添心爛漫(てんしんらんまん)

~心に思ったことを添えて載せていきます~

おかん最後に③

2011年07月15日 | 思うこと・気づいたこと
そういう意味だと翌日の葬儀は書くに耐えない。
坊さんのお経を聞きながら、ずっとこれまでのおかんと過ごした思い出が巡っていた。

子供の頃に一緒に回った保険の集金。普段一緒にいれないから横に入れるだけで嬉しかった。
小学校のサッカーに応援しに来てくれた。軽自動車でいろんな試合会場につれてってもらった。
免許をとるときはおやじと自分が夜遅くまで近所の公園で坂道発進の練習をしていた。
おやじががんになった際も介護で疲れつつも、病室に行けばいつも笑顔で迎え入れてくれた。
大学のときは金がないけどいつも食材をダンボールいっぱいに詰め込んで送ってきてくれた。
就職してからは会社から送られてくる社内報をずっと律儀にとっていた。
一度大阪にいるときに家にとまりに来た。神戸を回ったけど、彼女紹介はせずあとでひどく怒られた。

朝起きたらいつもそこにあるあったかいコーヒー。
いつも帰省した際には到着よりずっと前に到着していた車。
一緒に墓につっこんで事故した元旦。あのときは甘栗食べてたんだよ、あれだ原因は。
瑠璃光寺でうぐいすの音がすると一緒に踏んだ石畳。
しんどいといいつつ行った角島。そこで分けあって食べたカレー。

病室では白髪が増えたことを気にして分け目をよく鏡で見ていた。
ベッドに散る自分の髪をしょっちゅうつまんでゴミ箱に捨てて。
足がむくんでることを気にして、座ってベットから足だけ放り出し、少女のようにぶらぶらさせていた。
毎回の帰り際につないだ手、いつもあったかかった。部屋をでるまでずっとバイバイして。
病室から遠くに見える桜を自慢気に見せていた。看護婦さんとの話も語ってたな。
『おかずがおいしくない』といってかつお梅とおかゆばかり食べてた。
ときどき自分が食べる弁当に興味を持って、一切れ二切れつまんで一緒に食べた。
鼻の空気のチューブをいつも嫌がっていた。そして外しては看護婦さんに怒られた。

そんな思い出が次々に、途切れることなく、涙を伴って限りなく湧いてくる。
リアルで、あったかくて、もう得ることができない思い出。


出棺に際して、葬儀に飾っていた花をお棺に飾った。
花が好きだったから、花に囲まれるのは嬉しいだろう。
婚前写真のフォトもそこにいれた。

それと運転免許証ホルダーに入っていた写真。

死後、保険の書類などを調べるためおかんがいつも持っていたショルダーバッグを開けた。
その中には長男と行った金比羅さん、俺が送った鈴虫寺のお守りや
既につかわなくなったが安心するからともっていた喘息の薬、
自分が渡した婚前写真などとともに運転免許証のホルダーがあった。

その中には、自分が小学校で初めてサッカー部に入ったときの写真、
姪っ子2人が生まれたときの写真、甥っ子の写真が証明写真サイズで入っていた。
姪っ子、甥っ子はかわいい孫だからわかるよ、
でもなんで俺の20年以上前の写真を持ってるんだろうね。
おかんには俺はずっとそのころと変わらない子どもに写っていたのかね。

そんないろいろな思いが自分の中でいりまじり、
ただおかんの前で泣くことしかできず、
せっかく葬儀に来てくれた彼女を紹介し忘れていた。。
自慢の彼女をおかんに見せたがっていたのにね。

彼女がいる前でも溢れ出る涙と嗚咽は止まらなかった。

昨日なくなるまで握っていたては冷たく硬くなっていた。

それでも頬の肉はなめらかで、髪はやわらかかった。

ずっとずっと手を握り、顔をなで、思いを涙に変えていた。


思いは尽きず、未練は切れないが、そこは葬儀屋がしっかりリードしてくれた。

最後の挨拶を断ち、お棺が閉じられた。
出棺。

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