大助達が帰京する日の朝。
外は厳しい冷気に満ちていたが風もなく、雲一つない透き通る様な快晴で、美代子は母親のキャサリンと節子さんと共に、彼を見送るために温泉宿に向かった。
途中で、美代子はキャサリンの肩に手を当てて促すように笑顔で
「お母さん、ほら、珍しくダイアモンドダストがキラキラと瞬間的に輝いて綺麗だヮ」
「大ちゃんにもう一晩泊まってもらい、この美しいダイアモンドダストを見せてあげたかったゎ」
と、昨夕彼を宿に帰したことを残念がり、感嘆しているうちに宿に到着すると、寅太達の三人組が上着を脱いで鉢巻姿で顔を紅潮させて、入り口の除雪や健ちゃん達の車を洗車していていた。
彼等は、車から降りた彼女を見るや明るい笑顔で元気よく朝の挨拶をしてくれたが、美代子はチョコット頭を下げて笑顔をも見せず無言でキャサリンと節子さんの後について帳場に入った。
キャサリンが、宿の帳場で管理人のお婆さんに朝の挨拶をしたあと、大助が予約の宿泊が出来ず迷惑をかけたことについて、丁寧にお詫びを述べていたが、そのあと、節子さんも話に加わり、お喋り好きなお婆さんと、お巡りさんが訪ねて来たときの健ちゃん達の慌てた様子等を面白可笑しく話題に、お茶を飲みながら宿の近況をまじえて、世間話に花を咲かせていたところ、健ちゃん達が笑い声を廊下に響かせて玄関に現れた。
健ちゃんは、帳場の受付口で宿泊代等の精算をしたあと、節子さんとは、以前、東京で娘さんの理恵子さんの紹介で逢って顔見知りのことから、キャサリンも交えて自分達町内の世間話と理恵子さんの様子等を話していた。
美代子は、母親達が話している隙を見て、大助を宿の入り口脇にある応接室の隅のソファーに誘うと、紙袋に入れた赤茶色の毛糸のネクタイを少しのぞかして見せたあと直ぐに袋に入れて、彼に小声で
「これ、わたしが手編みしたものょ。まだ、練習中で目が揃っていないが、遊びのときに使ってネ」
「わたしが、男の子に初めてプレゼントするものョ」「手編みしているときの気持ち、少しでも判ってネェ~」
と言って、紙袋を渡すと襟巻きを膝にかぶせ、その下でソット彼の手を握り締めた。
大助は周囲に気配りしながら
「アリガトウ 気持ちは今でもよく判っているよ」
「3月には東京のミッションスクールに来るんだろう、そのときには逢えるので楽しみにしているよ。それまで元気でお互いに頑張ろうよ」
と言って、健ちゃん達の目に触れないように気を使い、握り締めた手に力をこめて握り返し、笑顔で答えていた。
健ちゃん達は、キャサリンから、お土産のお米や北限の地場産であるお茶に山菜の漬物等を、遠慮しながらも恭しく受け取り入り口に出たところ、例の三人組が除雪や洗車の手を休めて並んで元気よく挨拶したので、健ちゃんは
「オイオイ あんまり飛ばすと、後で息切れするぞ」「中学卒業後は高校に進学かい?」
と聞くと、彼等は真面目くさった顔でそろって口々に
「俺らは、勉強は自慢じゃないが同級生から3周遅れだよ。大体、勉強なんて余り好きではないや」
と答えると、駐在所の三男坊の背丈の低い小太りの三太が
「先生の勧めで、街の介護施設の補助員にきまり、仕事の手伝いをしながらヘルパーの勉強をすることにしたよ」
「力仕事や部屋の掃除それに汚れ物のかたずけなら、人に負けないよ」
と、はにかんで喋ると、寅太は
「これ、俺達が授業をサボッテ山や川で採った山菜の漬物と山葡萄の原酒と鮎の粕漬けだけど、もらってくれないかな」
「いまの俺達には、これ位のことしか出来ないが・・・」
「俺は、授業中散々迷惑をかけた担任の山崎先生が今春退職して、地元で開店する雑貨屋の店員をすることに決めたわ」
「俺を雇ってくれるなんて、先生の有り難さが、やっと判ったわ。頑張って先生に恩返しするよ」
と、中学卒業後の進路について、こもごも屈託無く説明して笑い、袋に入れたお土産を差し出したので、健ちゃんは、彼等の余りにも変わり様に内心ビックリして、心からこみあげる感動を無理矢理抑えて言葉を捜しながら言語明瞭に自信に満ちた力強い声で
「珍しいものをアリガトウ。 お前達は根性があり、きっと立派な介護士や店員になれるよ、初心を忘れずに頑張れよ。
勉強の出来る奴だけが世の中で立派になるとは限らず、ビリで卒業して大きな会社の社長になった人も大勢いるよ。
体力の弱ったお年寄りを助ける仕事は一番大切な仕事だよ。思いやりをもってなぁ・・。
世の中は人々が様々な仕事を通じて成り立っているんだ。
俺達の様に八百屋に肉屋と魚屋でも、一生懸命に自分の仕事に励めば、何時かは報われる日が必ず来るものだよ。」
と言って激励して一人一人と握手していた。
健ちゃんは、そんな話をしながら横目で、大助と美代子の二人をチラット見るや
「あのなぁ~、お前達もやがてはオンナノコに恋をすることだろうが、少し位気に食わぬことがあっても、オンナノコだけは絶対に泣かせてはだめだよ」
と付け加えてニヤッと笑みを浮かべたら、三太が、寅太を指差して
「あのなぁ コイツ この前、ラーメン屋でパートのお姉ちゃんの尻をなでたら、ラーメンを配り終えたお姉ちゃんが、いきなりコップの冷や水をコイツの後ろ襟から背中に流し込んでイジメられていたことがあったが、それでもコイツ怒らなかったよ」
と、茶目っけたっぷりに喋ると、寅太が
「バカヤロ~ お前は何時も余計なことを喋って嫌になっちゃうわ」
といって三太の頬をつねったら三太は大袈裟におどけていた。
健ちゃんは、寅太と三太の愉快な話をきいて、彼等にも隠れたユーモアがあると改めて彼等を見直し「ウ~ン」と唸って空を見上げて何も答えなかったが、美代子は「イイキミダワ」と小声で漏らした後、ハンカチを口に当ててククッと愉快そうに笑っていた。
三太のとっぴな場外れの話しに一同が大笑いしたところで お婆さんは彼等の話が終わったと見るや、除雪のお礼代わりのつもりかお世辞気味に、寅太達に
「おいらが、介護施設でお前達の最初のお客さんになるかもしれんわな」
「そうなる前に、時々、風呂場の掃除にもきておくれよ」
「おやつ位用意しておくし、温泉にも入って行きなよ」
と言て、皆がお別れの朝とも思えない和やかな雰囲気に包まれた。
昭ちゃんと六助が先に車に乗ると、健ちゃんは大助に大声で
「大助!、彼女との別れは名残惜しいだろうが、はよう乗れや」
と声をかけると、大助は美代子達の方に軽く会釈して乗り込んだ。
美代子は、何時もの癖でキャサリンの後ろに回り、母親の背に泣き顔を隠して手の掌だけを振って、車が見えなくなるまで見送っていたが、目に溢れた涙をハンカチでしきりに拭いていた。
節子さんは、その姿を見て
「美代ちゃん、気持ちはよく判るが、貴女も、これから上京して勉強する身なのに、そんなメソメソしたことではダメョ」
と、肩を軽く叩いて勇気ずけると、キャサリンが節子さんに
「ホントウニネェ~ この子は家にいるときは、お爺さんやわたしに対して威張っているのに、この様なときになると、何時も涙ぐんでしまうので、この先が心配になるヮ」
と言うと、節子さんは
「この歳頃の女の子は、思いつめると皆そうなのョ」「理恵子のときもそうだったヮ」
と言って
「美代ちゃん、大助君の家には理恵子も下宿していることだし、大丈夫よネ」
と肩を叩くと、美代子は無言でうなずいていた。
美代子達が家に帰ると、お爺さんはションボリとして炬燵で新聞を読んでいたが、キャサリンから見送りの状況を聞くと
「美代子は泣かなかったか?。ワシも大助がいなくなったら、何だか寂しくなったよ」
「あの子には、妙に人をひきつける何かがあるな」
と言っていたが、キャサリンがお茶を入れてやると一口美味しそうに飲んだあと、改った顔になって
「正雄にも相談するが、美代子が春から東京の学校に行くとなると、このまま、大助君の親御さんに挨拶をしない訳にもゆかず、近じか美代子を連れて上京し、母親として挨拶して来なさい」
「大助君の母親とも、親しい節子さんに同道してもらい色々と助言してもらう方がよいとおもうよ」
と言うので、キャサリンも
「わたしも、是非、ご挨拶に伺いたいと思います。城さんのご都合もありますでしょうし、節子さんに聞いていただきますヮ」
と返事をした。
キャサリンは、家事を済ませたあと、美代子をリビングに呼んで、お爺さんの思いを教えたところ、それまで自室に閉じこもり沈んだ気持ちでいたのか、青白い顔をした彼女は、母親の話を聞いて急に精気が甦った様に瞳を輝かせて
「ネェ~ 母さん、私もそうしたいゎ。お願いョ」「何時行くの?ウレシイワ~。お爺さんにお礼を言っておいてネ」
と、キャサリンの肩に手をかけて小刻みに跳ねてはしゃぎ素直に喜びを現して答えていた。
彼女としては、この際、大助君から時々聞いている姉の珠子さんに、自分の心のうちを正直に話して、大助君との関係を理解してもらいたいと思った。