思えば「脱・下請け」から始まった!山ちゃんのレントラ的言いたい放題

函館出身の代表がレントラ便の普及と、公共インフラとしての使命感を強く持って想いのまま綴ります

漁網100%のミサンガ

2011年10月14日 | Weblog



写真のミサンガは漁網100%で出来ています。
震災被害がひどい石巻市牡鹿半島の漁協女性部の皆さんが、漁師網の補修糸で編んだもの。
大量生産が出来ず、なかなか手に入らないレアなものです。
昨日5個ほど購入しました。

取組みの様子はこちらをクリック。





被害を受けた沿岸部の漁村では、同じような取り組みが見受けられますが、
皆様も出来る範囲でご協力頂けると幸いです。



何とか再起を図ろうと取り組む姿勢には、本当に頭が下がります。
同じ時代を生きる通りすがりとして、微力ながら支援を継続して参ります。

21便目 「被災地への支援物資輸送」の日程

2011年10月13日 | Weblog


今月2回目、通算21回目の被災地への物資輸送の日程が決まりました。

今月は物資の集まりがよく、先週も含め3回は行くことになりそうです。



〇20日深夜出発 21日到着 目的地【気仙沼・郡山市】

〇24日深夜出発 25日到着 目的地【気仙沼】


共に4トントラックで向かいますが、24日出発の便では
まだまだ空きがございます。

日時指定が無ければ無料にて、物資を運ぶことも可能です。
お気軽にご相談下さい。

株式会社ハーツ
電話 03-5762-0072   支援物資担当まで
メール info@rentora.com


写真は今月4日の石巻市北上町十三浜。
地盤沈下が少しわかります。 

世田谷で高濃度放射能

2011年10月12日 | Weblog
今日世田谷区で高濃度の放射能が検出されたニュースが伝えられました。

メルトダウンから早や7か月。

「今頃なぜ?」
と強く、国や自治体に不信感を覚えます。
危機における機能不全状態です。

地元の方の通報により、この場所が発見されたそうですが、
通報されなければ、誰も知らない事実。
多くの他の場所でも、このような、いやこれ以上の場所があるような気がしてなりません。

それに対し、国会議員(政治家)の給料(歳費)は、下がらないままです。
消費税の増税や、復興増税する前に与野党問わず、自主返納するくらいの気概のある政治家は見当たりません。
地方議員も含め政治家は、国家(地方)の危機に対し、安全な高台から下を見下すのではなく、
真っ先に痛みを受け、わが身を削り、国民に模範を示さなければいけないものなのではないでしょうか?
そして、浮いた歳費を国民のために有効利用すれば異臭(異論)は減るはずです。

野田総理は、震災後、先月まで国会議員の歳費カットしていたものを、今月から従来通りバカ高い満額に戻すことを決定しました。
こんな野田総理も理解が全くできません。
「このままではニッポンはダメになるノダ」と言いたい。


『がんばっているのは、我慢を強いられるのは、震災復興に真剣に取り組むのは、やはり国民(民間)か。』


国民に希望を与えてくれる、真のリーダーはいないのか?
国難の時こそ、すべてを投げ打ってでも、国民に安心を、そして安全に導くのが政治ではないのか?
べらぼうなで、仕事に見合わない歳費をもらい、「国のいざ」に対応できない政治(与野党問わず)。
国が民間なら機能不全の完全破綻状態。
「政治家は考え方が甘く、常識が欠如している」としか言いようがありません。
本当にどうにかして頂きたいものです。

被災地を含む国全体の現状を見て、これからは、
今の政治家(政党も廃止)にやめて頂き、あらためて各方面の民間から政治家を選出するとか、
政治家自体を無くする、新たなシステムで国(地方)を運用出来ないか、
などを真剣に考えてしまう震災以降。

今日のニュースに、かなり愚痴っぽくなってしまいましたが、
結局、私たちに出来ることを精一杯、全力で取り組んでいくしかないと自問自答する今日の私でした。

















気仙沼のアンテナショップ

2011年10月11日 | Weblog
昨日の月曜日

7日(金)に銀座に出来た、気仙沼のアンテナショップに行ってきました。

この連休で、多くの方がお買いものに訪れたそうです。


ショップ正面の写真。



NHKに出ていた小山君。
「人手が足りないくらい忙しかったです」と。




小山君とは気仙沼で面識がありましたが、その他4名のスタッフも皆さん気仙沼の方だそうで。

しかも、何かしらの被災をしているとか。

慣れない東京で、15日のローテーションで、ショップを運営するそうですが、

宿泊は、目黒区の防災センターで、ホテルではありません。


気仙沼を代表する彼らには、ぜひとも頑張って頂きたいと思います。

私も多少お買いものをさせて頂き、近々お食事する約束をしてきました。

今後も微力ながら、引き続き応援させて頂きます!


東京都中央区銀座5-2-1
銀座阪急1F 『気仙沼アンテナショップ』





10月4日 石巻市立相川保育所で【今、必要なもの】⑥

2011年10月10日 | Weblog
10月3日、石巻市中心部に宿泊し、明けて4日。

石巻市北上町十三浜にある、石巻市立相川保育所に向かいました。
ここは、石巻市の北に位置し、南三陸町志津川地区に隣接し、やはり被害が大きいところです。

ここには2度目の訪問でしたが、前回に持って来たテーブルセットや絵本、玩具、子供用自転車などが
使われており、役立っていたことはとてもうれしく感じました。
その時は、地元の高橋さんのご紹介で縁で伺いました


ここでの近況は、つい先日に全国(地元のお皆様も)の皆様の協力もと、
保育所の運動会を催すことができたそうです。

事務室も少しづつ備品が拡充され、コピー機も入り、先週からようやく固定電話も通じるようになったと。
固定電話に関してはそれまで通じず、石巻市からソフトバンクの携帯電話が貸与されていたそうですが、
全く通じず、園長先生の個人携帯(ソフトバンク以外)で代用してそうです。
(被災地でのソフトバンクの携帯電話の基本料金は、無料になるのは当たり前で、善意のようにニュースで報道されるのは違っていました。)


今後、この保育所では各種多少の物資が必要で、市に相談するも、今後の震災被害関係の予算については方針が決まらず、
買うことも出来ないそうです。

必要な物今現在、園長先生とのお話の中では、
【3段のカラーボックス】が20個から30個程度、必要とのことでした。
これは、
『全国の皆様からお送り頂いた子供用の絵本が倉庫に山積みされており、
カラーボックスに整理し、並べ、子供たちに貸し出しするため』とおっしゃっていました。







保育所の中央廊下です。
ここには7月まで避難所も併設されており、その頃はやはり人が多く、職員の皆様も大変お忙しく
お仕事をされていた記憶があります。



廊下には、【未来は皆の手の中 志高く】と掲げられたメッセージボードが。
震災後、保育所に贈られたそうです。



よく見ると、折り紙の「鶴」で作られていました。



感動してしまいした。



園長先生と私(顔が欠けていますが)。コーヒーをごちそうになり、近況をお話頂きました。











その後、石巻を後にしひたすら南下、亘理町へむかいました。
亘理町の高速道路の降り口では、たまたま火事を発見、1軒丸ごと全焼する現場に遭遇しました。
深くお見舞い申し上げます。






亘理町では、個人の方が子供支援に取り組んでおり、
自転車2台をお届けし、今回の任務は終了しました。




今回は、時間的に余裕があり、気仙沼ではお手伝いをし、
この保育所では美味しいコーヒーを飲みながら、近況をお聞きできたことは、とても有意義な1泊2日となりました。
行政だけではどうしようもないくらい、行政はいまだ機能不全であり、
今後も民間の支援活動は、必要であることを再認識し、帰路へつきました。

それにしても、東京は恵まれている。
と、私は被災地から東京に帰ってくると痛感します。

現地の方のメッセージ
『震災は現在進行形。復興はこれから。』
『震災を忘れないで欲しい。』

皆様にも共有して頂けると、幸いです。


10月3日 気仙沼中心部⑤

2011年10月09日 | Weblog
10月3日の、市中心部の写真を少し紹介します。


国道45号線から市中心部に入るための大川に架かる橋。
何度も通過していますが、見るたびに川は見事に綺麗になっています。






右奥にあるマンション。津波到来時、坂井さんご夫婦はこのマンション(青い看板が屋上にある)の3階に避難し、
難を逃れたとのこと。
避難が間に合わず、交差点の電柱には、数人が電柱に登ったまま一晩を明かしたそうです。
(何度も押し寄せる津波と、その波が引かなかったため)
まだまだ寒い時期でしたので、言葉も何もありません。
この先には車数台が沈没し、この先右側は震災当日に大火災が起きた場所。
市長がモニュメントにしたい巨大な船もあることろです。
信号機はいまだ点灯していませんが、このような場所はまだまだたくさんあります。
というか、1か月前と全く変わりなく、修理されていせん。







以下、気仙沼中心部です。














海岸ではまだ地盤沈下も収まらず、岸壁と海水面の差があまりありません。港周辺は、大潮時には冠水し、
通行止めになる個所も多くあります。







その後、津波でさびしくなった国道45号線を通り石巻へ






ようやくたどりついた石巻。
そこで食べた『しじみラーメン』は、ひときわおいしく感じました。





翌朝は石巻市立相川保育所へ向かいました。
続く・・・






10月3日気仙沼【仮設住宅の各家庭へ豆腐をお届け】④

2011年10月08日 | Weblog
さて、『すがとよ酒店』でのお買い物を終え、再び物資拠点の気仙沼高校へ。
今回は時間があったので、午後からはお手伝いをしました。
お手伝いとは、毎週月曜日に盛岡から送られて来る、お豆腐の配布です。
このお豆腐は、ボランティアで寄付されているとのことでした。
感動です。



このお豆腐を仮設住宅の各家庭、1軒1軒にお届けするのは、坂井さんの会社《気仙沼復興》のスタッフ。
私はこのスタッフと一緒に、配達をしてきました。
10か所くらいの仮設住宅を車で回り、200世帯以上はお届け出来たでしょうか。



仮設住宅に掲げられた『がんばろう 気仙沼』 の旗。
街中で見るものと違い、胸が熱くなります。


仮設住宅の様子


こちらの仮設住宅は小学校のグランド内にありました


また別の仮設住宅では、入口に大漁旗が。漁師の方が多いのでしょうか。
想いが伝わります。


家庭にお声掛けしているスタッフ


各仮設住宅の入口には必ずこの案内があります



配り終えて感じたことは、高齢者の方が圧倒的に多いこと。
自立出来ない方が多く、坂井さんが自立の手助けで苦労されるのもよくわかりました。

そして、仮設住宅にもグレード差があるのではと思うくらい、外観上だけですが格差がありました。
このことをスタッフに聞いてみると、やはりメーカーによって、かなり程度の差があるとのことでした。
大きな問題です。

部屋の中まではさすがに見せて頂くことはできませんでしたが、
1世帯にエアコンは、一つだけしかついていないため、別の部屋はこれからの季節、暖房器具も必要だということです。

さすがに午後だけで、87か所に散在する仮設住宅は見ることはできませんでしたが、
カジキマグロが釣れていれば、このどこかの仮設住宅にて解体ショーが出来たかと思うと、
やはり残念です。

それにしても、貴重なお手伝いが出来、被災地の方の一端を垣間見ることが出来ました。
この時の気持ちは忘れず、今後の支援活動に生かしていくつもりです。


配布が終わったあと、物資基地の気仙沼高校に戻り休憩です。
数人の方とお話しましたが、リーダー的存在の小山君は、職場が被災されたそうです。
そして、昨日7日から上京し、銀座にて気仙沼のアンテナショップの運営にあたるとのこと。
東京での食事の約束もしましたので、再開が楽しみです。
なんて思っていたら、昨晩のNHKニュースでしっかりと紹介されていました。


来週には食事に行きましょう!小山君。


さて、私はというと、気仙沼高校を後にして、気仙沼復興㈱の事務所までトラックを取りに行き、
坂井さんに感謝の意を伝えお別れしたあと、市中心部を通り、夕闇の迫る中、今夜の宿泊地、石巻市へ向かいました。
時間にして約2時間。
南三陸町を通過するルートです。


気仙沼市内の様子は、次の更新で少し紹介します。
続く・・・








【本日オープン】 気仙沼アンテナショップ

2011年10月07日 | Weblog
本日、気仙沼のアンテナショップが東京にオープンします。
場所は【モザイク銀座阪急】で東京都中央区銀座5-2-1
皆様、何卒復興にご協力頂けますようお願い申し上げます。



追記
7日の夜9時のNHkニュースでも紹介されていました。
この彼とは、3日に気仙沼の仮設住宅で、豆腐を一緒に配布した縁のある青年です。
そして、近々お食事することになっています。

通販出来る震災復興祈願酒 【負げねえぞ 気仙沼】 ③

2011年10月06日 | Weblog
お食事後、坂井さんに連れて行ってもらった、気仙沼港から至近の酒屋さん。
鹿折地区にある創業90年以上の老舗の【すがとよ酒店】さんです。

対応して頂いたのは、店主の菅原豊樹(37歳)さんの弟の英樹(35歳)さん。
店主のお兄さんのお嫁さんとお店番をされていました。

見ての通り屈託のない笑顔でご対応して頂き、写真も快諾して頂きました。
が、まさか私のブログに紹介されているとはご本人も知りません(すみません)。


写真を見てわかる通りで、お店は写真に写っているだけの本当に小さなお店です(悪気はありません)。
そして、【負げねえぞ 気仙沼】のお酒の説明を聞きながら、少しの時間、世間話となりました。

〇ここは仮店舗。小さいお店で営業しています。
〇元のお店は津波で被害。
〇「負げねえぞ 気仙沼」の文字は、店主のお母様が書き下ろした。
 「どうりで魂の一筆だ」と納得しました
〇お酒の蔵元は「男山」と「角星」の二つ。
〇【負げねえぞTシャツ】は外国製品だから、サイズは大きめ。
〇DVDは震災から直近までの道のりを記録。今後は長期に渡り復興の様子をシリーズ化して販売する。
〇・・・

こんな会話をしながら、下の写真の買い物をしました。


購入した日本酒、Tシャツ、DVD。
気仙沼高校に戻る車中で、坂井さんが一言「気仙沼にお金を落として頂き、ありがとうございます」
今でもとても印象に残っています。

二つの袋に買った商品を入れて頂き、東京に帰ってきた一昨日の4日夜。
袋の中には商品のほかに、気仙沼のタウン誌と、自店の紹介されたコピーが入っていました。



「まさか、すがとよ酒店の被災した店舗?」
そして記事を読み、現店主のお父さまが行方不明、祖父母は逃げ遅れてお亡くなりになったことを知りました。
お店では、そんなことは一切お話されなかったので、正直とても驚きました。
考えてみれば、初めて訪れる客にそこまで説明するはずもないのですが。





肉親の犠牲者があって、兄弟と残った家族で再起を図る。
町の復興計画も決定していないため、元の場所に戻って営業出来るかわからない現状。

果たして「人間は強い」のか。そもそもそんなことを考えるのがいけないのか。
復興を地で行く兄弟を見て、失礼な言い方をすれば、意地なのか維持なのか。
やせ我慢なのか、当たり前なのか。
深く深く考えさせられてしまいました。

当事者でない、しかも未熟な私は当然答えは出せません。
何もわかりませんが、ただ日本人の感覚として、推して図るべきものがあります。

私自身が被災している訳でもなく、肉親を失っている訳ではありませんので、
所詮、無責任なことしか言えませんが、
応援だけはさせて頂きたいと思い、ブログで紹介させて頂きます。

この復興祈願を込めた酒を飲み、ともに歩む気持ちを共有できれば幸いです。

ニッポン全国の皆様、被災地支援はお酒を飲まない方でも、
魂を込めたメッセージを見れば、何かを感じます。
ぜひ、「すがとよ酒店」の復興祈願酒を通販で購入頂けますことを、切にお願い致します。


すがとよ酒店
気仙沼市大田1-1-4
電話 0226-24-1111(FAX兼用)
メール: sugatoyo@gmail.com
http://sugatoyo.com/

尚、通販は、代引きのみ対応しているようです。
また、お店の方は私のブログに掲載されていることは知りません。


次は気仙沼タウン誌を紹介します。
つづく・・・・