餃子三昧な夏休みになっておりますが、暑くなってきたかな、というところで、今度は台風接近中、なんだそうですね。季節や天候の移り変わりに驚いているだけで一生終わりそうな、日本の気象風土であります。
さて随園別館は新宿三丁目の交差点のすぐそばにある中華のお店で、特段きれいな店ではないですが、とても過ごしやすく、常連さんも多い店。池袋西武の地下のおそうざいやさんとして春巻きとしゅうまいの出店があるので、そちらをご存知の方もいるかもしれません。立川の中華街(駅ビル内)にもレストランがあります。
でもって水餃子はもちもちで、これもかなりのボリュームで、はてな、餃子ってこんなに「重い」ものだっけな? とまずは訝りました。味はしょうが利いて、野菜の具の切り刻みのサイズもちょうどよく、さすがな感じ。
これだけ餃子ばかり食べていると、もう食べる時に「餃子とはなにか?」とは思わないんですよね。あったりまえだと思うかもしれないけど、案外、そうでもないんですよ。たとえば自分でつくる餃子は、食べる前からかなりの情報量があって、こういう味のはずと思っているし、いつもこういう味ということがかなりわかっている。ところが外で食べる餃子は、もともとどういう味か、見た目という情報量しかないわけです。香りとかね。すると確かに餃子を頼みはしたけれど、それがほんとうに餃子かどうかということは、そうらしい、としか言えない。そこで食べてみて……「ああ、これはほんとうに餃子だ」と思うしかないわけです。
湿度が高いのに、今日はやたらと理屈っぽい、クラシックイタチ(私のことです)でございますが。
ですが、もう少しおつきあいくだしませ。……まあそれがつまり「餃子とはなにか?」でありまして、ああこれがこの店の餃子なのか、ということで、自分が今まで食べてきた餃子との折り合いをつけて、餃子体験がまた一歩、リッチになるというわけでございます。
ところが複数餃子を食べつづけていると、もう餃子とは何かがはっきり輪郭を持っていて、新しい餃子を食べるときに、その概念枠組を参照する準備ができちゃう。でそこからの振れ幅という、「差分」だけでいけちゃうんですね。
ところでこの随園で水餃子を食べている時に、ちょうど地震があったんですよ。最初はとても細かい振動のようなのがあり、そのうちにぐわんぐわんと、結構揺れました。「地震があったとき、私は随園別館にいた」と思いましたよ。(笑)
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