6月15日(日)、三田弘法寺で空海生誕祭のイベントがあった。
5月18日(日)、先週の下谷神社に続き、整体センター勤務休憩時に浅草の三社祭に行ってきた。
三社祭という名は浅草神社の旧名である三社大権現社または三社明神社に因んでおり、正式名称は「浅草神社例大祭」。
御輿御渡の休憩時間の街の様子。本社御輿やお囃子も次の御渡に供えている。
珍しく大・中・小の3つの御輿が通りに並んでいた。小さいのはお飾り用か。
それぞれの町内会の御輿とお囃子、子供御輿、山車などが町内を巡行する。
ほとんど女性ばかりの御輿も出ていた。
西浅草の大御輿の周りには多くの担ぎ手と見物人が群がり、多くの警官が警備にあたっていた。
浅草神社への宮入り前の本社御輿に遭遇した。割り当てられた町会ごとに担ぎ手が交代しながら本社へ向かう。
前日はあいにくの雨だったが、最終日は天気も良く、外国人を含む多くの人々が活気ある夏祭りの雰囲気を味わっていた。
5月11日(日)、仕事の昼休み中に、浅草稲荷町にある下谷神社のお祭りの様子を見てきた。
下谷神社大祭は下町で一番早い夏祭りと言われ、千年以上の歴史がある。
例年、3日間にわたり開催される「下谷神社大祭」。2025年は5月9日(金)〜11日(日)に渡って開催され、約16町会の神輿が夫々の法被姿で下谷神社周辺を練り歩く。賑やかなお囃子を先頭に御輿の周りには多くの担ぎ手が群がって交代しながら町内の路地を進んでいく。
本社神輿の渡御を行う「本祭り」と町会神輿の渡御だけの「陰祭り」が隔年で行われるが、2025年は「陰祭り」の年にあたるため、「本社神輿渡御」はない。その本社御輿は下谷神社の一角に展示されており(右端写真)重量は約1トンで、豪華な彫刻や金箔などの装飾が施されており、その重量感は一段格上。
下谷神社は奈良時代に創建され、都内で最も古い「お稲荷様」で、当神社は昔から「正一位下谷稲荷社」と称し祀られていたので、この時からこの町を稲荷町と呼ぶようになったが、明治5年に神社名を「下谷神社」と改めたという。
神社の周りには出店が所狭しと並び、屋台やゲームを楽しむ人々が外国人も含め多く見られた。
町会御輿には子供御輿や山車も引かれ、親御さんや引率の大人達に見守られながらワッショイと可愛い掛け声を上げていた。
4月8日(火)、三田の弘法寺でお釈迦様の誕生祝の花まつりに参加した。
抱擁の終了後は入り口前の枝垂れ柳のあるスペースで参加者のお花見会があった。
今回も海光さんと写真を撮った。
弘法寺隣の慶應三田キャンパスの図書館前の桜はもうだいぶ散りかけていた。
慶應正面玄関の並びにあるラーメン二郎三田本店で小ラーメン(700円)を食べた。
3月2日(日)、弘法寺の海光さんからお誘いを受けた雛祭りイベントがあり三田に向かったが、駅前の国道でちょうど東京マラソンの最中だった。
最初は3F本堂で平和の祈りの勤行、続いてB1 ホールで海光さんの講話へと続いた。
お嬢様の安希与さんがイベントの司会役で、安希与さんのご主人が法要でメインで数人の尼僧と共に読経された。
TVにも時々出ている能楽師の和泉元彌の節子ママも親子で来ていた。
帰りは駅まで周辺を散策した。
1月21日(火)、三田弘法寺の護摩焚き法要に参加した。
きっかけは、のぶみチャンネルで小田海光さんを紹介していたこと。小田管長はご主人。
海光さんのお父様は深谷隆司さんで、三越紳士服の時代に通産大臣執務室でお会いしていた。
当時の写真をお見せすると、著書のご本を頂いた。
海光さんの福耳は有名で、私も触らせて頂いた。
元はと言えば絵本作家のぶみさんで、この日は会場にも来ていたので、絵本にサインを頂いた。
のぶみさんの実家は自分が幼稚園として通っていた西大井教会…という繋がりもある。
サインとしてササっと描かれたイラストに色付けしてみるとTINTINに似てる気がした。
1月13日(月・成人の日)、昨年たまたま居酒屋で会った小松の九谷焼作家・打田幸生さんから高島屋で開催中の石川県工芸品の催物のご案内が届き、行ってきた。
閉店近かったせいか客も少なめだったので、ゆっくり話すことが出来た。また、隣の店で井出幸子さんという金沢の女性作家とも少し話が出来た。