添心爛漫(てんしんらんまん)

~心に思ったことを添えて載せていきます~

『「働きたくない」というあなたへ』

2010年04月07日 | 哲学的なこと!?
今、ほぼ日のおとなの小論文がおもしろい。
http://www.1101.com/essay/2010-04-07.html
内容は
『「働きたくない」という学生が増えている中、
 あなたなら「働くと言うこと」をどう説明するか?』

今は「楽しく生きる」について、いろんな人からの投稿を載せている。


自分だったらどう考えるだろうか。


自分は「人生は遊び」だと思っている。

遊びというと「自堕落なやつ」みたいなイメージがあるがそうじゃない。

1回こっきりの人生、楽しく生きればいい。

楽しく生きるには日々を『遊び』だと思って気楽に構える。
いろんな課題が出ても「どうやって解決してやろうか」とおもしろく考える。
ネガティブな考えは捨て、
どうやるか・終わったらどうなるか楽しくポジティブに考える。
その考えることを楽しむ。

まぁいろんな辛いこと、悲しいこと、嫌なこといろいろあるけど
もうほんとにだめだと思ったら逃げればいい。
仕事だろうが人間関係だろうが
死ぬほどまで我慢するようなことなんてありゃしない。
そこまで不快・地獄の思いをするほどの意味は人生にはない。

だったら、自由に、好きなように
人生ってやつを遊んで人生を終えたい。全うしたい。

これが自分の思い。

今回のおとなの小論文にも載っている笑福亭松之助さんの話や
美味しんぼの話(自分の子供に「遊美」と付けるときの話)とか
遠藤周作の「沈黙」とか見聞きした内容と、
うつっぽいことになったり、
オーストラリアに行ったりした自身の経験から自分なりに出した
「生きる意味」への答え。

オーストラリアで滞在先でずっと山をぼーと見てて
昔、小学校時代に「遊びの天才」とか言われたのを思い出した。
あの頃は自分で「遊び」を編み出していた。
鬼ごっこに独自ルールを入れたり、遊具のおかしな遊び方を思いついたり。
与えられた遊びでなく、与えられたものから遊びを考える。
それが楽しいと純粋に思っていた。

それが大人になった今、できないのか。

それから行き着いたのが「人生は遊び」。


その中で仕事はどういう位置づけか。

自分の中では
「働くことは最高レベル・最高難易度のロールプレイングゲームである」
と思っている。
未完成のドラゴンクエストを解いているような感じやね。

いろんなクエスト(課題)や敵(人とかハードル)がある中で
自分のレベル(経験・能力)を上げて攻略していく。

これほど難しく、想定外のシナリオになり、
いろんなパターンの攻略法があるようなロールプレイングゲームがあろうか?
攻略しがいがあるというもんじゃない?

ただしゴール・エンディングは決まっていない。

ドラゴンクエストは悪の大王を倒すことだけど、
現実のクエストでは主人公によって違う。
「社会に貢献する」ことであったり、
「不自由な生活をより快適にする」であったあり。

自分のゴールといえば
「志はあるが経験・知識が不足しうまくいっていない人を支援する。
 思いと実現の術のズレを解消する。
 それにより働くこととか、生きることとかが
 楽しいと感じてもら得れればなおよい。」

あくまで現在時点の、暫定だけど。

日々そのゴールに向けて行動・努力できているのかと言われれば
100%Yesとはいえないけれど、
それが支えになっている部分もある。

こんな考えになって、結構「生きる」とか「働く」ことが
身近になったし、楽になった。


支離滅裂、オチもないけど、働くことについての今の自分の思い。