60代、何が目出度い!

人生100年時代に備え、貯金も貯筋も大事!
そんな60代の日常を綴ります。

ケジメ。

2024-03-24 08:09:58 | 日記
今日は、これから義母がお世話になった施設に手土産を持って、最後の支払い(オムツ代等)と挨拶に。
LINEで義姉にその旨を話したら、驚かれたけど。
私たち夫婦にとってこの施設は、高額な上に、オムツ代は現金書留で支払うシステムに納得行かなかったけど。
オムツ代も定価のようで高額で。。これが老健や特養だったら、掛からなかった費用。
それこそ最後にダメ元で、私の方から申し出て、3月からAmazonの定期便でオムツを送ると了解を得た矢先に義母の方がダメになってしまった…。

何でも、これはおかしいと思ったら、言わないとね。
義理兄夫婦は疑問も持たず、言われるまま現金書留で払っていた。
このオムツ代と住んでいない団地の家賃で、義母の年金、貯金では、追いつかなくなってしまった。
私たちが知った時は、通帳残高が寂しいものになっていた。

この施設から老健にもっと早く移っていたら、こんなにお金で悩む必要もなかったけど。。
「たられば」を、言っても仕方ない。
1月に義母に会った時、認知症はあったけど、一人で団地暮らしをしていた時より、元気な顔をしていた。
その後すぐに、コロナに罹って、あれよあれよで亡くなってしまった。
あの時の顔を見て、施設の人たちに良くしてもらったんだなぁ、と。
あのまま元気で老健に移っても、また環境が変わるわけだから、それが義母にとって良かったのかは、わからない。
あと1週間で義母は94歳だったから、天寿を全うしたのだと思う。

私の実母は68歳で亡くなって、C型肝炎がわかった58歳からずっと闘病生活だった。
入院した病院も手術の大学病院をはじめ、3つ掛け持ちした。
最後は肝臓に血液が回らず、それが脳に行き届かなくなり、そのために認知症の症状が出ていた。
当時の父は、最後の亡くなった病院の主治医の手当が悪かったと、言い続けていたけど。
私は、母の10年の闘病生活、早く楽にしてあげたかった、と。
だから、延命治療はしなかった。。
皆、それぞれ…どんな形であれ、終わりがある。

話は逸れたけど、最終的には義母にとっては、居心地が良かった施設だった、と。
義母が亡くなった、あの嵐のような夜、夜勤の介護士さんが、亡くなった義母に、普段と変わりないように、寝ている義母に声を掛けてくれていた。

今日の支払いが終われば…これで、過去関係のものは、終了。
義姉が資金提供してくれたおかげで、(義姉と)私たち夫婦とほぼ折半となった。
一時はどうなるか?と思ったけど。。ホッとした。(苦笑)
これからは、義兄と義母の四十九日に向かっての新たな支払いが発生するけど。。
これは、残された者の役目として。

とりあえず、ケジメとなる今日で、過去の精算は終わり。
この3ヶ月近く、日々勉強だったなぁ。(苦笑)

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