goo blog サービス終了のお知らせ 

狼森の粟餅

ほとんど園芸日記です。

生まれて飛び出てジャジャジャジャ~ン♪

2013年08月31日 23時51分51秒 | その他


実家に一泊して帰って来てみたら、ヤモリ・ベビーが誕生してた

7月30日に産卵を確認して以来、毎日霧吹きがてらチェックして、ずっと無事を祈って来たので、びっくりしたけどとても嬉しい
ヤモリは2個一組で産卵するので、残り1個も無事孵化してほしいな~。

おまえもか!!

2013年07月30日 01時52分20秒 | その他
毎日毎日、子供たちの夏休みの宿題を、雀の学校の先生よろしくムチを振り振りチーパッパ状態のワタクシ。

加えて、植物、猫、オタマジャクシ、カエルの世話に追いまくられる日々でございます。


そして、今夜衝撃の事実。


ニホンヤモリまで、産卵しておった。
しろめっ


ナビ子

2012年05月17日 22時02分51秒 | その他
カーナビ、大変便利に使われている方が多いと思います。
最近は、スマフォをカーナビとして使用できるということで、ナビはドライブのおともに、仕事の相棒として、なくてはならない存在となっているのではないでしょうか。



さて。


うちの車にも、ナビがついています。
通称「ナビ子」。

うちのナビ子ほど、不幸せなカーナビはいないと思います。

なにしろ、目的地を設定されたので、張り切って道案内をすると、案内した道に対し、「だが、断る!!」と無視して自分の行きたい道をがんがん行く旦那。
案内した道に対し、「そんな道、つまんない!」と細い田舎道を選ぶ妻。
子供たちも声を揃えて「だが、ことわる!!」と真似し、「ナビ子って、ほんとにダメだよね~」なんて生意気なことをぬかす。

案内を無視されて、別の道を行かれると、懸命に新しいルートを検索している間に、みんなで「考えとる、考えとる♪」とからかわれる始末。



報われないと思います。


ほとんど、道案内よりも、周辺の道路地図としてしか、自分の存在意義を認めてもらえないナビ子。


そのナビ子も、たまには日ごろのうっぷんを晴らすべく、復讐に出ることがあります。


高速を、ナビしたIC以外で降りると、延々と「Uターンして、最初に指定したところまで戻れ」と指示。
下道でもナビ子はUターンがお好き。
無視して別の道を行くと、どうしても最初のルートに固執して、「Uターン♪Uターン♪」と延々アピール。

初めて通る土地勘の無い道、珍しくナビ子の案内を頼りに行こうとする時に限って、「つ」の字のような、急で無体な、しかも右折を指示。


「…ナビ子の復讐や…」

たまには、わたしだって、やってやるんだから!
という、ナビ子の勝ち誇った顔が、目に浮かぶようです。


GWに、福井は勝山の恐竜博物館に行った時は、高速の福井ICあたりで地図が固定。全くウンともスンとも言わなくなり、
「ナビ子、とうとうお釈迦になったか?」
「帰りに下道の、風情の良さげなところを帰ろうと思ってたのに、いざという時に役に立たないな!」
「ナビ子、声は若いけど、結構トシなんやで」
「じゃあ、今、三途の川の、お花畑が見えてる状態なんちゃう?」
ぼろくそです。


帰り、良さげな道を諦め、行けば必ず帰れそうな大きなつまらない道を走っている最中に、急に息を吹き返したナビ子。

「…わたし、今、どうしてましたか?(おばあちゃんの真似)って、我に返った感じかな」
「お花畑に行かんで、戻って来たんやな」
「今まで、息してなかったんちゃう?」


高速道路走行中に、ナビがかたまって動かなくなる現象は、旦那が以前お客さんから聞いたことがあるそうで。


相変わらず、無視されまくりのナビ子ですが、やはり、地図として大事な存在だったことを、再確認した出来事でした。


「でも、いつか、また復讐してやるんだから!」と彼女が思っているかどうかは…定かではありません。

落ち込んでいる時に

2012年05月02日 22時35分25秒 | その他



笠置シヅ子/ヘイヘイ・ブギー

笠置シヅ子さんの歌は、買いものブギーが有名ですが、30歳の若さで亡くなった父の弟が好きだったというのが、この「ヘイヘイ・ブギー」。

教師だった叔父は、学年末試験の採点疲れで、帰宅してガス・ストーブをつけて熟睡している間に、老朽化したガス管からのガス漏れで、中毒になって死亡した。
出張で立ち寄った父がドアを開けると、ガスの匂いが充満していて、慌てて換気して救急車を呼んだけど、昏睡状態から目覚めることのないまま、亡くなった。


戦争で祖父が早くに亡くなって、長兄の父は、二人の弟の父親代わりだった。叔父の葬式で、幼稚園児だったわたしは、父の泣きはらした目を、生まれて初めて見た。
また、結婚していなかった叔父は、新婚当時のわたしの両親宅に居候していて、生まれた初めての姪であるわたしを、目に入れても何とやらというくらい、溺愛してくれ、わたしも叔父が大好きだった。

昏睡状態になった時も、みんなに「お前が一番かわいがられていたから、お前が呼んだら、目を覚ますかもしれない」と言われ、必死で叔父の名を呼んだけど目覚めさせることができず、この思い出は、幼少期のトラウマのようになっていた。


学生時代に、ラジオで流れていたこのヘイヘイ・ブギーがおもしろくて、テープに録ってきいていたら、母が驚いて「おじちゃんが好きだった歌よ」と教えてくれた。


今日は、子供の家庭訪問で、少々落ち込み気味。
動画で見つけたこの曲を聴いているうちに、小さい頃、叔父と遊んだ時のことを思い出した。

男の子っぽい遊びが好きだったので、畳の縁を道に見立て、ミニカーをぶーぶー走らせて、叔父と出会ってすれ違う時に、にっこり笑いあって「また会いましたね!」と言うだけの遊び。
それを、延々と「また会いましたね!」「また会いましたね!」と、飽きずに続け、またそれに付き合ってくれた叔父。


今、生きていたら、相談にのってくれただろうかと、苦しいこと、悩み事がある度に、何度もそう思った。

わたしが結婚した時、子供を産んだ時、その度に、墓参りをした父が、墓にビールを注ぎながら、「あいつがね…」と報告してくれた。
今でも、父は花見がてら、紅葉狩りがてら、墓に詣でては、ビールを備えながら、弟と語りあっている。


そのうち、子供たちを連れて墓参りに行こう。
そして、ビールを備えて、「こんなにでかくなったよ」って話そう。

犬山城

2011年08月14日 23時49分22秒 | その他


今日は、愛知県の犬山城と、鵜沼宿に、根性で下道だけで行って来ました。
高速、混むし、おもしろくないんだもん…。

犬山城は、浮世絵ほどではないにしても、スレンダーで急傾斜な天守閣でした。
城下町も、小さいけど頑張って町並みを残していて、好感が持てました。
小さな古着屋さん(着物でリメイクした洋服も売っていた)で、懲りずに麻とウール混と思われる夏着物を、1500円でお買い上げ。
お昼は、ちび太はざるそば、娘と旦那は冷やしきしめん、わたしは鮎雑炊を食べました。
美味しそうなとろろ飯定食と田楽定食を置いているお店もあったけど、お昼のメニューは他になくて、子供たちが食べられないので、涙を呑んで断念

ちび太は、犬山のキャラクター「わん丸くん」に一目惚れし、ぬいぐるみを抱きしめて帰りました。
今夜は、わん丸くんとむぎゅ~して、寝ています

犬山まで日帰り出来ることが確認できたので、これからどこまで宿場町を東に遠征できるか(下道限定)、更に挑戦したいと思います

びわこ花火大会

2011年08月09日 21時12分17秒 | その他
昨日は、びわこ花火大会に行ってきました。

いつも自転車やバスで行って、湖岸に適当に敷き物広げて、飲み食いしながら観ます。

今年は親子三人で浴衣を着て行きました。

娘に着せた浴衣は、わたしが学生の時、旦那と祇園祭デートに着て行った浴衣で、母方の祖母が縫ってくれたもの。
娘は6年生で150cmありますが、浴衣が縮んだのか、おはしょりがほとんど出ない
何とかごまかしてちっこいおはしょりを作ったけど、ちょこちょこ引いて直してやらないと、腰ひもが見えちゃって
それにしてもな~。学生時代に着てた浴衣が、もう娘に小さいとは…
実際、腕は既にわたしより長いので、裄もずっと長い。
わたしの着物なんて、早々に着られなくなりそうで、オソロシイことです
パステルカラーの市松模様の帯を結んで、なかなかかわいい浴衣姿でした♪


ちび太も、白とグレーの縞っぽい浴衣に、青い絞りの兵児帯締めて、昔のいたずら小僧みたいでかわいかったです♪
道端で売ってた、キュウリを丸ごと割りばしに刺した浅漬けを、ぽりぽり齧ってご満悦の彼は、前世はカッパかというほど、キュウリが大好きです

わたしは、遠縁の叔母が縫ってくれた、黒地に百合の浴衣。
アイボリーのポリの半幅博多帯を小さく一文字に結びました。


毎年、見事な花火には拍手や歓声が湧き、のんびりと見物できる花火大会なのですが、今年は一段と大きな歓声とどよめきが湧き、惜しみない拍手が送られて、見応えがありました。

打ち上げの音が大きく、まばゆい光を放ちながら、天高く上がっていくタイプの花火で、上空で箒のように一方向に流れる花火がありますが、子供にはあれはイマイチ受けがよくありません
子供にとっては、ドカンと大きく丸く開くタイプが、派手でウケますね。

今年、特に見事だったのは、ヒマワリをイメージした連射の花火。
とっても綺麗でした。


帰りは家まで、下駄をカラコロ鳴らして帰りました。
疲れたけど、楽しかった。
来年も、きっと観に行こう。

なかなかの優れものです。

2011年07月15日 15時43分09秒 | その他
【茶道具】茶筅直し(青磁色)

【茶道具】茶筅直し(青磁色)
価格:316円(税込、送料別)



お茶は、小学生の頃、近所のおばちゃんに半年ほど習ったことがあり、基本的な道具は結婚する時に持ってきていました。
時々自分で点てて飲むので、棗、茶筅、茶杓、茶碗、茶巾、袱紗と、一通り。

娘がお茶を始めてから、リサイクルショップで建水を買い足し、手持ちのお盆で盆点前を楽しんでいました。

茶筅は、消耗品なのですが、実家から貰ったものなどが3本あり、こましなものをその都度使うのですが、先がどんどんしょぼくれて形が崩れ、それでも、「泡がちゃんとたてばいいのよ!」と酷使し続けていました。

先日、娘に貸した菓子切りが行方不明になり、やむを得ず自分の分を買い足すのと、やはり消耗品の懐紙を、ネットのお茶道具屋さん、茶道具専門店 松風園まつのさんで購入する際、以前から気になっていた茶筅直しを一緒に購入してみました。

消耗品とはいっても、懐紙などと違い、茶筅はそこそこお値段もするし、洗って乾かす間に形が崩れたりします。
お値段はまつのさんで316円。
これで、茶筅の寿命が延びればしめたものだと思いまして。

…で、我が家の使い込んだ竹箒のようになっていた、哀れな有様の茶筅をこれで直してみましたよ。

いやぁ、見違えるように復活
もっと早く買えばよかった

安くて古い茶筅も、まだまだこき使ってやれそうです

再開のお知らせ

2011年05月19日 20時12分32秒 | その他
mixiの方が楽ちんで便利だったので、ついつい放置していましたが、退会された元マイミクさんにも遊びに来ていただけるよう、こちらのブログも再開することにしました。

どうしても長文になってしまってmixiの日記には載せにくいとか、アフィリエイト投稿などは、こちらを活用していきたいと思います。

画像は先日県下の山を散策した時にみつけたキノコ。
mixiの「キノコLOVEの会」で、ハルシメジだと教えていただきました♪

食べられるキノコと出会えるなんて、嬉しい~、けど、怖くて食べられない~

いつかはキノコ狩りして、自分が採ったキノコを食べてみたいものです。

家族でモンハン

2009年12月16日 23時26分08秒 | その他
たまに家族でモンハンしています。

うちでは、実家の妹に誘われて、わたしが最初に始めました。
やる時期もあり、全くPSPに触らない時期もあり、丸1年経過しましたが、まだHR:6です。へたれなので、回復系のアイテムがすぐ無くなってしまうので、ハチミツ集めしたり、ゲリョス狩って強走薬グレート作ったり、鳴き袋目当てでドスランポス2頭クエしたり、大きなクエストする為の準備にいくつものクエをするので、なかなか進みません。
旦那は今年のゴールデンウィークあたりから、わたしの付き合いで始め、太刀一筋でぶいぶい正面から突っ込んでは自爆し、それでもがんがんクエスト進めるので、HR:7。とうとう抜かれてしまいました
おまけに、付き合いで始めたくせに、「一人で狩ってなんぼやろ」と言って、一人で狩りに行く主義。付き合い悪いぞ。ぶーぶー
夏休みあたりから、お姉ちゃんが土日限定(タイムリミットは1時間)で始め、彼女はHR:4。弓やライトボウガンで、遠くからちくちくやる小心者。一人ではババコンガも狩れません

三人三様のハンターどもをうらやましげに見ているちび太は、もっぱらお絵描きで一緒にやりたいのを我慢しています。
絵は、ドスランポスかな?怪獣や恐竜がお得意のレパートリーだから、モンハンのモンスターもおてのものです。それにしても、よく描けてます
ちび太は、最近迷路の絵本がお気に入りなせいか、この母よりマップを熟知しています。「そこでハチミツとれるよ」とか「7番にいるんじゃない?」とか、ナビしてくれます。数字が苦手な母は、どこが何番だか全く覚えられないのに

子供の方が、やっぱり覚えが早いですね

無洗米は魔法だねぇ♪

2009年10月10日 18時53分50秒 | その他
よく、若い子がお料理を知らない例えで、「お米を洗剤で洗った」とか「とぐことを知らない」とか言いますが、お米とぎ、冬場は特に辛いですね。
いくらお水が冷たくても、お湯ではとぎたくないし、わたしは掌蹠膿疱症があって、冬場は手が特にぼろぼろなので、水仕事は苦行の様です

この病気は主婦湿疹や水虫と間違われやすく、発病したのが結婚してしばらくしてからだったので、よく「お嬢さんねぇ、お家でお手伝いとかしてなかったんでしょう」と、批難混じりの揶揄を受けたものです。

最初、パートで働いていた頃、指先にぽつんと水ぶくれができました。
それが、ほんとうに針の先でつついたような小さな水ぶくれなのに、キーボードを打つのが痛いくらい深いのです。
やがて、指に広範囲に出て、更に足の裏一面が水疱だらけになり、一般の皮膚科に行ったり、漢方で有名な病院に行ったりしましたが、主婦湿疹の診断から一歩も出ないまま、ステロイドを塗ったり漢方薬を煎じて飲んだり、亜鉛化軟膏(表面を乾燥させる働きがあるらしい)をべっとり塗ってガーゼで覆ったり、苦闘が始まりました。
足の裏は水疱で表皮全体が剥がれたような状態になり、パンプスの中敷きはリンパ液で変色。歩くのも辛く、家事も苦痛で、辛い毎日でした。
何よりも、その「主婦湿疹なんて、今まで家事したことなんかなかったんでしょう」という、特に同性からの言葉がしんどかったです。
結婚するまで、何も家事を手伝ってなかったわけじゃありません。母と一緒に台所にもよく立ってたし、ひいおばあちゃんの具合が悪くなってから、頻繁に山口の実家へ帰省するようになった母の留守中、台所仕事はわたしの仕事でした。
それでも、そんな症状が出たことは一度も無かったんです。

やがて、長女を出産する為にパートを辞めたあたりから症状がやや軽くなり、足の裏の水疱はほとんど消えました。まだ、手の指の水疱は残ったままでしたが、冬場、水疱と水疱がつながって、ぱっくり大きな傷口があかぎれのえげつないのみたいになる時期以外は、だいぶましになりました。
滋賀に来て、長女を診ていただいていた小児科の先生がアレルギーに詳しくて、わたしの手を見て、知り合いの皮膚科の先生を紹介して下さいました。
その先生で初めて「掌蹠膿疱症」と診断され、ステロイドの軟膏を塗る治療でしたが、それでもかなり快方に向かいました。

今でも、特に子育てやPTA、着付けなどで忙しい今年は、夏でも水疱が消えることはありませんでしたが、それでも以前に比べればずいぶん楽です。
体調が悪い時、疲れやストレスが溜まってくると、てき面に水疱が出てきます。現在は片手の指2本くらいに症状が限定されていて、お薬を塗りながら、着付けの時には絆創膏をしたりして、なんとか付き合っています。

ビタミンHを補うと良いとか、金属アレルギーや体のどこかに炎症があるとそれが引き金になるとか言われていますが、根本的な治療はなかなか難しいようです。
良くなったりひどくなったりを繰り返しながら、この病気と共存している状態です。

感染や遺伝による病気ではないので、家族に関する懸念がないのが幸いです。

発症した時があんまり激烈な状態だったので、実家の母が「あんたは、手だけはきれいだったのに」と嘆き(それも失礼な)、食器洗い乾燥機を買ってくれました。
手袋をして家事をしたらいいようなもんですが、ゴム手袋の裏に起毛があるものは、それがチクチクして猛烈にかゆくなります。起毛が無くても、使っているうちに蒸れてかゆくなり、がまんできずにかきむしって血だらけになることもしばしば。もう、掻かないように自分の両手を縛りたいくらい。
そんなわけで、母の愛はありがたかったです

で、冒頭の無洗米のお話。
滋賀県では、無洗米が店頭にたくさん並んでいます。
滋賀県の人間が家事に対して横着なのかといえば、さにあらず。
ある無洗米のCMで「とがないから簡単!お水を入れておいしく炊くだけ。とがないから、琵琶湖もきれい!!」とお米が歌って踊ります。
そう。無洗米は、とぎ汁が出ないから、汚水が出ないんです。
原理としては、机についたテープの接着剤を、テープでぺたぺた叩いてひっつけて取るのと同じらしいです。粘土みたいにした米糠で糠を取るんだそうで、無洗米の加工過程でも、汚水は出ません。
お米のとぎ汁は、よく植木の肥やしにするくらい、窒素分が豊富です。
元々は貧栄養湖だった琵琶湖は、現在アオコや赤潮の発生で分かる通り、富栄養化が進み、酸素不足による魚の大量死や水草の大発生(これが表面を覆うと下層に光がいかないから、酸素不足になる)、悪臭といった問題が頻発しています。これを目の当たりにするので、滋賀県では無洗米がこれほど浸透しているんじゃないでしょうか。
考えた人はエラカッタ
本当に、無洗米は魔法のようです。とがないとおいしくないなんて、そんなことないです。おいしいよ

画像はイブキコゴメグサ。繋がりは無いけど、まぁ、滋賀県固有種ってことで