団長の雑技的時折BLOG

「山と渓谷のへっぽこ雑技団」のサイドレポートです。登山関連インフォメーション、山の本・映画・・etc.

『イカロスの山』 VOL.5

2007年01月08日 | 山の本
2007年最初のエントリーです。今年もよろしくお願いします。

なんだかんだ言われながら『イカロスの山』も第5巻になりました。標高7500m、C5で三上と平岡の「愛と疑惑の糸がもつれ合う」(帯から)。未踏のヒマヤラ8000m峰登頂を前にしてどうかと思うが、フィクションがフィクションであるためにはリアリティをはずさなければならなくなることは避けられないのかもしれません。小説にしても、コミックにしてもテーマを語ろうとしてそのために許される「虚構」があるということです。このコミックのテーマは「友情」なのではないかと思っているのですが・・・。

ただ、どうしても気になるのが「肩がらみ確保」ですね。いまや8000m峰のクライミングでありえない思うのですが・・・。なぜ、塀内夏子先生は「肩がらみ確保」にこだわるのでしょうか。問合わせてみようかなぁ。

イカロスの山 5 (5)

講談社

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ゴルゴ13は山でもすごい

2006年05月29日 | 山の本
ゴルゴ13 (119)

リイド社

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 久しぶりにコミック・ネタです。

 ご存知、さいとうたかお「ゴルゴ13」の【119巻】に収録されている「白龍昇り立つ」という作品です。

 ストーリーは、中国に拉致されたダライ・ラマの後継の少年をゴルゴ13がチベットからチョモランマを越えて救出するといったお話です。「白龍」というのは「ヒマラヤ山系に巻き上がる巨大な雪煙を龍に見立てて白龍と呼ぶ」のだそうです。
 中国山岳部隊に追われてチョモランマで銃撃戦を繰り広げながら、サウスコルで棄てられていた酸素ボンベを使って(ここから先、どんな具合にしたかは読んでのお楽しみですよ)山岳部隊を殲滅するスーパー凄腕を発揮するわけです。

 なにせ、チョモランマを無酸素アルパインスタイルで駆け巡るわけですから、ワクワクドキドキしないわけにはいきません。さすがはさいとう先生、岩壁登攀の場面もいかにもリアルな登りです。

 とは言っても、コミックですからね。「そりゃないだろう」はいくらでもありますが、しかし、これくらいやらないとやはりゴルゴ13とは言えません。

 興味がある人は、BookOffなどコミックを扱う古本屋さんに行けば105円位で簡単に手に入りますが、ゴルゴ13シリーズはめちゃくちゃたくさんあるので何かに【119巻】とメモしておかないと探しきれません。救急車を呼ぶ電話番号と同じだから覚えやすくて忘れないかもしれませんが・・・

 古本屋に行くのは面倒だという人は上の画像をクリックしてユーズド本を買うのも手ですが、送料が確か340円かかってしまうのでご注意です。

田口ランディ『富士山』

2006年04月02日 | 山の本

06.2.29八ヶ岳東面より、雲海に浮かぶ富士

富士山は、不思議な存在です。美しく輝く富士山を見ると、なぜか得をした気分になる。(あとがきから)

富士山をテーマにした4話からなる「オール讀物」初出の連作『富士山』。富士山に登るのは最後の「ひかりの子」だけでいわゆる登山ものではないのですが、富士山の持っている独特の雰囲気が感じられる作品。もともと、田口ランディが好きで小説・エッセーを読んでいるのですが、初期の作品を思わせる語り口で私的にはツボでした。
富士山

文藝春秋

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最初の「青い峰」は富士山麓の宗教団体にいたことのあるコンビニのチーフとリストカットをする店員こずえの話。自分のいるコンビニは「無機質」でいなければいけないのだと考えるチーフに共感。たしかに近所のおばさんと仲良く挨拶しているレジには違和感が・・・。コンビニ店員の言葉はマニュアルどおりで渇いている方が好きです。

ほかに「樹海」「ジャミラ」。中学生が樹海キャンプにでかけて自殺者に出くわす話(子供たちの精神性に驚かされた)とごみ屋敷の老婆に共感した市職員の話。

少女コミックの「山」

2006年03月13日 | 山の本
昭和58年7月14日第1刷の「講談社コミック」、「少女フレンド」に連載された『生徒諸君!』18巻に山岳コミックが・・・





カバーのため書きにはこう書いてあります。



岩崎、沖田を同時に愛するナッキーは、悩んだすえ、二人に自分の心をうちあける決意をする。一方、穂高にむかった沖田もまた、登頂がおわったら、ナッキーへの愛を告白するつもりだった。しかし、雪崩にあい、沖田と野々宮が遭難する!



NHKの最近のドラマにこんなのありませんでしたっけ?もしかして、『氷壁』?

『二人のアキラ、美枝子の山』

2006年02月23日 | 山の本
ず~っと、気になっていたのですが、NHK土曜ドラマ『氷壁』のゆかり(北沢の妹)のことです。

こんどのドラマでは、ゆかりは奥寺が美耶子に引き寄せられていくことに嫉妬して、軽率な行動にでるお馬鹿な女にされてしまっています。第5回では奥寺と美耶子の三つ峠行きをヤシロに通報して、法廷で奥寺を窮地に陥れてしまいました。

原作では魚津(=奥寺)は美耶子に惹かれる心をふりきって、かおる(=ゆかり)と愛を誓います。かおるは物語の最後では、北穂高滝谷を越えてくる魚津を待つために上高地から徳沢に行きます。しかし、魚津は途中で落石にあって帰らぬ人となってしまいました。かおるは兄に続いてまた帰らぬ人を待つことになったのです。

かおるには実在のモデルと言われる人がいます。ドラマの奥寺のモデルは山野井泰史と言われていますが、小説では北鎌尾根『風雪のビヴァーク』で名を知られる松濤明です。「ナイロンザイル切断事件」の当事者の方々とは別にキャラクターモデルとして設定されたようです。

そして、松濤明を慕って山を登った山田美枝子という女性がいます。のちに、第二次RCCを創設した奥山章と結婚をしてその最後を看取ることになります。

エントリーの『二人のアキラ、美枝子の山』は山田美枝子さんとフリーランス・ルポライターの平塚晶人さんの往復書簡のかたちですすめられるノンフィクションです。(じつは、しばらくこれは実在の往復書簡集だとばかり思って読んでいました。今でもこれは実際に交わされた書簡でノンフィクションではないのではないかという気持がおきることさえあります。)

二人のアキラ、美枝子の山

文藝春秋

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この本には時代を駆け抜けた二人のアルピニストのヒリヒリする何かが詰め込まれています。かおるのモデルになった人は、この二人をどんな思いで見つめていたのかを知ることができるはずです。機会があったらぜひ手にとってみて欲しい作品です。

『峠の廃道』

2006年01月28日 | 山の本
明治17年、秩父・信州南佐久の農民約1万によって戦われた秩父事件。それを支えていたのは、近代国家がしつらえたのとは別の、もう一つの交通・情報網、<峠道のネットワーク>だった。廃道を歩き、事件と参加者実像を再現する。

井出孫六はこの120年前の民衆蜂起をこの視点から問いかけていた。秩父の山々をみるときに浮かんでくる感慨は『峠』であったのだろうか。

峠の廃道―秩父困民党紀行

平凡社

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2004年、1万に及ぶと言われる民衆の反乱が映画化されている。神山征二郎監督の『草の乱』だ。

『草の乱』公式ホームページ

『草の乱』は上映委員会方式で運営されている。スタートの頃はミニシアターなどで公開されたのだが、迂闊にも見逃してしまった。ところが、ようやくチャンスがやってきた。埼玉映画文化協会の配給で三芳町「草の乱」上映実行委員会が2月5日に上映される。(その他の埼玉県内で公開予定はこちらから。)

さっそく、チケットを手に入れるために出かけた。当日券もあるのだが、今回はどうしてもはずしたくないので無理をして神奈川から・・・

せっかくだから蜂起前夜の地へ立ち寄った。

音楽寺(秩父札所二十三番)




秩父盆地の中枢を見下ろす音楽寺の本堂脇にあるこの石碑には「われら秩父困民党 暴徒と呼ばれ 暴挙といわれることを 拒否しない」とあった。

山頂を北に行くと小鹿坂峠がある。ここを下れば小鹿野へ・・・



このあとに立寄った蓑山は今は「美の山公園」呼ばれ、山頂付近まで車道が付いているが、蓑山集会が行われたこの山は秩父盆地はもとより、武甲山、奥多摩、両神山、信州方面を展望することができた。

山岳コミック『氷壁の達人』

2006年01月16日 | 山の本
100円ショップのダイソーでいいものを買ってしまいました。

「ダイソーコミックシリーズ」というのが出ているのですね。
「氷壁」の2文字が目に付いたので、手にとってみると「山学同志会・小西政継の軌跡」のサブタイトルが付いているのです。もう、これは即買いです!

作者は劇画全盛時代に人気のあった「御用牙」の神田たか志です。
初登攀時代を生き、世界に飛翔いていったクライマー・小西政継の登山への目覚めからヒマラヤ遠征までを骨太に描いています。真直ぐで熱いタッチです。

この内容が、105円で買えるのは、はっきり言ってお得です。

読み終わって調べてみたのですが、もともとはGIGAコミックスで第3巻まで発売されているのですが、ダイソーコミックではそのうち1,2巻が発行されています。3巻が発行されない訳がわからないないのですが、とりあえずお得ですからダイソーに行った折りにぜひ買い物カゴに・・・

氷壁の達人 2 (2)

主婦と生活社

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アマゾンでは在庫切れになっているようですがeBookJapanで電子書籍がダウンロード購入ができるようです。


『オンサイト』

2005年08月30日 | 山の本
オンサイト! 1 (1)

講談社

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『夏子の酒』の尾瀬あきらの最新作。フリークライミングがテーマ。

モーニングKC。『モーニング』に連載中。
第一巻は、2005年の14、16,18,20,22/23、25、27、29号から収録。

すごいよ。岩に引きつけられる舜と麻耶が生き生きと・・・

第2巻は11月下旬発売予定。まちどおしいなぁ。


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山岳コミック

2005年08月02日 | 山の本
岳人(クライマー)列伝

文芸春秋

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劇画世代の私たちは(「電車で漫画を読む若者」とか言われ、当時、非難轟々だったことを思い出すのですが・・・)いくつになっても漫画は止められません。「少年マガジン」「少年サンデー」創刊がリアルタイムなんですよ。もう、いくらだったか忘れてしまいましたが、小銭を握り締めて本屋に走っていったのを覚えています。「子供でも週刊誌が読めるんだ」とワクワクしたものです。

というわけで、私の本棚にあった「山岳コミック」です。

★岳人(クライマー)列伝文芸春秋このアイテムの詳細を見る

村上もとか作画。エベレスト、K2、ドリュ北壁などの海外登攀を中心にした創作劇画。ドリュ北壁の登攀でグリップビレイを使っているあたりは怪しいが全体のドラマティックな仕立は面白い。★★★★☆

★山靴よ疾走れ 2集英社このアイテムの詳細を見る

富山県警山岳警備隊をモデルにした創作劇画。全5巻。紅林直作画。富山県警の雰囲気が良く出ていて一押し。1巻には谷口凱夫元富山県警山岳警備隊々長のコメントも付いています。ドラマ仕立てなのでテンションは張り気味ですが、実際の警備隊は私の印象ではもう少し淡々としているかもしれません。★★★★★

★岳みんなの山(1)小学館このアイテムの詳細を見る

「ビッグコミックオリジナル」増刊号に連載中。作画、石塚真一。これも山岳警備物。主人公の一言がユニーク。「あやまらない、あやまらない。おれの山じゃないんだし・・・」主人公の三歩はやさしい、あったかい。★★★★★

他にも
★ホワイトアウト (全3巻)講談社このアイテムの詳細を見る
★★★★☆
★マタギ(全2巻)嶋中書店このアイテムの詳細を見る
傑作ですが山岳漫画とはちがうので☆はつけません。
★コミック版 プロジェクトX挑戦者たち―富士山レーダー宙出版このアイテムの詳細を見る
★★★☆☆

※★評価はあくまでも個人的主観です。

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「百の谷、雪の嶺」

2005年07月29日 | 山の本
新潮8月号に沢木耕太郎がアルパインクライマー・山野井泰史を取り上げて長編(430枚)を発表しています。
表題の「百の谷、雪の嶺」は山野井泰史が登頂し奇跡の生還を果たしたヒマラヤの7千メートル峰・ギャチュンカンが「百の谷の集まるところにある雪山」という意味の名を持つところからつけられています。

読者をクライマーに限定していないので、「カラビナ」「アイゼン」に至るまで丁寧に文中で説明しているために、ギャチュンカン北壁の登攀の場面もかえって淡々としていてそれが説得力と共感を呼ぶことになっているといっていいでしょう。

山野井泰史の登山との出合い、ソロクライマーとしての生き方、長尾妙子との出合いと結婚、いくつもの栄光と敗退そしてギャチュンカンの死闘が沢木耕太郎の聞き書きでドキュメンタリータッチに展開されたノンフィクションです。

「植村直巳冒険賞」獲得したこのギャチュンカン北壁登攀は山野井の右足の指5本全部、左右の手の薬指と小指を付け根から、パートナーであり妻の妙子の手の指10本全部を付け根から失うこと代償に得た奇跡の生還です。生還の場面はある意味で最近話題になった『運命のザイル』の原作『死のクレバス』を凌ぐと言えるもので、こみ上げてくるものを抑え切れませんでした。

以下ギャユンカン登頂の場面の抜粋です。
全身の感覚が全開され、研ぎ澄まされ、外界のすべてのものが一挙に体の中に入ってくる。雪煙となって風に飛ばされる雪の粉の一粒一粒がはっきりとみえるようだった。いいな、俺はいい状態に入っているな、と思った。
頂上にはピナクルと呼ばれる岩の塊のようなものが見える。そこを目指して歩いていくと、今度は傾斜がゆるくなり、そのさらに奧に本当の頂があった。


新潮8月号はすでに書店では手に入れにくくなっているようですが、単行本化の計画もありそうなので(山野井通信ではそういってます)機会をみつけてぜひ一読を・・・


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真保裕一

2005年07月28日 | 山の本
『ホワイトアウト』 『灰色の北壁』で著作で知られる真保裕一のリアルな山岳描写と登山心理の描写に彼は本格的登山をしてきた人なのではないかという印象を持っていましたが、彼の紀行エッセイ『クレタ、神々の山へ』の冒頭にその答えがありました。


「人に自慢できる登山の経験など、まったくなかった。特に冬山は、のんきなスキーを楽しみに雪のゲレンデへ出かけた経験があるくらいである」「読むだけでリアルな疑似体験を堪能できるほどの名著」があり、そのおかげによるところが多い。
とはいえ「殺人犯の心情をリアルに描写するために、実際に人を殺してみようと考える愚か者はいない」のだから「すべてを体験してからでなければ小説を書けない」というものでもない。
しかし、「努力を惜しみながら、さも見てきたかのような嘘をかきならべるのは気が引けてしまう」



ということらしいのです。考えてみればそうです。創作というものはそうしたものなのですから、たとえ、空を飛ぼうが、九州が占拠されて独立しようが、読者の心を引きつけて離すことのない説得力があればよいはずです。リアルであるということは事実という現象ではなく、表現の説得力です。

小説や映画でそんなことがあるはずがない、あるいはできるはずがないと思いながら内容に引き込まれていくのはこの説得力なのでしょう。

山岳小説といえば、まず思い出されるのが新田次郎ですが、この人が気象庁に勤務していたことは有名な話で『富士山頂』はその時のレーダー建設を題材にしたものですし、『聖職の碑』は取材登山をしています。しかし、こうしたドキュメント的手法の小説の説得力とはまた違ったおもしろさを真保裕一の山岳小説は持っているといえます。

まったく別の話になりますが、原作『ホワイトアウト』の舞台「奧遠和ダム」は奧只見ダムでした。
再び『ホワイトアウト』の記事で「矢木沢ダム」かもしれないと書きましたが、ちゃんとモデルが設定されていたようです。まあ、けっこういい感をしていたのではないでしょうか。あたらずとも遠からずということで・・・

なお、映画『ホワイトアウト』は「黒部ダム」「奧只見ダム」「矢木沢ダム」と各地でロケが行われたそうです。

関連リンクをいくつかあげておきます。興味のある人はご覧下さい。

http://tyuusan.hp.infoseek.co.jp/oku/oku1.htm

http://homepage2.nifty.com/XJR1200_1300_OC/east-j/whiteout2.htm

http://tyuusan.hp.infoseek.co.jp/oku/oku-kome.htm


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姨捨伝説と深沢七郎

2005年07月12日 | 山の本
昔、年よりの大きらいなとの様がいて、「60さいになった年よりは山にすてること」というおふれを出しました。との様のめいれいにはだれもさからえません。親も子も、その日がきたら山へ行くものとあきらめていました。
ある日のこと、一人の若い男が60歳になった母親をせおって山道をのぼっていきました。気がつくと、せなかの母親が「ポキッ、ポキッ」と木のえだをおっては道にすてています。男はふしぎに思いましたが、何も聞かずにそのまま歩きました。
年よりをすてるのは深い深い山おくです。男が母親をのこして一人帰るころには、あたりはもうまっ暗やみ。男は道にまよって母親のところへ引きかえしてきました。
むすこのすがたを見た母親はしずかに言いました。「こんなこともあろうかと、とちゅうでえだをおってきた。それを目印にお帰り」。子を思う親のやさしい心にふれた男は、との様の命令にそむくかくごを決め、母親を家につれて帰りました。
しばらくして、となりの国から「灰でなわをないなさい。できなければあなたの国をせめる」と言ってきました。との様は困りはて、だれかちえのある者はいないかと国中におふれを出しました。男がこのことを母親につたえると、「塩水にひたしたわらでなわをなって焼けばよい」と教えられ、男はこのとおりに灰のなわを作り、との様にさし出しました。
しかし、となりの国ではまたなんだいを言っていました。曲がりくねったあなの空いた玉に糸をとおせというのです。今度も男は母親に、「1つのあなのまわりにはちみつをぬり、反対がわのあなから糸を付けたアリを入れなさい」と教えられ、との様に伝えました。 すると、となりの国では「こんなちえ者がいる国とたたかっても、勝てるわけがない」とせめこむのをあきらめてしまいました。

との様はたいそう喜び、男を城によんで「ほうびをとらす。ほしいものを言うがよい」と言いました。男は、「ほうびはいりません。実は・・・」男は決心して母親のことを申し上げました。
「なるほど、年よりというものはありがたいものだ」と、との様は自分の考えがまちがっていたことに気づき、おふれを出して年よりをすてることをやめさせました。それからは、どの家でも年おいた親となかよくくらせるようになりました。
長野県公式ホームページ・キッズちゃんねる「長野の民話」からの転載。

姨捨伝説はどの地方にもあるようですが、ここでは信州の姨捨山が舞台になっています。

深沢七郎は『楢山節考』で姨捨伝説の欺瞞をあざ笑うかのように、自らすすんで「楢山まいり」に行こうとする老女おりんを描いていきます。
舞台の設定は「信州の山々の間にある村」。時代は特定されていないが「村では70になれば楢山まいりに行くので・・・」という貧困の時代背景がみえてきます。

村は貧しい。息子の辰平は母親の「楢山まいり」が近づくがそれには触れまいとするのです。「倅はやさしいやつだ!」
栗ひろいにいって嫁が谷に落ちて寡夫になった辰平に隣村から後妻が来た。亭主に死なれて3日しかたたない嫁なのですが、後家の後始末は急いだほうが良いというのが事情です。隣村もやはり貧しいのです。

「この冬を越せるかどうか」村はどの家もそう考えています。おりんの家も当然同じです。

口減らし。限られた収穫と食料事情から導き出される結論はここにしか見いだす事ができないのであり、村的共同体が合意する、いや合意しなければならないルールが「楢山まいり」ということになるわけです。

この原始共同体的な論理は「楢山さんに謝るぞ!」という叫びで鮮明に展開されることになります。『楢山節考』の村には警察もなければ代官も「との様」もいません。「食料を盗むことは村では極悪人であった」のです。「家探し」で雨屋から出てきた盗み隠された食料は村人たちの手で分配され、雨屋の一家は制裁されます。

吉本隆明風にいえば原始共同体=村的共同体=「共同幻想」の原初的形態とでもなるのでしょうか。
そして、「自己幻想」は「楢山まいり」であり、山神様のところへ自らすすんで行こうとするおりんかもしれません。

「おっかあ、雪が降ってきたよう」
おりんは静かに手を出して辰平の方に振った。それは帰れ帰れといっているようである。
「おっかあ、寒いだろうなあ」
おりんは頭を何回も横に振った。その時、辰平はあたりにからすが一ぴきもいなくなっているのに気がついた。雪が降ってきたから里の方へでも飛んで行ったか、巣の中にでも入ってしまったのだろうと思った。雪が降ってきてよかった。それに寒い山の風に吹かれているより雪の中にとざされているほうがさむくないかもしれない、そしてこのまま、おっかあは眠ってしまうだろうと思った。


楢山節考

東映

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楢山節考

新潮社

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