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意識レベルと意識レベル20「恥」

2015年02月25日 | パワーかフォースか

意識のマップ


「パワーかフォースか」4章には、人間の意識レベルの数値とその数値が表す特性についての説明が書かれているのですが、それぞれの特性の説明の前に、全体の説明があります。
2006年10月のブログ開設以来、起こっている社会現象など「パワーかフォースか」と照らしあわせた記事をよく書いていますが、大前提の意識レベルの数値についての説明をご紹介していなかったことに気づきました。(汗)

「パワーかフォースか」P115~

人間の意識のレベル

 数年間を経た研究の結果、特定のアトラクターフィールドは、まるで磁気が鉄くずを集めるように、1ヶ所に集まることがわかりました。そうして集まった一般的に馴染みのある一連の心的態度や感情を正確に一致する指数のスケールを定義した、何百万もの測定がなされました。これらのエネルギーフィールドを最もわかりやすく、しかも臨床的に正確であるようにと考え、次の分類方法を適合させました。

 測定が示す数字は、十進法ではなく、対数を表しているということをよく覚えておいてください。レベル300は、150の2倍の範囲を意味するのではなく、10の300乗のパワーを示しています。ですから、ほんの数ポイント上がるだけでも、パワーは大きな増加を表しています。スケールが上がってくるにつれて、パワーが増大する割合はさらに莫大なものとなります。
 
 人間のさまざまなレベルの表し方は、非常に深遠なものであると同時に、広範囲にわたるものであります。意識のレベルによる影響はピンからキリまであります。
 
 200以下のすべてのレベルは、個人にとっても、また一般社会にとっても、どちらも生きていく上で破滅的です。
 
 200を超えたすべてのレベルは、積極的なパワーの表現です。200という決定的なレベルは、フォースとパワーの一般的な領域を分ける分岐点になります。

 意識のエネルギーフィールドと感情の相互関係を説明すると、それらが個々の純粋たる状態としては、めったに表されることはないということを覚えておいてください。意識のレベルは、常に複雑に絡み合っているので、たとえある場面では物質的に行動しても、またある別の場面では、まったく違うレベルで行動することもあります。個人の総合的な意識のレベルとは、これらさまざまなレベルのトータル的な結果です。

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最後の段落に関しては、私どもは最初のうち理解しづらい部分もありましたが、時を重ねていくうちに、人の意識レベルは、いつも同じとは限らないという経験をしました。
パワーの方でも、人間ですからときには「怒り」などの感情が出てしまうことも理解出来ました。しかし、パワーの人はネガティブな部分が出てくる時があっても、状況が落ち着けば、元のアトラクターフィールドにすぐに戻ります。
また、パワーの方が人びとのために高い使命感を持って自己犠牲さえいとわないと覚悟して立ち向かっている時、その人の意識レベルが、普段にも増してとても高く強くなっているということも知りました。

ところで、意識レベルのマップの一番下に「恥」(=屈辱・排除・悲惨・嫌悪)という言葉があります。
私どもはつい、パワーの方に注目しがちで、実は200未満の数値に関して、あまり興味を持たないでいたのですが、200未満の数値と意識の区分は、500以上のそれよりもずっと細かく書かれており、それぞれの説明も、思い当たるようなことがあり、驚くこともあります。
意識レベル20「恥」では、これほど低いレベルまで下がってしまった人は、なぜここまでさがってしまったのか、どんな人生だったのかと考えさせられます。
また、報道などで知る猟奇的・衝撃的な犯罪と犯人の意識レベルなど知ると、この本に出ている数値と意識レベルの説明の合致に再度、驚かされます。


エネルギーレベル20 恥

 「恥」のレベルは、死に最も近いものです。なぜなら、恥があるからこそ意識的に自殺が選ばれるか、あるいはもっと微妙なことではありますが、人生を維持していこうとする手段を選択しないからです。
 このレベルでは、避けられたはずの事故死がよくあります。私たちは皆「面目を失うこと」、つまり信用をなくすことや、「失脚」の苦しみについて、何らかの形で知っています。
 恥をかくと、人の目につかないようにと祈りながら、頭をたれてそっと遠くへ去るでしょう。歴史的に見ても「追放」は、恥に付随しているものです。原始社会において追放は、死ぬことと同じだったのです。
 性的虐待によって人生の早い時期から「恥」の意識が植え付けられると、心理的セラピーによって解決されない限り、生涯にわたって性格は歪んだままです。フロイトによると、恥の意識は神経障害を引き起こすそうです。「恥」は感情と心理的健康を破壊し、結果として自尊心を低くさせ、肉体の病気を引き起こします。「恥」を基本とする性格は、恥ずかしがりやで内向的であり、また、よそよそしくもあります。
 「恥」が残酷な道具として使われると、その犠牲者は時として、自分に対しても残酷になります。辱(はずかし)めを受けた子どもたちはお互いに、さらに動物に対しても残酷になれます。

 意識レベルがたった20しかない人の行動は危険です。彼らは思い込みが激しく、幻覚を見たりパラノイアになりやすい傾向があります。精神病になったり、中には奇妙な犯罪を犯す人もいます。
 また、「恥」に基づいている人は、完璧主義者で偏狭な性質を持っているので、カッとなりやすく、また我慢することができません。
その悪い例は、自分たちの無意識的な恥を相手に投影して、その相手を攻撃するのが正しいと思い込んでいる過激派のようなグループです。連続殺人犯の中には、「悪い」女性を処罰するという性的なモラリズムから犯罪を起こす犯人もいるといわれています。

 「恥」は性格全体のレベルを引き下げることから、恥だけではなく、ほかのネガティブな感情によって傷つけらやすい結果を招くので、愚かな自負心や怒り、罪の意識をしばしば起こさせます。


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2 コメント

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ありがとうございます (ひろみ)
2015-02-26 05:46:03
意識のマップ、この間、英語のものを見ていたのですが、単語をきちんと調べたわけではなかったので、半分くらいしか理解できなかったので、日本語でのマップを紹介してくださって、助かります!
ありがとうございます。

「恥ずかしい」、という、気持ちが瞬間的なものなら、大きな問題はないと思うのですが、それが、常態となってしまうと、自己不信が募って、自尊心がめちゃくちゃになってしまうでしょうね。。。
自暴自棄になってしまったり、異常なほどの攻撃性が出たりというのが想像できます。。。

数日前、知り合いのブログで、デビッド・ホーキンズ博士の2008年のインタビューが紹介されていたので、今回の記事と併せて読むことで、理解が深まりました。
http://mintmk.blog.fc2.com/blog-entry-305.html

金木犀さん、いつもありがとうございます。

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ひろみさんへ (金木犀)
2015-02-26 18:10:19
こちらこそいつもありがとうございます。

>「恥ずかしい」、という、気持ちが瞬間的なものなら、大きな問題はないと思うのですが、それが、常態となってしまうと、自己不信が募って、自尊心がめちゃくちゃになってしまうでしょうね。。。

そうですね、人は、瞬間、いろいろな感情に溺れてしまうことがあるのですが、戻ることが出来ます。
でも、ここまで下がってしまうと自力では、戻れなくなる。
薬などによっても、下がってしまうことがあります。

お知り合いの方のブログのご紹介もありがとうございます。
ホーキンズ博士の写真も見られて嬉しい!

日本の政治やマスコミの世界は、今は残念ですが、草の根レベルでは、日本人の意識レベルの高さは、理解できます。
人質殺害に、すぐに復讐をするヨルダン人と、報復の連鎖をやめようという日本人の反応の違いです。
それは長く、平和憲法によって培われた日本人の意識だとも思います。
日本人に期待しているとおっしゃるホーキンズ博士の言葉は重いですね。
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