In the Nest

ちいさな巣の中から、見上げる空。

約束

2005-01-05 22:33:11 | Weblog

大正生まれのキリちゃんは、
いつもおそろしくハイテンションで、
とても一般的な「おじいさん」のイメージではない。
「気のいいおっちゃん」とでもいったところだろうか。

太陽のように明るい、人気者のキリちゃんだけど、
奥さんを亡くしてもう数年、
今では自分自身も、
自由のきかない身体になってしまっている。
やっぱり時には、
気持ちがへこんでしまうこともある。


キリちゃんはいつも同じことを私に言う。
「もう、生きとってもしゃあないねん。
 毎朝起きるとな、
 おかあちゃんの写真に手を合わせてな、
 なぁ、はよう迎えに来てえな、って頼むねんけどな。
 ちっとも迎えに来てくれへんわ。
 いつになったら、来てくれるんやろな。」
私も、いつも同じことを
素っ気なく答える。
「あ、おかあちゃんな、あっちで若いオトコができて、
 仲良うしてるらしいで。
 せやから、まだ当分来んとって、って言うてはったわ。」
キリちゃんは大きな声で笑う。
「あはは、そうかもわからんなー。若いオトコか。
 ちぇっ、うまいことやりやがってな。はっはっはっ。」

私はさらに続ける。
「あのね、Kさんが来なかったら、
 ここのリハビリ室、どれだけ静かで淋しくなるかわかっとう?
 来てもらわんと、ほんまに困るねんて。」
「なーに言うてんねん。」
キリちゃんは、男の子みたいな表情になって、
横を向いてしまう。


キリちゃんは、毎年手書きの年賀状をくれる。
もともと油絵が趣味だったという人で、
その年の干支の動物を、ペンでさらりと描き添えてある。

「Kさん、年賀状ありがと。トリの絵、可愛らしいな。」
「いやぁ、絵も字も下手やからなぁ。恥ずかしいわ。」
ひとしきり年賀状書きの苦労などを話していて、
そのうちふと、キリちゃんがつぶやいた。

「来年の干支は、何やったっけ。」
「うーんと、サル、トリ、イヌ・・イヌ年やね。」
「イヌ年かぁ。犬の絵は、難しいなぁ・・
 そうや、『のらくろ』でも描いたろか。
 自分ら、のらくろなんか知らんやろ?」
「えー、のらくろぐらい、知ってるってー。」
「なんや、知ってるんか。ちぇっ。知らんかったらウソ描いても
 ごまかせる思たのにな。ま、ええわ。来年はのらくろに決まりやな。」


その時、あれっ・・?と思った。
キリちゃんが、一年後の話をしてる。
いつもいつも、
もう、長生きしたくないねん、もうすぐ死ぬねん、って、
先のことなんか、ちっとも話したことのないキリちゃんが。

なんだかものすごく嬉しくなった。
「うん、来年はのらくろやなっ。
 来年も、楽しみにしてるから。」
弾む思いで、私は言った。


今度キリちゃんがまた、
はよう迎えに来て・・って言い出したら、
その時は言うんだ。
 
 来年、のらくろの年賀状、くれるって約束したやろ?
 約束破ったら、私、ぜったい承知せえへんでー。

最高の笑顔で、
こう言ってやるんだ。


どうか、このちいさな約束が、
必ず、果たされますように。