仕事関係の本を読んでいて、
こんな言葉に目が留まった。
人は「過渡期」があまり長く続くと耐えられない。
「明日のために」というのは聞こえはいいが、
そこには、今の自分はあってはならない状態なのだ、
という強迫がある。
人生の途中で、病気や事故の後遺症で
予期せぬ「障害」を身体に負ってしまった人たち。
ほんのちょっと前まで、
自由に動ける身体で、
自由に言葉を駆使して、
ごく「普通」に暮らしていたというのに。
今では誰が見ても「障害者」で、
今の自分はちっとも「普通」じゃない。
人の手を借りなければ、一日だって暮らせない。
そんなこと、今まで想像したことすらなかったのに。
みんな、そう言う。
でも、
今日がんばれば、
明日はもうちょっと、良くなりますよね?
いつかは「普通」の身体に、戻れるんですよね?
いつまでもこんな身体じゃ困りますもの。
こんな身体じゃねぇ、とてもまともに生きてはいけませんよ。
医学的には、
その身体が元に戻る可能性はほぼないということを
私は知っているし、
その人自身も、
すでに医師から説明されているはず。
そんなはずはない。
いつまでもこんな自分でいるわけがない。
そうやって、
「今日」の自分をずっと否定し続けて何年も暮らす。
毎日訓練しなきゃ治んない、と
強迫観念に駆られ、休むことなく身体を動かしながら。
そして、
だんだん、身も心も疲れてくる。
生き続ける意味を、見失ってしまう。
「治りたい」と心から願う人たちに、
「もう治らないんだから」と軽く言うことはできない。
だけどいつかは、
今の自分もかけがえのない、
ちゃんと輝いて生きている自分なのだということに
気づいてほしいと願いながら、
その人たちと向かい合う。
「明日のために」じゃなくて、
今日のために。
今日という一日を輝かせるために、
どうすればいいか一緒に考えようよ。
そんな風に、言えるかな。