添心爛漫(てんしんらんまん)

~心に思ったことを添えて載せていきます~

おかん最後に④

2011年07月16日 | 思うこと・気づいたこと
出棺後、火葬場までの道のり、自分は霊柩車後部座席に座っていた。

横にはおかんが花に囲まれ、思い出に囲まれ入っている。

ゴトっとお棺が揺れるごとに
「おかんがいきてるんじゃないか、お棺をもう一回開けてくれないか」
と声に発しそうになる。

最後のドライブ、ずっとお棺に寄り添っていた。


道中、家の近くの道を通る。

おかんは入院する前はずっと家で過ごしたいと言っていた。
病院は嫌だ、辛くても家で過ごしたい、と。
なくなる数日前には、突然起きだし「家に帰る」と部屋から出ようとしていたらしい。

あの家はおかんの城だったもんね。

自分のすきな植物や野菜をベランダに植えて、
アルバムだの家族の思い出を保管して、
皆を自分の料理でおもてなしし、
姪甥ふくめて家族全員ゆっくり泊まれるだけの布団を準備して。

「もうすぐ家に帰れるから。」

おかんにかけてあげられる言葉はそれくらいしか出てこなかった。


火葬はただただ事務的に終わった。
普通の焼却炉におかんが入れられていく。

これで本当にあの顔を見ることも、手に触ることもできないんだ。

そう思うとほんとに引き止めたくて仕方がなかった。
もっと傍にいたい、もっと顔を見ていたい、離れたくない、
そう思いつつ
「よろしいですか?」
という火葬場の方の問いかけにうなづくしかなかった。


火葬された骨は小さく、けど白く美しくしなやかだった。

骨だけはがんにも病気にも侵されなかったのかな。

あれだけの闘病を過ごし、それでもしっかりとした身体を残し、
生き様を過ごし、人の思いを受けていたものが、
火葬された後はそれを想像できない姿だった。
ほんとに箱一つに入るほどのものしか残っていなかった。

これがさっきまで安らかな顔をしていた人なんだ。
そう思うと骨をつかむ手が重く、また涙があふれた。


おかんの骨を入れた骨壷は、帰りのバスの中ではまだあたたかく、
おかんのぬくもりのように感じた。
いっつもあったかく包みこむ、あの病室の帰り際に握ってくれた手のように。

家族全員がバスの中で順繰り骨壷を抱えていた。
そのぬくもりを抱くように、昔を思い返すように、骨壷を抱えて。

長男は「家に帰ろうね、もうすぐ帰れるかなね」と抱きながら泣いていた。
家族みんな思うことは同じだ。


再度お経をあげてもらい、精進落としの後、無事におかんと家に帰った。

祭壇は家の居間に置かれた。
他の部屋が手狭だったこともあるが、
居間のほうが陽も当たるし、誰かきた時は居間にくるので寂しくないだろうし
なによりみんなが集まっていた場所だし。


この夜は家族5人で最後の晩餐を行った。
いろんな思い出とか思いとか、考えとか。
ふつうはおかんがとりもたないとたいがいが言い合いになるんだけど、
その日はそんなことにはならなかった。

「やっと家族みんなで家に帰って来れたね。
 入院以来だから2ヶ月ぶりかな?」

家族と花に囲まれ、自分の城にもどってきたことで、
おかんの遺影の顔も、どこかほっとしたような、安堵の顔に見えた。