音楽と映画の周辺

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ゴールウェイ/東京クヮルテットのメンバー モーツァルト『フルート四重奏曲第1番』

2009-12-13 19:18:31 | クラシック
 フルート,ヴァイオリン,ヴィオラ及びチェロという編成。この編成の曲は,大きく分けると,フルートと常設のユニット(トリオ,あるいはクヮルテットのメンバー etc)の組み合わせか,4人とも独奏者という全くの臨時編成,で演奏される。この説明に好都合なのがランパルの録音。彼のパスキエ・トリオとの盤は前者,スターン,アッカルド及びロストロポーヴィチとの盤は後者にあたる。私が聴いたパスキエ・トリオとの盤は,1982年9月のアスコーナ・ライヴの方だが,これは活気ある好演。一方,スターンらとの盤は,功成り名を遂げた音楽家の共演といった風情(昼は享演,夜は饗宴とか,というのは冗談)。演奏は,大味は言い過ぎとしても,アンサンブルとしては少し緩いという印象。録り方も,「4人の巨匠の顔を満遍なく立てました」という感じ。主役のフルートをじっくり聴きたい私には,弦の動きが幾分せわしなく感じられる。

 表題曲は,上記で言えば前者にあたるゴールウェイと東京クヮルテットのメンバーによるモーツァルトのフルート四重奏曲全5曲(1曲はオーボエ四重奏曲の編曲版)が収められたディスクからの1曲。このディスク,曲によってピーター・ウンジャンと池田菊衛がヴァイオリンを分け合っているが,第1番のそれは池田菊衛。因みに,ヴィオラは磯村和英,チェロは原田禎夫。
ゴールウェイのフルートの美質は「息の長い伸びやかな歌」にある。このゴールウェイ盤には同じ曲のブラウ盤に聞く軽快さはないかもしれない。しかし,横溢する歌心はその不足を補って余りある。ここでもゴールウェイのフルートは心置きなく歌っている。第1楽章の演奏時間は7分24秒。通常の演奏よりは1分近く長いけれど,間延びしたような感じは全くない。
この演奏中の白眉は,何と言っても第2楽章アダージョのカンティレーナ。この哀愁,悲愁の前には言葉がない。アンリ・ゲオンは,この楽章につき,その著書『モーツァルトとの散歩』の中で,「第2楽章では,蝶が夢想している。それはあまりにも高く飛び舞うので,紺碧の空に溶けてしまう。ゆっくりとしてひかえ目なピッチカートにより断続されながら流れるフルートの歌は,陶酔と同時に諦観の瞑想を,言葉もなく意味も必要としないロマンスを表している。」と書いている。
この第2楽章から第3楽章ロンドーにはアタッカで入るのが通例。ブラウとブレイニンほかのアマデウスのメンバーは,第2楽章で失速すれすれのテンポをとったうえで,結び間際に更に一旦テンポを落とし,そのまま,少し速過ぎると思われる程のテンポで第3楽章に入る。技術的には申し分ないのだが,音楽としては,ちょっと作為の匂いが強いという感じがしなくはない。
その点,ゴールウェイらの演奏は自然。ゴールウェイ盤のこの部分,喩えるなら,アダージョの悲愁に同化してひとりしんみりとしていたところを,笑顔の知己からポンと肩を叩かれはっと我に返る,といった感じだろうか。ここの情趣の転換は実に鮮やか。
東京クヮルテットのメンバーも,フルートを立てながら,よく歌っている。もはや無いとは思うが,このクヮルテットに対する「正確だけが取り柄」などという評は全くの誤解である。
表題の第1番のほか,第4番なども素晴らしい。是非ご一聴を。

Flute Quartets
Tokyo Qt
RCA

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