はにかみ草

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『私という旅 ジェンダーとレイシズムを越えて』(青土社)

2007-09-29 16:20:09 | 公開
昨日ちょんよんへさんとリサ・ゴウさんの『私という旅 ジェンダーとレイシズムを越えて』(青土社)を読み終わりました。

在日フィリピン人女性の現状を今まで知らなかった自分が恥ずかしいです。在日フィリピン人女性が日本でどのような状況に置かれているのかということや、受けている差別について、最後の「参考資料」のところにも詳しい差別の現状が書かれていました。

フィリピン人女性=「貧しくてかわいそうな存在」、「性産業で働いていて、金のためには何でもするずるい女性」、「(同じアジア人でも)日本人より劣っている」というステレオタイプと偏見のために、子どもが学校で差別を受けたり、「あんな動物(フィリピン人)をなぜバスに乗せるのか」という日本人の乗客がいたり、という数え切れないぐらいひどい差別を受けているという記述がありました。

問題なのは、そのようなレイシズムをもつ「日本人」(これも一面的にとらえることは出来ないのですが)の側であるということです。

そして重要なのは、そのような差別を批判するだけではなく、それを変えようとする行動をしなければいけないということです。

差別を批判するのにも関わらず、自分はその差別的な構造から得た特権を捨てようとしない人に、差別を批判する権利はない、というリサさんの言葉が、その本で自分にとって一番重要な部分だと感じました。

(正確な言葉はあとで追記します。今手元に本がないので…)


在日外国人にとって、日本がいかに息苦しい社会かということに意識的でなければならないと思います。

「日本人」なら受けられる様々な権利や行政のサービスも、在日外国人にはないことが多いからです。そのような状況がこれからも続き、「日本人」自身がそれを変えていかないのなら、アジアの人々を戦前と同じように侵略し、搾取しているも同然だと思います。
日本社会がずっとこのまま窒息しそうな社会だったら、アジアの人々とも新しい関係を築くことは出来ないでしょう。

そのために、自分は何を出来るかを考えて行動しなければならないと思いました。(書くだけで、ほとんど何も出来てないのですが…)

よく、「日本はアメリカの戦争に巻き込まれて被害者だ」というような論調の文章を見かけますが、なぜ被害者づらばかりなのか?と感じます。
日本政府が自発的にやっている部分も当然あるし、それを支え協力している限り、加害者でしかないと思います。(戦争被害を受けた国に対しては。)

戦争に対しても、「唯一の被爆国民で被害者」、現在も「アメリカの戦争につきあわされてる日本人は被害者」だなんて、アジアに対する視線が抜け落ちていますし、自らの加害性が見えなくなるだけではないのでしょうか?


大体、「日本人」がアメリカの戦争に付き合わされなかったらそれで十分なのでしょうか。


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今日から生田武志さんの『ルポ 最底辺』を読もうと思います。その次は西川長夫の『新植民地主義』の予定です。