1985年8.12
その日、私は遠距離交際のゴール、結婚を真近に控えて上京し、池袋サンシャインシティの展望台にいた。夫となる人と1ヶ月ぶりのデートだ。夕焼け空を眺めながら、大空に飛び立っていく飛行機を目で追っていた。「何処に行くのかなあ」と。
飛行機が嫌いで高所恐怖症の自分達も意を決して新婚旅行でスペインに行く予定だったので、それまで縁の無かった飛行機がなんとはなく気になったのだ。
釣った魚に餌をやらない彼に、後にも先にもそれっきりの高級寿司を奢ってもらい、ご両親にご挨拶をと、彼の実家を訪問したが、何時だったか憶えていない。
彼の母親が、「大変な事です!」と起きた事を教えてくれた。
張りつめた空気の中で彼の父親の声が響いていた。鳴り止まない電話、切るたび「あいつも乗っていた」とつく溜息が重く深い。彼の父親もよく利用している便で、この時は部下が何人も搭乗していたのだ。
自分達の浮かれた気持ちはとても不謹慎なものと自覚し、あっという間に上京の意味は忘れた。それでも翌日は一日ドライブする予定だったので、早々においとまし、私は高輪プリンスホテルの一室で、一晩ニュースを聴いていた。
沈痛のドライブだった。確か筑波の方をウロウロ走っていたと思う。
いつもひとりでおしゃべりしている私もこの時ばかりは黙りこくってラジオに聴き入っていた。生存者発見!生存者救出!
手に汗を握りひたすら祈っていた。ひとりでも多くの命が助かりますようにと。
この事故で臆病者の私達は新婚旅行を取り止めた。
8年前に夫と韓国へ行くまで、私達夫婦は飛行機を極力避けてきた。北海道から戻る時もフェリーだった。
今はさすがに飛行機を使わないでは仕事ができず夫も頻繁に乗るようになったし、私は私で海外旅行を我慢できなくなったので、あまり考えないで乗っているが、それは心のどこかで、御巣鷹山のような悲劇はもう起きない!と信じたいので信じているのだ。
日本人にとって8月というのは、黙祷する日々が続く。