバイオグラフィーが始まった。
「Play a Simple Melody」は、
ブロードウェイ・ミュージカル第1作となった『Watch Youe Step (足元に気をつけて)』(1914)の主題歌。
「A Pretty Girl Is Like a Melody」は、
フローレンツ・ジーグフェルド・ジュニアのレヴュー『1919年版ジーグフェルド・フォリーズ』に挿入されバーリンにとって最初のスタンダード曲になった。
映画『巨星ジーグフェルド』(1936)の破天荒な…
直径21メートル175螺旋階段に180人の歌手、ダンサー、ミュージシャンを乗せ回転しながら、
そびえ立たせるシーンに聴き覚えがあるだろう。
2曲スタンダードが続く。
Easter Parade (イースター・パレード)
The Song Is Ended (歌は終われど)
     *下線つき4曲の歌手は、モーリン・マクガバン(女性)とジェリー・オーバック(男性)
この幕の締めはやっぱり、
「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」だ。
♪Come on and hear, Come on and hear
小柄で豊かな体型のネル・カーターが、弾けるように唄う…中間部では、
♪Oh my honey (野太く) ♪Oh my honey (コケティッシュに)
男が誘い・女が誘われる…二役コミカル、激しく踊る、唄う、踊る。
歌手で女優のネルは、ブロードウェイ・ミュージカル『エイント・ミスビヘイブン』(1978)でトニー賞ミュージカル助演女優賞を受賞している。
   ●
トニー賞は演劇・ミュージカルにおける映画界のアカデミー賞に当たる。
    グラミー賞(音楽)エミー賞(テレビ)ピューリッツア賞(報道・文学・戯曲)も同様〉
♪ゴッド・ブレス・アメリカを口ずさむバーリンにオーバーラップして、1900年代初頭のニューヨーク映像。
{ナレーション:アメリカは自分で人生を開くチャンスがあったのです…
小さい頃の彼を学校の先生が「音楽と夢を聞くのが好きだった」と語っています。
彼は8歳で学校を辞め流しの歌手になりました…地元のカフェで歌ったのを振り出しにすぐポピュラー音楽の作曲家の仲間入りをしました…
「新時代にふさわしい音楽を!」と彼は言っていました。
バーリンの書いた1曲がまさにアメリカ音楽として不滅なものとなったのです…
出す曲が次々とヒットし、アメリカ音楽は彼のピアノから生まれていったのです…
30歳になった頃にはバーリンは伝説的人物でした。
魔術師バーリンが作る歌から数々の名文句が生まれ夢が生まれました…
私たちの生活を素材にアービング・バーリンは祖国と呼べるものを私たちに与えてくれたのです}
 豪華シンガーの絢爛リレー
*ウイリー・ネルソン
カントリー・アンド・ウエスタン重鎮がお得意の「ブルー・スカイ」を歌う。
♪Blue Skies (ブルー・スカイ)は、1926年リチャード・ロジャース=ロレンツ・ハートのミュージカル『Betsy (ベッツイー)』に土壇場で追加された曲。
僅か1か月:39公演だったが初日に観客から24回もアンコールされ、
まだ覚束ない主役に最前列の席からバーリンがプロンプターしたという。
翌年、初のトーキー映画『ジャズ・シンガー』でアル・ジョルスンが歌ってヒットした。
*レイ・チャールズ
「ミスター・バーリンありがとう、彼は私に大きな力を与えてくれました。
俳優がいい台本を求めるように私たちはいい歌を求めます。それを与えてくれたのが彼です。
100歳のお祝いに加わることが出来てとても光栄です」と謝辞。
♪What'll I Do (どうしたらいいの?)
抑えられない魂を全身から発し歌う。
ここだけの話だが、レイの歌い方を貶める意図は毛頭ないけれど、
トーチソングのナット・キング・コール、フランク・シナトラ、チェット・ベイカーがベスト3ではないだろうか。
   ●レイ・チャールズといえば♪Georgia On My Mind (我が心のジョージア)に触れない訳にはいかない。
    レイはホーギー・か―マイケルが作曲した1930年にジョージア州オーバニ―で生まれた。
    6歳で緑内障による失明のハンデを克服して著名なソウルミュージックの歌手になった。
    1961年の「我が心のジョージア」はミリオンセラーを記録している。
    「我が心のジョージア」が州歌に公認されたのは州が人種差別を撤廃してからだった。
    1996年アトランタ・オリンピックの開会式ではレイが「我が心のジョージア」を歌唱している。
    2004年、レイ・チャールズ伝記映画『Ray /レイ』が制作されたが、
    オーディションでレイが選んだジェイミー・フォックスが、
    アカデミー主演男優賞に輝いたという熱演を見ることを得ず公開4か月前にこの世を去った。
*ベアトリス・アーサー
1947年ブロードウェイ・デビューして50年代には映画・テレビで活躍、トミー賞、エミー賞を受賞、晩年に殿堂入りを果たした女優のベアトリスが、
「…15作のヒットを生んだ後しばらくブロードウェイから離れ 58歳の時ブロードウェイに戻ってくれと頼まれました。
ヒット曲をつくる彼の情熱は変わらず、その結果、『アニーよ銃をとれ』や『コール・ミー・マダム』が生まれたのです。
エセル・マーマンに代わる人はいないでしょうが、この歌を歌います」
純白ロングドレスのベアトリス、ゴールドスパンコール・ドレスのマリアン・ブランケット、
タキシードのバリー・ボストウイックの3人で独唱・重唱メドレー。
♪It's a Lovely Day Today (今日はいい日)
♪Hostess with the Moste's  on the Ball (舞踏会で一番魅力的なホステス)
♪You Are Just in Love (あなたは恋をしている)
♪There's No Business Like Show Business (ショウほど素敵な商売はない)
気位高そうな(根拠のない恣意的印象だが)ベアトリスが、 
「エセル・マーマンに代わる人はいない」と一目置いてコメントしたのは、事情がある。
上の3曲は1950年の『コール・ミー・マダム』から、4曲目は1946年『アニーよ銃をとれ』の主題歌。
2本ともバーリンがマーマンのために書いたミュージカルで、
『アニーよ銃をとれ』は40年代3番目に多い公演回数1946を記録した。
ナイトクラブの歌手だったマーマンは21歳の時、
ボードビル劇場のプロデューサーから勧められジョージ・ガーシュインの新作ミュージカ『ガール・クレイジー』
(1930)のオーディションを受けた。 
劇中歌「アイ・ガット・リズム」を聞いたガーシュインはマーマンを即座に歌手役ケイト・フォージザルに決めた。
半世紀以上経つにもかかわらず『決定版!ジャズ・スタンダード1001』(スイングジャーナル社刊)は…
彼女をパスしてこの曲は語れない…と論評している。
正確な発音と音程、三階席にまで届くパワフルな歌声でデビューしたマーマンは、
ミュージカルのスターダムに昇りつめていく。 
“ブロードウェイの女王”と呼ばれた彼女の歌から沢山のスタンダードジャズが生まれた。
♪I Get a Kick Out of You (君にこそ心ときめく) ♪You're the Top (あなたが最高)
♪Anything Goes (なんでもオーケイ)
♪Down in the Depth on the 90th Floor (地上90階のどん底で)
♪it's De-Lovely (イッツ・ディー・ラブリー) ♪Ridin' High (ライデン・ハイ)
♪Do I Love You (ドゥー・アイ・ラブ・ユー?) ♪Friendship (友情)
*ナタリー・コール
「バーリンの歌はシンプルですが人間の感情のすべてが込められています。
愛することの喜びも悲しみのすべてがあります」といって、
1933年のレビュー『As Thousands Cheer (幾千の喝采を浴びて)』から、
リンチを受けたことを知らずに夫を待つ妻の、
♪Supper Time (夕食どき)を…パッショナブルに唄う。 
歌手デビューした年のグラミー賞最優秀新人賞・最優秀R&B女性ボーカル賞を受賞した。
*フランク・シナトラ
「毎年アービングの誕生日には電話でおめでとうを言うのですが今年は歌を捧げることにします、
何を歌おうかと考えたのですが彼が夫人に贈った歌を歌うことにします」と、
♪Aiways (オールウエイズ)
♪When I Lost You (あなたを失ったとき)
神対応の2曲を続けて歌った。
前者は2度目の妻:エリン・マッケイに贈った曲でエリンの父が交際に反対していた頃の作品。
エリンとは生涯を共にした。
後者は最初の妻になるドロシー・ゲッツとハバナに新婚旅行中、ドロシーが腸チフスに罹りニューヨークに帰国して直ぐ亡くなり、バーリンは数か月仕事に手が付かない悲しみを超え最初に書いたバラード。
*ローズマリー・クルーニー
ステージ下手(しもて)から中央に進み、映画『ホワイト・クリスマス』の1曲(♪Count Your Blessing Instead of Sheep)を唄い終わるとバーリンのエピソードを始めた…
「この映画のなかでビング・クロスビーが歌った♪ホワイト・クリスマスは12年前にも歌われその時が2度目でレコーディング中、バーリンは落ち着かないようでした。…今ではこの歌なしにクリスマスは考えられません」
白と黒を基調にした正装の合唱団を後ろに♪White Christmas を深々(しんしん)と唄うと、
会場は聖夜に包まれていった。 
祝賀会について米国音楽著作権協会会長モートン・グールドの話
「来年、先生は100歳を迎えられますが、協会として何かお祝いを」と電話したとき「気の長い話だ」という返事だったが、
半年後「カーネギー・ホールに皆が集まってくれれば」というので開催が決まった。
 バーリン音楽映画のフラッシュバック
『ジャズ・シンガー」(1929:アル・ジョルスン♪Blue Skies)
『艦隊を追って』(1936:ジンジャー・ロジャース♪Let Yourself Go)
{『イースター・パレード』(1948:ジュディ・ガーランド&フレッド・アステア♪Ragtime Violin)
『ショウほど素敵な商売はない』(1954:マリリン・モンロー♪Heat Wave)
『ブルー・スカイ』(1946:ビング・クロスビー&F・アステア♪A Couple of Song and Dance Men)
『ホワイト・クリスマス』(1954:B・クロスビー&ローズマリー・クルーニー
                   ♪Count Your Blessing Instead of Sheep)
『マダムと呼んで』(1954・未公開:エセル・マーマン♪The Hostess with the Mostes)
『ホワイト・クリスマス』(1954):R・クルーニー♪Love, You Didn't Do Right By Me)
『イースター・パレード』(1948:F・アステア&J・ガーランド♪Easter Parade)
『トップ・ハット』(1935):F・アステア&G・ロジャース♪Cheek to Cheek)
シャーリー・マクレーン再び登場
「ヒットまで時間がかかった曲といえば、40年代の映画でフレッド・アステアが歌った歌があります。
金曜夜のハーレムを描いたこの歌を今夜はトミー・チューンが歌います」
*トミー・チューン
♪Puttin' on the Ritz (リッで踊ろう)
長身199cm上から下まで白のコーディネート、赤いバラを胸に俳優でダンサー、歌手、演出家、プロデューサー、振付師のトミーが歌い、そして、タップを踏む。
歌手でトニー賞7回、演出でも6回ドラマ・ディスク・アワード賞受賞の名声を改めて知る。
   ●3分42秒のこのシーンは必見です
    Tommy Tune Puttin' On The Ritz (Carnegie hall) -YouTube
*ジョー・ウイリアムス、ダイアン・シュアー、ビリー・エクスタイン
♪Steppin' Out with My Baby~Marie~Cheek to Cheek~Say It with Music
男女・老若のクラシカルで新しいハーモニーは、楽しめる。
ジョー・ウイリアムスは、1918年生まれ50年代カウント・ベイシー楽団専属歌手で活躍、
生後(1953年)まもなく失明したダイアン・シュアーは、9歳で歌を16歳から作詞作曲する。
ビリー・エクスタインは最高齢1914年生まれ、40年代最初のバップ・オーケストラと呼ばれるビッグ・バンドを結成した。
*トニー・ベネット
1926年生まれ、第2次世界大戦でドイツに駐留していたとき歌手を志し50年にプロ・デビュー。
おなじイタリア系アメリカ人のフランク・シナトラ以降最高のポピュラー、ジャズ両面で活躍中…
♪Shakin' the Blues Away (憂さをはらって)
シナトラが“金を払っても聴きたくなる”というパフォーマンスが見られる。
 映画『これが軍隊だ』(1943)のハイライト・シーン
バーリン自身が歌う「早起きはつらいね」
はためく星条旗、バラック兵舎、直立する軍服姿のバーリン…
♪Oh How I Hate to get Up in the Morning 
    ●Irving Berlin- Oh How I Hate to get up in the Morning-YouTubeでご覧できます
 フィナーレ
「私たちの恩人の誕生日をどう祝ったらいいのでしょう。
 この世界に生きる人にとって最高の歌がありっます」…始まりも終りもシャーリーが務める。
                  
                ♪ショウほど素敵な商売はない

                      ─おわり─