旅慣れた二人のお気に入り

北から南から有名な場所を巡り 旅行した中でのすばらしき大きな感動を得られたお気に入りの場所です。

臼杵城跡(臼杵公園)

2012-06-14 10:25:38 | 日記










臼杵城址(臼杵公園)

 大友宗麟公によって築かれた全国でも珍しい海城。

 現在は陸続きだが、当時は臼杵湾に浮かぶ小島だった

 小高い丘に永禄5(1562)年に大友宗麟が築城。

 当時は臼杵湾に浮かぶ海城で別名「丹生島城」
 今は臼杵公園として整備されています。

 明治4年(1871)の廃藩置県で稲葉氏の居住でした。

 2001年に復元した大門櫓(だいもんやぐら)と
 鐘楼が迎える。

 関ヶ原合戦直後の慶長5年(1600)からは美濃(郡上八幡)
 から入封した稲葉氏が廃藩置県まで15代にわたってこの城を
 居住とし、臼杵藩の支配にあたっていました。

 春は千本桜、夏はツツジが咲く
 春は桜の名所として有名で約1000本の桜が咲き誇る。
 この城跡は臼杵市民や観光客の憩いの場として親しまれ
 ています。


大友宗麟公・「国崩し」と呼ばれる大砲

2012-06-14 09:38:24 | 日記






大友宗麟公

 大分の歴史を語るに欠かせない人物・大友宗麟公、大分の礎を築いた立役者。
 守護大名の大友家二十一代当主、戦国時代には大内義隆や毛利元就と合戦し、
 九州北部6ヶ国を支配するなか、南蛮貿易によって、西洋の文化や技術を
 積極的に取り入れた。

 天正6(1578)年にはキリシタンの洗礼を受け、4年後ローマ教皇のもとへ
 天正少年使節団を派遣、キリシタン大名として知られる大友義鎮(よししげ・宗麟)は
 弘治2年(1556)大友氏代々の本拠地であった府内(大分市)を離れます、
 移った「新しい城」は臼杵城でした。
 臼杵城は臼杵湾に浮かぶ丹生嶋の岩上に建つ北・東・南の三方が海に囲まれた
 天然の要害でした。

 府内(大分市)に比して極めて高い防御性をもつ臼杵城は義鎮(宗麟)の入城から
 天正15年(1588)の大火で焼失するまでの間、大友宗麟の居城として機能していました。
 
 写真は臼杵城の中にある大友宗麟公のレリーフです。




「国崩し」と呼ばれる大砲

 当時「国崩し」と呼ばれていた大砲、「国崩し」は日本最初の大砲とされる。
 古くは「石火矢」と呼ばれたものを大友宗麟が「国崩し」と命名したという。
 (鉄砲は手火矢」といった)
 「国崩し」のレプリカの展示してある、臼杵城址公園の説明碑文には
 天正4年(1576)「沸狼機砲(フランキ砲・国崩し)ポルトガルより送られたと説明してる
 説明文には書いてありませんが本物は靖国神社に展示されているらしい?です。





別府の魅力

2012-06-14 08:51:33 | 日記










別府の魅力

 戦災を逃れた別府、そして昭和30~40年代をピークに
 社員旅行や新婚旅行のメッカとしても、賑わった別府。

 とりわけ別府駅周辺は昭和風情の残る路地裏が交差する
 レトロスポット。

 ゆっくりと散策しながら、古き良き時代を今でも肌で
 感じながら、歩きまわると何だか心地いい!

 戦災を免れた別府には、昔ながらの建物や細い路地が
 そこかしこに残っている。

 JR別府駅から流川周辺はレトロスポットの宝庫です。
 竹瓦温泉見学だけでも訪れる価値があります。

 豊かな海・豊後水道に育まれた関アジ・関サバに城下カレイ
 などの新鮮な海の幸から、美しい霜降りの豊後牛まで
 全国に名を馳せる食材が手頃な価格で、ご当地ならではの
 美味なる味わいを楽しめるのも、別府の魅力です。