響庵通信:JAZZとサムシング

大きな好奇心と、わずかな観察力から、楽しいジャズを紹介します

華麗なるミュージカル(4)

2018-11-02 | 音楽

名数(めいすう)の中で“ずばぬけて多い”のは【三】である。
三役、南無三、舌先三寸、非核三原則…
因みに【三】の会意は、上の一本が天、下の二本が地を示して天地人の道を表すようで、漢字圏の民族には特別の“数”かもしれない。

レビューと並んでブロードウェイ・ミュージカルの先駆けになった、
アメリカン・オペレッタ三大作曲家の一人、シグムンド・ロンバーグの伝記映画がある。
 *:前章[華麗なるミュージカル(3)]で触れた、
   ビクター・ハーバート、ルドルフ・フリムル、シグムンド・ロンバーグの三人。
【我が心に君深く】(原題:Deep in My Heart)
1954年:米MGM (カラー 132mins)
劇場公開:55年
監督:スタンリー・ドーネン
制作:ロジャー・イーデンス
原作:エリオット・アーノルド
音楽監督:アドルフ・ドイッチェ
主な出演者
 ホセ・フェラー(シグムンド・ロンバーグ)
 マール・オベロン(ドロシー・ドネリ―)
 ヘレン・トローベル(アンナ・ミュラー)
 ドー・アブドン(リリアン・ロンバーグ)
 ウォルター・ピジョン(J.J.シューバート)
 ポール・ヘンドリード(フローレンツ・ジーグフェルド)
 タマラ・トゥマーノバ(ギャビー・デズリー)
 ポール・スチュワート(バート・タウンゼント)
客演
 ローズマリー・クルーニー
 ジーン・ケリー&フレッド・ケリー
 ジェーン・パウエル&ビィク・ダモン
 アン・ミラー
 ウイリアム・オルビス
 シド・チャリシー&ジェームズ・ミッチェル
 ハワード・マギー
 トニー・マーティン&ジョーン・ウエルダン
監督スタンリー・ドーネンは、7歳からダンスを習い、17歳のときジーン・ケリーが主役したミュージカル『パル・ジョイ(1940)』のコーラスボーイとバックダンサーでブロードウェイにデビューした。
翌年、ケリーが振付した『Best Foot Forward』にもコーラスとダンスで参加、
二人は親交が深まり、1942年ケリーがハリウッドに進出すると、
ドーネンも『錨を上げて(1945)』『私を野球につれてって(1949)』でケリーの助手をつとめ、多くの映画で振付を担当することになる。
そして『踊る大紐育(1949)』、ミュージカル・音楽映画部門ランキング第2位『雨に唄えば(1952)』、
さらに『いつも上天気(1955)』でケリーと共同でメガホンをとり、
独り立ち後、『我が心に君深く』と同じ年には先行してランキング第10位『掠奪された七人の花嫁』を監督、
ビンセント・ミネリとともにMGMミュージカル映画の黄金期を築いた。
 *ランキングは『外国映画ベスト200/角川文庫』による。

音楽監督のアドルフ・ドイッチェは、ロンドン出身のピアニスト。
14歳のときアメリカに移住、17歳には地元のサイレント映画館でBGM奏者になり、
1920年代から30年代にブロードウェイで作曲・オーケストラ用編曲の経験を積み、
30年代終わり頃からハリウッドでハードボイルド、西部劇、戦争映画、コメディなど多くの作品に作曲・指揮・編曲家として活躍している。
特にMGMミュージカル映画には欠かせない存在で、
『私を野球につれてって』『アニーよ銃をとれ(1950)』『ショウ・ボート(1951)』『バンド・ワゴン(1953)』
『魅惑の巴里(1957)』などなど。
スタンリー・ドーネンとは『掠奪された七人の花嫁』『我が心に君深く』のほかに、
オードリー・ヘプバーン、フレッド・アステア主演『パリの恋人(1957)』…ただしMGMではないが…ある。
この映画はミステリー仕立てではないけれど、脚色したレナード・スピーゲルガスの絶妙な伏線が光る。
挿入曲順に追ってみよう。
作曲はすべてシグムンド・ロンバーグ、作詞はオスカー・ハマースタインⅡ他。
① You Will Remember Vienna
ニューヨーク2番街のカフェ『ウイーン』女主人アンナ・ミュラー(ヘレン・トローベル)が、
ふと訪れた音楽事務所社長にシグムンド・ロンバーグ(ホセ・フェラー)
の新曲を紹介する。
 ♪人はウイーンを思い出すでしょう…とアンナが、望郷の念を込めてバラードを唄う。
「ダサいな、いまどきウイーン風は受けない、ノリノリの曲なら羊の脚だって、踊り出す」
酷評に腹を立てたロミー(ここからロンバーグをロミーとする)は…
② Leg of Mutton
社長の言い分を逆手にとって、クイックステップのダンス音楽を作曲、即興で詞も付ける。
 ♪…君が僕のハニーなら/ムニャムニャして/羊の脚もダンスする
アンナが唄い、ロミーと二人でコミカルなステップ。
アンナ役のヘレン・トローベルは、アメリカのソプラノ歌手。
メトロポリタン歌劇場のワーグナ―歌手として欠かせない存在だったが、ナイトクラブやキャバレーで唄ったことから総支配人ともめ…去り、
以後テレビ・映画・ミュージカルで活躍した。
オペラに疎い筆者はドラマチック・ソプラノよりも、
しみじみ唄った「枯葉」の彼女を傾聴している。 (youtubeでお聴きできます)
「羊の脚」がヒットして名が知られると、
音楽事務所を通さず直接交渉するためリハーサル中の興行主J.J.シューバートに会いに行く。
同席のドロシー・ドネリ―(マール・オベロン)の口添えで、新曲がレビューに採用されることになった。
③ 朝日のようにさわやかに (1st
sequence)
ド派手な肉体女優ギャビー役のタマラ・トゥマ-ノバ(吹き替え:ベティ・ワンド)が、
アップテンポで唄い刺激的に踊る演出に曲されて(“編”の転換ミス)、
大きな期待で客席にいたロミーは居たたまれなく…退出してしまう。
 *:実際の「朝日のようにさわかに」は『ニュー・ムーン(1928)』の挿入曲。
   『ニュー・ムーン』はトライアウト(試験興行)が不入りだったので、
   数か月後に「朝日のようにさわやかに」「恋人よ、我に帰れ」を追加し、
   再演したところ1年3か月のロングラン公演に成功した。
④ 朝日のようにさわやかに (2nd sequence)
祝賀パーティの席で浮かない顔のロミーは、
「あのシーンに一つ足りないものがある」といって自らピアノで淡く…イントロを弾きだした。
 ♪朝日のように柔らかに、愛の光はそっと…
アンナが余情を深めるように唄う。
「これが僕の考える芸術だ」
改めて5年契約を求めるシューバートを拒む…が、
ドロシーの助言を受け入れ書類にサインする。
ウォルター・ピジョン演じる興行主J.J.シューバートは、
全米に86もの劇場を経営し600以上のショーを興行してブロードウェイ・ミュージカル発展に貢献したシューバート三兄弟(長兄リー、次兄サム)の末弟。
1914年、リー&J.J.シューバート兄弟制作の(サムは26歳のとき鉄道事故で他界)、
『世界は回る(The Whirl of the World)』で、ロミーはショー・ビジネスの世界に進出する。
⑤ Mr.and Mrs. (男と女)
『ミッドナイト・ガール』初日にテナー歌手が風邪でダウン。
代役で引っ張り出されたロミーが、ローズマリー・クルーニーと黄色のペアルック・デュエット。
ストーリーは実際と異なる設定が多く、
『ミッドナイト・ガール(1914)』は処女作をヒットさせたシューバート兄弟制作2作目だけれども、
「Mr.and Mrs.」はかなり後の『ザ・ブラッシング・ブライド(1922)』で挿入された曲である。
サイラス・ウッドの詞はスクリーンの向こう側まで詠んでいる。
♪Mr.(ロミー)and Mrs.(ロジー)/信じられないよ隣に君がいるなんて(ロミー)/
 司祭様が“誓いますか”(ロジー)/僕は大声で“誓います”(ロミー)/…
結婚指輪を捧げる振付もあるラブリーな歌と踊り。
映画製作時ホセ・フェラーとロジー(ローズマリー・クルーニー)は結婚したてで、リアルな睦まじさ。
⑥ I Love to Go Swimmin' with Wimmen (女の子と泳ぎに行きたいな)
幼年時ザ・ファイブ・ケリーズ(姉・兄・ジーン・妹・フレッド)で地元のボードビルに出演していたジーン・ケリーと、6歳年下の弟フレッドが、オブライエン兄弟役で登場する。
双子かと見誤る背丈、容貌のシンメトリーなステップが見られる映画は、ほかに無い。
 (youtube でご覧できます)
⑦ The Road to Paradise (楽園への道)
⑧ Will You Remember (忘れないで)
シューバート兄弟のプロデュースでヒットを続けたロミーだったが、当初から公演したい作品があった。
フローレンツ・ジーグフェルドを利用して、
タウンゼント(シューバート側の責任者)が長年OKしなかった念願の『5月の頃(May Time)』を実現させる。
2曲続けて、満開の桜の園、愛し合う青年と娘が主題歌を歌う。
青年役のビック・ダモンは甘いマスクと美声で1950年代のスター歌手。
俳優としても『艦隊は踊る(1955)』『キスメット(1955)』(MGM)など映画・TVに出演している。
娘に扮したジェーン・パウエルもティーンエージャーで歌手になり、
15歳で映画『ソング・オブ・ジ・オープン・ロード』(U.A.)に本人役を演じ、
1940年代から50年代には多くのMGMミュージカル映画で活躍した。
『艦隊は踊る(Hit the Deck)』にはこの二人のほか、
ウォルター・ピジョンと次のシーンにでるアン・ミラー、
最後の客演トニー・マーティンも出演している。
『5月の頃』はブロードウェイ2劇場同時公演を含む492回の大ヒットになった。
慢心したロミーは自ら制作に乗り出したが、
自信をもって発表した『ザ・マジック・メロディ』は失敗…プロデューサーの存在が重要と悟る。
作詞者,編曲者と3人で静かな別荘に閉じ篭ってシューバートが用意した台本の作曲に専念。
ひょんなことからリリアン・ハリス(ド‐・アブドン)を恋したロミーは仕事を放りだし猛アタック。
ようやっと招待に成功した気難しいリリアンの母と彼女の前で、
進捗を確かめに来たタウンゼントから未完成の『ジャザ・ドゥ』を強制的に試演させられる羽目になる。
⑨ Jazzadadadoo (ジャザダダドゥ)
女癖悪いドゥードゥー伯爵が悔い改めて結婚することになり独身会を開く筋書き。
純粋一本気を演じるホセ・フェラーの、独りミュージカル。
伯爵~婚約者~執事~女歌手~宮殿の衛兵~王様~王女ファテマ、
七変化・7分超えのハチャメチャな歌と踊りは──仰天のみどころ。
 ♪Girls Goodbye / Fat Fat Fatima / Jazz-Dada-Doo
完成を促すタウンゼントによってリリアンとの仲が疎遠になった1年後、
何かにつけロミーを支えてきたドロシーは執筆中の『学生王子』に曲をつけて貰いたいと頼むも、
傷心の彼はそれどころではなかった。
                (月日が経って…)
     実らない恋では終わらないきっかけになる『画家とモデル』のステージ
⑩ It(それ)
映画で一番ゴージャスなミュージカル・シーン。
カラフルなコスチューム男女たちが陽気に踊りまわる、楽器を持って踊る者もいる、
妖精の挑発で踊りが更に激しくなる。
 ♪ひと言で言いあらわした/…/彼女はそれを“それ”と呼んだ/…
真紅のドレス、アン・ミラーのコケティッシュな唄とダンスは、
いつもながらの見せ場…後半2分強の軽妙なタップは圧倒される。
幼いころからボードビルなどでダンサーだったアン・ミラーは高校卒業後、
RKOからスカウトされ映画界入り、他の会社を経て、
『イースター・パレード(1948)』のフレッド・アステア相手役でMGMに転じ、
『踊る大ニューヨーク』『キス・ミー・ケイト(1953)』『艦隊は踊る』などでも活躍した。
恒例のミュラー主催パーティでリリアンと再会したロミー、
{まだ望みがある}とドロシー依頼の作曲に気合が入る。
21歳でブロードウェイ・ステージに立っていたドロシーは、
30代半ばから脚本家、劇作家、プロデューサーとして活躍していた。
脚色・作詞で初めてロミーと組んだ『花咲く頃(Blossm Time)』はクラシック音楽を使った最初のブロードウェイ・ミュージカルとして大ヒット。
⑪ セレナーデ
『学生王子(The Student Prince)』はドイツ戯曲『懐かしのハイデルベルク』に基づいてドロシーが作詞・脚色したもの。
1924年から26年にかけてブロードウェイ4劇場608回という20年代ミュージカル最高を記録している。 *:因みにその次は516回の『花咲く頃』
大勢の学友コーラスを従え、カール・フランツ王子に扮したウィリアム・オルビスが、
バルコニーに立つ下宿屋の娘カティーに愛を打ち明けるシーン。
 ♪夜空に月は輝く/こづえに咲く白い花のように/…
26歳のオルビスは役柄年齢に相応しい青春賛歌だ!
  *:ウイリアム・オルビスを検索すると、
    同名の息子ウイリアム・オルビスにヒットしてしまう。
    ニューヨーク・メトロポリタン歌劇テノール歌手:父ウイリアム・・オルビスより、
    作曲者:息子のほうが有名?
    蛇足:90年代にNHKで放映された『ドクター・クイン大西部の女医物語』の音楽は、息子の曲。
タクトを下ろし、楽団員もいなくなり、振りかえったロミーの前に、
「来ちゃったわ」リリアンがいた。 
⑫ One Alone  (ひとりぼっち)
1920年代最高のオペレッタと評される『砂漠の歌(The Desert Song)』挿入曲。
『砂漠の歌』はロミーがオスカー・ハマースタインⅡと初めて組んだ作品で⑩ It も使われている。
北アフリカ、イスラム教寺院をセットにした2幕目、
白いシースルーのドレスで唄う神秘なシド・チャリシー(吹き替え:キャロル・リチャード)、
 ♪ あの人が望めば私はささげたい…/もしもあの人が私だけのものなら
そ~っと青のタイトな服を着たジェームズ・ミッチェルが抱きしめる。
アラビアン・リズムに乗って白と青の卍踊り──
まるで氷上を滑るよう、大胆でアクロバティック、ここまで激しい彼女は初めてだ。
少女時代にバレエを習っていたチャリシーは、20代で映画界にデビューすると、
ミュージカルの看板2大ダンサーのフレッド・アステア、ジーン・ケリーの相手に抜擢されて10数本のMGMに出演している。
⑬ Your Land and My Land
次はドロシーが書いた『私のメリーランド』
北軍将校姿のハワード・キールが、南軍将兵の前で高らかに歌う。
 ♪北から来た男が南の男と握手…/それぞれの国がいつかは一つの国に…/
どちらの先頭にも星と横じまが翻る…/Your Land and My Land…
北と南の軍旗を中心にコバルトブルーとスカイブルーの軍人が交じり合って行進する。
オスカー・ハマースタインⅡに認められミュージカル『オクラホマ』で成功したハワード・キールは長身とバリトンで1950年代を代表するミュージカルスター。
MGM映画『アニーよ銃をとれ』『ショウ・ボート』『キス・ミー・ケイト』『掠奪された七人の花嫁』など多数に出演、
80歳を過ぎてもミュージカルにかかわった。
『私のメリーランド』初日、ドロシーは病床に臥しリリアンとアンナが付き添っている。
ロミーは好評を告げて次のアイデアを語り出すが、容態を自覚しているドロシーは、
「アンナ 唄って」
⑭ Auf Wiederschn (さようなら)
 ♪愛は永遠に生きる/別れを口にせずに…
  ずっとあなたを守りながら/アウフ・ビーダーゼーン…
アンナ、鎮魂の歌声。
「アウフ・ビーダーゼーン」はロミーがデビューした『世界は回る』の翌年、
ウイーンのオペラを原作にした『青き楽園(The Blue Paradise)』の挿入歌で作詞:ハーバート・レイノルズ。
ヒロインが涙をこらえて唄うロマンティックでセンチメンタルな曲。
⑮ 恋人よ、我に帰れ
ドロシーを亡くし悲しみを払うようにロミーはハマースタインⅡと、『ニュー・ムーン』を完成する。
 *:ハマースタイン(ミッチェル・コワール)が登場するシーンが2回ほどあるも、
   セリフなしのチョイ役。
 ♪ザ・スカイ・ワズ・ブルー(空は青々と)/アンド・ハイ・アバーブ(高く澄み渡り)/
      ザ・ムーン・ワズ・ニュー・アンド・ソー・ワズ・ラブ
              (月はみずみずしく 愛もまた同じだった)/…
トニー・マーティンが、スタンダードの名曲「恋人よ、我に帰れ」を朗々と歌い上げる。
ふだん男女を問わずアップ・テンポで聞かされているので、
このバラードは、とても貴重だ。  (youtubeでご覧できます)
彼は1930年代後半から50年代半ばまでに数十曲のヒットを記録したポピュラー歌手。
23歳のときトニー・マーティンの芸名でRKO,20世紀フォックスを経て、MGMミュージカル映画に多く出演している。
余談だが、2番目の妻シド・チャリシーと1948年に再婚し彼女が亡くなるまで一緒だった。
 ♪ザ・スカイ・イズ・ブルー(空は青く)/ザ・ナイト・イズ・コールド(夜は冷たい)/
   ザ・ムーン・イズ・ニュー・バット・ラブ・イズ・オールド
               (月はみずみずしいが 愛はたそがれた)/
過去(ワズ)を偲び現在(イズ)の想いを歌う彼に、
彼女(ジョン・ウエルダン)が駆け寄り…合唱する。
 ♪ここで君を待つ間/僕は歌い続ける/恋人よ もどってくれと

シグムンド・ロンバーグとオスカー・ハマースタインⅡのコンビは全部で5作品あって、
大ヒットの『沙漠の歌(1926)』『ニュー・ムーン(1928)』以外に、
『五月の酒(1936)』はまずまずだったが『イースト・ウインド(1931)』『サニー・リバー(1941)』は不発だった。

失望したロミーをリリアンは、
「単なる作曲家ではなく国を代表する芸術家になるべきだ」とカーネギ―・ホールでコンサートを勧めた。
尻込みするロミーを発奮させようとアンナが唄った…
 ♪夢を持つ者たちよ/動き出せば、それはかなう…/
 ⑯ Stouthearted Men (勇敢な男たち)
これも『ニュー・ムーン』で、
自由独立国を建設するため身分を隠した貴族が歌った曲。
画面はスライドしてロミー指揮するカーネギー・ホール…
 ♪勇気ある男たちが/
            一人一人手をくんだなら/
オーケストラをバックにアンナ、面目躍如のワーグナー歌手。
⑰ When I Grow Too Old to Dream (夢見る頃を過ぎても)
観客の拍手を受け、アンナを称えたあと、ロミーは妻に捧げる新曲を歌う。
 ♪夢見る頃を過ぎてしまっても/覚えていてほしいことがある/…
  君の愛は僕のこころの中で生きている…
           フォー・マイ・ワイフ、オブ・マイ・ワイフ、トゥー・マイ・ワイフ

                     ─END─

 

  


 


華麗なるミュージカル(3)

2018-07-09 | 音楽

ボールを投げたりバットを振ったことの無い者でも、
“大谷派二刀流”開祖の戦績は、ただただ、驚愕する。
奪三振やホームランだったことは承知しているにも関わらず、番組表に“大谷”の文字があれば頻繁にチャンネルを追いかけてしまう。
ジャズの聴き方に譬えると、
繰り返し各局が映す同一シーンはテーマ(主旋律)のようで、
各局趣向を凝らす解説等はアドリブ演奏といえる。
4月のある日、テレビA午前の情報ワイドショー番組に〈なんだ!これは〉
 《10:25 圧巻大谷翔平!!躍進の裏に「81マス」秘ペーパー》
因みに同時間帯のライバル局は、
  10:25 “二刀流”大谷快進撃 地元熱狂&報道も過熱
   歴代日本人メジャーとメディア評価を検証…だった。
〈ホワット・イズ・「81マス」?〉、〈ホワット・イズ・秘ペーパー?〉
当日午後のワイドショーにも、また日を改めても、この表題は見当たらない。
ひょっとしてスポーツ紙で取り上げたかもしれないけれど、
その“謎”は…マンダラートというユニークな発想法だった。
マンダラートは語感から察しがつくように、仏教で知られる左右対称の「曼荼羅」模様に似た形状から、開発した日本人デザイナー今泉浩晃氏が「曼荼羅」と「アート」をもじってつけたという。
曼荼羅(Mandara)
はサンスクリット語で、語源は不明ながら「本質を得る」と解釈されている。
通常は円形または方形な図形で、中心の主題を取り巻く諸主題との相互関係で宇宙を象徴的に表現している。

大谷翔平は、9分割された正方形を主題に同じく9分割の諸主題を、
上下左右に配した9×9=81マスに、花巻東高野球部1年生のとき “目標達成シート” として作成していた。
オオタニサーンの…中心主題の…核の…マスは…なんと?
ここはTVの手法をまね、詳細を隠す思わせぶりの“紙”を,
エイっと…剥がしたいところだが、
                【ドラ1 8球団】
ミュージカルの世界にも“二刀流の達人”(ここだけの表現)がいる。
19世紀後半から80年間でヨーロッパを中心に3700万人という移民がアメリカに夢を求めて渡ったと云われている。
ニューヨークのダウンタウンには庶民クラスの移民達が、白人が黒人の真似をするミンストレス・ショー、ボードビルの軽喜劇、ヨーロッパ風オペレッタなど手軽な金額で楽しめる娯楽があった。

当初の稚拙だった歌・踊り・ストーリーを、
豪華な舞台装置・色彩豊かな衣装・脚線美ダンサーなどミュージカルに欠かせない要素を持った作品として、1866年9月、ブロードウエイのニブロス・ガーデン劇場で公演された『黒い悪魔』が、ブロードウエイ・ミュージカル第1号とされている。

19世紀終わり頃から20世紀初頭までミュージカルは作曲家中心に作られていた。
●草創期に最も活躍したビクター・ハーバート(1859.2.1─1924.5.26)は、アイルランド・ダブリン出身で1886年渡米。
1894年、最初のオペレッタ『嘘つき王子』でブロードウエイ・デビュー、
『セレナード(1897)』『占い師(1898)』『赤い水車(1906
)』などのヒットに続き、
最高傑作『お転婆マリエッタ(1910)』を作曲している。
●故郷のプラハ音楽院でドボルザークから作曲を学んだ後、
1906年アメリカに永住したルドルフ・フリムル(1879.12.7─1972.11.12)は、『お転婆マリエッタ』のハーバートが断った『蛍(1912)』を作曲しブロードウエイ・オペレッタを担うことになった。
代表作『ローズマリー(1924)』『放浪の王者(1925)』はそれぞれ2度映画化された。
 〈余談だけれど松竹映画『蒲田行進曲』の原曲は『放浪の王者』主題歌「放浪者の歌」です〉
●ハンガリー生まれのシグムンド・ロンバーグ(1887.7.29─1951.11.9)は、ウイーンで作曲を学びイギリスを経て渡米。
 〈独り言:ハーバートやフリムルは全く知らない人物だったので調べていたけれど、
  ようやっとジャズ・ファンなじみ作曲家の…お成り~だ〉
フリムルより1年ほど遅れ、レビュー『世界は回る(1914)』からスタートしブロードウエイに共作を含め65作品を残している。

1910年代には、
ニューヨークに移住したイギリス人ユーモア小説家:B・G・ウオードハウス(1881.10.15─1975.2.14)、
両親がデンマークからの移民で苦労した後、初めての『三組の双子(1908)}』がブロードウエイでヒットしたオトー・ハーバック(1873.8.18─1963.1.24)、
ボードビリアンの父を持ち大学時代に書いた詩がアル・ジョルスンの『シンバッド(1918)}』で採用されたB・G・デシルバ(1895.1.27─1950.7.11)、
アイラ・ガーシュインオスカー・ハマーシュタインⅡたちにより、作詞家が作曲家と同等に評価されるようになった。

前置きが長くなって申し訳ない、
作曲・作詞二刀流の達人といえば…
ご存知、アービング・バーリンとコール・ポーター。

しかし、どんな世界にもアメイジングな人物はいる。
俳優・歌手・ダンサーであり、作曲家・作詞家・脚本家・演出家・プロデューサーの肩書きを持ちブロードウエイ・ミュージカルの基礎を築いたジョージ・M・コーハンだ。
コーハン(1878.7.3─1942.11.5)は、両親がボードビリアン芸人だったため、学校には行かず家族とアメリカ中を回っていた。
ボードビル界のスターになっても夢はブロードウエイに打って出ることだった。
愛国心の強い激しい役柄を演じて観客の心を掴んだコーハンの伝記映画がある。

【ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ】(原題:Yankee Doodle Dandy)
1942年:米ワーナー・ブラザーズ (モノクロ 126mins)

劇場公開:86年*第2次世界大戦のため大幅に遅れた。
監督:マイケル・カーティス
*『カサブランカ』『夜も昼も』『情熱の狂想曲』『ホワイト・クリスマス』がある。
作詞・作曲:ジョージ・M・コーハン
主な出演者
 ジェームズ・キャグニー(ジョージ・M・コーハン)
 ジョーン・レスリー(ジョージの妻:メアリー・コーハン)
 ウオルター・ヒューストン(ジョージの父:ジェリー・コーハン)
 リチャード・ウォーフ(サム・ハリス)
 アイリーン・マニング(フェイ・テンプルトン)
 ジョージ・トビアス(ディーツ)
 ローズマリー・デ・キャンプ(ジョージの母:ネリー・コーハン)
 ジーン・キャグニー(ジョージの妹:ジョシー・コーハン)

  {あらすじ&みどころ}
            「大統領なんて嫌さ」
                 ジョージ・M・コーハン主演
10年ぶりのミュージカルで大統領役を演じたジョージ・コーハン(ここから単にコーハンとする)は祝電の中に合衆国大統領の招待があり、
叱責も覚悟してホワイトハウスに出頭する。
 「どうかね 私の役は?……新聞は君が私より、よい大統領だと書いている」
フランクリーに話しかけるルーズベルト。
緊張が解け「あのころで?」と、コーハンが語り出すところから映画が始まる。
ボードビリアンの父ジェリー、母ネリー、1歳年下の妹ジョシーと“コーハン4人組”で旅回りを続ける彼は幼いころからスターだった。
成人したコーハンは、後に妻となるメアリーに自作曲を独断で唄わせ興行主と大喧嘩…芸能界から締め出されてしまう。
どこにも出演出来ず自信ある作品も買ってくれない日々が続いた。
芸能社でおたがい売り込みを断られた同士のサムと作った『小さなジョニー・ジョーンズ』(*1)がブロードウエイの出世作になった。
ソプラノ歌手フェイ・テンプルトン(*2)の為の『ブロードウエイから45分』も成功。
街中にある看板の“原作・作詞・作曲・主演”が気に食わないと芸人フォイに絡まれた『ジョージ・ワシントン・ジュニア』は各地で好評を博し、人気は高まるばかりになるが、両親が農場生活を希望し妹も結婚することになって、“4人組”は解散した。
独りコーハンは、ドタバタ喜劇だけと云われるのを見返そうと内容の濃い劇『人気』を上演した。
ところが初日から散々、すぐ公演を打ち切る事態…
追い打ちをかけるように、舞台の出来より気になる事が持ちあがる。
“ルシタニア号、独潜艦に撃沈される!”(*3)の号外。
第1次世界大戦勃発!米国参戦!
愛国心強いコーハンは陸軍に志願するも年齢制限で却下され従軍慰問に情熱を注ぐ。
ラッパのリズムをヒントに作曲した ♪オーバー・ゼア は勝利賛歌になった。
コーハンは次々にショーを成功させるなか、母と妹を亡くし、父も失うと、
長年の“コーハンとハリス(サム)”コンビを解消、引退して妻と二人で農場暮らし。
名前すら知らないという若者たちから ─ 時代の変わり ─ を感じるコーハンに、
サムから新作に出演して欲しいと要請される。
   劇場のネオン看板:
        “「大統領なんて嫌さ」
        ジョージ・M・コーハン”
フランクリン・ルーズベルトに扮したコーハンのラスト(*4)に、喝采の嵐。
   (映画は冒頭の大統領室のシーンに戻る)
長い話を聞き終わった大統領が、
 「芸能人では君が初めてだ」と米国精神に対しての名誉勲章を授けた。
外に出ると “オーバー・ゼア” を歌って行進する兵士たち。

 〈純真な愛国者でアメリカン・スピリットの塊のようなコーハン、
  小柄だけどコーハン本人より強烈な印象を演じたキャグニー、
  二人は血気盛んな気質を持つアイルランド系アメリカ人で、
  ともにボードビル出身者〉

この映画は好奇心を刺激するところが多い。
(*1)作曲・作詞・脚本・主演コーハンが初めてヒットした3作目の『小さなジョニー・ジョーンズ』は、
“ヤンキー・ドゥードゥル号”でイギリスのダービーにでるアメリカ人騎手ジョニー・ジョーンズが、
恋と悪意に振り回される物語である。
3幕16曲中、コーハンが歌って踊る最もポピュラーな2曲がある。
♪ヤンキー・ドゥードゥル・ボーイ(Yankee Doodle Boy)
  おいらヤンキーさ/まだ負けた事がない/本命中の本命…
ハンチングを被ったジョニー(コーハン=キャグニー)が前傾で大股に、
舞台いっぱい左右に歩きながら、演説調で歌い…ダイナミックに踊る。
   ─最下位に終り八百長レースを疑われる─
名誉挽回のためロンドンに残ったジョニーは、アメリカに帰る友人を見送る。
♪ブロードウエイによろしく(Give My Regards to Broadway)
友人は「ロケットが上がったら無実の証明」と言い残す。
岸壁で去りゆく客船の上にロケットを見、
喜ぶジョニーのタップ・ソロ…
申し訳なかった、ボードビル出身は伊達じゃない、
ギャング・スターと軽視してきたキャグニーは、フレッド・アステアやジーン・ケリーのタップ・ダンスと違う
“エアロビクス”の清々しさがあった。
(*2)粗野で傲慢で自惚屋と評されたコーハンの先入観を払拭するシークエンスがある。
女優候補のフェイ・テンプルトンと交渉中、彼女が言った言葉をヒントに作った『ブロードウエイから45分』にまつわる場面。(とだけ紹介しておく)
テンプルトンは3歳で既に父親の幕間に童謡を唄っていたが、
20歳にはコミック・オペラ『エバンジェリン』の再演でブロードウエイ・デビューを果たしている。
『ブロードウエイから45分』は3幕5曲でミュージカルらしくないが、
映画の彼女役アイリーン・マニング(ソプラノ歌手で女優)がその中の2曲を唄っている。
♪メアリーなんて古くさい名前(Mary is a Grand Old Name)
  わたしの母の名はメアリー/心が清く誠実だった/名前がメアリーだったから…
貴婦人すがたのテンプルトンの独唱。
♪さよならメアリー( So Long Mary)
テンプルトンと8人男性コーラスのコール・アンド・レスポンス、
  送っていただいてうれしいわ~さよならメアリー
  さよならメアリー~行かせたくないよ…
寂しさの、でも、コミカルな振付は、楽しめる。
20年越えのブロードウエイ・キャリアがあるテンプルトンを全く知らなかったけれど、
ジャズ・ファンにとって貴重なプレゼントを残してくれている。
1906年初演の『ブロードウエイから45分』出演後、結婚のため引退。
夫に先立たれると、舞台に復帰。
ヨーロッパを舞台にしたジェローム・カーンの『ロバータ(1933)』伯母ミニー役が最後になったが、
なんとまあ、彼女はスタンダード曲♪イエスタデイズ(Yesterdays)を創唱していた。
なお、『ロバータ』には同じく♪煙が目にしみる(Smoke Get in Your Eyes)もあって、
こちらは、ステファン王女役のタマーラ・ドレイシンが唄った。
作曲者カーンはプロットに沿って「イエスタデイズ」「煙が目にしみる」を書いたのではないようで、
テンプルトンはどんな唄い方をしたのだろうか。
   〈ちょっと道草を食べさせてもらう〉
ミュージカル・ロバータは2度映画化されている。
初めの映画『ロバータ』(1935年制作・同年日本公開)では アイリン・ダンが2曲とも唄った。
 *1952年の『Lovely to Look At』は未公開
テンプルトンと場景(場面の様子)が違うと思うが、
アイリンは、伯母を寝付きよくするシーンで、せつせつと唄っている。
スタンダード曲ランキング9位の「イエスタデイズ」だけあって名演盤が山とあるけれど、
インストより曲想に添う女性ボーカルで聴いてみたい。
エラ・フイッツジェラルド、カーメン・マクレエ、ジューン・クリスティ…
お薦めは、『奇妙な果実/ビリー・ホリデイ』
ビリー・ホリデイ全盛期の4セッション・16曲をまとめたコモドア盤。
♪奇妙な果実(Strange Fruit)から始まる1939年4月20日のセッション4曲は、
彼女一代の絶唱である。
2曲目が♪イエスタデイズ
  過ぎ去りし日々/あの懐かしき日々/
  幸せで甘美世間のことを忘れていたころ…
            (ジャズ詩大全3:村尾陸男訳より)
神妙なピアノのイントロ…
ゆっくり、平静に、語りかけるよう、唄いはじめる。
アップテンポになったピアノ、哀歓のサックス間奏のあと…
抑えながらも、たかぶる感情…
最後、祈る、♪Yeaterdays ♪Yesterdays
       もう一枚!
初リーダー・アルバム『ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン』も、
いいな~    〈こんな優柔不断は、有りだよね〉
(*3)『続:気になる伝記映画』の章で触れているルシタニア号事件というのは、
コール・ポーター最初のブロードウエイ・ミュージカル『まずアメリカを見よ』初日とぶつかって、公演が中止に追い込まれるというエピソード。
コーハン意欲作『人気』も、この事件で公演打ち切りになる事態。
どちらも実際には事件と公演の時系列に矛盾があるのだけれど、フィクションにし易いのは余ほど重大だったに違いない。
(*4)10年ぶりに復帰した舞台は、
リチャード・ロジャース作曲:ロレンツ・ハート作詞:サム・ハリス製作の『やっぱり正しくありたい』である。
《独立記念日にセントラル・パークにいたペギーとフィルのカップルは、
社長から「国家予算引き締め政策のせいで」給料を上げて貰えず結婚できないことを嘆いていた。
公園で眠ってしまったフィルは、閣僚や最高裁判事たちを引き連れたルーズベルト大統領の夢を見、
悩みを訴える。
大統領は若い二人を救うと約束。
♪国家予算を立て直そう(We're Going to Balance the Budget)を歌い、踊るコメディ》
ホワイトハウスを背に右手の人差し指を突き上げるコーハンのポスターはルーズベルトの化身そのものに見えるけれど、映画でルーズベルトに扮したコーハンを演じるキャグニーも、ピッタリ。
♪記録を消せ(Off the Record)
シルクハット・タキシード姿、ステッキを肩に担ぎ、前傾姿勢、舞台を左右大股歩き…
議員たちが並ぶ長~いテーブルに飛び乗り・飛び降り、
本音を歌っては、これはオフレコだよ…
3分を超えるコーハン最後のパフォーマンス。
日本語字幕は“さらり”と出るが、どうしてどうして奥が深い。
ジャズでいえばバースにあたる出だしの歌詞は、
…何を言っても新聞にでる…エレノアとデートしていたころだ…
エレノアさんは、フランクリン・ルーズベルトの遠縁で第26代大統領セオドア・ルーズベルトの姪で、
デートしていたころはセオドアが2期目の選挙中のこと。
 ♪当選ときまってなきゃ/大統領選にでたくない/
   書かんでくれ秘密だ(Off the Record)
 〈え、ええー、いいのかなあ、そんな歌を歌って。なにかと本音発言の先生方に必見?〉
19世紀に遡るとルーズベルト家は民主党と共和党に別れたようで、
フランクリンは民主党、セオドアは反対の共和党から立候補して当選している。
しかし、フランクリンとエレノア結婚のように両家は親交が深かったみたい。

オスカー・ハマースタインⅡの要請でタイムズ・スクエアにミュージカル俳優で唯一人
              ★ブロードウエイによろしく★
という碑文入りのコーハン銅像が献じられた。

   補遺:映画ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディは、第15回(1942)アカデミー賞の
       主演男優賞:ジェームズ・キャグニー、録音賞、ミュージカル音楽賞を受賞した
       大谷翔平のマンダラートはYoutubeでご覧できます

                          END

 

   

 

 

    


華麗なるミュージカル(2)

2018-02-11 | 音楽

人気テレビ番組『Youは何しに…』は空港で来日する外国人を、
   「何処から来たの?」
   「何故日本へ?」とインタビューする。
「日本のアニメに興味があって…日本語を勉強して…日本に行ってみたかった…」というヤングからミドル達が少なくないのに、驚く。
“セーラームーン”や“忍者”などのコスプレに熱心な若者(といえないYou)も多い。
シニアの筆者にはアニメはおろか、
“変身ヒーロー”や“恐竜”の知識に疎く頭を下げるしかない。
戦後の漫画映画はディズニーの天下だった。
ミッキー・マウスを生んだディズニー世界初総天然色長編漫画映画『白雪姫』が、
1950年(昭和25年)に日本で公開され、
7300万円余の興行収入を上げその年の大ヒットになった。
何年か経って『白雪姫』は日米開戦四年前(1937)に製作されていたことが解り、
こんなところにもアメリカが先進していたとは!
 〈これじゃあ負けるのも仕方ないか?〉と妙な敗北感を持った〉
更に何年か経ちジャズのスタンダード曲:
♪Someday My Prince Will Comeが映画挿入曲だと知って、
アメリカ映画、特にミュージカルに溺れていたこの頃が、
ジャズ喫茶人生を通す“ひとこま”だったのかもしれない。

映画『巨星ジーグフェルド』は黒白版である。
最大の見せ場、直径21メートル、重さ100トン、175段の螺旋階段を回転させ聳え立たす“豪華”な舞台装置が,もしカラーだったら“絢爛”極まりなかったのに !!!
フローレンツ・ジーフフェルド役だったウイリアム・パウエルは、
再び『ジーグフェルド・フォリーズ』で、天国に逝った彼を演じている。

【ジーグフェルド・フォリーズ】(原題:Ziegfeld Follies)
1946年:米(カラー 110mins)
  劇場公開:89年
  監督:ビンセント・ミネリ
主な出演者
  ウイリアム・パウエル
  ジュディ・ガーランド
  フレッド・アステア
  ファニー・ブライス
  リナ・ホーン
  シド・チャリシー
  ジーン・ケリー

ゆっくり天国に近づくと三つのモニュメントを潜る。
シェークスピアの門、バーナム・サーカスのテント、そしてジーグフェルド劇場入口。
  *バーナムは「世界最大のショウ」を設立したアメリカの興行師
広々した書斎でワインレッドのガウンを着たフローレンツは、
『巨星ジーグフェルド』のキャラクター人形を見、楽しかりし日々を回想する。
「古き良き時代だった。私が天に召されたらフォリーズもなくなった?
私のフォリーズは私にしか出来ない、あと一つ作るとしたら?どんなショウにする?」…
「オープニングを飾る主演は?旧友のフレッド・アステアが、ふさわしい」

シルクハット・タキシード・ステッキ・ファッションのアステアが歌う、
♪Here's to The Girls
 銀とピンクの花飾りの帽子の美女群の(“の”が続くのは溜息間隔)輪から、
 トウダンスのシド・チャリシーが躍りでる、
 麗美が織りなすショウ、
 本物の白馬に跨りバージニア・オブライエン艶美の・唄。
ストーリーは無くMGMゆかりのスター達が、
レビュー、オペラ、軽歌劇、軽喜劇、寸劇などを競う贅沢な構成。
音楽プログラムを追ってみよう…

●『椿姫』を歌う
 ジェームズ・メルトン(男性)、マリオン・ベル(女性)が歌う、踊る「乾杯の歌」
 舞踏会シークエンスがフォリーズ調。
●この僕の心は
 アステア最初の出番
 真骨頂の12分→の3分の2は、お馴染み“口説き落とし”(いつもより巧妙)
 ♪This Heart of Mineを歌いながら、ルシル・ブレマーと踊るシーンは…(いつもより熱い)
●愛
 MGM映画に度々出演している美人ジャズ歌手、
 バンプ役を演じさせたら──この人、
 リナ・ホーンがトロピカル酒場で唄う♪Love
●ライムハウス・ブルース
 黒の帽子・服すがたの中国人に扮したアステア、
 古いチャイナタウンの歓楽街を不気味にうろつく。
 黄色いドレスを着た女性が骨董店で陳列の“扇”をジット見、諦めて去る。
 アステア迷わずそれを盗む。
 撃たれた彼は半死状態、必死に、“扇”に手を…
  〈ここからアステア・ファンタスチック・ワールド〉
 “扇”ひらひら…天国に誘う、
 黒ずくめコスチユームが真紅に替わり黄色女も赤くなり、
 7分続くこのシーンのほぼ半分を占めたのは、斬新なデュオの踊り。
   〈アステアは様々な小物を使って楽しませてくれてきたが、
    “扇子”は初めて見た〉
 両手に表・裏が紅白になるちょっと大きめの扇子を自在に変化させ、
 まるで日舞のような所作!
 振付師が日本贔屓かな~?ジャナクッテモ嬉しい。
 さて、現場に還った、アステア如何に!
●インタビュー
 大女優が記者に取材されるコミック・オペラ
 16歳のとき映画『オズの魔法使い(1939)』ドロシーを演じ、
 アカデミー特別賞を得たジュディ・ガーランドが、
 コケティッシュでダイナミックな踊りと唄──
 男性コーラス群とのコラボレーションは、格が違う。
●凡人と凡人(原題:The Babbitt and The Bromide)
   〈babbitt(俗物)&bromide(凡人)とへりくだったタイトル?
    いや、いや“粋”な、ふ・く・せ・ん〉
  ミュージカル二大スターの、ただ一度だけ共演した“お宝映像”だった。
  公園のベンチで新聞を読んでいるジーン・ケリー、
  隣に座ったフレッド・アステアはどうやら御同業者。
  ジェントルマン:アステアと伊達男:ケリーのシンクナイズド・ステップ。
  ガーシュウイン兄弟の曲に乗って出会いから10年後・20年後の人生を語り踊る、
  7分15秒!  〈YouTube でご覧になリます〉
  まさに“名人”&“名人”パフォーマンスこそ、本編最大の見どころだろう。
  天国在住のフローレンツもサプライズの一幕は、想定外に違いない。
●美
  フィナーレはキャサリン・グレイスン。
  ミュージカル・ソプラノ歌手で女優。
  MGM映画『錨を上げて(1945)』ではケリーと共演している。
  アーサー・フリード詞・ハロルド・アーレン曲♪Word and Music
  グレイソンの唄と踊り──
    美はどこにでもある/誰もが愛でることができる/
    すてきな世界に広がっていく…
  泡の海で踊るシド・チャリシー、舞う美女&美女、
    目の前に誰かが現われ/突然真実だと知る…
  Ziegfeld Follies の輝く文字を背に、グレイソンが立つ!

      “フォリーズ動く絵画『ビーナスの誕生』だ”

                END

    [追記]
      1974年映画『ザッツ・エンターテインメント』には、
      約半分縮小された「凡人と凡人」が挿入されています。
      共同ディレクターのケリーが、
      「フレッド・アステアと踊る時は力が入ります、
      このジーグフェルド・フォリーズが唯一の共演、
      また一緒にやりたいものです」と語っています。     

 

 

    

 



  
 

 

 


 

 

 

 

 



  
  


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


華麗なるミュージカル(1)

2017-05-18 | 音楽

《ほ・し・が・り・ま・せ・ん…かつまでは》
戦時標語の呪縛から解放された。
欲しいもの、、、、といっても衣食住ないものだらけ。
たけのこ生活が続く中、
ラジオ放送が唯一の楽しみだった。
【たけのこ生活】
筍の皮を一枚一枚剥ぐように衣服・家財道具などを少しずつ処分して暮らすこと。
実情は、闇米と物々交換。
伝手を探すのに苦労したり、途中で没収されたり常套句どおりの生活だった。
【闇米(やみごめ)】
食糧管理法違反の米。
太平洋戦争中、米や味噌・醤油・砂糖から綿布・縫い糸に至るまで生活必需品が統制され配給購入券がないと買えなかった。
特に米は戦後も引き続き「米穀通帳」に従う配給制だったが、サツマイモや澱粉の塊に代替されるなど著しく不足していた。
しかし、昭和20年代後半から自由流通米が公然化しても食管法は続き、闇米は幽霊語のように存在した。
半世紀経って、食の米離れ・減反政策・TPP問題が起こるなんって…
       ~日本中の国民で〈誰が〉予知できただろう~

この年(1946年=昭和21年)の初めから最長寿番組『NHKのど自慢』、年末には日本放送界最初のクイズ番組『話の泉』の放送が開始された。
時代物(長い時代を経過して古くなったもの)のラジオから、
「モナ・リザ(ナット・キング・コール)」「マイ・ショール(ザビエル・クガート)」「煙が目にしみる(アーティ・ショウ)」などの軽音楽…
戦時中の空白を埋め戻すように聴いた。
また、早くもアメリカ映画が輸入されている。
ヒット映画の中に、
♪アズ・タイム・ゴーズ・バイの『カサブランカ』(6月)、
グレン・ミラー・オーケストラ出演『銀嶺セレナーデ』(7月)、
アカデミー賞7部門を占め主演男優賞ビング・クロスビーが歌った『我が道を往く』(10月)
がある。
ご存知のようにジャズのスタンダード曲は、
1920年代から40年代に作曲されたレビュー、ミュージカル、映画主題曲などに由来するものが多い。
ちょうど日本がジャズ鎖国になってしまった時代に成熟していたわけだが
戦後次々に公開されたミュージック映画によって、特別なジャンルになった。

【華麗なるミュージカル~ブロードウエイの100年~】という国際共同制作の映像が2006年NHK-BSで放映された。
アメリカが生んだ独特の芸術ブロードウエイ・ミュージカルを、2週に分けトータル6時間かけた長編ドキュメンタリーである。

第1回テーマ〔ショービジネスの幕開け〕を要約すると、
初期の歌って踊れるワンマンショーを、絢爛なレビュー~豪華なショーに仕立て上げた二人の人物がいた。
一人はミュージカル界最初の大物プロデユーサー:
フローレンツ・ジーグフェルド(Florenz Ziegfeld Jr.)である。
1893年26歳のフローレンツはシカゴ万博の出し物のアイデアを探しにブロードウエイにやって来た。
ブロードウエイを南に下がると彼が求めていたものが沢山あった。
ロウアー・イースト・サイドに住む働き者の移民たちを楽しませる、ミンストレル・ショー、ボードビル、オペレッタなどのお金がかからない娯楽である。
彼は、すばらしい肉体をした男ユージン・サンドーを雇った。
裸同然の肉体の魅力を披露するサンドーに、女性たちはメロメロ。
フローレンツは、性的な魅力は売り物になると確信した。
1907年に発表した《ジーグフェルド・フォリーズ》と呼ばれるレビューは、ブロードウエイで最も偉大なショーと言われるようになる。
ジーグフェルド・フォリーズの幕が上がると、誰もが見たことのないような豪華なセット、カラフルで煌びやか、そしてコーラスガールが現れる。
珍しい出し物、寸劇、1枚の絵のような場面、舞台に登場するゴージャスな美女たち、肌も露わな衣装…
ショーはアメリカそのもの。
  演出家トミー・ジョーンズ談:
 「彼のショーの特徴は美しさです、一番の関心はいかにして女性を美しく見せるかだった」
「フォリーズに入れるには品格と優雅がなければならない。髪の長さは関係ない、金髪でも黒髪でも何色でもいい、表情豊かな瞳をもち横顔が整っているのも大切だ。
そしてプロポーションは完璧であること」(執務室で銀行家然としたフローレンツの実写と声)
1904年4月9日、新聞社の名前に因んでつけられたタイムズ・スクエアが、劇場街の中心地となった。
半年後、地下鉄の駅が作られると、街中から人が押し寄せ多くの観衆がブロードウエイ・ミュージカルを見に集まった。

もう一人は、毒舌家で愛国心の強いアイルランド系アメリカ人ジョージ・M・コーハン(George Michael Cohan)である。
歌って踊る実写フィルム挿入…
♪Give My Regards to Broadway (ブロードウエイによろしく)
    (筆者注:歌声はジェームズ・キャグニーのようだ)
1878年ボードビル芸人ジェリーとメリー・コーハン夫妻に息子ジョージが誕生した。
ジョージ(以下、コーハンと記す)は家族でアメリカ中をめぐり舞台に立った。
ボードビル界のスターになっても満足せず、脚本家・作詞作曲家・演出家・俳優として1904年『リトル・ジョニー・ジョーンズ』(Little Johnny Jones)』でブロードウエイにうって出た。
コーハンは愛国心の強い激しい役柄を演じ観客の心を掴んだ。
その役柄は、粗野で傲慢、自惚れ屋…どこからみても常軌を逸した人物だった。
 評論家ブレンダ・ギルは、
 「彼は最高の役者でありショーマンでありコメディアンだった、数々の名曲を残している」とコメント
コーハンは名曲を残しただけでなく、ブロードウエイ・ミュージカルに自らのエネルギーをそそぎ独自のスタイルを生み出した。
脚本家・作詞作曲家・俳優として約30年の間に40本以上のショーを作りブロードウエイ・ミュージカルの基礎を作った。
アメリカのミュージカル俳優で唯一人ニューヨークに銅像があるのはコーハンだけである。

フローレンツとコーハンの伝記映画がある。

 【巨星ジーグフェルド】(原題:The Great Ziegfeld)
 1936年:米MGM (モノクロ 185mins )
     劇場公開:36年
  監督:ロバート・Z・レナード
  音楽監督:アーサー・ラング
 主な出演者
  ウイリアム・パウエル(フローレンツ・ジーグフェルド役)
  マーナ・ロイ(2番目の妻:ビリー・バーク役)
  ルイゼ・ライナー(最初の妻:アンナ・ヘルド役)
  フランク・モーガン(ライバル:ビリングス役)
  ファニー・ブライス(本人)
  バージニア・ブルース(オードリー・デーン役)

伝記といっても虚構がどれくらいあるか判らないが、
ここではプロットに従わず美味しいところを…

◆ファーストシーンは、やはりシカゴ万博カイロ通りで向かい合う見世物小屋。
フローレンツ(妻アンナが彼をフローと呼んでいるので以後、“フロー”とする〉の世界一怪力男ショーは、商売敵ビリングスのエジプト娘腰振りダンスに客を取られっぱなし、
げんかつぎに怪力男サンドウが、触って鼻を上げるると幸運を招く象を、撫でる。
           ★?□?▼
           上がった!  その瞬間!
      サンドウめがけ鼻ホースが水を噴射!
「何しやがる」怒って顔や体を拭き、
「筋肉ダンスなら腕だけでもエジプト娘に勝てるさ」
二の腕の筋肉をリズミカルにピクピクさせてみせる。
「すてき!貴方の筋肉に感動したわ」肉食系マダムが声をかける。
「よろしければ触ってみませんか?」とフローが誘う。
マダムは筋肉に触れただけで…失神!
「これはいけるぞ、新聞が記事にしたら女性客が殺到するぞ」
《見せるショーではなく、感じるショーだ》
フローはヘラクレス:サンドウ・ショーで各地を巡業し成功する。

◆フローは女性陣を花形にした『ジーグフェルド・フォリーズ』をプロデュースする。
「僕は絹のカーテンの前に美女を並べる、絢爛豪華な衣装を着せて─
米国の女性を賛美するんだ」
従来のレビューは時代遅れで20年も前の装置、と言い放った破天荒な舞台がこちら、
[180人の歌手・ダンサー・ミュージシャン達を175段螺旋階段に乗せ回転させながら聳え(そびえ)さす“ウエディング・ケーキ”]
《ミュージカルはMGMに限る》筆者も見たことないセットだから超満員の観客は度肝を抜かれたに違いない。
アービング・バーリンのスタンダード曲
♪A Pretty Girl in Like a Melody (美女はメロディのよう)を熱唱するデニス・モーガン(吹き替え:アラン・ジョーンズ)、カメラが引くとバックのカーテンが巻き上がってウエディング・ケーキが回り出す。
名曲メドレーに迎えられ渦形に趣向を凝らし現れる美女群…モノクロながら華麗!
♪ユモレスク(ドボルザーク)~蝶々夫人:ある晴れた日(プッチーニ)~愛の夢(リスト)~美しく青きドナウ(シュトラウス)~道化師:衣装をつけろ(レオンカバッチョ)
~ラプソディ・イン・ブルー(ガーシュウイン)は円柱側に男性コーラス、なか4人並びの女性ダンサー、外径際ミュージシャンで階段幅いっぱいのクライマックス。
5段の巨大ケーキ頂上にバージニア・ブルース演じるクイーンが待っている。

*このシーンはYouTubeで見られます。
A Pretty Girl in Like a Melody からThe Great Ziegfeld を選んでください。
*ジーグフェルド・フォリーズは1907年から31年までの間に年1回続けられ22本公演された。
第1回公演の脚本家ハリー・B・スミスが新聞のコラムを担当していた「今日のフォリーズ(=バカな出来事)の題から名づけられたという。

◆本人自身が出演している見逃せないアーティストがいる。
[レイ・ボルジャー(Ray Bolger):レストラン・シアター・レビューの場]
左・右・上・下、崖状に並ぶ美女を漁るように往来しながら、
♪She's a Follies Girl
            /ジーグフェルド・フォリーズのスターだ
歌い終わって、ソロ・パフォーマンスのタップ・ダンスが…
《タップはアステアに限る》筆者が気絶する衝撃の2分25秒。
ボードビリアンのボルジャーはこの『巨星ジーグフェルド』で映画デビューし、
3年後『オズの魔法使い』で案山子男を演じている…コミカルでアクロバッチクなタップを想像していただけるのでは…
[ハリエット・ホクター(Harriet Hoctor):ハリエット・ホクター・バレエの場]
幼い娘パトリシアにサーカスセットをプレゼントしたフローがフィギュアを並べる…
団長、猛獣使い、ピエロ etc.
パトリシア「これは?」
フロー「誰だったかなあ、ハリエットだ、いい役を与えよう」
一転してオモチャの世界から画面はショーの舞台へ。
団長~ブランコ曲芸師~ピエロ etc.のエントリー。
♪A Circus Must Be Different in a Ziegfeld Show 
                         /ジーグフェルドにサーカスは似合わない
フォリーズ・ガールのラインダンスを割って、
4分30秒を超えるハリエットのトーシューズ・ダンス。

*このシーンもYouTube で見られます。
Hariett Hoctor Ballet から Ziegfeld.avi を選んでください。
*1937年の映画『踊らん哉(原題:Shall We Dance)』にも出演しています。
フィナーレの“踊らん哉ショー”で、
ジョージ・ガーシュインのスタンダード曲
♪They Can't Take Away from Me(誰も奪えぬこの想い)をバックに、
前半フレッド・アステアのパートナーが、バレリーナ・ハリエット。
トー立ちでイナバウアーというか?大きく背を反らせながら踊るのは、驚異!
後半はアステアの名女房役ジンジャー・ロジャースとのデュエットです。
[ファニー・ブライス(Fanny Brice):リハーサルの場]
ジーグフェルドに使われたら一流歌手の仲間に入れる…と、
ブライスが、華やかな衣装で登場する。
「何だ、その衣装は?」フローが舞台に飛び上がり、
「裾を取れ 帽子も襟巻も取れ 必要ない、ナイチンゲールみたいな衣装で悲しい歌を歌えるか」…むしり取った。
「パリのホームレスを演じるんだ」
フォリーズでホームレスを?
スカウトされる前はバーレスクのスターだった彼女、
みすぼらしい衣装を着せられて思わず涙…
ステージ下手(=しもて、舞台の左側)淡い街頭に添い胸元をおさえ悲しく歌う。
♪May Man (私のあの人)
      つらい日々の末にやっと待ったあの人/ It's My Man /
             そばにいると哀しみを忘れさせてくれるわ/
リハを見守る共演者の眼にも、にじみの痕…
「観客の前で涙を流せば大当たりだ!いけるぞ大物になる」

*「My Man」(=Mon Homme)
原曲はモーリス・イバン作曲のシャンソン、「枯葉」と並んでジャズスタンダードになっている。
英詞が付いて最初に唄われたのが『ジーグフェルド・フォリーズ1921年版』である。
15年目を迎えたジーグフェルド・フォリーズ1921年版はシリーズの中でも最も豪華な作品の一つ。ショーのハイライトはファニー・ブライスの♪My Man だった。
ジャズボーカルではアビー・リンカーン、カーメン・マクレエ、ペギー・リー、エラ・フィッツジェラルド、ヘレン・メリルなどが歌っている。
ビリー・ホリデイがお薦め…
 

 

 *ブライスの伝記映画もある。
バーブラ・ストレイサンド主演のコロムビア映画『ファニー・ガール(1968年)』の中で、フローにアピールするエピソードが面白く、ドキュメンタリー映像にも彼女の違った一面があり次回にでも紹介したい。

フローは天性の《言葉と行動のマジック》でスカウトした女性をスターにしている。
好敵手ビリングスが契約寸前のフランス女優アンナ・ヘルドを横取りしブロードウエイ舞台で成功させ、最初の妻に…
フォリーズ・ガールのオードリー・デーンを抜擢、スターに仕上げたが飲酒癖の彼女との間を疑われ、アンナと離婚…
ホテルの舞踏会で一目惚れの女優ビリー・バークを2度目の妻に、娘もできる。
興行の禍福が続き、ある日理髪店で見知らぬ4人の男達から悪評を受けて腹が立ち、ブロードウエイで4公演を成功させると啖呵を切り…大当りさせる。
しかし、この成功後はヒット作無く、1929年のウオール街大暴落で全財産を失う。
心労が重なり病に伏す…
ライバルだが実は無二の親友ビリングスにみとられ生涯を閉じる。

*実際の4公演は1927年2月から28年12月にかけ、
『リオ・リタ』『ショーボート』『三銃士』『ウー・ピー』
『ショーボート』はブロードウエイ・ミュージカルのエポックメーキングになった。
*フローレンツを演じたウイリアム・パウエルは1945年の映画『ジーグフェルド・フォリーズ』で再び同役だった。
*アンナ役のルイゼ・ライナーは36年アカデミー主演女優賞に輝やき、
翌37年『大地(MGM)』でもオスカーを手にし最初の2年連続受賞者となった。

            ここだけの話だけど、
    ルイゼは沖縄出身のH.Mさん似で、かわいい(*^_^*)

              ─つづく─

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 



                             

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


続:気になる伝記映画

2016-04-03 | 音楽

マイティ・ファイブ(mighty five)と称せられるソングライターがいる。
 リチャード・ロジャース(詞:ロレンツ・ハート、オスカー・ハマースタインⅡ)
 ジョージ・ガーシュイン(詞:アイラ・ガーシュイン)
 コール・ポーター(作詞作曲)
 アービング・バーリン(作詞作曲)
 ジェローム・カーン(詞:オスカー・ハマースタインⅡ、オットー・ハーバック etc.)
5大作曲家のなかで、正編・続編(?)ともみられる稀な伝記映画がある。
別の制作会社・年度・スタッフ&キャストが撮った、コール・ポーターだ。

 【夜も昼も】 (原題:Night and Day)  
    1946年:米ワーナー・ブラザース (カラー 128mins)        
    劇場公開:51年

    監督:マイケル・カーティス
       音楽:コール・ポーター
       音楽監督:レオ・F・フォーズスタイン

        主な出演者
    ケーリー・グラント(コール・ポーター役)
    アレキシス・スミス(ポーター夫人リンダ役)
        モンティ・ウーリー(本人:教授役)
    ジニー・シムズ(キャロル役)
    ジェーン・ワイマン(グレイシー役)
    カルロス・ラミレス(本人:歌手)
    メアリー・マーティン(本人:歌手)
解説:
[アメリカの音楽家コール・ポータの半生をつづった伝記的映画。
作曲家を夢見ていた青年が、戦争に巻き込まれながらも音楽を捨てず、
やがてミュージカル作曲家として大成する。物語は、音楽家としての歩みと、彼の妻とのロマンスを絡めて描く] (allcinama)
映画データーベースallcinamaを引用したのは、伝記映画が記録や事実に基ずくものではなく、創作や脚色を交えるので、伝記的と的を射た叙述に共感したので…
映画を彩るエピソードを拾ってみよう。

●エール、エリート、エール
1915年、エール大学キャンパスでフットボール応援歌コンテスト。
マスコットのブルドッグ・ダンを先頭に、
胸に白字でYをデザインしたコバルトブルーのセーターに白パンツ、
ポーター率いるグリークラブが登場。
“ブルドッグはほえるんだ/ワオ、ワオ/エール大学の為に…”
エール大学在学中にポーターが作曲したファイトソング♪ブルドッグ、ブルドッグ
〈このシーン前後を詳しく見る…法学部
教授モンティ・ウーリーはフットボールの応援に夢中。
「ハーバードとかいう大学の学生に聴かせたい」と熱弁〉
 
Yは、エール大学正式名イエール(Yale)のイニシアル。
アイビーリーグのハーバード大とエール大は伝統的ライバル関係で、
The Gameと呼ばれているアメフトは世界三大学生競技として人気がある。
参考:世界三大学生競技は、
  ハーバード大対エール大のフットボール

  ケンブリッジ大対オックスフォード大のボートレース
  早大対慶大の野球

エール大学出身者クラブでショーの資金を募るウーリー&ポーター。
リスクが少ない不動産や債券しか出資をしないと渋る資産家に、ウーリーが、
「…これは芸術だ、彼はエールの学生です」
「なら話は別だ」

エール(応援)で始まった映画~エリート(学閥)、締めはエール(大学)。
同窓生たちは、「最後の演
奏にならないか心配だ」
翌日難しい手術のポーターを激励するコンサートを大学の講堂で開催。
2本の杖を突きステージにあがるポーター、拍手、拍手。

●ナイト・アンド・ディ・ファンタジー
ゴージャスな部屋、アンティーク柱時計、外は雨。
“内なる声が僕に語りかける~君…そう君なのだ”
♪As a voice within me keeps repeating …
               you you you
第1次世界大戦、曲想を練っていたポーター中尉が襲撃を受け脚を怪我する。
奇しくも野戦病院で看護師になっていたリンダと再会した。
前途に自信を失うポーターを作曲で立ち直らせようと、ピアノを用意する。
「ナイト・アンド・ディ」作曲のシーンだが、脚色が見事だ。
バースをそのまま【画】にしている。
♪Like the beat beat beat of the Tom Tom/
 映像:野営休憩中にモンゴル出の兵士がトムトムを叩き歌っている。
♪Like the tidk tick tick of the Stately clock/
映像:大きな柱時計がチクタクチクタク、10時にボーンボーン…
♪Like the drip drip drip of the raindrop/
映像:窓ガラスを打つ雨粒。

●煙が身にしみる
ポーター最初のブローウェイ・ミュージカルは、
『まずアメリカを見よ(See America First)』だ。 
初日、幕が上がる、
♪ユー・ドゥ・サムシング・トゥー・ミー
“君といると幸せな気分になる~” 男女大勢の出演者が合唱。
ピンクのドレス:グレイシーが男性ダンサーとアクロバチックにタップを踊る。
と、突然!
数人の男が劇場に走って入り客に耳打ち、
観客が一人・二人と立ち、三人・四人退場する。
「何があったんだ」
街頭では大勢の通行人が号外を取り合っている。
             〔ルシタニア号 撃沈される〕
公演は中止。
「珍しい話だ、オープニングと最終日が同じだなんて」
ポータが無人の客席を振り返って慨嘆。
祝賀会の予定だったレストランに向かう途中、
リンダが高級シガレットケースをプレゼント。
「字が彫ってあるから返品できないわ」
ケースの裏に銘、
   《「まずアメリカを見よ」 その記念に リンダ》
*ルシタニア号事件:
 第1次世界大戦中、イギリス豪華客船ルシタニア号が航行中、
 1915年5月7日ドイツの潜水艦によってアイルランド沖で無警告撃沈され、
 1198人が犠牲になりそのうち128名はアメリカ人で有名人も含まれていた。
 まだ参戦していなかったアメリカで世論が開戦に傾くきっかけになった。
*映画『夜も昼も』のプロットで、事件のせいで初日と千秋楽が同じ日に描かれているけれど、
 ミュージカル『まずアメリカを見よ』の初演は、1916年
 だが2週間で打ち切られているので、成功作ではなかったのは事実。

 2個目は、
リンダがフランスの興行主に有利な条件でプレゼンテーション。
旧知の歌手が唄ってくれたが、客の反応はイマイチ。
「君の詞は難しくて洗練され過ぎてる…アメリカでなら、きっと」断られる。
リンダの出資がバレ、感謝はするがお節介「自分の力でやるよ」とコール。
「力になれないなら、(恋は)終わったみたいね」
別れ際に「受けとって」と新しいシガレットケース。
「字はいらなかったわね」…刻まれたのは
   《愛をこめて リンダ》
*ここで唄われた曲が…微妙,
ポーター最初のブロードウェイ・ヒット『5千万人のフランス人』から
♪アイム・アンラッキー・アト・ギャンブリング(ついてないギャンブル)」

3個目にまつわるシーンもある。
いずれもリンダの心情を無言で語る必須のアクセサリーになった。

ブロードウェイの寵児となりハリウッドに進出したポーターの名曲が続く。
19曲目の♪マイ・ハート・ビロングス・トゥ・ダディは、
『私に任せて(Leave It to Me)』の稽古シーンで、
コーラスガールの中から抜擢したメアリー・マーチンが唄っている。
*メアリー・マーチン:ミュージカルの女王。
実際に1938年のミュージカル『リーブ・イット・トゥ・ミー』で鮮烈デビューした。
ロジャース&ハマースタイン2世の『南太平洋』『サウンド・オブ・ミュージック』ほかに主演している。
なおミュージカル・スター:ジーン・ケリーのブロードウェイ初舞台も『リーブ・イット・トゥ・ミー』だった。

20曲目の♪ビギン・ザ・ビギンも5分を超える絢爛シーン。
農夫姿のカルロスが歌う甘い旋律、
氷上を滑るように踊るゾーリッチ(男性)とムラトバ(女性)。

*カルロス・ラミレス:コロンビア出身テノール歌手。
『姉妹と水兵』『世紀の女王』『錨を上げて』などのミュージカル映画に出演。

乗馬中、事故にあって重傷を負う~療養中も作曲を続ける~
難しい手術を受ける前日のエール大学講堂のフィナーレ!
           リンダは!!!、
                   ◇◇◇

【五線譜のラブレター】 (原題:De-Lovely)
      2004年:米MGM(カラー 125mins)
      劇場公開:2004年

     監督:アーウィン・ウィンクラー
  音楽:コール・ポーター

  主な出演者
  ケビン・クライン(コール・ポーター役)
  アシュレイ・ジャッド(妻リンダ役)
  ジョナサン・プレイス(演出家ガブリエル役)
  ケビン・マクナリー(ジェラルド・マーフィ役)
  サンドラ・ネルソン(サラ・マーフィ役)
  アラン・コーデュナー(モンティ・ウーリー役)
  ピーター・ポリカープ(ルイス・B・メイヤー役)
  キース・アレン(アービング・バーリン役)

解説:
[数々の名作ミュージカルや映画音楽を手掛けた偉大な作曲家コール・ポーターと彼の妻リンダとの不滅の愛を描いたミュージカル・ラブ・ストーリー…] (allcinema)
またallcinemaを引き合いにしたが、
これは続編というより『夜も昼も』で触れていない、両性愛のポーターとそれを認めて結婚したリンダを描いた別伝メロドラマ(音楽と物語という意味の)である。
ちかごろ関心たかまる《LGBT》を理解できる作品であるかもしれない。
年老いたポーターと演出家が回想を軸にして過去と現実が交差する複雑な展開、脚本の妙か日本字幕の巧みさか気の利いたセリフ、監督の悪戯心を解く面白さ…
ポーター・フィルモグラフィーで断トツ最多28曲で構成され、
セリフの中で「歌は下手」と云いながらポーター役:クラインが独唱・合唱15曲も歌い、
ダイアナ・クラールなど本名で出演の歌手が大勢登場する。
最後に信じられない歌声…

●アービング・バーリンとの交友
ベニスにいるポーターをバーリン夫妻が訪れる。
リンダがスランプの夫のために呼び寄せたのだ。
鍵盤を拾い歌詞をつけているポーター、
「迷惑かな」バーリンが声をかける、
「アメリカきっての作曲家が来訪とは、嬉しいな」
「初めて生で聞けたよ、完成したら聴きたい」
スタンダード・ランキングNo.8 
♪What is This Called Love  誕生。
バースからポーターの弾き語り、ワン・
コーラス のあとツー・コーラス目からレマーが歌う、最初の観どころ。
*レマー(男性):本人出演だがロンドン生まれの歌手以上は不明。

ポーターのもとにバーリンから電報がきて、ニューヨークに来るよう推薦。
「自信がない」というポーター、「あなたならできる」リンダ。
ミュージカル『パリ』は、ポーター最初のブロードウェイ・ヒット作になった。
♪Let's Do It (Let's Fall In Love)
時代を戻したモノクロ効果を挟みアラニス・モリセットが唄う。
公演初日、スタンディングオベーション。
「何とか出来たな」ポーター、リンダ「あなたへ」シガレットケースを…裏に、
           “『パリ』恋をしましょう”
*アラニス・モリセット(女性):フランス系カナダ人歌手・俳優。1996年グラミー賞3部門受賞。
〈トラディショナルやニューオリンズを除いてジャズのスタンダード曲で最も古いのは、1911年バーリンの♪アレキサンダーズ・ラグタイム・バンドで、
『パリ』の♪レッツ・ドゥ・イット(1923年)より遥か前、しかもその間にスタンダード入りを10曲も書いている。ポーターにとってバーリンは巨匠だった〉

●♪「ナイト・アンド・ディ」の本籍
リハーサル中の主役が「高音から低音まで音域が広すぎて歌えない」と渋る。
演出席のポーターが飛び出そうとする…隣のモンティ・ウーリーが、こう云った。
「彼は役者だ 歌手じゃない、曲が難しい、アステアに歌わせろ
気を静めたポーターは「恋する気分で一緒に歌おう」と、
ワンフレーズずつ指導する。
『五線譜の~』ウーリー(アラン・コーデュナー)は、ほとんど脇役だが、
ここのセリフは要チェック(*^_^*)
 
♪Night and Dayは、1932年ブロードウェイ・ミュージカル『陽気な離婚(原題:The Gay Divorce)』で
ガイ・ホールデン役のフレッド・アステアの創唱。
34年映画化でもアステアが歌っている。
       
         
【コンチネンタル】(原題:The Gay Divorcee)                                               

     1934年:米RKO(モノクロ 107mins)
        劇場公開:35年

       監督:マーク・サンドリッジ
       主な出演者:
       フレッド・アステア
       ジンジャー・ロジャース

原題がミュージカルの『Gay Divorce(離婚)』から『Gay Divorcee(離婚女性)』に変わる。
離婚しようとしているミミ(ジンジャー・ロジャース)を一目惚れしたガイ(フレッド・アステア)が騒動に巻き込まれ、愛をつかむドタバタ喜劇。
ミュージカル・ナンバーからは♪ナイト・アンド・ディが使われているだけだが、
アステアがバースからエモーショナルに歌って、スタンダード曲中の名曲になった。

●ライオンと道化師
敷地内を数人の記者を従え黒のフレーム眼鏡男が、ポーターに、上から目線で云う。
「おかしな歌はおかしく、小細工はいらん できるか?ン!」
ム!とするが♪Be aClown(ピエロになろう)を歌い、眼鏡男を踊らせる。
男を殴り往復ビンタを張ったり、海賊船長に仕立てるなどコミカルなショー。
*♪Be a Clownは48年の映画『踊る海賊』の主題歌
〈なんてこった!大胆な演出〉
ピーター・ポリカープ演じる眼鏡男は、MGM映画会社創立者の一人で、ハリウッドの最高権威者のルイス・バート・メイヤーだ。
メイヤー氏没後とはいえ、
同じライオンが吼えるマークMGMの『五線譜のラブレター』でこんな【画】!!

●ゲスト女性シンガー
♪Begin the Beguine
シェリル・クロウがブルージーに唄う…伴奏のファゴット、トランペットが優しく悲しい。
♪Just One of Those Things
ダイアナ・クラールの唄が弱音化されるのは残念…ピアノ、ギターがモダン・ジャズだ。
♪Love for Sale
ビビアン・グリーンがゲイのパーティーを耽美に…歌詞と背景が妖しく。
“~恋のスリルを求めるなら~”
♪Ev'ry Time We Say Goodbye
まさに曲名どおりのシーン…純真ナタリー・コールが唄う。

●双・イン・ラブ
ケーリー・グラント、ケビン・クラインのあいだにもう一人ポーターを演じた俳優がいた。
53年のMGM映画『キス・ミー・ケイト』のロン・ランデリ、だがファーストシーンだけの出番。
シェークスピアの『じゃじゃ馬ならし』を翻案した『キス・ミー・ケイト』はポーターのミュージカルで最高のヒットだった。
フィナーレは主題歌「ソーイン・ラブ」
余命を限られたリンダにポーターが主題歌♪So in loveを弾き語る。
“不思議な気持ち でも僕の真実~”
「この曲は僕には歌えん」、リンダ「最後まで私の為に歌って」
二人のシーンと劇場をカットバックしながらポーターがフルコーラス歌う。
〈ジュリアード音楽院卒、1981年トニー賞受賞の実力をクラインが聴かせる〉
リンダが行けなかったニュー・センチュリー劇場公演、
絶賛の中、彼女の代理人からいつもの祝い品を受け取る。
三つの菱形枠にKISS ME KATEの文字がデザインされたシガレットケースだった。
場面は変わり病床。
「私の命はそう長くない」やつれたリンダ。
「パリ時代からの同志だよ、よく生きた」
 ポーターからの言葉とプレゼントが、アメイジング!
〈ここは映画をご覧になる方の楽しみに内緒にしておく〉
10分40秒の余韻に♪エブリタイム・ウイ・セイ・グッバイ…ナタリー・コールが重なる。

ファーストシーンと同じ薄暗がりの部屋、
ポーターが最終曲「イン・ザ・スティル・オブ・ザ・ナイト」を弾き語る。
“夜の静けさの中で~”
真珠の首飾り黒いドレスのリンダがそっと傍に、
“私があなたを愛するように~” スイートにデュエット。
       ─暗転─
エンド・ロールにサプライズ。
        

        コール・ポーター本人の歌♪ユーア・ザ・トップ。
        “~君は最高 君はコロシアム 君は最高~”

               ─終─