添心爛漫(てんしんらんまん)

~心に思ったことを添えて載せていきます~

おかん最後に②

2011年07月12日 | 思うこと・気づいたこと
おかんの死後は、葬儀屋との打ち合わせや通夜・葬儀の連絡と準備、
そして来ていただいた方への挨拶と接待と忙しかった。

無心に体を動かした方が気持ちは楽だった。
むしろ、ありのままそのままに死を受け止めようとしていたら心がもたなかったと思う。


そんな中で、おかんをゆっくり感じれたのは通夜の夜。

通夜は死者が迷わぬように線香をずっとたき続けるため家族は起き続けるのだが
最近は長い線香がありその必要はない。

けど、うちらは初めは自分、次は次男、朝方長男と誰かしらが起きて、
通常の線香をたやさぬようにたき続けていた。

これが最後にゆっくりおかんの顔を見れるときだから。

最後はなにかできることをしたいから。

それぞれの思いはあるだろうけど、線香をたやさないようにしようと思う気持ちは一緒だった。


ずっと兄弟過ごしてきたけど、
こういう風にひとつにつながったことってなかったんじゃなかったかな?
思わぬ置き土産かな。


最後の夜に、自分はお棺を開けておかんの顔をなでた。

朝はまだあたたかかったのに、今はもう冷たい。
顔は安らかで、ただ眠っているだけで、息をしていそうで、
「あ~苦しかった」とか言って起き上がってきそうだけど、
もうそんな姿を見ることはできない。


通夜の晩に、長男から亡くなる前日
おかんが起きた際に急いで作ってもらった婚前写真のアルバムを見せたことを聞いた。

婚前写真はかなり写真屋にがんばってもらい亡くなる前々日に持って帰っていた。
だけど既に体調がすぐれず「見る?」と聞いても手を横にふる。
けど、亡くなる前日、うちがいないときに少し意識がはっきりした時間がありその際に写真を見ていたらしい。

「何か言うだけの元気はなかったけど、あれはちゃんと見ていたと思うよ。」

おかんは自分の独り身に関して一番心配していた。
それが一番の気がかりだと自分も面と向かって言われた。
その分、婚約したことを伝えたときの安堵の顔を忘れることができない。

だから、なんとかして式に出て、自分のパートナーになる人の最高のシーンを見てもらいたかった。
マザコンと言われるかもしれない。
でも、父母も家族も揃って人生の輝かしいシーンを過ごせることが一番の幸せだと思う。
結婚式だって今まで育ててきてくれた人へのお礼返しも多分にあるし。
自分はそう思う。

ただ、自分はそれができないとわかって、なんとか急ごしらえで、
スタジオで婚前写真というものを作ってもらった。

おかんが見て喜ぶ顔を見たかった。
自分で合間にデジカメで撮った写真は渡したが、
それだけでなくやっぱりプロが撮った写真を、一緒に見たかった。


でも、いい。
写真を見てくれた。
見せられた。
それ以上は望まなくても。
自分の自己満足かもしれないが、彼女のドレス姿を見てもらえたのはおかんを安心させてやれたと思う。


通夜の夜は遺影とお棺を見つめたままいつのまにか眠っていた。
そのとき考えたことはよく覚えていない。

「なんでだ、早過ぎる。なんでもっといきれなかったんだ。」
「嫌だ、置いて行かないで」
「がんばったね、ゆっくり休もうね」

いろんな思いが、かわるがわる巡っていた気がする。


そういうことから翌日の目覚めは最悪だった。
家族の中で一番遅かった。
頭が覚めても、目はずっとつぶっていた。
現実が。目をつぶっていれば現実が逃げてくれるわけでもないのに。