仏教日記(5)
 
 
菩提樹の下でお釈迦様は何を覚ったか、今手元にある本
(中村元著「ブッダ入門」)に
よると、「さとった結果、過去世を見通した」と書かれています.この本に限らず、
そういう説明をする本は多いようです.
 
しかし何度も申し上げますが、これは逆です.深い瞑想により、過去世の記憶を
呼び起こし、現世、過去世、さらにその過去の自分を知って、そこに貫かれた
因果律を知って、この因果律が正しいことを実感し「覚った」はずなのです.
 
つまり、過去世は、覚りを得るための「よすが」なのです.
正覚者のお飾りではありません.
 
善因善果、悪因悪果を覚れば、絶対に「悪」は慎むようになります.
人に「悪いことをするな」というよりも、「現世の悪因は必ず悪果を結ぶ.早ければ
現世のうちに.遅くても来世で結ぶ」という法則を実感させるほうが、効果てきめん
のはずです.
 
 
過去世の記憶は心の中の最も奥の「アラヤ識」と呼ばれるところにあるらしいの
ですが、これを呼び起こすほどの瞑想は私にはできません.ですが、昨日の話、
「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ」
という法則に則れば、過去世の記憶は呼び起こせなくとも、現在の自分を
しっかり見据えれば、おおよその自分の過去はわかる.
 
現在貧乏の私は、過去世で、そこそこ金持ちに生まれておきながら
困った人に恵むことをしなかった.今世貧乏により、反省するチャンスを
いただいたのだ.「ああ、ありがたや、貧乏なるは」