KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

母の日、とりとめない今日の話

2024年05月12日 | お散歩写真
天気 曇がち

写真は公園の入り口に咲く大木のユリの木の花。公園の入り口までなら、まだ何とか歩けるかなあ・・と思うけれど、まだ靴が履けないので何とも言えない。

今日は母の日。昼食はオムライスの特別メニューだったが、写真にするような見栄えもなく。オムライスにトマトクリームソースというのが掛けられていて、いつものハンバーグに使うスソースよりはちょっと洒落た味だった。
後ろの席から、介護士の大声。「今日は母の日なのでご馳走ですよ」話しかけた人の答えは「母の日、っていつ?」「だから今日ですよ」「今日、っていつ?」
話すだけ、無駄。

昨日だったか一昨日だったか、新聞に「65歳以上の高齢者の3人に1人が認知症か認知症の初期段階」と。あら、3人に1人、というのは80歳以上の話だと思っていたのに。MCI=軽度認知障害の人を入れての数字、とあったが、そんなに多いかなあ・・と。この施設だったら殆どの人が80歳以上なので3人に1人どころではない数字になるようだけれど。
で、このMCIの段階で若年だったら治療するのが望ましい訳で。
でも、90歳過ぎたら・・もう仕方ないのかもしれない。私の隣の席で食事をする人が、そのMCI段階だと思う。入所して2ヶ月目、最初の頃はしっかりしていると思っていたが、毎日会うとだんだん解ることもある。
昨日と同じ話をする。「KUMIさんと同じ姓の人が、小学校の同級生にいたの。懐かしいわ」という話、もう10回以上も聞かされた。うっかり相槌なぞして話を聴いてしまうと、話が広島の原爆体験記へ続いてしまうので曖昧に頷き「前にもそうおっしゃっていたような」とやんわり。
人の名前を覚えない。同じテーブルの3人は覚えたが、介護士の名前はまだ全く覚えていない。毎日の暮らしで不明なことは「誰に聴いたらいいのかしら」と言うのでケアマネさんの名前を伝えても、数日後にはまた同じことを訊く。私が教えなくても、入所の時に教えられている筈。などなど。人の名前を必要でも覚えない・覚えようとしない、というのも軽度認知症の症状だと思う。90歳過ぎたら当たり前のこと、と言うのは簡単だが、そうではない人もここにはたくさんいるのだ。
彼女、最低限のことは自己判断で出来ているけれど・・90歳過ぎると進行も遅いかな? とにかく認知症へ深い知識がなくて、色々大変な思いをしたので、今度は騙されない。最初から「お隣へ座る◎さんは認知症なので要注意を」と言ってくれれば助かるけれど、病名はプライバシーに関わる。ま、彼女とは適当に会話するだけにしましょ。

仲良く人間の撒いた餌を食べる鴨と鴉。これはユリの木の公園とは違う公園。




母の日や母の煮物の甘辛き  KUMI
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初夏・えごの花とツバメ

2024年05月10日 | 俳句
天気 晴

施設に隣り合う林のえごの花が満開になり、花を零し始めた。今は隣り合う林、となったが、私が今住む場所は、この武蔵野の名残りの林の半分の土地を借りて建っている。だから、もっと大きなえごの木があって、普段は通らない道だったが駅から近いのでえごの花だけを見に来たものだ。あの、大好きだった大木のえごの木を倒して建てた施設で暮らしている・・何だか縁があったのだろうか。

上の写真は、ここへ入る前に撮ったもの。


木は数本あって、散り始めてきたので地面が真っ白になる。花の咲いている時期は意外と短い。





前のマンションの周りにも何本かあり、でも日当たりが悪いのと歩道にじゃまなので枝を剪定していて、あまり花は付かなかった。ここの花付きは凄い。ことに今年は多いように思う。

「えごの花が満開になったわね」と、用があって寄ったナース室で若い看護師2人に言ったら「????」一人は去年秋、一人は先月来たばかりだから仕方ないか。2人ともまだ20代だし。ちょうど、私の入所時から居る介護士が来たので彼女にも「えごの花、綺麗ね」と言ってみたら「知らない」ですって・・・
玄関を出て左を見れば、今はイヤでも目に入る白い花の塊り。それも数本、しかも地面は真っ白。忙しいのは解るけど・・出勤してきて玄関へ入る前に真っすぐ見ていれば目に入ってしまう光景なのに。ちょっとがっかり。年配のケアマネさんはさすがに知っていた。

駅のツバメが帰ってきた。巣作り真っ最中だ。

この場所、改札口を出てスーパーなどへ買い物に行く人の通る、言うなれば郊外の駅構内でもいちばん人の通る場所なのだ。あと数羽が出入りしていたので、今年もこんな巣が幾つか出来てしまうのだろう。終電から始発までの空白の時間にはシャッターが下りることも、ツバメには解っているのだろう。
多摩の駅にはこんな所が多くて、フン害に困る。ツバメは生き延びるために人の力を最大限に利用しているのだ。ここならカラスは来ない筈。のら猫もここまでは無理かも。
毎年、同じツバメが来てそのヒナが生まれ故郷へ帰って来るらしいから、私が通勤していた頃のツバメの子孫なのかも。

改札を出て見上げればつばめの巣   KUMI
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免疫療法・何十回目だっけ?

2024年05月09日 | 俳句
天気 曇のち晴

蒲公英の絮の盛り・・と言うとおかしいけれど、施設の駐車場の周りの蒲公英が花より絮の方が目立っていて、それもまた綺麗なもの。絮になっても歳時記での季語は春になっている。
何だか多忙な病人は、最近ブログもサボリ気味だ。昨日は免疫療法の点滴の日だったから帰宅後もぐったりで、ほぼ一日それどころではなかった。でも、他の日は・・最近はテレビかyou tube鑑賞で忙しいですねえ・・

昨日は半年に一回の肺のCT検査の日。ついでに転移先候補の脳も調べてくれた。いずれも半年前と同じ・・つまり、肺がんは当初よりも小さくなった状態で変わらず、リンパにも脳にも転移ナシ。ようするに半年前と何も変わらないのだ。免疫療法というのは、完治を目指す治療ではないので、今の私はこのまま生きなさい、と肺がんに言われているようなもの。
ええと、点滴治療は何回目だったっけ?資料を調べないと解らないが、多分22.3回くらい?本当は3週1回の治療なのだが、私には負担が大き過ぎるので、今は5週1回になった。それでも悪化しないので次回も5週後。時々止めたくなるけれど、生かされているのに我儘は言えない、とも思ったり。病院で記入する治療前の予診の用紙に「今日の治療は、やめる・続ける」と、選択する欄がある。一度だけ、中断したことがある。イレウスで緊急入院して退院した直後。体力がないので、主治医も納得してくれた。それでも悪化はしなかった。
でも、中断や中止には勇気が必要だ。

で、検査結果はめでたし、めでたし・・なのだけれど、膠原病の方が日々色々とありまして。膠原病は言わずと知れた難病なので、これも完治ということはない。今は投薬もやめている。
免疫療法の副作用なのか、膠原病の症状なのか判明しない症状もあったりで、あまりおめでたい気分にはなれない。
しかも、昨日から今日にかけての天候の変化の凄まじさには体がついていけない。こんな気温や気圧の変化に平気な人たちって、余程自立神経が丈夫なのか、鈍感なのか、と思ってしまう。

と愚痴を言っても楽になる訳もなし。
母の日は次の日曜? 以前に完成させた、ちょっと楽しい塗り絵がありました。とってもよく出来たデザインだ。

昨日はいつものようにあーちゃんが付き添ってくれて、早い母の日プレゼントの佐藤錦と花束を持参。花束は仏壇へ。さくらんぼには目がないので、ちょっと仏壇へ供えて昨夜、あっという間に一人で食べてしまった。高価な初物、一緒に食べましょ、と言うのが普通でしょ。病人とはいえ、一人占めはねえ・・
点滴でフラフラになっても、食欲だけは落ちない自分に呆れたり、ほっとしたり。

たんぽぽの絮いま風へ乗るところ  KUMI
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立夏過ぎ

2024年05月06日 | 俳句
天気 曇一時雨

4連休も今日でお終い。で、昨日は立夏でこどもの日。
写真は、ここへ入所する前の今頃、散歩途中で見かけた風景。コロナ禍の始まったあとも、まだ体力はあったので散歩には変わらずに出かけた。国の史跡になっているので、JRの線路のそばにこんな草原みたいなところがある。はい、見てのとおり、いくら広い場所とはいえ犬が一人で・・いいえ、犬だけが歩いているのは困る場所。望遠で撮影しながら飼主を捜したら、公園の端に居た。
私のほかに人の姿がなかったので、犬を信じている飼主がリードを外したようだ。私の姿を見ると、飼い主は犬の名前を呼んだ。でも、新緑の中を行く白い犬・・良い風景ではある。

昨日は、職場の後輩が小さな可愛い花籠を持って面会に来てくれた。


同じJRの路線に住んでいるので、何かあると助けてもらう。健康な彼女だが、先月、白内障の手術をしたのだそうだ。まだ術後の目がすっきりとはしていないとのこと。私は眼の前の靄が邪魔になったので、夫のがん末期に手術した。よく見えないことが看護やその後の始末にも影響しそうで。
そんな話や、諸々の話で半日を過ごし、久々に人との会話をした気分になった。このところ、施設内で話をすることが少なくなってきた。職員とは必要な会話はするが、それ以上にはならない。一緒に食事をする人は決められていて、私以外の3人は耳が遠いのであまり長い会話は出来ない。私が疲れてしまう。おまけに、唯一「収音器」を使っている隣の人はちょっと認知症気味になっているので、話していると中身が同じことの繰り返しになる。なので、私からはあまり話しかけないようにしている。
以前、親しくしていた90歳の「お友達」は、去年転倒して車椅子になり、おまけに持病の心臓発作で一度入院したら、酸素の必要な身になってしまった。そんなことで聴覚と脳力は変わらないものの「要介護」となり、階も食事のテーブルも違うので自由に往来出来なくなった。私は大声で話さねばならない館内のレクリエーションなどもあまり行かない。最近は一人で居ることの多い日々、でも、このままでは認知症になるかも・・とは思わない。
一人の時間の方が気楽だ。強がりではなく、認知症の人や耳の遠い人との付き合いのストレスが、だんだん辛くなってきた。パソコンやスマホを覗くだけで、知らない世界に行ける。何をするにも体調との調整をしながらなので、忙しくて時間が足りない。もっと大谷選手の試合を観る暇があれば・・と思うくらいだ。
老人施設では、親しい関係になっても、相手は必ず衰えていく。普通に話が出来なくなるか、どちらかが彼の世へ旅立つか・・だから、あまり親しい友人を作るのも・・と、最近は思うようになった。

横断の黄旗眩しき立夏かな  KUMI
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行く春

2024年05月04日 | 俳句
天気 晴

GWの後半の三連休、渋滞と混雑のテレビ画面を眺めるだけで・・コロナ後の、平和な日常が戻ったようだ。外の世界は私に関係ないけれど、世の歯車が元へ戻ったことは嬉しい。

昨日に続き、少しでも外へ出ておかないと・・という私には有難い晴天だ。夏日で暑いらしいけれど半径200mくらいを往来するだけなので、日差しも風も気持が良い。
駅前のベンチから、あっというまに新緑となった欅の写真を・・とスマホを取り出したが、太陽の光線の中では何が何だか解らずにシャッター押した。欅はあまり画面に入らなかった。カメラのファインダーが懐かしい。
ご近所の家の花たち。クレマチス、デージー、テイカカズラ



テイカカズラはまだ咲き始めだったが、このお宅の塀いっぱいに這わせている。咲き始めると、甘い香りが三軒先まで漂う。夏の季語なのでこれからが本番の花なのだろう。そういえばクレマチス(鉄線花の仲間)も夏の季語だ。今頃咲く花は殆どが夏に分類されているけれど・・だんだん咲く時期が早まってきて、困ったこと。

自分の周りの狭い狭い世界のことしか書かない日々になったが、考えていることはたくさんある。憲法記念日のこととか、夫婦別姓の裁判のこととか、報道の自由度世界70位のこととか、開いた口の塞がらぬような円安のこととか・・
でも、面倒になってきた。
昼食のあと、ドライアイの目薬を点して目を瞑っていたら、そのまま眠ってしまった。20分くらい、熟睡していたようで・・そんな訳で思考力が落ちている。
さっきの、介護士さんとの会話。
「私、昨日、化粧水の小瓶を浴室の化粧台に忘れたみたいなの。見てもらえる?」 他の人が使用中には入所者は自由に浴室へ入れない・・。で、見て来た介護士、
「ありましたよ、これですね」
「あら良かった、そこに忘れたことは覚えていたから安心だわね」
「???? 安心しないでくださいよ~心配しますよ、KUMIさん
まで、って」
そう、認知症ではない入所者の方が遙かに少ないから、耳も正常で普通に会話出来る私は、職員から見れば貴重な絶滅寸前の生物みたいなのだ。でも、どこまで今の状態を維持出来るかなあ・・不安。

行く春や書類へ署名促され    KUMI
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