狼森の粟餅

ほとんど園芸日記です。

水生植物公園 水の森

2014年07月03日 01時02分24秒 | その他
草津市の水生植物公園水の森で、ハスが満開だと新聞に載っていたので、見に行ってきました。
植物公園の外周の琵琶湖湖岸のハスの群落は、まだほとんど開花していませんでしたが、園内のハスは、今、まさに満開でした。



髄にうっすら蜜が浮かんでいて、なんとも夢心地でした。



ピンクのハスもいいけど、白いハスも清楚な感じでいいですね。



ころんとした、多弁花。
同じ白でも趣が違います。



小さい頃大好きだった絵本に、『シカの童女』(岡野薫子・作/赤羽末吉・絵/あかね書房)というのがありました。
今は絶版になってしまった絵本ですが、仙人に拾われた女の子が、足を怪我したときに、足跡からハスが生えて、仙人の家をハスが覆った場面がありました。
いっぱいのハスの花の、褪めたピンクの色彩が、とても好きでした。

満開のハスを見ると、いまでもこの絵本のことを思い出します。

ハス以外にも、この水生植物公園の売りの一つ、水連。



かなりビビッドな紫系のものもありましたが、わたしはこれくらいすっきりした色が好きです。



地味だけど大好きなガガブタ。
一体、誰がこんなへんてこりんな名前を、このかわいい花につけたんでしょうね?



クリアな黄色が美しい、絶滅危惧種のアサザ。

そして、園内でオタマジャクシからカエルになったばかりの、上陸したてのニホンアマガエル君。



ビオトープや池のでっかいぶりぶりしたオタマジャクシたちは、だいたいウシガエルかトノサマガエルのようです。アマガエルもいました。
一方、ハス用のコンクリート製のコーナーは、冬場に水を抜くのでしょうか?アマガエルばかりでした。
ウシガエルのオタマジャクシは、越冬するものが多いので、冬場水を抜くだけでも、繁殖を幾分なりとも防ぐことができるようです。
琵琶湖博物館の先生が、一度ウシガエルが入り込むと大変だとおっしゃっていました。
京都水族館の関先生も、館外に作られた水田コーナーに、一番に入り込んで産卵していったのはウシガエルで、卵の除去が大変だったとおっしゃっていました。
カエルに罪はないけれど、他のカエルたちを一掃してしまうような繁殖の仕方をされると、他のカエルたちの数が激減してしまいます。
高島の風車村の水路は、大きなウシガエルのオタマジャクシでびっちりいっぱいでした。
ハスのコンクリート池は、アマガエルたちの楽園。
水の森が風車村と同じようにならないよう、祈るばかりです。

外郎にバナナ入れちゃいけんちゃ~!

2013年11月28日 00時37分01秒 | その他
うちの母は、山口県出身です。
じいちゃんばあちゃんちは山口市内、従兄弟もそう、じいちゃんは元々防府の方から入り婿したそうです。

なので、夏休みにじいちゃんばあちゃんちに行くと、母も叔母も山口弁に戻り、山口弁に囲まれて楽しい夏休みを過ごしたものです。
買いだしは粽屋、海水浴は光、みんなで萩や秋吉台に行ったり、地域のお地蔵さんのお接待(関西で言う地蔵盆みたいな感じ)や盆踊りに参加したり。
小さい頃の楽しい思い出は、みんな山口にありました。

親戚遠縁の家には、抹茶茶碗といえば必ず萩焼の茶碗が一つはあり、外郎といえば名古屋ではなく山口!我が家は特に御堀堂がお気に入りで、以前、華道の家元が御堀堂の外郎がお好きで、できたての外郎をその場で頬張る姿をテレビで見て、「わたしもできたて食べた~い!!」と地団太踏みました

何の拍子か、先日Youtubeで見つけた動画。



う、うわぁ~、懐かしい!
じいちゃんばあちゃんたちは、「~っちゃぁ」とう言い回しは使わなかったですが、「はぁ」という合いの手とか「ちょる」「~いね」「~じゃろ」「~そ」「~かね」という言い方は、よく言ってました。
しかし、外郎にバナナいれちゃいけん!!

そして、よく従兄弟が口にしていた「ぶち」が出て来ないなぁと思って、関連動画を見てたら、ありました



「ぶち」は「とっても」とか「すごく」とか強調の意味です。

あと、母は「せせろしい」、「ぞびく」、「わけにする」等を駆使していました。

従弟の一人が裾の長いパジャマを着ていて、「ぞびいてるから『ぞびちゃん』」とニックネームを進呈されてたなぁ。

「わけにする」は、「残す」という意味らしく、わたしは小さい頃からお茶碗にご飯粒をちょっとでも残すと「猫わけしちゃだめ!」と叱られて育ったので、「猫わけ」というのは標準語だとばかり思っていて、大人になってから初めて山口だけで通じる言葉だと知りました。
それにしても、猫って、お茶碗をぴかぴかにするくらい舐めてきれいにご飯を平らげるのに、「猫わけ」って言いがかりじゃない?
キャットフードじゃなくて、お米のご飯にお魚の煮汁やお味噌汁や鰹節をかけてあげていた時代の言葉なんだろうな~。

101歳で亡くなった、明治生まれのひいおばあちゃんは、これらの動画よりももっとゆっくりとした丁寧な方言を使っていて、活字にすると「ようおいでなさりました」みたいに標準語っぽいけど、イントネーションが独特な喋り方をしていました。
この辺は、小京都と言われたはんなりした感じを残している喋り方だったようです。


昔、NHKのドラマで『国語元年』という、日本初の日本語でありながら字幕付きのドラマがありました。
明治維新後に標準語を制定するまで、国内の言葉は各大名の領地ごとにお国言葉でバラバラ、意思の疎通も難しいという状態だったので、「全国共通はなし言葉」を制定すべしと言う指令に従い、暗中模索する役人が主人公で、明治維新の薩長連合+土佐肥前が官吏を占めた為、上司、家族、使用人に至るまで、みんな言葉がバラバラで、そのままでは全く話がわからない。
で、字幕付身きというわけです。
主人公が山口出身だったので、母は「ちょっと違うなぁ」と文句を言いつつ、嬉々として毎回見ていたのを覚えています。


わたしは、親の転勤であっちこっち行った上に、それぞれ鳥取と山口出身の両親が標準語に近い言葉を家庭でしゃべっていたので、関西弁も板につかず、「ご出身は関東?」と聞かれます。
いいえぇ、箱根はおろか、関ヶ原の向こうに住んだことは無いですよ

旦那は福岡生まれで、お義父さんが転勤族だった為、釧路、鹿島、京都と転校を重ね、やはり板につかない関西弁をしゃべっています。
大分と宮崎の両親を持つので、血統的には完全な九州人ですが、大分のおばあちゃんからの電話はわたしにはちんぷんかんぷん。旦那にも「1/3しかわからん」でした。
それでも、仕事でお客さんと話している時に、お客さんが九州出身の方だと、いくらエセ関西弁で喋っていても、「あんた、九州出身やろ」と見破られてしまうそうです。

そんなこんなで、わたしは自分の根っこが無いコンプレックスが強く、自分の故郷、お国言葉を持っている人が、とてもうらやましい。
だから、わたしにとっての懐かしい言葉は、子供の頃を過ごした香川県の讃岐弁と、母たちの話す山口弁なのです。


子供たちは、やはり親が家庭で滋賀弁をしゃべっていないので、ちょっと標準語っぽい関西弁。
それでも、娘が「におぐ」と言った時には、「は~、ある程度は、育った場所の言葉をちゃんと習得するもんなんやなぁ」と感心しました
「におぐ」は、「匂いを嗅ぐ」という意味で、「匂いを嗅いだ」は「においだ」と言います。これは、関西でも京都から滋賀の一部でしか使いません。
わたしの周りでは、お茶の先生や滋賀育ちの着付けやお茶の先輩方は、「~さけぇ」「~やからよぅ」を、よく語尾につけられます。
滋賀でも、湖西は京都弁に近く、湖北に上がると福井弁と似てるんだなぁと、NHKの連ドラ『ちりとてちん』観てて思いました。


方言の温かみが見直されてきて、若い人たちが好んで方言を取り入れる現在。
山口弁も、もっと健闘してもらいたいものです

永源寺で紅葉狩り

2013年11月20日 23時01分18秒 | その他
来月から、季節労働のレンタル会社の倉庫での、袴と着物のセッティング作業が始まります。
平日水曜日定休の旦那と休みが合わなくなるので、永源寺へ紅葉狩りに行って来ました。

山門前に迎えてくれるのは、子供たちに大人気のメガネのお地蔵さま。
毎回、お子さんたちが必ず並んで写真撮ってる風景に出会います。



味わいある羅漢さんたち。





色とりどりの紅葉。
今年はなかなか美しく紅葉して、見応えがありました。
一眼レフのカメラを構えているおじさんたちの目線を辿れば、ベストショット・ポイントが自ずとわかるという







曹洞宗のお寺である永源寺は、茶道の藪内流との関わりが深いらしく、お茶席が設けられていたり、茶筅塚があったり。



お茶席は、せっかちな旦那が一緒だったので、入れませんでした
残念!

本堂前には、十六羅漢の一人、撫で仏として有名なお賓頭盧様の座像があり、悪いところ、治したいところを撫でると、痛みを代わりに受けて下さるそうです。

旦那に「どこか、悪いところ撫でたら?」と聞くと、「座像を持ちあげないと撫でられないから、無理!」
…そういや、旦那は「ぢ主」…。
ヒ○ヤ大黒堂から、不○議軟膏を取り寄せてやろうかと冗談で言うくらいなのでした
とりあえず、お賓頭盧様のお尻は撫でられなくても、その近辺を撫でさせ、太く黒いお線香に願い事を書いて焚き上げるものに、「旦那の『ぢ』が治りますように!」と書いて、火をつけてお願いしました。
黒い線香に書いた文字は、そのままでは見えないけれど、火がつくと、灰になったところは白くなって、書いた願い事が黒々と浮き出る仕様になっていまして、わたしの書いたお願いも、後から参拝される方々に、くっきりはっきりと思いっきり見え見えでございますよ。
ふははははははは

帰りに、出来立てほやほやの手作りこんにゃく、マイタケ、ヒラタケ、でかい麩、豆腐を調達。
大根、ささがきごぼう、豚肉と共に、お鍋に入れて、みんなで堪能しました。
キノコとごぼうって、なんていいダシがでるんだろう!
子供たちも、「ウマ~!」と絶叫しながら、腹が破れるほど平らげました

ごちそうさま。

キノコ三昧

2013年11月07日 01時40分29秒 | その他
旦那が現実逃避して、人の少ないところに行きたいというので、県内の山を散策してきました。
期せずして、キノコ観察会となり、二人でキノコを見つけてはきゃっきゃはしゃぎながら、写真をばしばし撮りまくってしまいました



ドクベニタケっぽい?



ベニタケの仲間。たくさん生えてて、かわいかった♪



渋いカワラタケ。



ヒナノヒガサみたいな感じだけど、ちょっと違?
小さなキノコで、光を透かして見るとランプシェードみたいできれいでした。



白くて透明感のあるキノコ。



縦条がきれい。



鮮やかな黄色ではっと目を引く。



傘も軸も鮭の切り身を濃くしたような色。



不思議な灰色がかった紫色のキノコ。これもいっぱい生えてた。ムラサキシメジかな?それにしては軸が細いような…。



木の幹にもびっちり。



ぬめりがあって、いかにも美味しそうだけど、きっと食べられないんだろうな~



道端の切り株に生えていた、大きなキノコ。
ハイキングに来た熟年男女のグループが見つけて、
「これがマツタケやったら、喜んで採って食べるのになぁ」
おじさんが採ってくんくん匂いをかぎながら
「これ、食べられるよ。知ってる香りだわ」

横で写真を撮りつつふ~んと聞いていると、雲行きが怪しく…。

「ほらな、縦に裂けるやろ?縦に裂けるキノコは食べられるんやで。テレビでも言ってた」

!!
おっちゃん、それ、迷信やから!
茄子と煮たら毒消しになるとか、縦に裂けるキノコは食べられるとか、そういうのは迷信なので、素人判断しないようにってテレビで言ってたんだと思う。
ここで突っ込んでおっちゃんを止めるべきかどうか迷っているうちに、おっちゃんたちはそのキノコを持って行ってしまいました。

デカかったなぁ~。なんだったんだろう、あのキノコ。
この辺はマツタケも採れるらしく、あっちこっちに入山を禁じる注意書きがあって、その辺も食欲をそそったんだろうか。

新聞に中毒記事が載りませんように…。(-人-;)


帰宅してから、写真をPCで整理していたら、ちび太にぶーぶー文句を言われました。
「僕もキノコ見に行きたかったのに!」
旦那と休みが合わないからねぇ。
いつか、そのうちまたね

キノコ見に行きたいよぅ。

2013年10月08日 08時31分34秒 | その他
昨日、仕事中に入った滋賀県からのお知らせメールを、反射的に消してしまったんだけど、キノコに注意!的な内容だった。
ということは、県下でキノコがウホウホ大発生中ってこと!?むちゃくちゃ気になる!!
ああ、山にキノコ見に行きたい(*`Д´)ノ!!!

毎年、ゴールデンウィークから、夏休みの川遊びに向けて、旦那と下見がてら、山の方へ行くことが多くて、川と山野草とカエルとキノコを探して、きょろきょろと歩き回ります。
個人的にひっかかるツボが多すぎて、旦那と歩く歩調が合わず、しょっちゅう置いて行かれて、「待ってよ!(# ゜Д゜)」とむくれることが多いのです。

キノコ、採集して食べるには、判別が難しくて、しかも当たった時には生死にかかわることもあり、素人にはなかなか手出しできません。
それでも、姿のかわいらしさ、おもしろさ、生態の不思議さ、美味しかったり命を奪うような様々な毒を持っていたり、興味が尽きないです。
山に行くと、山野草も撮るけど、キノコ写真も必死で撮ります。ただ、悲しいかな、デジカメは携帯のカメラ使っているので、残念ながらupするほどのキノコ写真はなかなか撮れません。

今年の季節労働の報酬で、こましなデジカメを買うのが、一つの目標です。
そして、いつかは一眼レフ~(*・ω・人)

いよいよオシャカ?

2013年10月06日 22時32分43秒 | その他
5年くらい使ってるPCのモニターが、そろそろイカレてきたらしい。
規則正しい3秒ごとに画面が黒くなるのが、延々繰り返されて、目がおかしくなりそう。
モニターに繋いでDVDプレーヤー代わりに使っているPS2に画面を切り替えても、同様な症状なので、PC本体ではなく、モニターの問題らしい。

30分くらい付けっ放しにしていると、なんとか復帰するんだけど、そのうち完全に見られなくなりそう。
でも、今週は仕事がぎっちぎちで、旦那の休みと合わないから、買いに行けない(免許持ってないから、車出せない)。

なので、そのうち2週間くらい沈没するかもしれません。
南無(-人-;)

季節労働開始

2013年10月01日 21時40分04秒 | その他

毎年、仕事のシーズン真っ盛りには、「終わったら、あれやるんだ、これやりたい」っていっぱい考えるけど、結局できないんだよね~って、職場のみんなで話していました。

今年の春のシーズン終わりには、「各駅停車で琵琶湖一周」と、「和裁を習う」を計画していて、琵琶湖一周は結局できなかったけど、和裁を習うのは実現。

自分の着物お直し中心で、まずウール・麻混の単衣の着物のサイズ直し(裄、身幅、袖丈)を1枚、そして、ちび太の大津市伝統芸能体験教室夢うさぎの発表会(12月)に向けて、旦那の羽織をちび太の着物に仕立て直すのに着手。

今月からはいよいよ受注会とブライダル・シーズンに入るので、いきなり仕事がぎっちぎち。
がんばろう~♪
この仕事量が、一年間にばらけてるといいのになぁ…ああ、悲しい季節労働者…。
とりあえず、昨日からの急性腸炎を治します(^_^;)

ぎゃ~っ!! うちの子が~っ!!

2013年09月20日 23時32分18秒 | その他


今日は、午前中、カエルのプラケースをせっせと徹底的に掃除しました。
カエルたちは、掃除の時に脱走することが多いので、いつも気が抜けません。モリアオガエルとシュレーゲルアオガエルは、おっとりしているので手に取ってもそのまま大人しくしていますが、カジカガエルとアマガエルは、隙あらば指の隙間から滑りだそうとするので、分かりやすいようにプラケの下にバスタオルを敷き、逃がさないように一時避難用のプラケに移します。
掃除し終わっても、再びセッティングしたプラケに再度お引っ越し。全部移し終えて点呼して、ようやくほっとします。


カエルのプラケの掃除が終わり、ニホンヤモリのプラケに霧吹きして、植木鉢のかけらの中に潜り込んでいるのを懐中電灯で照らして、「元気か~い?」と見ると、ヤモリの体に、まるでタラコの粒をまぶしたような、赤味がかったオレンジ色の粒が、点々とついているではありませんか!

一瞬息を呑み、すぐに以前ネットで見た、ダニの一種に違いないと確信。
検索して、ヤモリに寄生する「ヤマトヤモリダニ」という吸血ダニだと確認しました

幸い、ここに駆除方法も見つかったので、早速駆除~

  http://allabout.co.jp/gm/gc/69897/3/

ふむふむ、水200ccに食酢5ccを加えて、それに泳がせ、ぬるま湯で洗う…と。
ん?我が家では、酢が苦手な旦那とちび太の為に、常備してある酢はミツカンの「やさしいお酢」…。よく見れば、調味料や食塩など、いろいろ入ってる!爬虫類を沐浴させるなら、余計なものは入って無い方がいいよね?
ということで、急遽、近所のスーパーに飛んで行って、添加物の入っていない純米酢を購入。
ヤモリを1匹ずつ捕まえてゆるゆると酢水に泳がせてみました。
…ちょっとは取れてる?でも、あっちこっちにまだついてる。
仕方なく、針で一粒(?)づつ除去する作業を、延々、3匹順繰りに。

ヤモリは、歯が無いので噛みつかれても全く痛くありません。が、顎が華奢にできているので、噛みついてヤモリの方がアゴを骨折してしまうこともあるとか
それが怖くて、今まで家族全員、眺めるだけで手で掴んだことはなかったというのに、今、じたばたするヤモリを掴み、針でちょいちょいとダニをほじくり、指をガブガブ噛まれているわたし…
あう、あう…。

緊張とショックでヤモちゃんズが死んじゃったらどうしようと、びくびくしながらの作業で、取り終えてぬるま湯でゆすぎ、新しいキッチンペーパーを敷いた新しいプラケにそっとヤモリを放しても、ヤモリも硬直した状態で、本当に死んでしまったんじゃないかと、怖かったです。
それでも、しばらくしたら徐々に普通の動きに戻ってくれたヤモリたち。

ダニの発生は、不潔な飼育環境のせいだとか。
カブトムシなどの昆虫用の腐葉土を敷き、糞も土に還るだろうと、そのままちょっとずつ足すだけで底材を取り換えずに飼い続けた、無知の為せる結果でした。

今回のことをきっかけに、飼育環境を見直して、二度とこんな目にあわせないようにします
ごめんよぅ、おとっつぁん、おっかさん、しっぽないちゃん(ヤモリたちの名前)




赤ちゃんヤモリの、チビ君とチョロ君は、無事でした。
こちらは元々キッチンペーパーを取り替えながら飼っていたので、セーフだったみたいです。
本当に、肝が冷えた一日でした。

飼育係

2013年09月06日 23時13分07秒 | その他
我が家の扶養家族は多い。
人間以外に、猫1匹、ヤモリ5匹、カエル多数、オタマジャクシ若干、アメリカザリガニ1匹。

今はシーズンオフでわたしがほとんど家にいるので、当然、世話はわたしの仕事になる。


子供の頃、ちょこっと田舎の、お遍路路の入口にある小学校に通っていた。大きなため池が近くにあったから、水生昆虫が豊富で、学校の水路にもヤゴがうようよいて、みんな、ヤゴを捕まえて授業中に筆箱の中で愛で、弱ってきたら元の場所に返したりしていた。

その小学校で、5、6年の2年間、ずっとクラスの飼育係をしていた。
家に帰ると、ランドセル置いて虫網持って、男の子と一緒に虫捕りに出かける子だったし、生き物全般が大好きだから、やり甲斐のある係だった。

5年生の最初に、担任の先生とクラスメイトと一緒に熱帯魚店に魚を買いに行き、基本的なグッピーとネオンテトラを購入して、クラスで育てた。
最初は失敗の連続で、サーモスタットの仕組みが分かっておらず、親に食べられまくるグッピーの稚魚を救おうと、ブリキのバケツに隔離し、サーモスタットとヒーターのセットの、ヒーターのみをバケツに入れた。
当然、水槽は水温が下がり、サーモスタットは「温めろ!」と指令を送り続け、体育の授業から帰って来てみたら、稚魚たちは釜揚げしらすになっていて、大泣きしたのが、最大の失敗の思い出。
卒業の時には、そのグッピーたちを分けてもらい、転校する時に友達に引き取ってもらうまで、家で飼っていた。


その飼育係の一番嫌な仕事は、死体の処理だった。
学校の規則で、小さなグッピー1匹といえど、学校の飼育動物の死体は、校庭にある「魂の塔」というところに収容しなければならない。
「魂の塔」とは、コンクリートの塚の上に石の大きな碑が建ち、そこに「魂の塔」と立派な字で刻まれている。その裏にマンホールのような蓋があり、そこに死んだ生き物を投入するという、慰霊碑兼死体置き場みたいな場所だった。
蓋を開ければ、日によってはウサギやニワトリの死体が入っていて、ウジがわいてハエがわんわん飛び回り、強烈な腐敗臭が立ち昇る中、顔を背け息を止めて、魚を掬うネットに入ったグッピーの死体を、ぺいっと放り込んで、急いで蓋を閉める。
ミッション、完了。

今だったら、小学生にそんなことさせたら、絶対に大問題になると思うけど、当時はそんなもんだった。
多分、何日おきかに、用務員さんが中の死体を処理していたんだと思う。多くても、ぱんぱんに満員だった記憶は無い。
死に対する感傷を一切禁じる、厳然たる死の相。倫理的にも、衛生的にも、今思えば恐ろしい光景だった。
文字通り六道絵の世界が、目の前にあった。



今、子供たちは、死んでしまったカエルやオタマジャクシを触るのは、やはりためらいがある。
ただ、うちのペットは家族の一員なのだから、どんなに小さくてもその死を悼みたい。
トイレットペーパーに包み、団地内の敷地の隅っこに、夜、穴を掘って埋葬し、みんなで手を合わせて冥福を祈り、命を預からせてもらったお礼と、謝罪をする。
カエルやオタマジャクシは、死んでしまうと干からびてしまうので、夏休み中は乾燥保存して、お盆に河原で荼毘に付した。


生き物を飼うことには、必ずその死がついてくる。
核家族において、死に出会い、その弔いに立ち会うことは少ない。
ペットの死は、辛く苦しいと同時に、かけがえの無い経験をさせてくれる、大切な機会。かわいがるだけではなく、その命に感謝し、短い生命の時間を飼育下に置いたことへの苦い罪悪感も、ちゃんと感じてほしいと思う。


今日も猫と戯れ、食事をやり、トイレの後始末をし、心癒され、カエルとヤモリに霧吹きし、餌をやり、掃除をし、その姿や仕草を楽しむ。

子供の頃も今も、ずっと飼育係。
子供たちが独立して行っても、お婆ちゃんになっても、これからも、きっと、ずっと飼育係。
自分が死ぬまで、何かを育て、道端で昆虫に目を奪われて、時間を忘れて観察し続ける、子供の頃から変わらない自分が、いつまでもここにいるのだろう。