写真は、7月1日の気仙沼市内の様子です。
津波で被害を受けた建物やガレキは、ほぼ撤去されているのがわかります。
さて、先のブログでも紹介しましたが、7月1日の午後は石巻市へ行ってきました。
同日の午前中には、気仙沼高校の避難所にも物資を大量にお届けしてきました。
お届けしたものは、
食料品、冷蔵庫、洗濯機、扇風機、収納関係の棚等です。
現地ではいつもながら非常に喜んで頂きました。
ご提供して頂いた多くの皆様、この場をお借りしまして、深く御礼申し上げます。
そして、上記以外にはいつも気仙沼高校避難所を応援している、
代々木小学校PTAの皆様の心温まる物資もありました。
重ねて御礼と報告申し上げます。
物資を荷卸しした後、この避難所の物資責任者(気仙沼商工会議所)の坂井さんとお話させて頂きましたが、
8月のお盆を期に、この避難所は統廃合され無くなる予定だそうです。
また、今月10日を境に、この避難所では自宅避難者への食料提供も停止するそうで、
とても憂慮しておられました。
マクロ的にしか捉えられない行政では、対応出来ないことが多くあり、
私たちを含む民間の応援はまだまだ必要だということです。
坂井さんご自身も、被災されご自宅はありませんが、
復興まではまだまだ長い道程と捉え、今後もお住まいを変えながらも復興活動を継続すると
力強くおっしゃっていました。
私も微力ながら応援活動を継続する決意をあらたにした次第です。
市内ではガレキの集積が進むに連んでいますが、複雑な心境です。
ガレキは個々の生命や生活、思い出をも一瞬で壊す自然の非情さを直接表現しますが、
更地は復旧、復興を感じさせつつも非情さの間接表現です。
陸に打ち上げられた大きな船の数々は、今回は見当たりませんでしたが、
それだけは素直に胸を撫でおろすことが出来ました。
このようなことを感じられることを祈りつつ、次回も期待して被災地へ向かいます。
本日
わたしが所属する(社)品川活性化委員会あてに、写真のお手紙が、ご丁寧に届きました。
うれしいお手紙です。
復興とか、復旧とは程遠いとは思いますが、
これからもがんばって頂きたいと思います。
品川活性化委員会の仲間と4月のお届けでしたが、
これからも継続して、ささやかながら復興までお手伝いしたいと思います。
園長先生と。
こちらには、先生用の机やイス、写真のテーブルなどをお届けしてきました。
この辺は床上浸水で、行政には頼り切れない現実も。
お役に立ててトラック屋「冥利」という言葉がよぎりますが、
被災していない私は、
所詮、自己満足でしかありません。
現地の方はひたすらに、ただひたすらに現実を受け入れようとしています。
「がんばろう」なんて言葉は、震災後4か月を迎える今でもまだまだ不要です。
かける言葉を考えるより、無言でも小さな行動を継続して参ります。
昨日7月1日
子供たちへ遊具などお届けしてきました。
場所は石巻市北上町十三浜の相川保育所。
この辺は、昨日通過した南三陸町よりは復旧が進んでいるように見えました。
しかし、津波の爪痕はひどいものに変わりはありません。
今回も現地の方々が必死で復旧、復興へ取り組んでいる姿を見て、熱くこみ上げるものがありました。
今後も子供たちの笑顔を絶やさないような活動をしていきたいと思います。
写真は、相川保育所の子供たちですが、
私が届けた遊具を持ち、『ありがとうございます』
と大きな声で言われた時、こみ上げてしまいました。
こちらの7月1日付のブログでも紹介されています!