2010年9月30日深夜12時30分頃、HelloはYokosukaの家族4人、おじいちゃん、
おばあちゃん、お父さん、お母さんに看取られながら、最後の息をひきとりました。
15歳2カ月と22日。
ペットとして、大型犬のわんことしては長生きでしたが、家族の一員が欠損してしまった
事実に「長生きだった」「往生だった」と頭で理解できても、心は痛くて納得ができません。
「ペットは飼い主よりも先に逝く」ことが宿命。わかっていても先立つ不孝は「親不孝」
という以外に、言葉がありません。
昨日、ねずみはYokosukaに駆けつけ、お父さん、お母さんと3人、ハローを乗せた車で、
お散歩Roadをドライブしながら、横須賀市のペット専門の火葬場へ。
近くでお骨を入れる壺を2個入手、今では品川の我が家にもハローがいます。
CHAOもお兄さんの存在を受入れている様に、見えました。
仕事で早退すらできなかったボクは、22時頃に帰宅後、家に来たハローを前に、
ねずみが撮ってきた写真を見ながら、献杯。たむけられた花に囲まれた、安らかに
眠っているハローの写真や動画を見て、「最期」という言葉のピストルをこめかみに
突き付けられた気がしました。
ねずみとの思い出談議に、「走馬灯」という言葉を便利に感じながらも、そんな安い一言で
片付くほど有限なものではないのに、なんてことが脳裏をかすめました。
「わんわん」しか言葉を話せないだけで、家族として寝食を共にしてきた、ハロー。
ねずみが「犬を飼いたい」と言い出した15年前、何の縁だかYokosukaの家族の一員となり、
いつしか家族の中心人物になっていた、ハロー。
この縁を肴に、毘沙門茶屋でもういちど、献杯がしたいです。