への次郎が行く

カメラと地図を片手に気ままに出かけます。

広重美術館と中山道・大井宿②

2021年10月26日 | 宿場町

中山道大井宿は、広重美術館の近くにありました。

これは阿木川に架かっていてる橋、大井橋です。

橋を渡ったところからが大井宿です。

 

中山道・大井宿

今の恵那は、美濃の国恵那郡大井村にありました。それで大井宿。中山道69次のうち、江戸から数えて46番目の宿場町でした。

江戸末期の記録では、宿場の長さ870m、人口466人、家数110戸、本陣・脇本陣各1、旅籠41。かなり大きな宿場町でした。

宿場は5つの町に分かれ、各町を出入りするところに枡形(ますがた)が設けられたので、合計6つの枡形がありました。これが大井宿の特徴です。

 

では地図で確認。ピンクの線が散策ルートの旧中山道です。

確かに直角に曲がった枡形が、6つある

 

大井橋を渡って来ました。

右の建物は、「消費期限2時間」の栗粉餅を売っている大津屋です。

中山道は、大津屋の店先で左に直角に曲がります。これが最初の枡形大津屋の前をまっすぐ向こうに走っている道は、のちにつくられた道路です。

 

その先、第二・第三の枡形を経て、中山道をコの字型に歩いて来ると、

白壁の立派なお屋敷だ

表札を見ると、岐阜5区選出の前衆議院議員のお宅でした。

 

その先は第四の枡形、中山道は左へ曲がります。

右折する道は、のちにつくられた道で、大津屋の前を通り、大井橋につながっています。

 

第四の枡形の右にあったのは、

唯一、江戸時代から営業を続けている旅籠、旅館いち川です。

 

第四の枡形を左折すると、こんな感じ。

中山道は、真っすぐに伸びていました。大井宿のメインストリートでしょうか。

 

その先の左手に、明治天皇行在所(あんざいしょ)がありました。

旅籠の旧伊藤家です。ここは、ガイド付きで入館無料でした。

明治13年、天皇がお泊りになった部屋、使われた風呂・トイレなどを見学しました。

 

そのあと外へ。あったのがこの長屋門。真ん中部分が本物、江戸期のものです。

もとは、大井宿の本陣か、岩村城にあったのではないか、ということでした。

 

その先にあったのが、ひし屋資料館。もとは、大井宿の豪商古山家の住宅だそうです。

改修・復元し、現在は資料館として、大井宿の町屋を体験してもらう施設になっています。

 

ここが大井宿本陣跡。本陣は林家が務めました。

 

正門と老松は往時のもだそうですが、中の建物は昭和22年に焼失したそうです。

中山道は、本陣の前で左に曲がります。第五の枡形です。

 

ちょっと本陣の右裏へ。

本陣林家の井戸がありました。和宮泉(かずのみやせん)といいます。

江戸末期、京都から江戸に下向する和宮に、この井戸の水が供されたそうです。

 

中山道をその先に進むと、第六の枡形がありました。ここで、右折します。

 

すると道は、急に上り坂となって中津川の方向に伸びていました。

坂道の左側にあったのが、高札場です。往時のものの四分の三サイズだそうです。

大井宿は、このあたりまでのようですね。

 

現在の大井宿では、江戸時代の建物で残っているものは、多くはありませんでした。往時の姿をとどめているものは、6つの枡形ですが、その道幅は拡張されていました。

このあたりの中山道は、国道19号から恵那駅に向かう道路になっていて、車が猛スピードで走っていました。散策には要注意のところですね。

 

最後に、広重の描いた「木曽海道六拾九次之内 大井」です。

降りしきる雪の中、大井宿に向かう旅人でしょうか。人も馬も、伏し目がちに進んでいます。寒さが伝わってきますね。

広重らしい、いい描写の絵です。