明治17年、秩父・信州南佐久の農民約1万によって戦われた秩父事件。それを支えていたのは、近代国家がしつらえたのとは別の、もう一つの交通・情報網、<峠道のネットワーク>だった。廃道を歩き、事件と参加者実像を再現する。
井出孫六はこの120年前の民衆蜂起をこの視点から問いかけていた。秩父の山々をみるときに浮かんでくる感慨は『峠』であったのだろうか。
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2004年、1万に及ぶと言われる民衆の反乱が映画化されている。神山征二郎監督の『草の乱』だ。
『草の乱』公式ホームページ
『草の乱』は上映委員会方式で運営されている。スタートの頃はミニシアターなどで公開されたのだが、迂闊にも見逃してしまった。ところが、ようやくチャンスがやってきた。埼玉映画文化協会の配給で三芳町「草の乱」上映実行委員会が2月5日に上映される。(その他の埼玉県内で公開予定はこちらから。)
さっそく、チケットを手に入れるために出かけた。当日券もあるのだが、今回はどうしてもはずしたくないので無理をして神奈川から・・・
せっかくだから蜂起前夜の地へ立ち寄った。
音楽寺(秩父札所二十三番)
秩父盆地の中枢を見下ろす音楽寺の本堂脇にあるこの石碑には「われら秩父困民党 暴徒と呼ばれ 暴挙といわれることを 拒否しない」とあった。
山頂を北に行くと小鹿坂峠がある。ここを下れば小鹿野へ・・・
このあとに立寄った蓑山は今は「美の山公園」呼ばれ、山頂付近まで車道が付いているが、蓑山集会が行われたこの山は秩父盆地はもとより、武甲山、奥多摩、両神山、信州方面を展望することができた。