ヒッチコック最初のカラー映画。原作は,1924年にシカゴで実際に起きたレオポルド&ローブ事件(Leopold and Loeb)を素材にしたパトリック・ハミルトンの『Rope's End』。脚本は,ヒューム・クローニンらの手による。
あらすじをいうとすれば,次のようになろうか。
ニーチェの超人思想等の影響を受け,優者は劣者を殺してもよいという思想に魅了された2人の青年が友人を殺す。そして,その死体を室内のチェストに入れたまま客を招いてパーティーを開くのだが,あろうことか,そのチェストを食卓にしてしまう。
ドラマはパーティーの始まりから御開きになるまでを描くが,不審に思って引き返してきた大学時代のハウスマスターだった人物に死体を発見されてしまう。
この映画,TMT撮影(Ten Minutes Take)という方式で全編ワン・カットで撮った映画として有名だが,正確にはアパートの外側を撮した導入部とアパートの室内に入ってからの本編のツー・カットからなっている。室内のシーンも,カメラがわざと登場人物の背中やチェストの蓋を撮して画面全体を黒くするなど,あっ,ここでフィルムを繋いでいるのかな?,と思われるシーンが幾つかある。もちろん,「だから,看板に偽りあり」などというつもりはない。
ワン・カットなので,時間帯はともかく,観ている方の時間の流れと映画の進行上の時間の流れは同じということになる。長さ80分の映画であるが,映画の中では午後7時半頃から9時頃までの出来事を描いているらしい。
通りを撮したカメラがアパートのテラスまで引いて,カーテンを閉めきった窓を撮すと,突然男の悲鳴が聞こえる。ここで室内のカットに切り替わり,いきなり,首を絞められてまさに息絶えようとしている男の顔をアップでとらえる。
この後,2人の男が男の死を確認して死体をチェストに入れ,カーテンを開けると,画面一杯に高層ビルが立ち並ぶ風景が広がる。それと同時に,窓を開けたわけでもないのに,戸外の生活音が聞こえてくる。まるで,犯人の心の動きと連動しているよう。
ワン・カットだから,窓外の様相が刻々と変わっていく。これも注目である。
ジェームズ・スチュアートはさておき,出演者の中では,犯人の一人であるブランドンを演ずるジョン・ドールが素晴らしい。
死体を入れたチェストを食卓にすることを思いついた時の打ち震えるような様子は怖いくらいである。
そして,ジャネット・ウォーカーを演ずるジョーン・チャンドラー。スチュアート演ずるルパート・カデルがアトウォーター夫人を真面目な顔でからかうのを素知らぬふりをしながらうかがう時の表情が実にいい。
そうそう,忘れてはならないのが,アトウォーター夫人を演ずるコンスタンス・コリアー。ブランドンらからすれば凡庸な人間の典型のような人物。
チキンを口にしようとしたとたんに,ブランドンの鶏の首を絞め損なった話しを聞いてげんなりする様子など,何とも可笑しい。
この人,ヒッチ初期の傑作といわれる『下り坂』の原作の作家の一人であり,シェークスピア俳優としても有名だったようだ。くわえて,ハリウッドの役者の演技や発声の名トレーナーでもあったらしい。もっとも,コリアー本人は決して美声の持ち主ではなく,しゃがれ声といってもいいくらいの人なのだが。何にしても,現実のコリアーは映画のアトウォーター夫人と違い大変な才人である。この撮影時のコリアーは御年70才。彼女,若いときのポートレートなどを見ると,なかなかの美人である。
ニーチェの超人思想,優者と劣者の分離,英雄賛美等については語る資格がない。
ただ,パーティーの最中,真面目な顔で殺人の効用を語って周りを笑わせるルパート・カデルが,死体を発見した時にブランドンらを激しく非難するシーンには戸惑いを感ずる。この辺り,一人の人物の描き方として成功しているのだろうか。いや,もちろん,殺人の効用を論じても,それを実行に移す者と移さない者とでは天地の差があるというのはよくわかるのだが・・・。また,殺人の効用を語ることは人間性への冒涜だと語るサー・セドリック・ハードウィック演ずるケントリー氏とルパート・カデルではどこが同じでどこが違うのか・・・。ここは,パトリック・ハミルトンの原作を読むしかないのか?あるいは,『ツァラトゥストラ』を読む?いやはや,大変なことになってきた^^;。
いずれにせよ,「全編ワン・カットの映画」でお終いにするには勿体ない映画である。
題材がエキセントリックというか,猟奇的な感じで損をしているが,映画の出来そのものは相当に良い。
あらすじをいうとすれば,次のようになろうか。
ニーチェの超人思想等の影響を受け,優者は劣者を殺してもよいという思想に魅了された2人の青年が友人を殺す。そして,その死体を室内のチェストに入れたまま客を招いてパーティーを開くのだが,あろうことか,そのチェストを食卓にしてしまう。
ドラマはパーティーの始まりから御開きになるまでを描くが,不審に思って引き返してきた大学時代のハウスマスターだった人物に死体を発見されてしまう。
この映画,TMT撮影(Ten Minutes Take)という方式で全編ワン・カットで撮った映画として有名だが,正確にはアパートの外側を撮した導入部とアパートの室内に入ってからの本編のツー・カットからなっている。室内のシーンも,カメラがわざと登場人物の背中やチェストの蓋を撮して画面全体を黒くするなど,あっ,ここでフィルムを繋いでいるのかな?,と思われるシーンが幾つかある。もちろん,「だから,看板に偽りあり」などというつもりはない。
ワン・カットなので,時間帯はともかく,観ている方の時間の流れと映画の進行上の時間の流れは同じということになる。長さ80分の映画であるが,映画の中では午後7時半頃から9時頃までの出来事を描いているらしい。
通りを撮したカメラがアパートのテラスまで引いて,カーテンを閉めきった窓を撮すと,突然男の悲鳴が聞こえる。ここで室内のカットに切り替わり,いきなり,首を絞められてまさに息絶えようとしている男の顔をアップでとらえる。
この後,2人の男が男の死を確認して死体をチェストに入れ,カーテンを開けると,画面一杯に高層ビルが立ち並ぶ風景が広がる。それと同時に,窓を開けたわけでもないのに,戸外の生活音が聞こえてくる。まるで,犯人の心の動きと連動しているよう。
ワン・カットだから,窓外の様相が刻々と変わっていく。これも注目である。
ジェームズ・スチュアートはさておき,出演者の中では,犯人の一人であるブランドンを演ずるジョン・ドールが素晴らしい。
死体を入れたチェストを食卓にすることを思いついた時の打ち震えるような様子は怖いくらいである。
そして,ジャネット・ウォーカーを演ずるジョーン・チャンドラー。スチュアート演ずるルパート・カデルがアトウォーター夫人を真面目な顔でからかうのを素知らぬふりをしながらうかがう時の表情が実にいい。
そうそう,忘れてはならないのが,アトウォーター夫人を演ずるコンスタンス・コリアー。ブランドンらからすれば凡庸な人間の典型のような人物。
チキンを口にしようとしたとたんに,ブランドンの鶏の首を絞め損なった話しを聞いてげんなりする様子など,何とも可笑しい。
この人,ヒッチ初期の傑作といわれる『下り坂』の原作の作家の一人であり,シェークスピア俳優としても有名だったようだ。くわえて,ハリウッドの役者の演技や発声の名トレーナーでもあったらしい。もっとも,コリアー本人は決して美声の持ち主ではなく,しゃがれ声といってもいいくらいの人なのだが。何にしても,現実のコリアーは映画のアトウォーター夫人と違い大変な才人である。この撮影時のコリアーは御年70才。彼女,若いときのポートレートなどを見ると,なかなかの美人である。
ニーチェの超人思想,優者と劣者の分離,英雄賛美等については語る資格がない。
ただ,パーティーの最中,真面目な顔で殺人の効用を語って周りを笑わせるルパート・カデルが,死体を発見した時にブランドンらを激しく非難するシーンには戸惑いを感ずる。この辺り,一人の人物の描き方として成功しているのだろうか。いや,もちろん,殺人の効用を論じても,それを実行に移す者と移さない者とでは天地の差があるというのはよくわかるのだが・・・。また,殺人の効用を語ることは人間性への冒涜だと語るサー・セドリック・ハードウィック演ずるケントリー氏とルパート・カデルではどこが同じでどこが違うのか・・・。ここは,パトリック・ハミルトンの原作を読むしかないのか?あるいは,『ツァラトゥストラ』を読む?いやはや,大変なことになってきた^^;。
いずれにせよ,「全編ワン・カットの映画」でお終いにするには勿体ない映画である。
題材がエキセントリックというか,猟奇的な感じで損をしているが,映画の出来そのものは相当に良い。
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