In the Nest

ちいさな巣の中から、見上げる空。

今日のために

2005-01-22 23:05:22 | Weblog

仕事関係の本を読んでいて、
こんな言葉に目が留まった。


 人は「過渡期」があまり長く続くと耐えられない。
 「明日のために」というのは聞こえはいいが、
 そこには、今の自分はあってはならない状態なのだ、
 という強迫がある。


人生の途中で、病気や事故の後遺症で
予期せぬ「障害」を身体に負ってしまった人たち。
ほんのちょっと前まで、
自由に動ける身体で、
自由に言葉を駆使して、
ごく「普通」に暮らしていたというのに。
今では誰が見ても「障害者」で、
今の自分はちっとも「普通」じゃない。
人の手を借りなければ、一日だって暮らせない。

そんなこと、今まで想像したことすらなかったのに。
みんな、そう言う。


でも、
今日がんばれば、
明日はもうちょっと、良くなりますよね?
いつかは「普通」の身体に、戻れるんですよね?
いつまでもこんな身体じゃ困りますもの。
こんな身体じゃねぇ、とてもまともに生きてはいけませんよ。


医学的には、
その身体が元に戻る可能性はほぼないということを
私は知っているし、
その人自身も、
すでに医師から説明されているはず。

そんなはずはない。
いつまでもこんな自分でいるわけがない。
そうやって、
「今日」の自分をずっと否定し続けて何年も暮らす。
毎日訓練しなきゃ治んない、と
強迫観念に駆られ、休むことなく身体を動かしながら。
そして、
だんだん、身も心も疲れてくる。
生き続ける意味を、見失ってしまう。


「治りたい」と心から願う人たちに、
「もう治らないんだから」と軽く言うことはできない。
だけどいつかは、
今の自分もかけがえのない、
ちゃんと輝いて生きている自分なのだということに
気づいてほしいと願いながら、
その人たちと向かい合う。


「明日のために」じゃなくて、
今日のために。
今日という一日を輝かせるために、
どうすればいいか一緒に考えようよ。
そんな風に、言えるかな。



2005-01-18 16:50:38 | Weblog

その虹は
優しいあなたに
あしたのしあわせを約束する虹
つらいことも かなしいことも
忘れ去ることはできなくても
心の奥に抱いたまま
歩いていくことがきっとできるよ

虹の橋のたもとに埋まっているという
たからものを探し当て掘り起こすみたいに
子どもたちひとりひとりの存在のなかに
輝くものを必ず見つけることのできるあなただから

きっといつかそこまで歩いていける
いいえ すでにもう
あなたはそこにいるのかもしれない
たくさんの光るたからものに囲まれて
あなたが立っているその足もとから
見えない虹はいつでも どこまでも
はるか遠くへ伸び続けているのかもしれない


虹は空に架かる橋
心をつなぐ橋
同じ空の下にいることを
思い出させてくれる
美しい 突然の贈り物



10年

2005-01-16 02:33:32 | Weblog

私は生まれも育ちも神戸で、
今も神戸に住んでいるけれど、
震災には遭っていない。
10年前は、
たまたま故郷を離れて遠くの街に暮らしていたからだ。


私は今まで、
震災に関する自分の体験や想いについて人に話したり、
どこかに書いたりしたことは一度もない。
なぜなら、
実際に被災した人たちの辛さや苦しみに比べれば、
私の痛みなどは本当にちっぽけなものにすぎないのだと
よくわかっているし、
自分が被災したわけでもないくせに、
そんなことでいつまでも苦しんだのかと、
人に思われるのが恥ずかしかったからでもある。


自分が被災したわけでもないくせに。
そういえば、
その言葉を、
人から言われたこともあったっけ。


明日で、
阪神淡路大震災から10年。
私はただ黙って、
二度と還らない人たちの顔や、
失われたたくさんの風景を思い浮かべながら、
長い祈りを捧げるだろう。



期限付きの愛

2005-01-14 22:43:04 | Weblog

いつものように、
夜、実家に子供を迎えに行く。

ドアを開けると、
ふだんは真っ先に娘が飛び出してくるのに
今日は珍しく、
息子が走り出てきた。

「おかあさんおかえり」
と抱きついて、
ほっぺにチュッ、ってしてくれた。
おやおや、どうかしたのかな。

でも、やっぱり可愛い。
私ともう20cmほどしか背丈の違わない息子を
ぎゅっと抱きしめて、
チューのお返し。

「やったー」
とニコニコ顔で、部屋に戻る息子。
おじいちゃんに、
「ん?何が『やったー』なんや?」
と訊かれ、
「なんでもない、ナイショや」
と答えながら逃げてゆく。


私はもちろん子供を愛しているけれど、
本当は、
子供の、私に対する愛情の方が
ずっとずっと強くて絶対的なものなのかもしれないな。
そんな風に思ってしまう。

それはもちろん、
この先少しずつ、あるいは一度に、
失われていくことがあらかじめわかっている、
切なくてはかない期限付きの愛ではあるのだけれど。


「おかあさん」への絶対的な愛情を失っても、
いつか、
他の誰かをきちんと愛せる男の人になれますように。



すこしずつ

2005-01-13 01:20:56 | Weblog

ほんのちょっとだけ日が長くなって、
帰り道でまた、
夕暮れの海を見ることができる。

とてもとても寒い毎日だけど、
こうやって少しずつ、
春に近づいていくんだね。


駅までの、長い坂道。
海の見える公園。
この公園の真下は、
橋へと続くトンネルになっているんだよ。

私は、ここにいます。
私は、どこにいるのかな。