統一教会の信者の男性が、法人に解散命令請求をするということは、その法人に死刑宣告をするのと同じだ、と言っていた。
また、二世信者の女性が、ここがなくなったら、心のよりどころが、なくなってしまう、と言っていた。
なんて言うか、すごくかわいそうだなと思った・・・。
宗教法人に解散命令をしたところで、宗教法人でなくなるだけで、誰も命は奪われない。
でも、信者たちは、神様の名の下、常に異常な献金を要求され、山上容疑者のように、家が破産し家庭崩壊があったり、二世信者は、社会と統一教会の狭間で、苦しみと葛藤にさいなまれたり。
その中で、山上容疑者の兄がそうだったように、自死に追い込まれた人たちも、たくさんいる。
自分が納得しているのだから、心のよりどころの教祖の言うがまま生きるのが幸せだというのだろうか。
これは、何にでも言えることかもしれないけど
人の不幸の上によって立つ自分の幸せって、本当の幸せではない。
と、私は思うよ。
信者の方たちは、長く一つの価値観に閉じ込められて正しいと信じてきたことが、社会から拒絶されたと思っているかもしれないけれど、
社会の方が間違っていると言いたいかもしれないけど・・
どうかもう少しだけ視野を広げて、苦しんでいた人のいたこと、泣いていた人のいたこと、忘れないでください。