狼森の粟餅

ほとんど園芸日記です。

ナビ子

2012年05月17日 22時02分51秒 | その他
カーナビ、大変便利に使われている方が多いと思います。
最近は、スマフォをカーナビとして使用できるということで、ナビはドライブのおともに、仕事の相棒として、なくてはならない存在となっているのではないでしょうか。



さて。


うちの車にも、ナビがついています。
通称「ナビ子」。

うちのナビ子ほど、不幸せなカーナビはいないと思います。

なにしろ、目的地を設定されたので、張り切って道案内をすると、案内した道に対し、「だが、断る!!」と無視して自分の行きたい道をがんがん行く旦那。
案内した道に対し、「そんな道、つまんない!」と細い田舎道を選ぶ妻。
子供たちも声を揃えて「だが、ことわる!!」と真似し、「ナビ子って、ほんとにダメだよね~」なんて生意気なことをぬかす。

案内を無視されて、別の道を行かれると、懸命に新しいルートを検索している間に、みんなで「考えとる、考えとる♪」とからかわれる始末。



報われないと思います。


ほとんど、道案内よりも、周辺の道路地図としてしか、自分の存在意義を認めてもらえないナビ子。


そのナビ子も、たまには日ごろのうっぷんを晴らすべく、復讐に出ることがあります。


高速を、ナビしたIC以外で降りると、延々と「Uターンして、最初に指定したところまで戻れ」と指示。
下道でもナビ子はUターンがお好き。
無視して別の道を行くと、どうしても最初のルートに固執して、「Uターン♪Uターン♪」と延々アピール。

初めて通る土地勘の無い道、珍しくナビ子の案内を頼りに行こうとする時に限って、「つ」の字のような、急で無体な、しかも右折を指示。


「…ナビ子の復讐や…」

たまには、わたしだって、やってやるんだから!
という、ナビ子の勝ち誇った顔が、目に浮かぶようです。


GWに、福井は勝山の恐竜博物館に行った時は、高速の福井ICあたりで地図が固定。全くウンともスンとも言わなくなり、
「ナビ子、とうとうお釈迦になったか?」
「帰りに下道の、風情の良さげなところを帰ろうと思ってたのに、いざという時に役に立たないな!」
「ナビ子、声は若いけど、結構トシなんやで」
「じゃあ、今、三途の川の、お花畑が見えてる状態なんちゃう?」
ぼろくそです。


帰り、良さげな道を諦め、行けば必ず帰れそうな大きなつまらない道を走っている最中に、急に息を吹き返したナビ子。

「…わたし、今、どうしてましたか?(おばあちゃんの真似)って、我に返った感じかな」
「お花畑に行かんで、戻って来たんやな」
「今まで、息してなかったんちゃう?」


高速道路走行中に、ナビがかたまって動かなくなる現象は、旦那が以前お客さんから聞いたことがあるそうで。


相変わらず、無視されまくりのナビ子ですが、やはり、地図として大事な存在だったことを、再確認した出来事でした。


「でも、いつか、また復讐してやるんだから!」と彼女が思っているかどうかは…定かではありません。

落ち込んでいる時に

2012年05月02日 22時35分25秒 | その他



笠置シヅ子/ヘイヘイ・ブギー

笠置シヅ子さんの歌は、買いものブギーが有名ですが、30歳の若さで亡くなった父の弟が好きだったというのが、この「ヘイヘイ・ブギー」。

教師だった叔父は、学年末試験の採点疲れで、帰宅してガス・ストーブをつけて熟睡している間に、老朽化したガス管からのガス漏れで、中毒になって死亡した。
出張で立ち寄った父がドアを開けると、ガスの匂いが充満していて、慌てて換気して救急車を呼んだけど、昏睡状態から目覚めることのないまま、亡くなった。


戦争で祖父が早くに亡くなって、長兄の父は、二人の弟の父親代わりだった。叔父の葬式で、幼稚園児だったわたしは、父の泣きはらした目を、生まれて初めて見た。
また、結婚していなかった叔父は、新婚当時のわたしの両親宅に居候していて、生まれた初めての姪であるわたしを、目に入れても何とやらというくらい、溺愛してくれ、わたしも叔父が大好きだった。

昏睡状態になった時も、みんなに「お前が一番かわいがられていたから、お前が呼んだら、目を覚ますかもしれない」と言われ、必死で叔父の名を呼んだけど目覚めさせることができず、この思い出は、幼少期のトラウマのようになっていた。


学生時代に、ラジオで流れていたこのヘイヘイ・ブギーがおもしろくて、テープに録ってきいていたら、母が驚いて「おじちゃんが好きだった歌よ」と教えてくれた。


今日は、子供の家庭訪問で、少々落ち込み気味。
動画で見つけたこの曲を聴いているうちに、小さい頃、叔父と遊んだ時のことを思い出した。

男の子っぽい遊びが好きだったので、畳の縁を道に見立て、ミニカーをぶーぶー走らせて、叔父と出会ってすれ違う時に、にっこり笑いあって「また会いましたね!」と言うだけの遊び。
それを、延々と「また会いましたね!」「また会いましたね!」と、飽きずに続け、またそれに付き合ってくれた叔父。


今、生きていたら、相談にのってくれただろうかと、苦しいこと、悩み事がある度に、何度もそう思った。

わたしが結婚した時、子供を産んだ時、その度に、墓参りをした父が、墓にビールを注ぎながら、「あいつがね…」と報告してくれた。
今でも、父は花見がてら、紅葉狩りがてら、墓に詣でては、ビールを備えながら、弟と語りあっている。


そのうち、子供たちを連れて墓参りに行こう。
そして、ビールを備えて、「こんなにでかくなったよ」って話そう。