思えば「脱・下請け」から始まった!山ちゃんのレントラ的言いたい放題

函館出身の代表がレントラ便の普及と、公共インフラとしての使命感を強く持って想いのまま綴ります

通販出来る震災復興祈願酒 【負げねえぞ 気仙沼】 ③

2011年10月06日 | Weblog
お食事後、坂井さんに連れて行ってもらった、気仙沼港から至近の酒屋さん。
鹿折地区にある創業90年以上の老舗の【すがとよ酒店】さんです。

対応して頂いたのは、店主の菅原豊樹(37歳)さんの弟の英樹(35歳)さん。
店主のお兄さんのお嫁さんとお店番をされていました。

見ての通り屈託のない笑顔でご対応して頂き、写真も快諾して頂きました。
が、まさか私のブログに紹介されているとはご本人も知りません(すみません)。


写真を見てわかる通りで、お店は写真に写っているだけの本当に小さなお店です(悪気はありません)。
そして、【負げねえぞ 気仙沼】のお酒の説明を聞きながら、少しの時間、世間話となりました。

〇ここは仮店舗。小さいお店で営業しています。
〇元のお店は津波で被害。
〇「負げねえぞ 気仙沼」の文字は、店主のお母様が書き下ろした。
 「どうりで魂の一筆だ」と納得しました
〇お酒の蔵元は「男山」と「角星」の二つ。
〇【負げねえぞTシャツ】は外国製品だから、サイズは大きめ。
〇DVDは震災から直近までの道のりを記録。今後は長期に渡り復興の様子をシリーズ化して販売する。
〇・・・

こんな会話をしながら、下の写真の買い物をしました。


購入した日本酒、Tシャツ、DVD。
気仙沼高校に戻る車中で、坂井さんが一言「気仙沼にお金を落として頂き、ありがとうございます」
今でもとても印象に残っています。

二つの袋に買った商品を入れて頂き、東京に帰ってきた一昨日の4日夜。
袋の中には商品のほかに、気仙沼のタウン誌と、自店の紹介されたコピーが入っていました。



「まさか、すがとよ酒店の被災した店舗?」
そして記事を読み、現店主のお父さまが行方不明、祖父母は逃げ遅れてお亡くなりになったことを知りました。
お店では、そんなことは一切お話されなかったので、正直とても驚きました。
考えてみれば、初めて訪れる客にそこまで説明するはずもないのですが。





肉親の犠牲者があって、兄弟と残った家族で再起を図る。
町の復興計画も決定していないため、元の場所に戻って営業出来るかわからない現状。

果たして「人間は強い」のか。そもそもそんなことを考えるのがいけないのか。
復興を地で行く兄弟を見て、失礼な言い方をすれば、意地なのか維持なのか。
やせ我慢なのか、当たり前なのか。
深く深く考えさせられてしまいました。

当事者でない、しかも未熟な私は当然答えは出せません。
何もわかりませんが、ただ日本人の感覚として、推して図るべきものがあります。

私自身が被災している訳でもなく、肉親を失っている訳ではありませんので、
所詮、無責任なことしか言えませんが、
応援だけはさせて頂きたいと思い、ブログで紹介させて頂きます。

この復興祈願を込めた酒を飲み、ともに歩む気持ちを共有できれば幸いです。

ニッポン全国の皆様、被災地支援はお酒を飲まない方でも、
魂を込めたメッセージを見れば、何かを感じます。
ぜひ、「すがとよ酒店」の復興祈願酒を通販で購入頂けますことを、切にお願い致します。


すがとよ酒店
気仙沼市大田1-1-4
電話 0226-24-1111(FAX兼用)
メール: sugatoyo@gmail.com
http://sugatoyo.com/

尚、通販は、代引きのみ対応しているようです。
また、お店の方は私のブログに掲載されていることは知りません。


次は気仙沼タウン誌を紹介します。
つづく・・・・



10月3日 【気仙沼の必要な物資や近況】そして、気仙沼の名店【鮨 智 (旧 一八)】 ②

2011年10月06日 | Weblog
さてさて、続きです。

坂井さんとお話させて頂いた内容の要点をまとめてみます。
気仙沼(気仙沼復興株式会社)で必要な物も記します(同じ気仙沼でも必要なものは多少違います)。

〇必要な物 【弊社にお送り頂ければ、無料にて気仙沼にお届けします。また、量により回収も致します】
・食料全般(主に仮設住宅の高齢者や、職場が被災した方)
・冬物の衣類等
・暖房器具。こたつや石油ファンヒーター。ストーブなど
・草刈り機10台から20台(ガレキを撤去した空き地に生えた雑草を刈るため)

 (もちろん1台でもありがたいとおっしゃっていました)

〇私たち(坂井さん)は、地元の要望に応え、目的を復興に特化した会社「気仙沼復興株式会社」を立ち上げました。

〇スタッフや約20名。何等かの被災をした、気仙沼の方を採用している。

〇業務の半分は、気仙沼市の委託を受けて、気仙沼全体の仮設住宅(87か所)の維持・管理全般を請け負っています。

〇市の委託を受けているので、備品を買うことが出来ず、リースに頼っている。しかし、設立したばかりの会社で、審査も厳しい。

〇業務残りは、仮設住宅を中心に食料や、日用品(家具、家電)を集め、配布しながら被災者の自立を支援しています。

〇工事請負やイベント企画や飲食等の復興に関すること全般を、業務としている。
 青森の建設業協会の全面支援を受けることが決定した。

明日7日より、気仙沼商工会議所を中心とした気仙沼のアンテナショップを東京銀座に出店します。 スタッフの人員は、ローテーション(たしか15日交代)にて気仙沼の若手で運営します。
 宿泊は目黒区にお世話になります。

〇復旧のための大工さんや、各種職人さんが圧倒的に足りない。

〇国からの支払いがいまだなく、中小企業はもたない。

〇港に打ち上げられた大きな船をモニュメントにて保存したい市長と、多くの犠牲者を出した場所に不謹慎かつ、
 そんな予算があるなら復旧・復興に予算を使って欲しいという市民側との軋轢が発生している。

〇港を含む海岸部では、いまだに地盤沈下している。

〇気仙沼の2大イベントの一つ「港祭り」は今年は中止で花火のみ。「産業祭り」は完全中止。
 心和むイベントも企画したい。

〇仮設住宅は、8世帯20名程度の小さなものから、1000名もいる大所帯のものまで87か所に仮設住宅が設営されている。
 そして、高齢者が多く、自立をあきらめる人もいる中、簡単に物資を提供するのではなく、なんとか自立してもらおうと努力している。

主にそんなお話をお聞きしましたが、想像以上の処々の問題があることに驚きました。


写真の名刺は、坂井さんのご名刺です(縮小したら見ずらくなってすみません)。
12月には、名刺の住所に引越しされるそうです。
表記の携帯電話(代表電話)は通じます。


一通りお話を聞いた後、坂井さんとお食事に行きました。


「鮨 智」というお寿司屋さんです。
前は気仙沼市街地(港方面)にお店があり、今回被災され、多少山側に移動、転居して再出発を図ったばかりのお店です。
この大将は、坂井さんとは昔ながらのお付き合いということですが、気合の入った方で、「人間は強い」(復興)を実践されている大将です。
気仙沼では名店で、被災前には「一八」という、お店でしたが、再出発を機に「鮨智」にお店名を変更されたそうです。
評判通りの名店だけあり、とてもおいしく頂きました。
中でも巻物(マグロ)は海苔が外側ではなく、内側に巻いてあり、絶品。おススメの一品です。
次回もぜひ、立寄りたいお店ですね。


坂井さんのご厚意で、坂井さんに分のアワビまで頂戴してしまいました。
坂井さん、ありがとうございます。

すし処
 「鮨智」
 宮城県気仙沼市田中前4丁目3-4
 0226-24-9220

さて、お食事を頂いていたところ、カウンターに日本酒を発見。
ラベルには、【負げねえぞ 気仙沼】
どこで売っているか大将に聞き、坂井さんに連れて行って頂きました。

坂井さん、何から何までお忙しい中、甘えっぱなしで申し訳ありません。


つづく

10月3日の気仙沼①

2011年10月06日 | Weblog


日曜日の19時に横浜ベイマリーナから帰宅後、22時に再び気仙沼に向かいました。
早めに出発し、余裕を持って出発しましたが、福島県手前でさすがにバテまして仮眠を取り過ぎ、
結局、予定より30分遅い9時過ぎに気仙沼高校に到着です。

到着後、いつも通り元気そうな坂井さんに挨拶を交わし、写真の通り荷卸し開始。
4トントラックほぼ満載でしたので、人海戦術で荷卸しです。


気仙沼高校内にある武道館。ここが物資倉庫拠点となっています。
ちなみにこの高校の避難所は閉鎖されて、皆様は仮設住宅に移ったそうです。


倉庫(武道館)前には、富山県の氷見から送られたノボリに熱いメッセージが。


物資倉庫の様子です。
やはり食料が少なかったですね。

今回は気仙沼の近況を聞くことも目的の一つだったため、
10月1日付けで、坂井さんが地元の声に応えて、復興のためだけに立ち上げた会社事務所に移動しました。


移動する際に、よく見かける「頑張ろう」のステッカー。

坂井さんの会社に到着。
ここにも持っていったオフィス用家具を降ろしました。



ここが復興の為だけに立ち上げた、坂井さんの会社。
まだパソコンや、電気も来ていないプレハブからのスタートです。


想いをそのまま社名に。
「気仙沼復興株式会社」


敷地には津波の足跡がいまだにありました。
また、コンクリートの土台は建物があったことを伺わせます。
折れた電柱や、津波に押しつぶされた乗用車も集積されていました。




事務所の中では、現在に至るまでの問題点や課題をお聞きすることが出来ました。
その続きは後ほど。