響庵通信:JAZZとサムシング

大きな好奇心と、わずかな観察力から、楽しいジャズを紹介します

ソウル・ブラザー・エルビン・ジョーンズ 満帆編

2013-07-12 | 音楽

「いま、演奏(やっている)じゃないか」
ビレッジ・バンガードのオーナー、マックス・ゴードン氏に
「ここで、日本人ミュージシャンが演奏したことあるか ?」と、
ある日本の音楽プロデューサーが尋ねた。
ステージにあがっていたのは…
エルビン・ジョーンズだった。

1979年(昭和54年)12月25日(火)
第2回 E.J.クラブは、エルビン夫妻を囲むクリスマス・パーティである。
その日夫妻は浅草帰りだった。
[花の雲 鐘は上野か 浅草か (芭蕉)]
浅草というと、俗人はどうしても観光・歓楽本位になってしまうが、
真日家(ここだけの造語)のエルビンは、
作法通り、お水舎(おみずや)で手・口を清め参詣する。
そして…
  何を祈ったのか
  常香炉の煙を身体のどこにあてたのだろう。

今回はプライベートな来日だったので「こんにちは」と、くつろいだ夫妻。
待ち受けた我々も「おかえりなさい」の気持ち。
パーティが始まる前に「はい、おみやげ」、
渡してくれた小箱をあけると…
中にはいっていたのは…ドラマー君…ゼンマイで〈コテ、コテ)と小太鼓を叩く猿の玩具だ。

仲見世でこれを見つけた時のエルビンの、ちょっと悪戯っぽい顔が見えるようだ。
ドラマー君のサプライズは予期していなかったが、
E.J.企画(というほどのものではない)には、秘策があった。
生演奏ができる用意である。
クリスマス・ケーキにお二人で入刀されたあと、
響スタッフ・クインテット+4で「ブルー・ボッサ」を披露させていただいた。
エルビンは、じっと見つめてマジ。  ケイコはアララ。

 

 

  

 

 

 

 

 2曲終わったところでエルビンが
ケイコに耳打ちした。
「みなさん、エルビンがお返しに演奏するそうです」
「わー!わー!わー!…」嵐の歓声。
ひょっとしたらそうなるかも…いいや…99%の確信犯的期待だったかもしれない。

♪ アンチ・カリプソ (Anti Calypso)
 ジャズ研学生6名に9分50秒の教演(ここだけの造語)有難うございました。
 踏むたびに少しずつ前に逃げていくバスドラム…そのたび手で引き寄せ、
 渾身のパフォーマンス有難うございました。
「エルビンは今でも1日8時間は練習しているのよ」
ケイコは、それとなく、つぶやいた。

日本人ミュージシャンと共演したアルバムを紹介しよう。
● 増尾好秋 Merry-Go-Round (Blue Note BST-84414)
● 川崎燎  The Main Force (Vanguard VSD-79372)
                   
Time Capsule  (Vanguard VSD-79389)
                *『Different Drummer/Elvin Jones Quartet』(VHS)
● 原信夫とシャープス・アンド・フラッツ
         Elvin Jones And Frank Foster―Giant Steps (King SKA-3016)
● 日野皓正 Earth Jones (Palo Alto Jazz PA-8016)
● 辛島文雄 Live At The Village Vanguard vol.1
                     (Landmark LCD-1534-2)
                  
 Elvin Jones Jazz Machine Live At Pit Inn
                     (Polydor 28MJ3528)
● 田中武久 When I Was At Aso―Mountain (Enja ENJ7081-2)
78年頃から単独でも帰国(という言葉のほうが似合う)するようになったエルビンは、
高橋知己、向井滋春、桜井郁雄や多くのひとたちと、ライブハウスを灼熱させている。

1981年(昭和56年)1月15日(祝)
第3回 E.J.クラブは、お正月遊び大会である。
15日の日付に、ご注目。
1999年までは成人の日という国民の祝日だった。
今は、ハッピー・マンデー制度の導入によって1月第2月曜日に変更されているけれど、小正月に当たる15日に元服(男子が成人になったことを示す儀式)を祝った由来が忘れられそうだ。
毎年新しいカレンダーで連休を探す楽しみも減ってしまった。
[正月の 子供に成りて みたき哉 (一茶)]
正月の伝統的遊びベスト3は、
たこ揚げ、羽根つき、福笑い…(産経新聞調べ)
たこ揚げ、羽根つきは店内向きじゃないので、福笑いがメーンイベント(*^_^*)
選手はエルビンとリチャード。
先攻エルビン…あっ困った。
顔のパーツをわたすのに《眉毛》って、英語で、どう云うのか知っています?
エルビン作品:かなり笑える出来。
後攻リチャード。
彼は、後手の利で要領がつかめて:ほぼ完ぺきな出来。
エルビン口惜しがって、「ソフィスティケイテッド・レディ」とチャチャをいれた。
六角形ミニ凧、大山独楽、けん玉など、みんなでワイワイ。
エルビンに〈飾り羽子板〉を、〈平安朝木目込み人形〉をリチャードに差し上げて、
正月遊びの楽しい午後は、終わった。

 

エルビンとリチャードの仲は、ほかのベース奏者とは比べものにならない。

●1965年のインパルス盤『ディア・ジョンC』が最初のコンビネーションである。
アルバム名と冒頭曲「ディア・ジョンC」の“C”は、
ジョン・コルトレーンのことだと容易に判る。
しかし今だから解る運命的なタイトルだった。
エルビンは65年に、2月から11月までコルトレーンと過去最多の共演盤を残している。
2月17,18日にコルトレーンのセッションに参加し、23,25日に『ディア・ジョンC』を録音した。
ボブ・ハマー(ピアニスト、作・編曲者:ミンガス『ジャズ&ポエトリー』でピアノ演奏)
ボブ・シール(インパルスレコード・プロデューサー)の共作になっているけれど、
そのまま「親愛なるジョン・コルトレーン」と訳していいのか。
実は、『至上の愛(1964)』以後のコルトレーン・インパルス・アルプスは13連峰になり、すべてにエルビンが一緒に登頂していたけれど、
最後の『メディテーション/瞑想』(11月23日)のセッションでドラマーに、ラシッド・アリが加わった。
そのことがきっかけで、
エルビンとマッコイの名前が次のセッション(66年2月)から消えてしまっている。
コルトレーンがエルビンの入団をどれほど熱望したかを読む書がある。
『コルトレーンの生涯/J.C.トーマス著・武市好古訳』(スイング・ジャーナル社)
巻末の「ジョン・コルトレーン年譜から前後の経緯を拾ってみよう。
*1960年4月…マッコイ・タイナー参加。
 このときドラマーはピート・ラロカ→ビリー・ヒギンズ→エルビン・ジョーンズになる。
*1963年5月から8月まで、エルビンは国立精神病治療研究センターへ入院。
 かわりにロイ・ヘインズ参加。
 7月17日、ニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演、ドラムスはヘインズ。
 同夏、エルビン復帰。
*1965年12月…マッコイ・タイナー退団。
*1966年3月…エルビン退団。
ラシッド・アリ加入について同書にこんな記述がある。
[アリはフィラデルフィア出身で、コルトレーンとは数年来の知己だった…中略…ドラム奏者が二人というフォーマットは、コルトレーン自身も初めての経験である。彼の狙いは、頭の中に以前から聴こえているアフリカン・ドラムの真髄、そのリズミカルなサウンドを再現することにあった…中略…彼の参加はコルトレーンの狙い通りだった]
しかし、エルビンは「なんであんなやつと組ませるんだ」と不満だったらしい。
予知しなかったとはいえ、畏敬する師とも敬愛する兄ともいえるコルトレーンから決別することになったエルビンは、10か月前の『ディア…』をどんな感傷で,思い直したか、
気になって仕方がない。

エルビン2度目の来日は、78年4月。
麻薬事件から12年目の凱旋公演だった。
(この話は、前回《ソウル・ブラザー・エルビン・ジョーンズ 順風編》でお読みいただけます)
その東京公演のライブ録音盤がある。
『エルビン・ジョーンズ・ジャズ・マシーン“ライブ・イン・ジャパン1978”―ディア・ジョンC』(トリオ:PAP-9111)である。
エルビン・ジョーンズ(ds)、フランク・フォスター(ts、ss)、パット・ラバーベラ(ts)、ローランド・プリンス(g)、アンディ・マクロード(b)  
録音:4月8/9日 読売ホール/東京
ラバーベラ、プリンス、マクロードは初来日、
フォスターは『エルビン!』(リバーサイド)、『へヴィ・サウンズ』(インパルス)、『コーリション』(ブルーノート)ほか8枚の共演がある。
A面1曲目の「E.J.ブルース」はここが初出、後にバンドテーマ曲になっている。
終盤3分38秒のドラムソロは、うなり声も厳しく、重音の奔流。
B面は「至上の愛:Part1 承認、Part2 決意」
全身の汗が水しぶきのように飛び散るエルビン、これぞ「裏至上の愛」という激演。
「裏至上の愛」って何だ!
…コルトレーンに擬(ぎ)してコルトレーンに非(あら)ず…
『至上の愛/ジョン・コルトレーン』と『ライブ・イン・ジャパン1978』は、表裏一体と思っているので。
『至上の愛/ジョン・コルトレーン』のPart1 承認、Part2 決意は、
7分49秒、7分25秒の2楽章であるのに対して、
「裏至上の愛」では、承認の〈あとテーマ〉~エルビンのドラムソロ5分13秒~決意のテーマにリレーされる1楽章になっている。
つまり、アタッカを含め26分間の「至上の愛」を叩き続けるエルビンは《よどみ》のないものだった。
この『エルビン・ジョーンズ・ジャズ・マシーン“ライブ・イン・ジャパン1978”』には、
〈ディア・ジョンC〉のサブタイトルが添えられている…そうか、なるほど。
ただ、80年代になってもケイコが「エルビンの前ではコルトレーンの【コ】の字も言わないでね」と、気を使うほど、
彼にとって永遠に“ディア(いとしい)・ジョンC”だった。

●次は1986年
エルビンとリチャードの双頭盤『へヴィ・サウンズ』(インパルス:A-9160)である。
エルビン・ジョーンズ(ds)、リチャード・デイビス(b)、フランク・フォスター(ts)、ビリー・グリーン(p)
リチャードとフォスターはお馴染み。
身元不明なのがピアニスト:ビリー・グリーン、『新・世界ジャズ人名辞典/スイング・ジャーナル社』(但し、新というものの1988年版が最新)、ウエブのAnswers.com.を調べても載っていない。
彼がジャズ・アルバムに登場するのは、この1枚だけのようだ。
LP,CDの日本文解説者も困ったらしく、お手上げ。
よく解らないのはそれだけじゃあない。
ビリーのオリジナル曲「M.E.」が意味不明。
(エルビンの凄いところは、殆どといっていいくらい共演者の曲をアルバムに加えている)
解説者が、てこずったのも、そこ。
発売順に3人の方が、同じ趣旨を述べられている。
〈M.E.というよりT.M.――セロニアス・モンクのほうが似ている〉と。
種を明かすと、原盤の英文ライナーを書いたジャズ&ポップス編集者:フランク・コフスキーの引用。
筆者の独断では、T.M.というよりS.C.――ソニー・クラークに似ていた…ほめすぎ…かも。

『へヴィ・サウンズ』は、カルテット、デュオ、ピアノレス演奏と緩急ある6曲構成。
特選はエルビン、リチャード相思(互いに慕い思う)の「サマータイム」である。
「サマータイム」は、オペラ『ポーギーとベス/Porgy And Bess』の挿入歌。
『ポーギーとベス』は、ジョージ・ガーシュウインがデュボーズ・ヘイワードの小説『ポーギー』を知り、ヘイワードと兄アイラ・ガーシュウインに作詞を任せて、オペラ『ポーギーとベス』を作曲、編曲に20か月を費やして、1935年10月ニューヨーク:アルヴィン劇場で初演された。
「サマータイム」をはじめ「ベス、今こそおまえは俺のもの」「ないものがたくさんある」「そうとも限らない」「アイ・ラブ・ユー、ポーギー」などのヒット曲を生んでいる。
1959年、シドニー・ポアチェ(ポーギー)、ドロシー・ダンドリッジ(ベス)、サミー・デイビス・ジュニア(スポーティン・ライフ=遊び人)たちのキャストで映画化された。
日本公開は61年だが、その後、ガーシュウイン夫人の意思で再公開、ビデオ化が許可されず、
生涯観ずに終わってしまうのか…もったいない話だ。

プロローグで漁師の妻が歌う子守唄が、「サマータイム」らしい。
♪ 夏なのよ 暮らしは楽よ 魚は飛び跳ね 綿の木も育って あなたの父さんお金持ち
  あなたの母さんベッピンさん だから赤ちゃん静かにね 泣かないで
♪ いつか朝 立ち上がって歌い それから羽を拡げ 空に行くでしょう
  でもその朝まで なにも悪いこと起きないの 父さん母さんそばにいるから
というような歌意なのに、驚くほどのサマータイム・シンドローム。
マイルス、エバンス、パーカー、ペッパー、ブレイキー、ピーターソン、ガーランド、M.J.Q.…
レデ・デイ、エラ、カーメン…数十人のトップ・ミュージシャンが競ってカバーしている。
そのいずれの1曲、1曲、感傷ゆたかなパフォーマンスである。
エルビンとリチャードの「サマータイム」は、
例のない最少編成で6音交差のストーリーある(起承転結)演奏をしている。
エルビンがポーギーで、リチャードはベスという設定で[悲恋]を想像してみようか。
 《マレットドラム・ソロのイントロにアルコベースが話しかける「起」は悲しい出会い…
 ピッチカットベースをなだめるブラシドラム「承」はベスの回想…
 マレットドラム激しく、アルコベース悩む「転」が葛藤の日々…
 アルコベース悲鳴、マレットドラム熱情、
 ピッチカット→アルコ、ベースの1音。「結」で永遠の別れ》
そんな回りくどいことしなくっても、
あとテーマに入るアルコの3分20秒、バッキングする1分30秒のマレットが、絶技。

*デュオ演奏盤には『時さえ忘れて/ステファン・グラッペリ(vln)~マッコイ・タイナー(P)』もある。
*ソロ演奏では『アイ・リメンバー・チャーリー・パーカー/ジョー・パス(g)』がある。
*『ジャズ・マイ・ロマンス/ロン・カーター(b)』ピッチカットベースと比較するのも面白い。
 

●3回目の共演は1979年、珍しいレコード『ベリー・レア』(トリオ:PAP9173)だった。
珍しいレコード『ベリー・レア』って重複表現みたいだけれど、
アルバムの英文タイトルは『VERY R.A.R.E.』
 R.A.R.E.は演奏者名、ロランド・ハナ(p)のイニシアル“R”、アート・ペッパー(as)の“A”、リチャード・デイビス(b)の“R”、エルビン・ジョーンズ(ds)の“E”をつなげ、レアにひっかけているのはお察しのとおりだが、珍しいレコードと形容したのには訳がある。
『ベリー・レア』原盤はトリオレコードが制作した30センチLPなのだが、45rpm(EPレコードと同じ45回転)という前代未聞の仕様だった。
再生時に、要注意!…まあ、この1枚だけだったけれど。
関係者に?したら、共同プロデューサー:ケイコのアイデアだったそうである。

ところが10か月前に録音した『エルビン・ジョーンズ・ミュージック・マシーン』(マークレビンソンレコード:30PJ-8)を、発売した1982年に入手した…当然のように普通のLPである。

 油井正一氏のライナーノーツを読んで驚いた。
[このレコードは、1979年の45回転アクースティック・レコーディング・シリーズとして片面1曲づつ2枚に分割されて世にでたもので、当時の定価は1枚¥7000だったのであるが、今回は2枚をノーカットで1枚にまとめて、通常の33回転LPとしておめみえすることになった]とある。
ひょっとしたら、マークレビンソン盤も彼女のプロデュースだったのかな。

『ベリー・レア』から1曲選ぶなら、ケイコ・ジョーンズのオリジナル「懺悔(ZANGE)」だろう。
アート・ペッパーは、1943年、18歳でスタン・ケントン・オーケストラの1員で初レコーディングしてから、82年、56歳のリーダー・アルバムを最後に190枚ちかくの作品を残している。
その多くはウエスト・コースト系のミュージシャンとの足跡だったが、
最高傑作にあげられる『アート・ペッパー・ミーツ・ザ・リズム・セクション』(コンテンポラリー:1957年録音)が、
タイトルの1部でお解りのように、
当時マイルス・デイビス・クインテットの最強リズム隊:レッド・ガーランド(P)、ポール・チェンバース(b)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)と組んで、一挙にイースト・コーストファンの耳を金縛りした。
ペッパーの音楽歴を復帰前、復帰後と分ける評者がいる。
麻薬禍で七転び~再起が分岐点で〈良い〉〈悪い〉という聴き方は、感心できないな。
エルビンとの出会いは、『ミーツ・ザ…』の19年後、ペッパーのベースキャンプ:コンテンポラリーレコードからだった。
『ザ・トリップ』(1976年)、連作『ライブ・アット・ザ・ビレッジ・バンガード』(1977年)なども代表作に加えたい。
雷神も逃げ出すスティックさばきが、エルビンの真骨頂なのは聴くまでもないが(^J^)、
『へヴィ・サウンズ』の「サマータイム」でマレット奏法が(ブラッシワークも)至芸であることを痛感していた…けれど、
数メートル先の生演奏で見た(あえて見たと強調する)感電が「懺悔」のマレットだった。
「懺悔」の初出は『ベリー・レア』なのだが、筆者はその1年前に聴いていた。
前回の順風編で紹介した1978年の凱旋公演初日の前日、

麻布狸穴町の「アメリカン・クラブ」でエルビン・ジョーンズ・ジャズ・マシーンのレセプションがあった。
パーティのフィナーレはセッション。
パット・ラバーベラ(ts)、ローランド・プリンス(g)、アンディ・マクラウド(b)は初来日で顔も音も新鮮。
何の曲を演奏したのか覚えていないのに、マッレッとのイントロに始まる〈祈り〉の楽想が忘れられなかった。
あとでプロモーターに聞くと、「あれは、懺悔だよ」…彼も強い印象を受けていたらしかった。

●70年代終わりから80年代中頃にエルビンの日本企画・製作盤が集中。
リチャード共演は、ここまでに紹介してきた以外に、
『ハート・トゥ・ハート』(デンオン:YF-7017)、『ラブ・アンド・ピース』(トリオ:PAP-25023)がある。
そして、『エルビン・ジョーンズ・ジャズ・マシーン・アット“ピット・イン”』がある。
ソニー・フォーチューン(ts、fl)、パット・ラバーベラ(ts、ss)、辛島文雄(P)、リチャード・デイビス(b)、エルビン・ジョーンズ(ds)
   1985.8.1録音  ポリドールレコード
キャッチフレーズじゃあないけれど、ゆかりのピット・インで初ライブ盤…18年前、山下洋輔、武田和命とクリスマス・セッションが、ハートに去来しない筈がない。
冒頭曲は割愛して2曲目からのオーダーが、心情を語っている。
「真実(ケイコ・ジョーンズ)」は『コーリション』(順風編で紹介したブルーノート盤)以来の収録、
「マイ・ワン・アンド・オンリー・ラブ」も意味深な選曲、
「懺悔」(『ベリー・レア』で演奏して以来、
出た!「E.J.ブルース」は,〈裏至上の愛〉以来。
 

●真打は、2002年2月、エルビン74歳、最後のレコーディング。
ジョーンズ兄弟盤の復活を執心した伊藤八十八プロデューサー、絆の三部作。
ハンク・ジョーンズ(P)、リチャード・デイビス(b)、エルビン・ジョーンズ(ds)で構成された、
ザ・グレイト・ジャズ・トリオ『枯葉』『いつか王子様が』『コラボレーション』である。
ここでは、『コラボレーション』から、やはり「サマータイム」を聴きたい。
ハンクの温和、リチャードの柔和、エルビンの平和で3D牧歌に仕上がった。
ディスコグラフィ・データには載っていない最後のトラックに、
ハンクのピアノソロ、

「メモリーズ・オブ・ユー」がある。
これだけ2004年2月に録音されたもので、何とも言えない【哀傷】に引き込まれる。

      兄は知っていたのだろう、3か月後、弟が遠くに逝くのを――

 

                             満帆編 おわり